沈黙の街17
フローネの四人が受付での報告を終え、記録を確認し終えた職員が軽く頭を下げる。それを合図にするように、彼らがその場から歩き出そうとしたその時だった。
「へぇ……まさか、迷宮調査のクエストに行ったパーティが全員無事に帰ってくるとはね。正直、驚いたよ」
低く抑えられた声がリュアの背後から投げかけられた。
振り返ると、受付のすぐそばに三人の冒険者が立っていた。
先頭にいるのは、耳元までの淡い水色の髪を斜めに流した剣士の青年。全身を包む戦闘用の軽鎧は泥ひとつなく、無駄のない姿勢が整っていた。
だが、その整った外見とは裏腹に、青年の言葉にはわずかに皮肉と棘が含まれていた。
その後ろには、大柄な斧使いの女性と、ローブをまとった魔導士の少女が並ぶ。
近くで見ていた冒険者たちが、ひそひそと声を漏らし始めた。
「……あれ、レグナムの連中じゃないか」
「剣士のジーク・バルタス、斧使いのライナ・コルト、魔導士のノエル・フィンか」
「例の……一年でCまで駆け上がったっていう……もうすぐBランク昇格も固いって噂だぜ」
「支部長に目をかけられてるって噂の実力派さ。昇格試験も最短で突破してるらしい」
話しかけてきた青年――ジークの視線は、ひとときも逸れることなくリュアたちを射抜いていた。
「……他のパーティの尻拭いなんて、このギルドの冒険者はやらない。実力が足りなくて死ぬような奴は、最初からその程度だったってことだ」
冷ややかに放たれたその言葉に、場の空気がわずかにざわついた。
「選ばれた強い奴が、効率的に結果を出す。それ以外は、何も残せずに消えていく――そうやって、この支部は“成果”を築いてきたんだ。余計なことをして、そのやり方を乱すような真似は……してほしくないね」
明確な敵意こそ含まれていないが、その言葉には鋭く整えられた刃のような冷徹さがあった。
無言のまま、リュアがわずかに視線を上げる。
その瞳に宿っていたのは、怒りではなかった。代わりに覗いたのは、冷ややかな観察の光――言葉を真っ向から受け止めながらも、感情を挟まず、ただその奥で何かを測っているかのような静けさ。
隣に立つグレンもまた、言葉は発さず、ジークの一挙手一投足を観察するように見つめていた。冷静なまなざしの奥に、微かに研ぎ澄まされた意識が宿っている。
ジークの言葉が場の空気を張り詰めさせる中、その隣に立つ斧使いの女――ライナ・コルトが、あきれたように鼻を鳴らした。
「弱い奴がどれだけいたって、戦場じゃ足手まといになるだけだろ」
言葉と同時に、リュアたちへと向けられる視線には、容赦のない実力主義の色がにじんでいた。
鍛え抜かれた肉体を包むのは、赤銅色の重厚な前衛用装甲。
肩まで伸びた赤茶の髪は三つ編みにまとめられ、露出した腕には、幾つもの戦場の傷跡が刻まれている。
彼女は片手で大斧の柄を軽々と担ぎ上げる。その仕草は、まるで木の枝でも弄ぶかのような力強さと奔放さを漂わせていた。
さらに、後方に控えていた少女――ノエル・フィンもまた、冷ややかな視線をリュアたちに向けたまま、わずかに肩をすくめた。
「自分の力で立てない奴は、戦場にいるべきじゃない。助けが必要な時点で、その人間は“選ばれなかった”のよ」
ラベンダー色の長髪は高い位置でまとめられたサイドテールに結われ、その先が首筋で静かに揺れている。
深緑の魔術用ローブには土の粒ひとつ付いておらず、その几帳面な性格を映し出すように整っていた。
小柄で細身の体つきながら、瞳に宿るのは年齢に似合わぬ鋭い自信。
顔立ちにはまだ幼さが残るものの、そこに滲むのは冷静で成熟した現実主義の気配だった。
ミリアは奥歯を噛みしめ、明らかに怒りを抑えていた。火属性の気配がわずかに揺れ、握りしめた拳には力がこもっている。
ツインテールの先がかすかに震えていることが、彼女の内心の煮え立ちを物語っていた。
隣のレイは無言のまま、じっと状況を注視していた。 一歩も動かずに鋭く視線を巡らせ、その目は周囲の空気の流れすら見逃すまいとしている。
そして、サーシャは胸元に手を当てながら、リュアの背中をじっと見つめていた。
水色の瞳には、戸惑いと緊張が浮かんでいる。
何かを言いたげに口を動かしかけながらも、結局は言葉にはせず、その沈黙の奥に、揺れる信頼と懸念が交差していた。
そして――
リュアが、静かに一歩前へ出る。
その姿勢の変化は、場を包む空気の流れをわずかに変えた。
声を荒げることなく、ただ落ち着いた声音で、けれど確かな意志を込めて、彼女は言葉を紡いだ。
「……まだ経験が足りないだけ、という人をを切り捨てて、強い人だけで回すようなやり方が、いつまでも続くと思ってるの?」
その言葉に、周囲の冒険者たちが一斉にリュアへと視線を向ける。
リュアは構わず、淡々と語り続けた。
「効率だけを追い求めて、人の“これから”を見ようとしなかったら……その先に残るのは、崩壊だけだよ」
一瞬、静寂が落ちた。
だが、ジークは肩をすくめるようにして、口の端をわずかに吊り上げる。
「へぇ……それっぽいことは言うんだな。けど――」
彼は皮肉げに笑いながら、リュアを真っ直ぐ見据えた。
「足を引っ張る奴をかばって、自分が倒れたら意味がない。例えばさ――戦場で味方をかばって動きが鈍れば、その瞬間に命取りになる。なら、最初から見捨てて動いた方がまだマシだろ」
そして、吐き捨てるように続ける。
「そいつがそこで死んだとしても、それまでの実力だったってことさ」
空気がぴんと張り詰める。
だが、リュアの表情は変わらない。ただ、その瞳の奥に宿る光が、ゆっくりと鋭さを増していく。
そんなリュアに向け、ジークは薄く目を細め、あざけるように言い放った。
「まさか……Sランクのリュア・ゼフィラでさえも、この理屈が理解できないとはな。もしかして、“Sランク”って名ばかりで、実はそこまでの実力もないんじゃないか?」
その言葉に、周囲の冒険者たちがざわめく気配を見せた。
だがそれを遮るように、一歩前へ出たのは、後方に控えていた魔導士の少女――ノエル・フィンだった。
肩をすくめながら、わざとらしい口調で言葉を投げかける。
「そもそもさ――Sランクって言っても、ギルド本部長と“仲が良かった”からでしょ? 本部のコネで通したって噂、けっこう有名なんだけど?」
その声は、明らかに周囲に聞かせることを意図して発せられたものだった。
皮肉と挑発を含んだ声音に、ギルドの空気がわずかにざわつく。
だがノエルは気にする様子もなく、リュアを見ることすらせずに、わざとらしく顎を引いて言葉を継ぐ。
「Aランク三十人を一日で一人で倒した? ねえ、そんな話、本気で信じてるの? ……誰が見てたのよ。証人もいないのに、都合よすぎない?」
今度は、斧使いのライナが鼻を鳴らしながら口を挟む。
その語調は笑っているわけではなかったが、明らかにあからさまな嘲りがにじんでいた。
「てかさ、今までずっとソロだったのに、急にパーティ組んでるって……要するにもう通用しないって自覚あったんじゃないの? そういうの、“落ち目”って言うんだよ」
その言葉に、誰かがくすりと笑った。
それが誰かは誰も確かめようとしない。ただ、その小さな笑い声が合図であるかのように、ギルド内のあちこちでざわめきが連鎖していく。
「……今の話、聞いた? リュア・ゼフィラにしては、反論もしないなんてさ」
「まさか、本当に“落ち目”ってやつだったりして」
「いや、そもそも昔から過大評価だったんじゃないのか? Sランクって、ただの肩書きだったとかさ」
耳打ちのような声が、受付の近くや掲示板の前からもこぼれてくる。
「“光属性”って言ってるけど、たしかに、実際どんな魔法なのか、よくわかってないよな」
「“回復”とかはよく聞くけどさ……結局、戦いの中で何ができるのかは誰も知らないだろ」
「Aランク三十人を相手にしたって話も……どうせ誰も現場で見てないんだろ? そりゃ、話だけ大きくなるよな」
あちこちで言葉が重なり、笑い声が散発的に漏れ始める。
そのどれもが、正面からリュアに向けられたものではない。だが確かに、彼女の名を話題の中心に据えていた。
「なんか、“伝説”ってやつが一人歩きしてるだけみたいだよな……」
「“Sランク”って肩書き、飾りみたいなもんかもな。……なんか、圧倒的って感じがしねぇし」
皮肉と嘲り、そしてすれ違う嫉妬と疑念。
それらがまるで毒気のように、ギルド内の空気をじわじわと濁らせていく。
だが――リュアは何も言わない。
あえて反応せず、感情の色を落とした瞳で、ただ前を向いていた。




