試練の証明3
再び訪れた静寂のなか、ディアスは一度、視線を天井へと向けてから、ゆっくりと口を開いた。
「……とはいえ、現実ってやつは、そう簡単じゃねぇ」
重みのある低い声だった。
「封印が解かれ、未知の存在が現れた――それだけの報告で、王国の調査機関はすでに動き始めてる」
グレンは、黙ったままその言葉に耳を傾けている。
「まだ“魔王”と断定されたわけじゃない。だが……警戒は強まってる」
ディアスは指でこめかみを押さえ、苦々しげに続けた。
「お前が“魔王ではない”と主張するなら、それを裏付ける“証拠”が必要だ。何よりも、お前が“人間”であるという事実を、国にも、周囲にも――きっちり“証明”しなくちゃならねぇんだ」
グレンは静かに頷いた。顔に表情の変化はない。けれど、その沈黙には、言葉をしっかりと受け止めたという意思が滲んでいた。
隣では、リュアがふっと息を吐く。
「……うん、そうなるとは思ってた」
何も驚いた様子はない。むしろ、すでにわかっていたかのように、いたずらっぽい笑みを浮かべながらディアスの方へ顔を向けた。
「で、ディアス。さすがに、何も用意してないってことはないよね?」
その言葉に、ディアスが思い切り額を押さえた。
「お前なあッ……!」
あきれ果てた声を上げて、リュアを指差す。
「俺を何だと思ってんだ!? 便利屋か!? 無茶ぶり対応マシーンじゃねぇぞ!」
「えへへ。頼れるギルド長さま?」
リュアは悪びれる様子もなく笑ってみせた。
ディアスは頭を抱えながら、ぐっと堪えるように肩を上下させた。
「……はぁ。リュアと関わると、ほんと胃がいくつあっても足りねぇよ……」
苦労人のぼやきに、室内の空気がわずかに緩んだ。
ディアスはもう一度、深いため息をついた。
そして、執務机の引き出しから一枚の紙を取り出す。厚紙に魔力転写された、クエスト票だった。
「……まあ、文句ばっか言ってても始まらないしな」
諦めにも似た口調でそう言いながら、彼は視線をグレンへと向ける。
「グレン・ルシェイド」
その呼びかけに、グレンは静かに顔を上げる。
ディアスの表情は、先ほどまでの嘆きとは打って変わって、真剣そのものだった。
「お前には、選択肢がある」
手元のクエスト票をトン、と机の上に置きながら、ディアスは続けた。
「ひとつは――王国の研究機関に出向すること。 “封印された存在”として、国家の監視下で調査対象になる道だ」
リュアがわずかに眉を動かす。
「今のところ、お前の人格や行動に“危険性”は見られていない。すぐに処分されるような状況には至っておらず、基本的人権と生活も保証されるはずだ」
静かに耳を傾けていたグレンの瞳が、わずかに伏せられる。
その反応を見て、ディアスはもう一枚の紙を持ち上げた。
「もうひとつは、ギルドに残ることだ」
淡々とした語調の中に、少しだけ強さが宿る。
「冒険者としてクエストを受け、“人間として”の能力と意志を示す。
実績は記録に残り、関わる第三者の証言も蓄積される。……信頼は、積み上げることができる」
沈黙が室内を満たす。
リュアは、ふとグレンの横顔に視線を向けた。 言葉にはしなかったが、その瞳にはかすかな不安が滲んでいた。
彼が、どちらを選ぶのか――それを、静かに案じているように。
グレンはわずかに目を伏せ、何かを静かに噛みしめるように呼吸を整えた。
数秒後、顔を上げる。深紅の瞳が、まっすぐにディアスを見据える。
「……クエストを受ける」
短く、だがはっきりとした声だった。
リュアが、ふっと息をついた。
緊張が解けるように肩の力が抜け、安心した笑みが口元に浮かぶ。
「よく言った」
ディアスは満足げに頷くと、口の端をわずかに吊り上げ、ニヤリと笑った。
そして、クエスト票をグレンの前へと差し出す。
「これが、お前の初仕事だ」
グレンはためらわずに手を伸ばし、その紙をゆっくりと受け取った。
「内容は――グリーダ村で発生した、魔物の目撃に関する調査」
そう告げるディアスの声は、先ほどまでの軽口を捨て、再び任務を語る者の口調へと変わっていた。
「セントレアから馬車で半日ほどの距離。街道沿いの、比較的平穏な村だ」
それを聞いたリュアが、少し眉をひそめる。
「……あのあたり、魔物なんて滅多に出ない場所なのに」
警戒と違和感が入り混じった、鋭い反応。
ディアスもまた、腕を組みながら頷いた。
「被害はまだ出ていない。だが、目撃証言は三件以上。村長から、正式な依頼が来た」
淡々と、しかしその奥に含みのある言い回しだった。
リュアの目が細められる。
「……でも、グリーダ村がギルドに依頼を? あそこ、もともと閉鎖的だったはずじゃ……」
「だからこそ、掲示依頼にはできなかったクエストなんだ」
ディアスはそう答え、真剣な眼差しでグレンに視線を向ける。
「閉鎖的な村に問題なく対応できる冒険者を、“直接”頼むしかなかった。……そして、村からの信頼を勝ち取る必要があるこのクエスト、お前にとっては――絶好の実証機会になる」
グレンは、手にしたクエスト票を静かに見下ろした。
「……それから、グレン」
ディアスがふいに、にやりと笑みを浮かべながら顔を向ける。
「何かあったら、全部リュアに押し付けろ。リュアがいれば、だいたいどうにかなる」
肩肘をついて、冗談めかしつつも半分本気の口調だった。
「うわぁ……」
リュアが目を細め、思わず眉をひそめる。
「それ、ギルド長が言っていいの……?」
けれど、その声色に怒気はない。すぐに顔をほころばせ、今度はグレンの方を向く。
「でも……心配しないで。大丈夫、グレン」
水色の瞳にまっすぐな光を宿しながら、静かに、しかし力強く続ける。
「何があっても、私がなんとかするよ」
あまりに迷いのないその言葉に、グレンは思わず目を瞬いた。それは、今まで一人で生き抜いてきた彼の人生において、決して与えられることのなかった言葉だった。
その確信の籠もった笑顔に、戸惑いながらも、自然と答えが口をついて出る。
「……ああ」
その一言には、言い尽くせぬほどの重みと、ほんのわずかな“信頼”の兆しが滲んでいた。
「さて――」
ディアスが体を起こし、空気を引き締めるように声を発した。
「今回は魔導印の記録だけじゃ不十分だ。……ギルド側からも、監査官を同行させる」
そう言って、机上の書類を一枚、軽く指先で弾いた。
「カイルという男だ。若いが優秀でな。調査も記録も的確にこなす。それに、彼の報告が揃えば、王国側も文句は言えないはずだ」
「なるほどね」
リュアが頷き、少し納得した表情を見せる。
「確かに、魔導印の記録だけじゃ“操作された”って言われる可能性もあるし……その方が安心か」
ディアスは頷き返しながら、椅子に背を預けた。
「カイルの紹介は、明日の出発前にする。今日はまず、ギルド宿舎でゆっくり休め。結界領域から戻ったばかりで、体力も削れてるだろう」
「うん、ありがとう」
リュアが素直に礼を口にする。
その声に、肩の力を抜いた柔らかな雰囲気が戻っていた。
――いよいよ、始まる。
このクエストが、グレン・ルシェイドにとって、“人間”として歩むための第一歩となるのだった。