沈黙の街16
戦いが終わった空間に、かすかに靄が漂っていた。
魔物たちが残した魔素の名残と、術式の揺らぎがまだ空気に溶け残っている。
やがて、リュアとグレンは通路を引き返し、避難を終えたミリアたちと、救助した冒険者たちと合流した。
仲間たちはそれぞれ呼吸を整え、落ち着きを取り戻していた。
その様子を、青年が心底安堵したように胸を撫で下ろす。
「……よかった……本当に、全員、無事で……」
涙が浮かんでいた。けれどそれは、絶望ではなく、救われた命への感謝の証だった。
そのとき、一人の少女が立ち上がりリュアたちの前へと歩み出る。
白の術衣を纏い、淡い銀髪を肩にかけた少女は、まっすぐにリュアの瞳を見つめた。
薄緑の瞳に宿るのは、深い感謝と敬意――そして、救いを与えられた者としての誠実な想いだった。
「……本当に、ありがとうございました」
少女は静かに頭を下げた。
「私は、アナスタシア・メルフィスと申します。……聖属性の術師です」
アナスタシアに続いて、他の仲間たちも簡単に名乗る。
「エイド・ランフォード。槍使いです」
落ち着いた声音の青年が、壁に背を預けながら腕を組んだまま言った。短く刈り込まれた紺の髪と、鋭い灰色の瞳が印象的だ。
「シルフィ・ヴァーネル。魔術師。風属性を使ってるよ」
柔らかな茶色の髪を後ろで一つにまとめた少女が、小さく苦笑しながら言った。語尾には疲れが滲むが、眼差しはまだ鋭く生きていた。
そして、先ほど案内をしてくれた青年が一歩前に出た。
深緑の髪を耳の後ろで整え、軽く流した前髪と整った眉、淡く鋼色を帯びた瞳が、誠実な人柄を映していた。
「……ロイ・オーウェル。一応、リーダー役をやってる。……助けてくれて、本当に感謝してる」
彼は深く一礼し、真剣な表情でリュアたちを見つめた。
「私たち四人は、“フローネ”というパーティで活動しています。登録はCランクで、私だけがBランクです」
アナスタシアがそう補足する。
リュアは頷いたあと、自らも名乗った。
「私はリュア・ゼフィラ。そしてこちらがグレン・ルシェイド。“アークノクス”というパーティを組んでいるよ」
その言葉に、アナスタシアが小さく目を見開く。
「……リュア・ゼフィラさん。Sランク冒険者で、光属性使いの……ですよね」
リュアはあはは、と小さく苦笑を浮かべた。
「そんな大層なものでもないんだけど……私は、ただの一冒険者だよ」
「そして!」
弾んだ声で口を挟んだのは、ミリアだった。腰に手を当て、胸を張るようにして言う。
「私たちの自慢の師匠です!」
その姿に、隣のレイとサーシャがどこか呆れたように、けれど優しく微笑みながら小さく苦笑いを浮かべた。
ミリアは先ほどの勢いを少し引いて、落ち着いた口調で続けた。
「私たちは“ルセリア”。Cランクのパーティで、メンバーは私、ミリア・クラウス。弓使いのレイ・オルトラム、魔術師のサーシャ・フィールズの三人です」
簡潔に紹介を終えたあと、リュアは真剣な眼差しをアナスタシアに向けた。
「……それで。今回、どうしてこうなったのか、話を聞かせてもらえる?」
アナスタシアは小さく息を吐いた。
「私たちは二日前にレーンハルに着いて、今朝、クエストボードで依頼を受けたんです。内容は、Cランク迷宮の調査。簡易な魔物排除も含む、というものでした」
「見た限り、票の内容も問題ないように見えました。けれど……実際にここに来てみたら――」
言葉を継いだのは、槍使いのエイドだった。
「最初は普通の迷宮調査だと思ってたんだ。でも、奥に進んだ途端、いきなり魔物の群れに襲われて――一気に陣形が崩れた」
「……あれだけの魔物がいる場所を、Cランク向けなんて……ギルドは、本当に分かっててあの内容を書いたのか……?」
「――いや、むしろ……最初から、俺たちを落とすつもりだったんじゃないのか。あれはもう、罠って言っていいレベルだろ……ギルドが、仕向けた罠だ……」
魔術師のシルフィが、呆れたように肩をすくめる。
「クエスト票の情報があれだけ違えば、まともな判断なんてできないよ……下手すれば、全滅だってありえたのに……」
それに続けて、ロイが静かに口を開いた。
「……アナスタシアが結界を張ってくれたおかげで、なんとか全員の命は守られた」
「けど……俺とエイド、シルフィの三人はすでに大怪我を負ってて、満足に動ける状態じゃなかった。なんとか動けたのが俺だけで……それで、一度街まで戻って、助けを求めに行ったんだ」
彼の拳がわずかに震えていた。
「正直……あんたたちがいなかったら、俺たちは……」
ロイはまっすぐにリュアたちを見据えながら、深く頭を下げた。
「――本当に感謝してる」
その言葉に、ミリアが頷いた。
「……私たちは、票の内容を見てリュアさんがクエストの難易度の乖離に気づいたの」
「それで、あえてそのクエストを受けて、実態を調べてみたら――やっぱり、内容と全然合ってなかった」
そこまで聞いていたリュアが、一歩前に出て口を開いた。
「ギルド支部長のベイルは、“訓練の一環”だって言い張ってる」
その声音には、冷静な中に明確な否定の意志が滲んでいた。
「……でも、どう考えても、納得できる内容じゃないよ」
場に、重い沈黙が落ちた。
アナスタシアが、その沈黙を破るように、落ち着いた声で言った。
「……そういう背景があったのですね」
「私たちは運良く生き残れましたが……この内容で依頼が続けば、次は誰かが死にます。そんなこと、許されていいはずがありません」
彼女の言葉には静かな怒りと、確かな理性があった。
リュアはまっすぐアナスタシアを見つめ、静かに頷いた。
「……この件に関しては、私たちが絶対に解決する。ギルドのやり方を、そのままにするつもりはない」
言葉に込められた意志の強さに、場の空気がわずかに引き締まる。
「……まずはギルドへ戻って、一度落ち着こう。身体は動いても、心の疲れは魔法じゃ癒せないから」
仲間たちはそれぞれに頷き、出口へと足を向ける。迷宮の空気はなお重く淀んでいたが、その歩みに宿るのは、確かに未来へと進む意志だった。
***
夕暮れの光が街路を淡く染め、帰路に立つ者たちの影を長く引き伸ばしていた。ギルドの建物が遠くに見え始めたころ、アナスタシアがそっとリュアに歩み寄る。
「……リュアさん」
その声に、リュアが横目を向ける。
「パーティを、組まれたのですね。……正直、驚きました。リュアさんとパーティを組める人がいるなんて、想像もしていなかったのですが……」
そこで言葉を区切り、視線をグレンへと送る。
「――あの方からは、ただならない大きな力を感じます」
リュアはわずかに目を見開いたが、すぐにふっと微笑んだ。
「つい最近だけどね。一緒に冒険してみたくて、私から誘ったんだ」
アナスタシアはその答えに柔らかな笑みを浮かべる。
「そうなんですね……。リュアさんが誰かと組んで動くなんて、それだけでこの国は、ずいぶんと安全になった気がします」
冗談めいた口ぶりだったが、そこには確かな敬意が滲んでいた。
けれど次の瞬間、彼女はふと視線を落とし、伏せたままの瞳に、わずかな陰を宿した。
夕暮れの光が頬をなぞるその横顔は、静かに揺れる水面のように、どこか切なさを滲ませていた。
その様子に、リュアは言葉を返さず、ただ静かに彼女を見つめた。俯いたままのアナスタシアの表情が、どこか胸に残り続けるようだった。
***
ギルドの扉をくぐると、ほんのわずかにざわめきが広がった。
フローネの四人は自然と足を受付へと向けていた。先頭に立ったロイが、真剣な面持ちでカウンター越しの女性職員に報告を始める。
職員は丁寧に相槌を打ちながら、手元の書類に何やら記録していた。アナスタシアはその隣に立ち、淡々とした視線で記録の内容を見つめている。
そんな中、近くの掲示板の前で、三人ほどの冒険者たちが話し込んでいた。
「聞いたか? 今夜、祝賀パーティがあるらしいぞ」
「ほら、あの月例成績の発表。支部の成果が良かったんだってさ。無料で食事も酒も出るって話だ」
「それマジか? 腹一杯食えるなんてラッキーじゃん」
和やかなそのやり取りに、通りすがりの冒険者たちも耳を傾け、薄く笑みを浮かべながら掲示板に目を向けていく。
その一方で、少し離れた場所では、別の冒険者たちが小声で話していた。
「……最近、ギルドの監視が妙に厳しくないか? 下手なこと言えねぇ空気だし」
「ま、それでも成果が出てるってんなら、何かしら理由はあるんじゃないのか?ただ飯ならありがたくもらっとこうぜ」
「……はは、まあな。飯は飯だ」
――だが、リュアはその会話を聞いた瞬間、わずかに表情を曇らせた。
まるで、何か噛み合わない歯車が音を立てたような、違和感。
すぐ隣にいたグレンも同じように眉をひそめ、リュアと視線を交わす。二人の間に、言葉のない緊張が流れた。
その時、受付で報告をしていたアナスタシアが、ふと会話に気づいたように顔をわずかに傾けた。
眉がかすかに動き、困惑とも警戒ともつかない微かな表情がその顔に浮かぶ。
街に夜が降り始める中、ギルドの空気だけが、妙に浮ついているように思えた。




