沈黙の街14
指定された道具屋に到着すると、リュアたちは店内で《ルセリア》の三人と合流した。
棚に古びた道具が並ぶ静かな空間に、緊張感が漂う。
ミリアが一歩前に出て、声を落として話す。
「……数ヶ月前、帳簿を託していったのが、この店だったみたいです」
そういって差し出した帳簿は、年季の入った装丁。だが保存状態は良く、丁寧に扱われてきたことが見てとれる。
リュアはミリアから帳簿を受け取り、静かにページを捲る。
その手の動きは慎重で、紙一枚すら無駄にしない鋭さがあった。
何枚か捲ったところで、彼女の指が止まる。
「……空白が不自然。しかも、ところどころに――書き換えた痕がある」
光の角度を変えながら確認していくうち、ページの縁に、ごく微かな魔力の残滓が浮かび上がった。
抹消の術痕――誰かが痕跡を消そうとした形跡だ。
さらに、リュアは背表紙の内側に目を留める。布張りの裏地に、わずかだが魔力の揺らぎを感じ取った。
指先でそっと触れ、意識を集中させる。
「……これは、転送術式の一部。だけど――途中で止まってる」
その言葉に応えるように、グレンが横から手を伸ばし、術痕に指を添える。
淡く魔力が反応し、彼の低い声が落ちる。
「……どこかに送ろうとした術式の痕だ。けど、転送は完了していない」
リュアは目を細め、静かに息を吐いた。
「転送が妨害された……あるいは、途中で止めざるを得なかった……?」
レイが、思い出すように口を開く。
「店主が言ってたんです。“その職員、やけに慌てた様子で、息を切らしながら帳簿を預けに来た”って……それきり、ぱったり姿を見せなくなったって」
彼は少し間を置いてから続けた。
「……となると、この帳簿を渡した直後に、何かが起きた可能性が高い。だから……ここに預けたのかもしれません」
サーシャがぽつりと呟く。
「でも……その後、姿を消したんだよね……」
ミリアが言葉を継ぐ。
「この帳簿の中身と、その転送痕……きっと、それが理由」
しばしのあいだ、誰も言葉を発さず、全員の視線が帳簿に注がれる。
まるでその紙束に、失われた真実の重みが宿っているかのように。
やがて、ミリアが口を開いた。
「……住んでた部屋、数日後に誰かが来て、荷物を全部持っていったらしいの」
「でも、その人……ギルドの人じゃなかった。管理人が、“黒いフード付きのローブを着た、無言の訪問者だった”って言ってた」
リュアの眉がわずかに動く。
「……ギルドの人じゃないの?」
「うん。“何も言わずに部屋に入っていって、全部持っていった”って……管理人も、不気味だったって」
リュアはわずかに視線を伏せた。
その表情は沈んでいて、まるで何かが胸の奥に引っかかっているかのようだった。
しかし今は、目の前の証拠が最優先だ。
短く息を整え、彼女は顔を上げる。
「……部屋の中にあるものを、誰にも見られず処分するため、ってことか……」
レイが低く付け加える。
「しかも、道具屋の店主にも、“もうその人の話はするな”って言ってきた誰かがいたって」
少しの沈黙ののち、グレンが低く言い放った。
「――“始末”された可能性が高い。……証拠が残らないように」
誰がそれを行ったのかまでは、まだ分からない。
だがその背後にある、見えない“圧力”の存在だけは――確かにそこにあった。
***
誰も言葉を発さないまま、五人は道具屋をあとにした。
強くも弱くもない午後の日差しが、静かな街並みに斜めに差し込んでいる。
けれどその光は、どこか陰を帯びて見えた。
誰もが考えていた。
――この証拠は、どこまで辿れるのか。
――沈んでいった職員が、本当に残そうとした“何か”とは。
ギルド本部の建物が視界に入った頃、リュアは足を緩めて小さく息をついた。
その横で歩を揃えたグレンが、無言のまま視線をリュアに向ける。
「……受付から、正面から聞き出すのは、たぶん難しい」
リュアがぼそりと呟いた。
「記録の確認って形で訊くけど……たぶん、まともに答えてくれる人は少ない」
「――それでも、訊いてみるのか?」
「沈黙で固めたつもりでも……どこかに綻びはあるはず。――そこを突く」
わずかに口元を引き結ぶと、リュアは正面の扉に向けて歩き出した。
ギルド本部の受付は、日中にもかかわらず妙に静まり返っていた。
いつもなら応対に追われるはずの職員たちも、どこか落ち着かない様子で、時折周囲を気にするような視線を交わしている。
リュアがカウンターへ歩み寄ると、何人かの職員が目を逸らした。
その中で、一歩前に出てきたのは、かつてもリュアに対応したことのある若い女性職員だった。
「……いらっしゃいませ。何か、ご用件でしょうか」
緊張を隠すような声。けれど彼女は、リュアの目を逸らさずに受け答えを続けた。
リュアは表情を変えず、穏やかに切り出す。
「先日提出した報告書、確認したくて」
「……昨日のクエストの件でしょうか?」
「そう。表示ランクと実際の難易度に乖離があったクエストについて。クエスト票の写しと、確認資料を渡したはずだけど――“送信記録”、残ってますか?」
周囲の職員がちらりと視線を向けた。
女性職員は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まるも、すぐに表情を整えて、手元の報告受付記録を取り出した。
「……少々お待ちください」
手元の処理を進めながら、彼女は無言で書類をめくっていく。
その手の動きに不自然さはなかったが、ふと、ある瞬間――差し出された確認書類の下に、そっと折りたたまれた小さな紙が滑り込んでいた。
ごく自然な仕草。だが、その目線は、静かにリュアへと向けられていた。
リュアはその小さな紙片を受け取ると、視線を逸らすことなく、ただ一言。
「……ありがとう」
女性職員は何も答えず、受付記録を閉じると、何事もなかったかのように再び対応業務に戻っていった。
だがその背には、静かに――けれど確かに、何かを託した者の覚悟が滲んでいた。
***
ギルド本部をあとにした五人は、無言のまま並んで歩いた。
空は澄み渡っているのに、肌を刺すような日差しが、じりじりと石畳を照り返している。
季節はずれの暑さに街の人通りは少なく、広場の片隅には木陰を求めて鳩たちが集まっていた。
やがて、中央に噴水のある広場へとたどり着いたリュアたちは、人気の少ない一角に腰を下ろした。
陽光を遮る木々の下、乾いた空気に噴水の水音だけが心地よく響いている。
リュアは短く息をつき、静かに口を開いた。
「……ここまでで分かった情報、整理しよう」
「まず……支部長室で、ベイルが出してきた帳簿」
リュアがゆっくりと口を開く。
「死亡率は平均以下。負傷率も、軽傷がほとんど。他支部と比べても、むしろ優秀な結果に見えた」
彼女はわずかに視線を伏せ、短く続ける。
「……“数字だけを見れば”、だけど」
ミリアが静かに顔を上げ、手元の帳簿を見ながら呟いた。
「でも……その数字だって、本当に正しいかはわからないよ。どこかで都合よく、作り替えられてるかもしれない」
その言葉に、リュアは目を伏せながら、わずかに息を吐いた。
「だからこそ、確かめないといけない」
静かな決意をにじませた声に、周囲の空気がわずかに引き締まった。
「次に、情報屋から得た話」
グレンが静かに言葉を継ぐ。
「納品数に対して、報酬が明らかに少なすぎる。達成率や難易度を考慮しても、割に合っていない。それなのに、帳簿の記録上は“効率的に成果を上げている支部”として成立しているらしい」
彼の瞳が冷たく細められる。
「――帳簿が、事実の反映ではなく、作られた“印象”の可能性がある」
ミリアが手元の帳簿を見下ろしながら、そっと口を開いた。
「……そして、この帳簿」
彼女は指先で数ページを捲りながら、小さく眉を寄せる。
「ところどころ、空白が不自然で……何かを消したみたいな痕もあるの。インクの乗り方が違ったり、紙が一部だけ波打ってたり」
サーシャが横から覗き込んで、ぽつりと付け加える。
「誰かが、途中で書き換えたのかもしれないね」
そのとき、リュアが帳簿の背表紙の内側――布張りの裏地に、ふと目を留めた。
「……ここの、魔力の揺らぎ」
指先でそっと布地をなぞりながら、意識を集中させる。
「転送術式の一部……でも、途中で止まってる。送信は完了していない」
その言葉に応えるように、グレンが横から手を伸ばし、術痕に魔力を流し込んだ。
淡く浮かび上がる魔力の反応を見つめながら、彼は静かに言う。
「……どこかに送ろうとした痕跡。けど、途中で妨害されたか、送信を中断せざるを得なかった可能性があるが……」
レイが視線を落とし、静かに口を開いた。
「でも……帳簿を道具屋に預ける時間はあった。だから、妨害された線が濃い気がする」
その言葉に、グレンがゆっくりと頷いた。
ミリアがそっと視線を上げる。
「その人の部屋にも、数日後に誰かが来て……荷物を全部、持って行ったらしいの」
「でも――その人、ギルド関係者じゃなかった。管理人が、“黒いフード付きのローブを着た無言の訪問者だった”って言ってた」
彼女の声は徐々に低くなっていく。
「……なんだか、不気味で、誰も近づけなかったって」
再び帳簿に視線を戻したリュアは、静かに言葉を落とした。
「記録を残そうとした人間がいて、それを――消そうとした誰かがいる」
そう呟いたあと、彼女は腰のポーチに手を入れ、小さく折りたたまれた紙片を取り出した。
「……さっき、ギルドの職員から受け取ったものだけど」
紙を開きながら、皆の方へと向き直る。
「中身はまだ確認してないけど、何か手がかりがあるかもしれない」
全員の視線が自然とその紙に集まった、まさにそのとき――
「……誰か、倒れてる?」
ミリアが目を細め、広場の端へと続く小道を指さした。
石畳の陰に隠れるように、血に染まった人影がうずくまっていた。
「っ……!」
リュアは焦りを押さえながら紙をポーチにしまい、すぐに立ち上がって駆け出した。グレンも無言でその後に続く。
近づいてみれば、それは泥と血にまみれた若い冒険者だった。
腕や胸元には深い裂傷が刻まれ、今にも意識を手放しかけている。
苦しげな呼吸の合間に、かすれた声で、懇願するように言葉を漏らした。
「……た、助けてくれ……仲間が……罠に、嵌められたんだ……!」




