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鍵と光の希望  作者: SUZU
2章:沈黙の街
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沈黙の街11

 ギルド本部の建物奥、支部長室の前。

 応接希望を受けた女性職員が、扉の前で軽くノックをする。



 「支部長、リュア様とグレン様が到着されました。……面会の件、いかがいたしましょうか?」



 中から、間を置かず返答が返る。



 「通せ」



 重厚な扉が開かれた。



 ――その部屋は、整然としすぎていた。



 壁際には一糸乱れぬ書類棚が並び、奥の机には書類が几帳面に積まれている。



 入口手前の応接スペースには、二脚のソファと低いテーブル。中央には、湯気の立つカップが三つ並べられていた。

 すでにソファに腰かけていた男――支部長ベイルが、二人を迎えるように微笑みを浮かべる。



 「ようこそ、お戻りなさいませ。Sランク様のご訪問とは、恐れ入ります」



 整った姿勢と柔らかな口調。

 だがその笑みには、どこか温度のない空虚さがあった。



 リュアは黙ってソファに腰を下ろす。

 背筋を正したまま、彼女はベイルと向かい合った。



 その後ろ、グレンは一歩後ろに立ち、壁際に寄りかかる。

 腕を組み、無言のまま部屋の空気を見定めるように視線を巡らせていた。



 そして――沈黙を破ったのは、リュアだった。



 「……なぜ、クエストの難易度を偽っているの?」



 静かに、だが一切の曖昧さなく投げかけられた問い。

 ベイルはその言葉を聞いても顔色ひとつ変えず、ただ口元に僅かな笑みを浮かべた。



 「はて。偽っている、とは……随分と刺々しい言い方ですね」



 紅茶に口をつける動作も、ゆっくりと丁寧だった。

 だがその所作の奥には、どこか愉しげな“演出”の色が滲んでいた。



 「もっとも。こうして直接問いに来られるとは思いませんでしたが――まあ、いい機会でしょう。Sランク様になら、少しくらい内情をお話ししても、罰は当たらないでしょうし」



 カップを静かにテーブルに置くと、ベイルの瞳がわずかに細められる。

 次に放たれる言葉の端々に、理性の裏に潜むものが、微かに滲み始めていた。



 ベイルは背もたれに深く体を預け、指を組んだままゆっくりと話し始める。



 「冒険者なんてな、守られてるうちは育たない」



 最初の一言は、軽く吐き捨てるようだった。だがその語調は徐々に熱を帯びていく。



 「上が詰まってて、下が生ぬるい。そんな奴らに“想定外”の壁を与えることで――初めて、真の強者が生まれるんだよ。死にかけて、ようやく気づく。命の価値も、力の意味もな」



 まるで教えを説くかのように、ベイルの表情には確信めいた色が浮かぶ。

 リュアはそれを正面から受け止め、わずかに目を細めた。



 「……鍛錬の一環だと、そう考えているということ?」


 「そうだ。少々の“上乗せ”は、そのための試練だ。実際、統計を見れば分かる」



 そう言って、ベイルはソファ脇のキャビネットから一冊の帳簿を取り出し、テーブルの上に開いた。



 魔導印で記録された過去半年のクエスト統計――死亡率、負傷率、達成率、すべてが整然と並んでいた。



 「見ての通り、ウチの支部の死亡率は平均以下。負傷率も、軽傷がほとんどだ。他支部と比べれば、むしろ優秀な結果を出してるんだ」



 淡々と、どこまでも合理的に。



 「君たちのような上位ランクには馴染まない話かもしれないが……このレーンハルでは、こうやって下の層を育ててきた。数字がそれを証明してる」



 リュアは表情を変えず、静かにページに目を通した。



 「……確かに、表面上の数値だけを見れば、異常はない」



 事実を否定はしない。だが、納得はしていない――その気配が、リュアの声の端に確かにあった。



 「形式的には、違反ではない。クエストの設定は最終的に支部長の裁量に委ねられている。ルール内で運用している。それだけの話です」



 ベイルは笑みを深めた。

 その口調は丁寧なまま、どこか皮肉めいている。



 「もっとも、私のやり方に文句をつけてくるのは、いつも“結果を出せない連中”ばかりでね。君たちのような優秀な方々には、無縁な話でしょうけど」



 その物言いに、眉ひとつ動かさなかったが――胸の奥で、何かが静かに軋む音を立てた。

 そして、もう一度ページから視線を上げる。



 「……ひとつ気になっていたことがある」



 ベイルが眉をわずかに上げた。



 「施療院から出された薬草採集の依頼。……なぜ、放置しているの?」



 その問いに、ベイルは一拍置いてから、ふっと笑みを浮かべた。



 「おや、そんな細かいところまで耳に入ってましたか」



 紅茶に口をつけ、軽く肩をすくめる。



 「単純に、優先順位の問題です。戦闘訓練にもならない、報酬も低い。……リソースの最適化を図っただけですよ」



 リュアの目が細められる。



 「でも、それを必要としている人がいる。薬草が無いと、余計な苦しみを負ってしまう人だっているんだ」


 「……その通りですね。だが、苦しみのすべてに手を伸ばしていたら、ギルドなんてすぐに立ち行かなくなる」



 湯気の立つカップに目を落としながら、ベイルは柔らかく続けた。



 「施療院の薬草だろうが、街の雑用だろうが……“冒険者を鍛える”という目的の前では、優先度は低い。リソースは有限ですから」



 その声音に、同情の色はない。あくまで冷静な判断としての言葉だった。



 「……本当に必要なら、彼ら自身が別の道を探すべきです。ギルドにすがってばかりでは、成長もないでしょう?」



 リュアはわずかに眉を寄せ、唇を噛むようにして視線を落とした。



 「数字がきれいでも、その裏で誰かが見捨てられてるなら……それって、ほんとに“正しい”の?」



 ベイルは笑みを深めた。



 「君は“全員を救える”と思ってるんですか? 冒険者ギルドは、慈善団体じゃない」



 その声音は、どこまでも穏やかだった。だが、そこには価値観の隔たりが滲んでいる。



 「限られた時間と人手で、誰を助け、誰を見捨てるか。それを決めるのが、我々の仕事です」



 リュアは目を伏せ、ひとつ深く息をついた。

 だがその瞳は、譲れないものを胸の奥で確かめるように、静かに光を宿していた。



 グレンは相変わらず壁際に立ったまま、無言だった。

 だがその瞳は、ずっとベイルを捉えていた。わずかに光を反射するような、その赤い視線が、言葉以上に真剣さを物語っていた。



 「……記録上は、確かに問題ない。だからこそ、余計に質が悪い」



 リュアの言葉に、ベイルはまるで愉快そうに笑った。



 「そうかもしれんな。だが――数字でしか判断できない者に、“強さ”は育てられないよ」



 言いながら、彼はゆっくりと組んでいた手をほどき、前に倒れるようにして肘をテーブルに置いた。



 「ギルドの冒険者の目を見てみろ。火が宿ってるだろう? 本物の火だ。自分の力で壁を越えた者だけが持つ、“意志”の火だよ」



 その瞳がどこか陶然としている。

 優しげな口調の奥に、どこか異質な熱が滲む。



 「俺は“強さ”を見てるんだよ。数字じゃない、“結果”をな。誰が生き残り、誰が這い上がってくるのか――そこに価値がある」



 リュアは短くまばたきをしたのち、ゆっくりと視線を戻す。

 その顔は変わらず冷静だったが、声は僅かに低く、そして静かに言葉を落とす。



 「……じゃあ、もし、危険なクエストで死んでしまったら……その人たちの“火”は、どうなるの?」



 その問いに、ベイルの笑みがわずかに凍った。

 が、ほんの一瞬だけである。次の瞬間には、彼は再び柔らかく微笑む。



 「死んだ奴らには、悪いが……そういう運命だったんだろうさ。全員を救えるなんて幻想だ。育成も選別も、命が懸かってる。それがこの世界の現実じゃないか?」



 まるで当然のように。

 そこには一片の罪悪感もなかった。



 リュアの指先がわずかに動く。感情が音もなく、その奥で蠢いている。



「……あなたの中では、死んだ人たちの“選ばれなかった理由”も決まってるの?」


「当然だ。選別とはそういうことだろう? 価値のない命が削ぎ落とされて、残る。それが育成の本質だ」



 リュアはもう何も返さなかった。

 その沈黙が、問いかけよりも深く、強く、場の空気を締めつけていた。



 支部長ベイルは背もたれにゆるく体を預け、片肘をついたまま、リュアの沈黙を楽しむように目を細めた。



 「ま、Sランク様に気に入られた若造たちは、ほどほどに“お守り”してやってくれよ」



 その声音は、あくまで柔らかい。だがその奥底には、何かを蠢かせるような歪みがあった。

 まるで無垢な子どもが虫の羽を毟る時のように、無邪気に、しかし確かに悪意を孕んだ嗤い。



 リュアの呼吸が、わずかに滲む。

 拳は握らない。表情も変わらない。だが、気配がひとつ、ぴしりと張り詰めた。



 対話は、ここまでだ。

 リュアは立ち上がった。小さな動きだったが、空気が変わる。



 背後のグレンも、壁を離れる。無言のまま、まっすぐにベイルを見据えていた。

 その瞳――静かな紅の奥に、ほんの一瞬だけ鋭い閃光が走る。



 本能が、何かを察知している。



 言葉ではなく、感覚の領域で、ベイルという存在が孕む“異物”を見極めていた。



 「……これで終わりです」



 リュアがそうだけを告げ、踵を返す。

 声はあくまで平坦だったが、内側には、ひりつくような意志の刃があった。



 グレンが一歩だけ遅れて、彼女の後に続く。

 その背に、ベイルの低く笑う声が追いかけてくる。



 「ま、好きにするさ。強さを測る方法は、人それぞれだ。……せいぜい、綺麗ごとで潰れないようにな?」



 ――その声に二人は振り返らなかった。



 閉じられた扉の向こう、空気がしんと沈黙する。

 誰もいないはずの部屋の中で、なおベイルの嗤う気配が、いつまでも、いつまでも、薄暗く漂っていた。



 扉が、静かに閉じる。

 重々しい音が背後に遠ざかると、通路に出たリュアはふいに立ち止まった。



 肩を小さく上下させる。深呼吸というには浅すぎる息。抑えていたものが、わずかに漏れ出る。



 「……あれが、支部長?」



 かすれそうな声だった。

 だが、確かに心の底からの拒絶がそこにあった。



 グレンはすぐには応えず、ほんの数歩だけ、彼女と距離を詰める。

 隣に並んでから、視線だけを前に向けたまま、低く言った。



 「……あれを見て、心が動かなかったら、さすがにどうかしてる」

 「そう思った。――俺でも、な」



 その言葉に、リュアの眉がわずかに揺れる。

 伏せた視線の先で、肩の力がほんの少し抜けた。



 心の奥で渦巻いていた感情が、ゆるやかに沈静していく気配だけが、そこにあった。



 「……ありがとう。少しだけ、気持ちが落ち着いたかも」



 その声には、まだ熱が残っていたが、先ほどまでの尖りはない。

 唇の端がかすかに緩み、ようやく、ひとつの息が吐き出された。



 グレンは何も言わず、少しだけ先を歩き始めた。

 リュアも、その後に続く。



 足音は静かに、けれど確かに、ギルドの廊下を進んでいった。



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