沈黙の街8
訓練場での戦いを終えたあと、グレンたちは再びギルドの一階へと足を運んだ。
カウンターには、先ほど朝の訓練場使用を案内してくれた女性職員が立っていた。
ミリアがまっすぐに近づいて声をかける。
「すみません、救護施療院から直接受けた薬草採集、完了しました! これが報告書です!」
彼女が差し出したのは、施療院の職員が発行した採集完了の報告書だった。
必要項目は簡潔にまとめられ、正式な署名と印章も押されている。
女性職員はそれを受け取った瞬間、わずかに肩を強ばらせた。
報告書に視線を落とす――その目がかすかに揺れる。
「あっ……はい、たしかに受け取りました。ご協力、ありがとうございます」
口調は丁寧だったが、その響きにはわずかな硬さがあった。
彼女はすぐに記録帳を開き、落ち着いているように見せかけて筆を走らせる――しかし、その速さと筆圧には、どこか焦りを押し隠すぎこちなさがにじんでいた。
その手元には、小さな魔導具――記録監視用の青い結晶が、控えめに設置されていた。
報告書が、その魔導具の“記録領域”に映っていることを、彼女はきっと意識している。
(……この反応、“見られている”?)
リュアは、職員の様子を静かに見つめながら、そう感じ取っていた。
隣では、グレンもまた無言のまま、その様子を観察していた。
(かすかに震える指先、焦りのにじむ口調……これは、ただの緊張じゃない)
その目には無表情に見えて、わずかな警戒と、状況を読み解こうとする鋭さが宿っていた。
職員は視線を落としたまま、ためらうように口を開いた。
「……今日が、こちらのギルドには初めてのご来訪、でしたか?」
「うん、今朝着いたばかりだよ。クエストボードもまだ見てないくらい」
ミリアが明るく笑って答えると、職員は曖昧に頷いた。
だが、その表情に安堵の色はなかった。
記録帳を見ているはずの目は、どこか焦点を外し、ペンを持つ手もわずかに震えている。
リュアは、その震えにふと眉をひそめた。
(……怖がっている)
報告書が“記録として残る”という行為そのものに、職員は明確な不安を感じている。
ギルド内部のどこかで、何かが抑圧されているのだと、リュアは直感的に理解していた。
やがて、ミリアたちとともにカウンターを離れると、背後で職員の小さく長い吐息が漏れた。
机に伏せるようにして息をついたその顔には、消せない緊張と――胸の内に沈んだ葛藤がにじんでいた。
そのとき、グレンの感覚にかすかな揺らぎが触れた。
机の下――人の目には映らない位置から、微弱な魔力の反応が漏れている。
グレンはそっと指先を動かし、感覚を研ぎ澄ませた。
(……隠し結晶か。同調型……誰かに、リアルタイムで送信されてる)
彼女は、自分の意思で何かを隠しているのではない。
見られている場で、口にすればどうなるか――それを理解しているだけだ。
だから、言えない。
言わないことを、選ぶしかない。
そう確信しながら、グレンはただひとつ、魔導具の残光を記憶に刻んだ。
このギルドには、明らかに「外部の目では捉えきれない構造」がある。
それは、単なる管理体制ではなく――抑圧と、恐怖によって作られた秩序だった。
リュアは小さく息を吐き、ちらりと横目でグレンを見やる。
その視線に応じるように、グレンもまた静かに頷いた。
――今は、深く踏み込む時ではない。 この場で問い詰めても、得られるものはきっと何もない。
むしろ、余計な警戒だけを呼ぶ。
二人は言葉を交わさないまま、確かに意思を交わし合った。
「じゃあさ、次はクエスト選びに行こっか?」
ミリアが笑みを浮かべ、みんなを促すように明るく言った。
彼女の明るい声に、リュアも頷きながら振り返る。
「うん、せっかくだし、アークノクスとしての初クエストにぴったりのやつ、探さないとね」
その横で、グレンは小さく息を整えながら、再び歩き出した。
レイとサーシャも後に続く。
クエストボードの前に立った五人は、それぞれの視線を並ぶクエスト票に走らせた。
紙片は種類ごとに丁寧に分類され、ランク帯ごとに色分けされている。朝の時間帯とあって、まだ手つかずのクエストも多く残っていた。
「さて……ここからが本番かな」
リュアが手を組みながら軽く言うと、グレンは一歩進み出る。
その瞳に映るのは、ずらりと並ぶ依頼内容とその形式――だが、彼にとってはすべてが初めての光景だった。
「……見たところ、分類は“討伐”“採集”“護衛”か」
「うん。まず自分のランクに合ったクエストを選んで、それを受付に提出するの。そうすると、魔導印に正式な受注記録が反映される仕組みになってる」
リュアが簡潔に説明する。 グレンは頷きながら、真剣なまなざしでクエスト表を見ていた。。
背後ではミリアたちも、それぞれの掲示を見ながら小声で相談を始めている。
「こっち、Cランクで討伐依頼……三日以内、山岳地帯の魔物、か。サーシャ、これどう思う?」
「ん……内容だけ見ると、相手は中級程度の個体数。でも、地形が複雑そう」
「レイ、何か気になる点ある?」
「……なんだか情報が曖昧だな。ちょっと引っかかる」
三人がクエスト票を手に取り、それぞれに判断を交わしていたそのとき――
「ちょっと待って、それ……!」
リュアの声が、思わず鋭く飛ぶ。
彼女は一歩踏み出し、ミリアの手にあるクエスト用紙を覗き込んだ。
「これ、対象魔物――“牙裂きイグナス”って書いてある。なのにCランク……?」
リュアが目を細めながら、クエスト票を睨みつける。
グレンもその名に反応し、彼女の隣に寄った。
「……イグナス。四肢に棘のある中型獣型。火に近い属性を持ち、複数で連携する習性の魔物であってるか?」
「うん、しかも夜行性で、斥候役と突撃役に分かれてくるタイプ。見た目より厄介だよ」
グレンは無言で頷き、ちらりとミリアたちに視線を向ける。
「……俺の記憶にある限り、単独でも十分厄介な魔物だった」
そして、一拍置いて断言する。
「しかも、あいつらは基本群れで動く。今の三人じゃ分が悪い。……状況次第では命取りになる」
その場で他の掲示にも目を走らせ、リュアは何枚かを素早く手に取って確認する。
「……これも、こっちも……内容と表示ランクが微妙に噛み合ってない」
リュアがいくつかのクエスト票を手にしながら、低く呟いた。
記された依頼は、いずれも一見すると簡潔で、形式に問題はない――だが、記述の曖昧さや要点の抜け落ち方が、経験者の目には不自然に映った。
「場所の詳細が曖昧だし、魔物の特徴もふんわりしてる。……それに、“危険度”が抜けてるのもある」
リュアの声に、ミリアが目を丸くする。
「えっ、でもこれ、どれもちゃんと“Cランク”って書いてあるよ?」
彼女の手元の紙を、レイが覗き込む。
しばらく視線を走らせたのち、静かに言葉を漏らした。
「……普通なら見逃す程度だけど、どうも情報の“切り取り方”に意図を感じる」
「そんな……!」
サーシャの声がかすかに震えた。
クエスト掲示が正確であるという前提――それは、冒険者としての常識そのものだったからだ。
「他も確認しよう。何か共通点があるはず」
レイの言葉にうなずきながら、五人はボードを囲み、それぞれにクエスト票を取り始める。
「……やっぱり。どれも“Cランク”って表記だけど、内容を見れば“群れで動く魔物”や“大型個体”ばかり……本来はBランク扱いされるはずのものが、紛れてる」
リュアが冷静に確認を続ける中、サーシャがためらいがちに言った。
「じゃあ、私たち……わざと危険な依頼を、受けさせられようとしてたってこと……?」
言葉の先に、明確な恐怖がにじんでいた。
誰もすぐには答えなかった――だがその沈黙が、答えを物語っていた。
「ひどい……そんなの、信じて頑張ってる人たちが、報われないよ……!」
ミリアが悔しげに拳を握る。
「リュア、どうする?」
グレンの問いに、リュアは迷いなく答えた。
「……支部長に話を通す。こんなの、見過ごせない」
吐き出すように息をつくと、リュアはすぐさま踵を返して歩き出す。
グレンが後を追い、ミリアたちも不安を浮かべながら、その背中を追った。
リュアはカウンターの前に立ち、女性職員に真剣な声音で切り出す。
「ギルド支部長の方に、お話があります。掲示されているクエストについて、緊急で確認したいことがあるんです」
職員は一瞬、肩をすくめるように驚き、わずかに視線を泳がせた。
「……も、申し訳ありません。支部長は、ただ今外出中でして……」
「……行き先と、戻られる予定は分かりますか?」
「……確認いたします。少々お待ちください……」
どこかおどおどした様子を残したまま、職員は奥の記録台へと向かい、控えめな足取りで戻ってくると、改めて丁寧に答えた。
「……支部長は本日午後からの視察予定により外出中とのことです。戻りの時刻は……未定、とのことでした」
リュアは短く頷いた。
「ありがとうございます」
そして、彼女は再び職員に向き直り、抑えた声音で続ける。
「では、Sランク冒険者リュア・ゼフィラとして正式に申し入れます。現在掲示されている複数のクエストに、表示ランクと実際の危険度に明確な乖離が確認されました。記録に残し、必ず本部へ報告してください」
そう言って、リュアは手元のクエスト票を数枚取り出し、職員の前に差し出した。
「こちらが、その確認資料になります」
職員は一瞬だけ目を見開き、戸惑いを押し隠すように小さく頷いた。
「……し、承知しました。確認のうえ、複写処理の後、本部への報告を手配いたします……」
職員はおずおずとクエスト票を受け取り、緊張した面持ちで魔導印の複写装置へと向かう。
写しを取りながら、記録用の書類に慎重に内容を書き写していく手元は、わずかに震えていた。
その様子を横目に見つつ、グレンがリュアにぽつりと漏らした。
「……急がないと、これ以上“書き換えられる”かもしれないな」
「うん。すぐに対応しよう」




