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鍵と光の希望  作者: SUZU
1章:試練の証明
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試練の証明2

 街道を抜け、都市の門を越えてからは、人の気配が一気に濃くなった。

 石造りの道を踏みしめる足音が交差し、広場には人のざわめきが満ちている。

 焼きたてのパンの香ばしさと、張りのある商人の呼び声が混ざり合い、空気は忙しなく動いていた。

 冒険者や旅人が行き交う石の街――それは、熱と生の鼓動をそのまま街路に映したような光景だった。



 そんな喧騒の中心に、ひときわ重厚な建築がそびえていた。

 無駄のない直線で構成された、黒灰色の石造り。幾層もの階層を持ち、正面にはギルドの紋章が刻まれた巨大な鉄扉。



 《冒険者ギルド・セントレア本部》



 ここが、リュアの所属するギルドの拠点であり――ふたりの“報告の場”でもある。



 扉をくぐれば、広々とした吹き抜けのロビーが現れる。

 クエストボードの前でクエスト票を確認する者、談笑する冒険者、奥の窓口に列を作る依頼主たち。

 魔導照明が空間を照らし、空気は熱と声に満ちていた。



 その入口で、グレンの足がふと止まる。

 無言のまま、周囲を見渡す。

 表情は変わらない。声も出さない。ただ、淡々と視線を巡らせるその姿には、どこか“馴染まない空気”があった。

 まるでこの空間が、彼だけ“別の世界”であるかのように――



 リュアは横に立ち、彼の様子を静かに見やった。彼がこの“現代”の熱気に触れ、何を思うかはわからない。

 けれどそれでも――一歩ずつ、進もうとしているように見えた。



 ロビーを抜け、ふたりは受付の前で足を止めた。

 木製のカウンターの奥では、数名の職員たちが忙しく書類を整理し、時折、冒険者たちと短い会話を交わしている。

 その中のひとりに、リュアが軽く手を上げた。



 「ただいま。例の調査、無事に終わったよ。ディアスのところへ直行するから、手続きは後でいい?」



 職員の女性はその声に顔を上げ、リュアを見た途端、ほっとしたように目を細めた。



 「おかえりなさい。……了解です。ディアス様には、すでに報告が届いています。どうぞ、奥へ」



 慣れた手つきで許可証を取り出しながら、ちらりとリュアの隣に立つ男へと視線を送る。

 深紅の瞳に、黒を纏った長身。無言で周囲を見渡すその佇まいに、職員の表情が一瞬だけ固まる。

 ――だが、何も問わずに頭を下げた。



 「ご同行の方も、ご一緒にどうぞ」



 リュアは頷き、静かに歩き出す。

 グレンもまた、その背に続いた。



 階段を上がって長い廊下を進み、執務室の前まで来ると、リュアはノックもせずに扉の取っ手を回した。



 「ただい――」


 「お前なぁぁぁぁぁッ!!」



 扉を開けた瞬間、怒声が爆音のように飛んできた。

 ドンッ!という音とともに、執務机がわずかにきしむ。怒りに任せて拳を振り下ろしたディアスが、烈火のごとく立ち上がっていた。



 「うん、やっぱりそう来たか」



 リュアは心底慣れた様子で笑い、なんのためらいもなく室内へと足を踏み入れた。グレンはほんのわずかに目を見開いたが、すぐに落ち着いた様子でリュアに続く。



 「調査から戻っただけで、そんな鬼の形相しなくても」


 「鬼じゃねぇ!俺は常識人だッ!!」



 ドスドスと床を踏み鳴らしながらリュアに詰め寄ると、彼女の頬を片手でぐいとつねりあげた。



 「ふぁ、ふぃふぁいっ……!」



 情けない声を上げるリュア。しかしその頬が引きつるなかでも、どこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。



 「まったくお前は……胃に穴開くかと思ったわ……」



 言葉とは裏腹に、ディアスの目元に浮かんだのは、安堵の色だった。



 「封印が解けるだけでも十分すぎる厄介ごとだったのに……」



 ディアスはようやく手を離し、デスクの向こうへ戻ると、グレンの姿にちらりと視線を送ったあと、リュアの肩をぐらぐら揺らす。



 「“一緒に冒険したい”って何だ!? 魔法か!? 呪いか!? それとも自我が崩壊してんのか!?」


 「じゃあ、“正気に戻るおまじない”でも考えておいて」


 「済まねぇんだよ、おまじないじゃ!!」



 突き刺すような怒声と、投げやりな嘆き。だがそれもまた、無事に帰ってきた証であり、ほっと胸をなで下ろす瞬間でもあった。

 リュアは頬をさすりながら、少しだけ肩をすくめて見せた。



 その様子を、部屋の隅で静かに見つめていたグレン。

 深紅の瞳に、変化の色はほとんどない。



 だが、言葉が飛び交い、表情が動き、感情がぶつかり合う――そんなやり取りを前に、彼の視線がわずかに揺れた。

 誰も刃を抜かず、怒声も敵意ではなく、どこか温度を持ったやり取り。

 その一連の光景は、彼にとってあまりに“異質”だった。



 壁際に立ったまま、何も言わず、ただ黙って見つめている。

 けれど瞳の奥に、ごくかすかな“戸惑い”が滲んでいた。



 リュアへの文句を一通り言い終えたディアスは、グレンの方へと視線を向けた。



 「で、この男が――グレン・ルシェイドか」



 問いかけというより、確認のような低い声。

 グレンは、わずかに顎を引いて頷いた。表情に変化はない。



 「……報告書は読んだが、正直、信じがたかったぞ」



 椅子に体を預けながら、ディアスが肩を落とす。



 「まさか、“魔王”とされて封印されていた人間だったとはな……」



 その言葉に、リュアが一歩前へ出る。

 瞳はまっすぐにディアスを見据えていた。



 「うん。結界領域から戻ってきてからの数日、一緒に過ごしてみて――間違いなく“人間”だったよ」



 ディアスはわずかに眉を寄せる。



 「……どうして、そう言い切れる?」



 リュアは一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げる。

 瞳には、揺るぎない確信の光が宿っていた。



 「もし、グレンが“魔王”だったら――」



 そう口にして、胸元にそっと手を当てる。






 「――私は、とっくに殺されてる」






 静かな断言。そこに虚勢も演出もなかった。



 「……マジかよ」



 ディアスがぼそりと漏らし、苦笑を浮かべた。

 世界最強のSランク冒険者――リュア・ゼフィラが、“敵わない”と口にした相手。

 もしそれが、伝承通りの“魔王”であったなら――



 「……さすがに瞬殺されるとは思わないけど」



 リュアは肩をすくめ、少し口元を緩める。



 「魔法も剣も、私じゃ勝てない」


 「……なら、ほんとに“魔王”だったら、この国は終わってたな……」



 ディアスは深くため息をついた。口調は軽いが、その眼差しは真剣そのものだった。



 しばらく沈黙が流れたのち、ディアスが深く息を吐いた。



 「だが……」



 言葉を選ぶように、わずかに間を置く。そしてグレンの方を向き、重い声で問うた。



 「魔王と決めつけられ……誰にも理解されずに生きてきた。そんな中で、お前は――人を憎まなかったのか?」



 その問いに、グレンの瞳がわずかに揺れる。

 深紅の瞳が、初めて静かに大きく見開かれた。

 答えようとして、けれど言葉が出てこない。喉が動くだけで、声にならないまま沈黙が落ちる。

 リュアがそっと隣に歩み寄る。



 「グレン……」



 その声音は、まるで何かをすくい上げるように柔らかかった。



 「今、思ってること――そのまま話していいよ」



 グレンはしばらくのあいだ視線を落とし、そして、ほんの少しだけ口を開いた。



 「……すまない」



 かすかな吐息のような言葉。目を伏せたまま、続ける。



 「……なんて話したらいいのか……わからない」



 その声に、かつての冷ややかさはなかった。

 ゆらぎを見せた表情。困惑、そして――戸惑い。

 無表情だったその顔に、初めて人間らしい“揺れ”が滲んでいた。

 長い時間、感情を言葉にせずにきた者の、拙く、真っすぐな反応。

 ディアスはその様子を黙って見つめると、わずかに眉をひそめ、椅子の背にもたれた。



 「……報告書の内容がすべて事実だとしたら……まあ、そうなるか」



 その声に、責める色はなかった。理解と重さを含んだ、年長者の本音だった。



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