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鍵と光の希望  作者: SUZU
1章:試練の証明
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試練の証明1

 「はぁ……マジかよ……」



 《冒険者ギルド・セントレア本部》最上階。

 重厚な木扉の奥――深紅のカーテンが揺れる静かな執務室で、ひとりの男が疲れたようにため息を吐いた。



 石造りの壁に囲まれた室内は、外の気配を一切遮断している。奥の執務机には魔導端末と報告書が整然と並び、その手前には黒革の応接セット。豪奢ではないが、歴史と責任が滲む空間――それが《ギルド本部長室》だった。



 その執務机の奥に腰を据える男。一見して、剣よりも言葉を武器にしてきた人物。黒の外套を肩に羽織り、灰色の短髪と整った口ひげ、鋭い琥珀の瞳。威圧ではなく、“確かさ”を身にまとう人物。



 ディアス・フォルグレイ。《セントレア本部》を統括するギルド長。

 空中に浮かぶ魔導投影をしばらく見つめ、それから視線を伏せる。

 椅子にもたれた姿は、歴戦の知将というより、対応に追われる管理職のようだった。



 机の上には、淡く光を放つ魔導印の投影――リュア・ゼフィラから送信された“報告文書”が、術式によって再生されていた。

 空中に展開された文字列には、結界領域での魔力反応の解析結果が記され、同時に魔導印に記録された映像断片が、簡易的な術式映像として浮かび上がっている。



 「夢だったりしないよなぁ……」



 深く椅子にもたれながら、ディアスはもう一度ため息をつく。

 封印の歪みは兆候にすぎないと思っていた。だが、こうもはっきりと術式の崩壊と“内側から現れた存在”を確認する羽目になるとは。



 「封印が崩壊寸前で、介入せざるを得なかった……か。しかも、中から“生きた人間”が出てきたってのかよ……」



 投影に浮かぶ闇色の魔力と人影を見つめながら、ディアスは三度目のため息をついた。



 リュアには、最初から伝えていた。 “万一封印が解けてしまった場合、中から現れる者と接触する可能性がある”ことも――

 “それが魔王と呼ばれた存在の成れの果てかもしれない”という最悪の仮説も。



 それでも彼女は「自分が行く」と言った。

 その場に立ち会うのは、自分でなければならないと、迷いなく言い切ったのだ。



 「……わかってた。わかってたけどさあ……」



 ディアスは額に手を当てて呻いた。



 「……お前、もう“人間で間違いないです!”って顔で、帰ってきてんじゃねえよ……」



 頭を抱え、デスクに突っ伏す。

 部屋の中には誰もいなかった。重たい沈黙だけが、彼の嘆きに寄り添うように漂っている。



 「リュア……頼むから、せめて“封印調査”を“個人的救済”で終わらせないでくれよ……国家案件なんだぞこれ……」



 静かに消えていく魔力の記録。その最後には、リュアの署名と――追記があった。



 《追記:当該対象の行動及び意志に基づき、信頼に足ると判断。今後の対応について、本人の意思を尊重する形で同行継続を希望する》



 ディアスの肩がびくりと震える。



 「……ん?」



 一度巻き戻し、もう一度表示させる。文字列は変わらない。



 《同行継続を希望する》



 「……うわぁぁ、マジで書いてある……!!」



 椅子を押しのけ、思わず立ち上がる。

 もちろん、リュアが命令通り動いたことは理解している。 封印調査は彼の直々の指示であり、その報告もきわめて正確だった。

 だが、問題は――



 「馬鹿かお前はっ!! 魔王だって伝えられていた奴と、一緒に冒険したいだと!? 頭湧いてんのか、マジで!!」



 ツッコミは感情であり、本音だった。

 ……いや、分かってる。リュアが個人的な感情で軽々しく行動するような女じゃないことも。 おそらく“戦士”として、何かを感じ取ったのだろう。



 それでも、いち上司として――これは胃が痛い案件以外の何ものでもない。



 窓の外では、セントレアの街が陽光に照らされていた。

 穏やかに見える景色とは裏腹に、この執務室の空気だけが、ひどく重く、どこか遠い雷鳴を孕んでいた。



***



 封印の祭壇を後にし、ふたりは無言のまま結界領域を歩いていた。

 ――そして、空気の流れが一変したのは、その出口が見え始めた頃だった。

 


 封印の崩壊によって乱れた魔力の渦が、領域の奥に潜んでいた魔物たちを刺激したのだろう。

 薄暗い木立の合間から、重い気配と共に次々と姿を現す獣影――かつてこの地で多くの冒険者が命を落としたというのも、なるほどと頷けるほどの脅威だった。



 けれど、それを前にしても、ふたりの足は止まらなかった。

 リュアは一歩踏み出すと、風を纏って加速し、双剣を振るう。滑るような動きで敵の懐に入り、疾風のように切り裂いていく。

 風属性の魔法で軌道を調整しつつ、最短距離で致命を突くその動きは、まさに“技巧の極み”だった。



 対するグレンは、まるで対照的だった。

 闇の魔力を纏った足元から黒い蔦のような魔力が地を這い、敵の動きを封じる。そこに容赦のない火炎が重なり、焼き払われた魔物たちは咆哮を上げる間もなく崩れ落ちる。

 振るわれた大剣は、一撃ごとに確実な破壊を刻み、周囲の空気ごと叩き潰すかのような重厚さだった。



 ――ただ、ふたりの間に会話はなかった。

 息を合わせるでもなく、目配せするでもなく。互いの存在を認識しながら、あくまで“隣で戦っているだけ”。



 そうして、すべての魔物が静かに地に伏したときも、グレンは無言のまま剣を収めた。その瞳に、感情の色はない。淡々と、ただ敵を排除しただけのように。



 荒れていた魔力の渦が落ち着き、曇った空がわずかに開けていく。境界の先――結界領域の外から、わずかに光を帯びていた。

 リュアは、そっと息を吐きながら口を開く。



 「……この先、北に向かって三日くらい歩けばセントレアに着くよ。途中に小さな村があるから、そこで物資を補給して、あとは野営しながら帰ろう」



 そう言っても、隣の彼は頷くだけだった。

 無言。無表情。けれど拒絶の気配もない。ただ、自分の中だけに閉じたような、静かな存在。

 リュアはそれ以上、何も言わなかった。



 歩き出してしばらくは、荒れた獣道のような地形が続いていた。根の張った草地や、倒木の残骸、魔力の濁りがわずかに残る場所もある。

 それでも歩を進めるごとに、風の流れが変わり、空気が軽くなっていくのがわかった。



 やがて、土と草の匂いが混じった風が頬を撫で、小川のせせらぎが耳に届く。人の手で枝が払われた跡が残る小道が現れ、視界も徐々に開けていく。

 結界の外――人の世界へと戻ってきたのだと、自然と実感させられる風景だった。



 リュアは時折振り返りながらも、基本的には彼と並ぶ位置を保っていた。何かを急かすでもなく、ただ、彼が隣にいるという事実を受け入れるように。



 ――それでも、会話はほとんどなかった。



 歩き始めて二日目の朝、リュアがふと口を開く。



 「大丈夫? 疲れてない?」



 風に乗せるように、柔らかく問いかけた声。だが、返ってきたのは相変わらずの短い返答だった。



 「……問題ない」



 無表情。視線も合わせず、ただ必要最低限の言葉だけ。

 リュアはほんの一瞬だけ目を細めた。



 (……何にも興味がないみたい)



 話しかけても表情は変わらず、景色を眺めることもない。ただ黙々と前を見て歩いている――最初は、そう見えた。



 (……人にも、言葉にも、世界にさえ、関心がないのかな)



 けれど、それにしては返事が丁寧すぎた。

 無視するわけじゃない。ただ、必要最低限の言葉を、静かに返してくる。



 (……ああ、そうか)



 無関心なんじゃない。

 声の調子、視線の動き、返事の間合い――そのどれもが、不器用に揺れていた。



 (きっと、こういう会話に慣れていないだけなんだ)



 だから、リュアはそれ以上何も求めなかった。



 ――ゆっくりでいい。

 少しずつでいいから、“人と関わる”ことに慣れていってくれたら――

 そんな思いが、胸の奥に静かに宿っていた。



 そして、三日目の午後。

 遠くの地平線に、かすかに盛り上がった影が見えてきた。

 草原を抜けた先、なだらかな丘の向こうに――それは、確かに存在していた。



 「……あ、見えてきたよ」



 リュアが指を伸ばし、前方を示す。



 「セントレア。私たちの本部がある街だよ」



 ゆるやかな丘の稜線を越えた先に、灰色の石で積み上げられた壁が見えていた。

 城塞のように堅牢でありながら、門の近くには荷馬車や商人たちの往来もあり、活気が感じられる。

 風に運ばれてくるのは、石畳の振動、車輪の軋み、誰かの叫び声――

 まだ街の外だが、しっかりと感じる“人の暮らし”の気配。



 グレンは無言のまま、その風景をじっと見つめていた。 瞳に浮かぶのは、理解不能な“変化”の断片。

 かつて自分が知っていた世界とは、すべてが異なっていた。

 リュアはそんな彼の横顔をそっと見やり、少しだけ声を落とす。



 「“魔王が封じられている”っていう伝承は、今も一般的に広まっているんだ。でも――詳しい容姿とか、力のことまでは記録に残っていない」



 少し間を置いて、続ける。



 「グレンの髪や瞳の色、確かに珍しくはあるけど……だからって怖がる人は、もういないよ。

 闇魔法だって、今は一般的な魔法のひとつとして扱われてる。使える人は少ないけどね」



 彼を安心させようとしているわけじゃない。ただ、事実を伝えているだけ。

 けれどその声には、どこか“気遣い”の色が滲んでいた。



 グレンは、その言葉に何も返さなかった。 表情も変わらないまま、風景を見つめている。

 けれどその肩の力が、ごくわずかに抜けたのを――リュアは確かに感じていた。



 ……けれど、あえて何も言わずに歩き出す。

 その足取りには、“ともに帰る”という確かな意志があった。



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