試練の証明27
「――十二歳の頃だった」
静かな空気の中で、ディアスは絞り出すように言葉を重ねた。
抑えられた声音の奥に、深い痛みが滲んでいた。
「リュアが暮らしてた村が、突然、魔物の群れに襲われたんだ」
グレンはわずかに目を細める。
「しかも……本来ならば、出現するはずのない――高危険度の個体ばかりだった」
「数も種類も異常でな。まるで“誰かが意図的に放った”かのような構成だった」
ディアズは苦しげに眉根を寄せながら、言葉を続けた。
「いくつもの種が同時にひとつの村を襲うなんて、本来はまずあり得ない。後の調査でも“原因不明”としか言われなかった」
言葉を切り、彼は短く息を吐いた。
「……母親は、彼女を庇おうとして前に立ちはだかった。即死だったらしい」
「父親は、娘を逃がそうと、群れを引きつけながらひとりで戦った」
「……それが、最期になった」
その一言に、グレンはわずかに顔をしかめ、視線を伏せた。
「魔道印を通じて、断片的な緊急報告は入ってた。すぐにギルドから調査班を派遣したが……現地に着いたときには、もう遅かった」
淡々とした語り口の奥に、深い後悔の色が滲んでいた。
「村は壊滅していた。 倒壊した家々、焼け焦げた畑、崩れた道……そして村人たちの無残な亡骸の中に、リュアの父親もいた」
ディアスの語りとともに、その時の光景がまざまざと蘇る。
崖沿いの岩陰。
瓦礫と灰の舞う、沈黙の風景の中――少女は、そこに蹲っていた。
衣服も髪も煤にまみれ、顔は泥と血で汚れている。
その胸にだけ、大切に抱かれていたのは、ひび割れた魔導印。
唯一、彼女に残された“証”だった。
その目は虚ろに開かれていた。
焦点は定まらず、ただ前を向いているだけ。
まるで現実から切り離された人形のように、身じろぎひとつない。
涙も、叫びもない。
怒りも、怯えも……何ひとつ浮かんでいなかった。
そこにあるのは、“何も感じていない”まなざし――ただ、それだけだった。
ディアスは、何も語らぬままに少女の傍らに腰を下ろす。
少女は、それに反応することもなく――ただ、空虚に目を開いたままだった。
「……あのとき、俺は何も言えなかった」
「慰めの言葉も、気の利いた励ましも、全部が空っぽだった。だからただ――隣にしゃがみ込んで、そっと毛布をかけてやるしかなかった」
黙って、ただ隣にいることしかできなかった。
けれど、それでも――何もできない自分でも、そばにいることで、ほんの少しでも彼女の痛みが和らげばと願っていた。
「……その後、リュアは一時的にギルド本部で保護されることになった」
ディアスは静かに視線を落とす。
過去の記憶を辿るように、しばし言葉を失ったまま――
沈黙が一拍、空気を満たす。
やがて、ディアスは静かに口を開いた。
「……あの夜から、あいつは変わった」
低く、どこか遠くを見つめるような声だった。
ギルドに保護された直後のリュアは、まったく口をきかなかった。
朝が来ても、食事が出されても、彼女は反応を返さず、ただ無表情に椅子に座っていた。
看護師や職員がどれほど優しく語りかけても、うなずくことすらしない。
拒絶もしない、要求もしない――感情がすっぽりと抜け落ちたかのような姿。
まるでこの世界と切り離された、ひとりぼっちの影だった。
ディアスは、その様子を遠くから見守り続けていた。言葉はかけられなかった。
けれど、いつか立ち直ると信じていた。
いつか――彼女自身の足で、また歩き出す時が来ると。
その変化は、ある日、唐突に訪れた。
「ふらりとカウンターに来てな。黙って、低ランクの討伐依頼のクエスト票を差し出してきた」
目を合わせることもなく、何も言わずに依頼を受け取ると、リュアはそのままギルドを出ていった。
その背中には、静かだが確かな意志が宿っていた。
何かを振り払うように、何かを埋めるように――。
少女は剣を振り、魔法を放ち、ただ獣を狩る日々に身を投じた。
言葉も感情もそこにはなく、戦場に身を置くその姿は、祈るようでもあり、呪うようでもあった。
その幼い手が血に塗れることを、まるで自らが望んでいるかのように。
ディアスは、その姿を何も言わずに見届けていた。
「依頼の手続きも、装備の更新も、申請の裏付けも……全部、俺が通していた」
十六歳未満の未成年でも、討伐任務を受けること自体は可能だ。
だが、未成年の安全を守るため、ギルドではランクに関係なく、一定の危険度を超える依頼については“制限対象”と定めていた。
それが、命を扱う組織としての、最低限のルールだった。
しかし――リュアには、その“制限された討伐任務”さえも、特例として適用された。
それは、彼女が既にいくつもの実績を積み上げており、並の冒険者では到達できない領域に達していたからだ。
規定という“建前”と、彼女の生き方を支えるという“裏”――
その両方を、ディアスは黙って背負い続けた。
「足元が崩れたら、立ち直れなくなると思った。だから――崩れそうなときは、誰にも気づかれないように支え続けた」
そして、ある日。
ギルドに激しいざわめきが走った。
扉が開き、血と泥にまみれた小さな影が、ふらりと姿を現したのだ。
リュアだった。
その姿は、誰もが息を呑むほどの凄惨さだった。
片腕には裂傷、足を引きずり、服の至る所が裂けている。
魔力も枯れ果て、光の回復魔法すら発動できない状態。
それでも、彼女は誰の手も借りず、まっすぐ受付へと歩いていく。
ギルド職員が慌てて駆け寄るが、リュアは止まらない。
よろめく身体のまま血のしたたる報告書を差し出し――
『……終わりました。任務完了です』
低く、抑えた声でそう告げた。
その直後、彼女の膝がかくんと折れた。
報告書を手渡したその場に、崩れ落ちるようにしゃがみ込む。
受付係が震えた声で『大丈夫ですか……!?』と問いかけても返事はない。
目の前の少女は、しゃがみ込んだまま、動く気配もなかった。
その姿には、苦痛も安堵もなかった。
――むしろ、何も感じないことが、恐ろしく見えた。
「その日の夕刻には、簡易処置を終えたリュアは、再び歩けるほどには回復していた」
ディアスはそう語りながら、わずかに目を伏せる。
ギルド裏手の石壁の影。
人の目も、喧騒も届かない静かな場所に、ふたりの姿があった。
ディアスは黙ったまま、目の前に立つリュアを見据える。
『……どういうことだ』
その声音には怒気はなかった。ただ、深く沈んだ痛みがあった。
声を震わせながら、抑えた感情を吐き出すように続ける。
『これは……お前のランクじゃ受けられないクエストのはずだ。誰の許可で行った』
返事はない。
リュアは、ただ足元の土をじっと見つめたまま、動かない。
腕に巻かれた包帯からは、まだかすかに血が滲んでいた。
『言えよ、リュア……なぜ、こんな真似をした』
詰め寄るような問いかけに、リュアの肩がわずかに揺れた。
長い沈黙ののち、唇がかすかに開く。
『……もう……壊れてもいいって……思ったの』
絞り出された声は、掠れていた。
あまりにも幼く、あまりにも深い、虚ろな響きだった。
『……?』
戸惑うように、ディアスの眉がわずかに動く。
リュアは、俯いたまま小さく呟いた。
『もう、私には……誰もいないから。守る人も、帰る場所も……なにも』
『……力があっても、意味なんて、ないよ』
その言葉には、希望のかけらも残されていなかった。
まるで、最初からすべてを諦めていたかのように――
『――バカ野郎!』
鋭い怒声が、石壁に反響した。
リュアが、びくりと肩をすくめる。
『お前の力で人を壊すな……それは、お前自身もだ!』
言葉の刃が、真っすぐにリュアへ向けられる。
ディアスは一歩踏み出すと、リュアの両肩を掴んで見下ろした。
『その力はな、ただの暴力じゃねえ』
『お前の父さんも、母さんも……命懸けで守った。誰かを救うための力だ』
『そんな力を、お前自身を壊すために使っていいはずがないだろうが』
リュアの目が揺れる。
けれど、表情は曇ったまま、声はさらに細くなった。
『……でも……もう、守るものなんて……ないんだよ……』
その囁きは、あまりにも小さく、かすれていた。
その奥にあったのは、“誰もいない世界”を生きようとする、決意に似た諦めだった。
沈黙。
ディアスは、わずかに目を伏せたあと――
深く、静かに、息を吐き出した。
『……なら』
顔を上げ、まっすぐに言葉を紡ぐ。
『俺が親になってやるよ』
リュアが顔を上げる。
驚きと困惑が入り混じったまなざし。何かを理解しようとして、必死に瞬きをする。
『そうしたら、一人じゃない。……だからな、リュア』
ディアスは、ゆっくりと言葉を継いだ。
『お前の両親が守ってくれた、強くて大切な力を……誰かに向けるな』
『その力は――お前自身と、これから出会う誰かを守るために、使ってくれ』
その瞬間だった。
リュアの小さな身体が、小刻みに震え――
『……っ……』
堪えきれなかった。
リュアはディアスの胸元に飛び込み、その服を掴んだ。
『っ……っ、う……ぁあああああああっ……!!』
抑えていた感情が、一気に溢れ出す。
叫びは嗚咽に変わり、声は震え、言葉は途切れ、熱が全身から噴き出す。
『っ……守れなかったのに……! 誰も……助けられなかったのに……!!』
『なのに……私だけ……生きてるなんて……! こんな私が……っ、何の意味があるの……っ!!』
『もっと強かったら……あの時……私が、みんなを……っ……!』
涙が、熱が、震えが止まらない。
この叫びは、赦しを乞うものでもなければ、慰めを求めるものでもなかった。
それは、“生きていること”への懺悔。
壊れかけた心の奥底から、やっとこぼれ落ちた、子どもなりの罪の告白だった。
ディアスは、一言も発さない。
ただ、その小さな肩を――力強く、しかし優しく、抱きしめ続けた。
この瞬間だけは、言葉など要らなかった。
心が砕けてしまわないように、ただ傍で支えること――それだけが、すべてだった。




