試練の証明26
二人は《ギルド本部長室》へと足を踏み入れた。
グレンが扉を静かに閉めると、室内には落ち着いた空気が満ちていた。
「座ってくれ」
ディアスは手でソファを示しながら、いつもの穏やかな口調で促した。
グレンは無言で頷くと、そのまま歩を進め、深く腰を下ろす。しっかりとした革の質感が沈み込み、わずかに軋んだ音を立てた。
向かいのソファに座ったディアスは、背筋を正し、ひと呼吸置いてから静かに口を開いた。
「……まずは、礼を言わせてくれ」
その言葉に、グレンの肩がわずかにぴくりと動く。
ディアスはそのままゆっくりと頭を下げた。
「リュアと一緒に……冒険する道を選んでくれて、ありがとう」
想定していなかった光景に、グレンは目を見開いた。 この男から頭を下げられるなど、まったく予想していなかった。
困惑を隠せないまま、ゆるく眉を寄せると、ぽつりと言葉を漏らす。
「……リュアにも……同じことを言われたぞ」
顔を上げたディアスは、その言葉にふっと笑みを浮かべた。
どこか照れくさそうな、けれど真摯な笑みだった。
「だろうな。あいつ、そういうところは素直だからな。でもな、俺からも言いたかったんだよ。心からな」
その声音には、飾り気のない本音が滲んでいた。
少し間を置いて、ディアスは背もたれに身を預けたまま、ゆるやかに口調を整える。
「グレン。お前も、もう聞いてると思うが――リュアは、唯一のSランク冒険者で、ずっと一人でクエストを受けてきた」
グレンはわずかに頷く。
「……ああ」
その答えを受けて、ディアスの目がどこか遠くを見るように伏せられる。
「……リュアはな、本当に“ひとり”なんだ」
その言葉の重みに、グレンの目が少しだけ細められる。
ディアスはその視線を受け止めることなく、静かに語り続けた。
「あいつは、十二歳までは……普通に、平和に暮らしていた」
「けれどその年に……両親も、故郷の村も……すべてを失った」
「俺が親代わりのつもりで支えてきたが、肉親と呼べる存在はもう誰もいない」
言葉が落ちるたび、空気がわずかに重くなる。
ディアスの声は落ち着いていたが、その奥に隠された苦しみは、確かに伝わってきた。
「……実力があるゆえに、パーティを組むのも難しかった」
「受けるクエストは、Aランクの熟練パーティですら達成できなかったものばかり」
「それを、たったひとりで――黙々と、やり続けてきたんだ」
ディアスの語り口は淡々としていたが、その瞳には深い憂色が浮かんでいた。
グレンの表情も次第に沈み、眉根がわずかに寄っていく。
「Sランクになってから、一度だけ……本当に、命を落としかけるほどの大けがをして帰ってきたことがあった」
その瞬間、ディアスの顔がほんのわずかに青ざめた。
かつての記憶を思い返したのだろう。拳を握りしめる手が、かすかに震えていた。
その姿を見て、グレンの胸の奥に、得体の知れない痛みが広がった。
人と関わらずに生きてきた自分には想像しきれない感情――だが、リュアという人物を知ってしまった今、それは確かに想像の届く距離にあった。
「……それから、俺はずっと願い続けてたんだ。誰か……リュアの隣に立てる奴が現れないかって」
その言葉が、空間に静かに染み渡った。
グレンは目を伏せ、長い沈黙に沈む。
何かを思案しているような、その瞳の奥に揺れるものがあった。
彼女がかつて、自分に言った言葉が思い出される。
――『グレンと一緒に旅をしたい。だから、私はキミを誘った』
――『グレンが、グレンでなくなってしまうんだ……!!私は……そんなの、嫌だ!!』
――『ありがとう……一緒に、冒険をする道を……選んでくれて』
あのときの声、震え、そして迷いのない瞳。
一緒に旅をしてきた日々の中で、リュアは幾度となく、自分の想いを真っ直ぐに伝えてくれていた。
エングレイブで叫んだ声、簡易療養室で見せたあの笑顔――
どれもが、彼女が“隣を望んでくれている”証だった。
そして今、自分自身の中にも、その隣に“いたい”という感情が、確かに芽生え始めていることに気づいていた。
だからこそ、彼女の過去を知りたかった。
やがて――
彼はゆっくりと視線を上げる。
その目には、明確な意志が灯っていた。
「……リュアのこと……詳しく聞いても、いいだろうか」
その一言に、ディアスの表情が変わった。
微かに目を細め、そして穏やかに微笑む。
「ああ……もちろんだ」
感謝と、安堵が混ざったような、静かな光がその瞳に宿っていた。
ディアスはゆっくりと背を預け、視線を天井に向けるようにして、記憶をたどるように口を開いた。
「――最初にあいつの名前を耳にしたのは、もう十二年前か」
その声音には、わずかに懐かしさが混じっていた。
「まだ“噂”の段階だったよ。辺境に、とんでもない子どもがいるってな。たったひとりで魔獣を倒したとか、村の護衛をしてるだとか……」
彼は微かに肩をすくめる。
「……正直、誰も真に受けちゃいなかった。俺だって、最初は半信半疑だったよ。でも――なぜか気になって仕方がなかった。“誰もが信じない話”の中にこそ、本物が隠れてるってこともあるからな」
静かに頷いたグレンの横顔を確認すると、ディアスは続ける。
「それでな。ある日、たまたま立ち寄った小さな町の登録所で、そいつと出会ったんだ」
木造の素朴な建物。陽の差す午後、受付カウンターの前に立つ、小柄な金髪の少女。
――リュア・ゼフィラ。まだ十歳の、幼さを残した面差し。
彼女は両手で小さな魔導印を受け取り、その金属のひんやりとした感触を、指先で確かめるように撫でていた。
『これが……冒険者の証、なんだ……!』
目を輝かせて呟く少女の声に、受付係の女性が微笑みながら応じる。
『登録、完了しました』
その言葉を聞いた瞬間、リュアはぱっと顔を上げ、にこっ、と無垢な笑顔を見せた。
そこにあったのは、恐れも迷いもない――ただ“これから進む道”への純粋な希望だけ。
「両親に勧められて始めた訓練は、相当厳しかったはずだ。でも、あいつは間違いなく、愛情に包まれて育ってた」
「まっすぐだったよ。誰よりも、純粋に“人を守りたい”って……そう願ってた」
ディアスはその時の受付所の風景を思い出す。
魔導印を握りしめたリュアが、受付係を見上げて、胸を張る。
『わたし、いっぱい強くなって、たくさんの人を守る!』
その言葉に、若かりし頃のディアスが、不意に目を見開いていた。
想像を超えた“強さ”ではなく――その目に宿った揺るぎない決意が、彼の胸を打ったのだ。
そして――
「……あの時の計測器、誤作動かと思ったよ」
苦笑を混じえながら、ディアスはそう言った。
「まだ細い手足の少女に……常人では考えられない魔力が流れてたんだ。異常、って言ってもいいくらいに」
少し間を置いて、彼は補足するように続ける。
「もちろん、生まれつきの差もある。だけど、この世界で本当にモノを言うのは、“どれだけ鍛えてきたか”だ」
「リュアの魔力量は、生まれだけのものじゃなかった。明らかに――積み重ねた努力の証だった」
グレンは無言で頷く。
彼女がこれまでに積み上げてきたもの――その一端が、少しずつ伝わってくる。
ディアスの語りが再び沈み、空気がほんのわずかに重くなった。
「……でも、穏やかな日々は長くは続かなかった」
その声音には、苦い記憶が滲んでいた。
「ほんの二年後――あいつは、すべてを失った」
その一言に、グレンの表情がわずかに揺れる。
胸の奥に、何かがじくりと滲む感覚があった。




