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現代文学集

空飛ぶメンチカツ

 夏の大会は散々な結果に終わったオレたちは、三年生が引退した後のチーム作りに向けて毎日のように汗を流していた。特にオレをはじめとする一部、つまり補欠部員は目の色が違う。


 今日も練習が終わり道具を片付けてから着替えに向かった。部室には汗のにおいと湿気が充満していてあまりいい環境とは言えない。


 夏の試合を最後に三年生が引退し一年は表でまだボール磨きをしている。部室にはオレたち二年生のみで、先に着替え始めていたやつらは何やら相談していたらしい。


「よお、たまには|幸喜≪こうき≫もどうだ? 帰りに商店街の肉屋へ行こうって話てたんだけどさ。もう腹が減っちゃって家まで持ちそうにないからな。あっこのメンチはボリュームあって小腹がすいたときにちょうどいいだろ?」


「そうだなあ、もう月末だし―― でも今日はやめとくわ。飯当番もあるしさ」


 さすがにみっともなくて小遣いがとぼしいとは言えず、早く帰らなきゃといけないとごまかしたおく。飯当番は本当だが、親父が帰ってくるのは二十時過ぎのはずで時間の余裕は十分にある。


 あそこのメンチカツは味はありきたりだがとにかくデカくてお得感があってオレも大好きではあるのだが、自分と財布の空腹具合を比べると勝ち目はない。


「今日は親父さん夜勤じゃないってことか。お前んとこも大変だよな。でも部活辞めないで良かったよ。うまくすりゃ次はレギュラー取れるだろ?」


「そうだな、年功序列ならレギュラー確定だったかもしれない。でも鵜飼のやつバッティングがいいからなあ。次の練習試合が最後のチャンスなんだろ?」


「顧問はそう言ってるけど、さすがに三年になる俺たちを優先してくれるんじゃないか? そうじゃなきゃ内野にコンバートっててもあるぜ?」


「いや、オレはキャッチャーにこだわりたいんだ。だから実力でレギュラーをつかんで見せるさ。高校で野球を続けられるかわからないからな」


 自転車で行かれる距離にある公立高校で野球が盛んなところはない。それどころかオレの学力で安パイなとこだと野球部自体がない。


 どの高校へ行こうが無料なのは学費だけだ。うちの経済状況を考えれば学費以外に金がかかるところへは行かれないだろう。それにバイトをしないと自分の小遣いもままならないのだから。


 そんなことを考えながら着替えと片付けを済ませ、最後に袋へ入れたキャッチャーミットをカバンの一番上にしまった。このミットは少年野球を始めるときに母さんが買ってくれたものだった。


 野球を知らない母さんは、明らかに形が違い値段も高めだったから奮発したと自慢げに語っていた。あの時『なんでキャッチャーミットなんだよ』と責めてしまったこととあわせて思い出しがちな苦い思い出だ。


 それからいくらも経たないうちに母さんはこの世を去った。今はひどいことを言ったもんだと後悔しているが後の祭りだ。


 だからというだけじゃないが、成長した手には大分窮屈になっているこのミットを大切に使い続けてきた。しかしそれも残り一年を残すのみである。高校でも野球をするなら硬式用の道具を揃える必要があるし、やはり続けることは難しい。




 家に帰りつくとすでに親父は帰ってきており、台所で夕飯の支度を始めていた。


「なんだ早かったんだな。今日はオレの当番だったから急いで帰ってきたつもりだけど間に合わなくて悪かったよ」


「そんなこと気にするな。お前はもっと気楽に学校生活を楽しめばいいんだ。もちろん部活だけじゃなく勉強もだけどな。そろそろ志望校とか聞かれる時期だろ? 三者面談とかあれば担任へ相談するけども野球を続けられる高校がいいんじゃないか?」


「いやあ、野球はもういいよ。高校はいったらバイトしたいし、オレの学力だと野球部がないとこしかないんだってさ。少子化ってやつだろ」


「なるほど。父ちゃんの時代は野球やるやつが多かったけど、今はそうでもないのかもしれないな。小さい子がキャッチボールやってるところも見かけないしな」


「公園はボール遊び禁止だもん。それより公園で子供なんて眺めてたら不審者扱いで通報されかねないから気を付けてくれよ?」


「はっはっは、父ちゃんみたいな人のよさそうなオジサンが通報なんてされるかってんだ。飯の前に風呂入ってきちゃえよ。もう沸いてるからな」


 相変わらず楽観的な親父につられてオレまで笑いながら風呂へ向かった。そういえば練習試合のこと言いそびれたなと思い出したが、中学生にもなって応援にでも来てもらいたいのかと自問自答し、結局黙っていることに決めた。




 こうして似たような日々がルーティンのように過ぎていき、いよいよ練習試合の当日になった。


「おい、なんか顔色悪いけど大丈夫か? 無理しないで休んでたほうがいいんじゃないか?」


「いや、全然平気だよ。もしかしたらちょっと貧血気味なのかもしれないな。寝坊して朝飯食ってこなかったからさ」


「ならいいんだけどよ。レギュラーかかってるからって無理しすぎて体壊してもバカらしいぜ?」


「心配かけてすまないな。でも本当に大丈夫、任せとけって」


 強がりを言いつつも、いざ試合が始まってみるとあまり大丈夫ではなかった。空腹だからなのか頭はふらつくし集中力にもかけている気がする。それでも試合は淡々と進んでいく。幸いにも投手戦となり守備の時間が短くて助かった。


 だが、この調子なら試合終了まで耐えきれそうだとホッとしていたオレに、空腹以外の思わぬ出来事が降りかかったのだ。


『お、親父!? なんで見に来てるんだよ!』


 マスクの隙間から横目で再確認したが、保護者たちが集まっているところにいるのはやはり親父である。動揺したセリフを心の中で叫びながらも見に来てくれたことは素直にうれしいもんだ。


 考えてみればいつ以来だろう。土日も仕事があるため試合の日はたいてい見に来られない。たまに平日の休みに練習を見に来ることはあったが、あまり頻繁に来ると無職だと思われると言ってしまってからは見に来なくなっていた。


 そんな親父が久しぶりに、しかも試合の日に来てくれたなんて奇跡だ。空腹なんてすっかり気にならなくなったオレは、締まった投手戦ということもあってマウンドへ向かって叫んだ。


「引き続き気合い入れていくぞ! 締まっていこー!」


 六回、七回と完璧に抑えたオレたちは、いよいよ七回の裏、最終回の攻撃を残すのみとなった。ここまでは1対0で負けている。だが野球は最終回を終えるまで何が起こるかわからないはずだ。


 ランナーが二人出ればオレまで回ってくる。ここまでの打席ではいい当たりをしたものの外野の正面だったりライン際ファールだったりだった。はっきり言えばノーヒットである。


 だが最後見ててくれよ、と親父のほうを見たオレはあまりの光景に愕然としてしまった。何やら肉屋の紙袋のようなものを手にしている親父の周囲では、ほかの保護者が遠巻きであからさまに避けている様子ではないか。


 いくら作業服だからってひどい仕打ちだと思わなくもないが、この物騒なご時世だ、警戒し過ぎとも言えず仕方がないとあきらめた。だが悔しいことに違いはない。気まずい思いまでして応援しに来てくれた親父のためにも一本打ってやる。


 オレは必死になって応援し、自分まで回ってくることを願った。そんな応援の効果があったのかどうかわからないが、ワンアウト取られた直後に相手ピッチャーが突然制球を乱した。


「よっしゃよっしゃ! ラッキー!」

「繋がったあああ!」


 なんとフォアボールとエラーで出塁し、一塁三塁の大チャンスが訪れたのだ。そして次は今日二安打している平田の打順である。この調子ならもしかすると同点になってからオレの打順がまわってくる。しかし――


「ボールフォア、バッター一塁へ」


 なんと相手バッテリーは当たっている平田との勝負を避けて敬遠気味のフォアボールとして、今日無安打のオレと勝負することを選びやがったのだ。


 これにアツくならないやつはいない。二度三度と素振りをしてからバッターボックスへ向かおうとした。そこからまさかと思って監督を見ると代打は出さずヒッティングとのサインが出てほっとした。


 しかも交代でなかったとしてもてっきりスクイズかと思っていた。今日は無安打ながらもちゃんと捕えていることをわかっていてくれたようだ。


 次に親父に目をやると、相変わらずぽつんと一人で立っているが、オレのことは認識できているようで小さくガッツポーズをしてきた。オレもさりげなく握った拳を向けて合図する。


 よし、準備は整った。このシチュエーションはオレがヒーローとなると決まったようなものだ。そんな風に高揚しながらバットを構えた。


 初球は低めへのカーブ、ゆうゆうと見逃したがストライクだった。二球目はアウトサイドへ甘めの直球が来て打ちごろ! とフルスイングしたらボールはわずかに沈み込む。


 空振りならまだツーストライクとなるところだが、最悪なことにボールの上っ面を擦ってしまってキャッチャーの目の前に転がってしまった。最悪のホームゲッツーと思われた瞬間、アンパイアからファールのコールが聞こえた。


 まさかシュートかツーシームまで投げてくるとは考えてなかった。命拾いはしたもののこれで追い込まれて万事休すか。だがまだどこかで直球が来るだろうから狙い撃とうと構え直す。


 そのストレートは三球目に投げ込まれたが、目の高さほどに来てボールのコールだ。これでワンボールツーストライク、おそらく外にさっきのツーシームか、内側ならスライダー、どちらにせよゲッツー狙いだろう。


 オレは大きく深呼吸をしてから外に山を張った。


 オレの名は福田幸喜、しかし福にも幸せにも喜びにもあまり恵まれているとは言えない人生を送ってきている。そんなオレが過去最高にツキがあったと感じたのはこの瞬間だった。


 なんと狙い通りに先ほどと同じ、外角甘目のツーシームだ。レフト方向へ狙い撃ってやると踏み込んだ瞬間、そのボールはさっきと逆に曲がってきた。


「ちくしょう!」


 外から曲がってきた|スライダー≪バックドア≫を引っかけてしまった俺は全力で走った。そこそこ高くバウンドしているためホームには間に合わないはずだ。つまりセカンド送球後にファーストへ送られて|ダブルプレー≪4-6-3≫でゲームセットが相手の狙いとなるはず。


 逆を言えば、オレが先にファーストを駆け抜ければ少なくとも一点は入る。一瞬の間にそんな考えが頭の中を駆け巡っていた。


 全力で走るオレがファーストの少し手前に来たとき、ショートがファースト転送したのが見えた。かなりギリギリのタイミングになりそうだが、こういう時はマンガやドラマのようにヘッドスライディングするより駆け抜けるほうが早いという。


 全力で駆け抜けるために力を振り絞って地面を蹴ったのだが、急に目の前がぼやけ視界が曇ってしまった。なんとも情けないがここで貧血なのか!?


 倒れかけたオレの目の前には一塁手がボールを取って悠々とアウトにするさまが思い浮かんだのだが――


 視界に入ったのは目の前に迫りくるファーストミットだった。まるでそれはメンチカツがオレに向かって飛んできたように見えたのだが、どうやらセカンドからの送球がこちら側にそれて手を伸ばしていたようだ。


 そのままタッチされそうにも思えたが、倒れこんだオレの上をメンチカツ、いやファーストミットが通過し、それと一緒にボールもファールゾーンへと転がっていく。


 バックアップのライトがボールに追いついたと同時に、セカンドランナーがホームベースを駆け抜けた。


「サヨナラだ! やったああー!」

「幸喜よくやった! ナイスさよならゲッツー崩れ!」


 あまりほめられたものではない歓声を受けながら、ファーストへ倒れこんでいたオレは立ち上がった。砂とチョークで真っ白になったユニフォームを払いながら親父を見ると、紙袋を小脇に抱えながら拍手しているのが見える。


 どうやらかっこいいところは見せられなかったけど、一生懸命やっていることくらいは伝わっただろう。


 こうしてオレたちはご機嫌で整列して試合を終えた。




 帰宅するとすでに夕飯の支度はできており、いつものように風呂も沸いていた。台所には揚げ物の強烈なにおいが漂っている。こりゃトンカツかなんかかもしれないと期待しながら風呂に入った。


『今日はなかなか面白い試合だったじゃないか。幸喜の見せ場もあったし久しぶりに見に行って良かったよ。とにかくお前たちが楽しそうで何よりだ』


「そういえば何も言ってなかったのに試合があるってよくわかったね。練習だったら毎週あるんだからわざわざ来なかったろ?」


『いやそれがさ、仕事で商店街にいたんだけどな。肉屋のおっちゃんが今日は練習試合があるんだって教えてくれたんだよ。昨日大勢で行ってたらしいじゃないか』


「あ、うん、たまに買い食いで寄ってるんだよね」


 まさか今月は小遣いが足りなくなってずっと断ってるとは言えなかった。あそこのメンチはたまに食べたくなるジャンクフードだし朝から何も食べてないしで、話をしているだけで無性に腹が減ってくる。


『お前たちはしょっちゅう来てるからよほど好きなんだろうって言われたから、つい買ってきちゃったんだよなあ。昨日の今日で悪いけど夕飯は出来合いにしちまった』


「いやいや、むしろ歓迎だよ! ちょうど食べたいと思ってたんだ。連続だろうがなんだろうが構わないさ。腹ペコだしガッツリ食べるよ」


 倒れこんだオレの目にでかでかと映ったメンチカツ、なんといいタイミングででてくるのだろうかなんて考えながら風呂を出る。



 腹の虫がやかましく主張していることもあって、真っ先に食卓を確認したオレは驚きを隠せなかった。そこには千切りキャベツの上に茶色い揚げ物が山のように積まれていたのだ。


「いやあ、買いすぎちゃったせいなのかにおいがすごくてなあ。他の親御さんたちに迷惑だったかもしれん。あからさまに距離取られてて気恥ずかしかったよ」


「いや、まあ、ありゃ買い過ぎだしそりゃそうだろ…… それに――」


「それに? ほかに何か気になることでもあるのか?」


「これってコロッケじゃんか!」

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