漆黒の転生を祝す夜、暴かれし契約の真実1
飛び散った瓦礫の上を、冷たい夜風が尾を引くように流れていく。先ほどまで極限の混戦を繰り広げていた浮遊庭園は、あちこちで亀裂が深まっていた。それでも、装置の暴走は何とか食い止めたはずだ。
ミオは胸いっぱいに息を吸い込み、視線を走らせる。崩落しかけた石柱や砕けた通路の先に、エランやフィリス、それにグレゴリーたちの姿が見える。皆、一度は地獄の底に顔を突っ込んだような有様だが、どうにか呼吸しているようで安堵がこみ上げる。
「そろそろ立てそう?」
セシリアが近づき、汗をにじませながらミオの腕をそっと支えた。その手つきが驚くほど的確で、危うい重心を瞬時に調整してくれる。ミオは痛みに顰め面をしつつも、素直に礼を言った。
「助かったわ。なにげに看護の鬼よね…あんた」
「いえいえ、なんとなくです。そこに立っちゃうとまた足場落ちますから、二歩くらいずらして…はい、オッケー」
ごく自然にミオを安全地帯に誘導する彼女の有能さには、やはり自覚はないらしい。“なんとなく”でここまで完璧に立ち回るなど、ある意味タチが悪い。
そうこうしているうちに、グレゴリーの低い声が周囲に響く。
「おーい、こっちは一通り確認した! 大怪我が三名、軽傷が五名…あと、クラディオとかいう得体の知れん錬金術師がいて厄介そうだ」
グレゴリーの斜め後ろで、長衣をまとった青年が瓦礫を掻き分けながら、薄紫色に光る破片を器用に拾い上げている。クラディオ・キルシュバウム――最近ふらりと現れた噂の錬金術師らしい。彼はちらりとこの場の誰とも視線を合わせず、口元だけ笑みを浮かべた。
「おや、優秀な方々が多いようで。おかげで“黒い石の欠片”もまだ息をしている」
その言い草が妙に鼻につくが、あまり感情を出しても疲れるだけなので、ミオはじっと観察に留める。そもそもこの男が危険なのは確実だ。間違ったタイミングで手出しをすれば、傷口に塩を塗るようなもの。
一方、エランは呪印の反動を完全には振り切れていない。額に冷や布を当てられたまま、はぁはぁと浅い呼吸を繰り返す姿が痛々しい。そんな彼を必死に看ているセシリアに向け、ゼオンが呼びかける。
「セシリア、少し人手を貸してくれないか。石の破片を分析する機材が…」
「わかりました。ミオ、ちょっとだけ場所を失礼しますね」
セシリアは跳ねるように歩み寄っていき、ゼオンの脇で素早く道具をまとめ始める。カチャカチャという金属音の合間にも、彼女は落ちていた包帯や薬瓶を見事な手順で整理していく。まるで長年の衛生兵のようだが、当人はいつも通り「何も考えてません」と呟いているようにしか見えない。
「おいおい、あの娘、本当はとんでもなくデキるんじゃないのか?」
グレゴリーが小声でミオに囁く。ほれ見ろ、とミオは肩をすくめつつも頷いた。セシリアが無自覚に振りまく有能オーラに、周囲は一瞬で巻き込まれてしまうのだ。結果、手際の良い作業が次々と進み、自然と救護体制が固まっていく。
「あの娘が指示してくれるなら、さっきまで倒れてた奴らも動きやすそうだね。いいことじゃない?」
ミオがひねくれ気味に笑うと、グレゴリーは「いやまあ、助かるには違いない…」と渋い顔をする。自覚なしの有能者は得てして最強なのだ。
そのころ、フィリスはようやく立ち上がれるほどに回復していた。相変わらず顔色は悪いが、闇に呑まれそうな王家の力をなんとか抑えているようだ。ミオは彼女の横顔をちらっと見やって言う。
「大丈夫? まだ頭がぐらぐらしてる?」
「……少しはマシ。あなたが言ってくれたおかげで落ちきらずに済んだ」
感謝とも後悔ともつかない呟きを残して、フィリスはぐっと唇をかみしめる。その先にある闇の正体を知り、その重みに押し潰されそうで、それでもなんとか耐えている様子が痛ましくも頼もしい。
「さて…スペイラはまた、うまく逃げたか」
庭園の亀裂を覗き込みながら、ゼオンが苦い顔で呟く。さきほどの爆発が一段落したとき、あれほど猛威を振るっていたスペイラの姿は見当たらなくなっていた。瓦礫の隙間から逃げたのか、それとも地下へ潜ったのか。どちらにせよ、このまま放っておけば必ず牙を剥いてくる。
「満月まで時間がないってのに、余計な手間を増やしてくれるわね」
ミオは黒い欠片を拾い上げているクラディオを、あからさまに睨む。そして、彼もその視線に気づいたのか、あえて興味深そうに目を細めた。
「ふふ、手間だなんて心外ですね。僕はただ、次の手がかりを探しているだけですよ。いずれあなた方にも恩恵がある…かもしれない」
意味深長に微笑むその姿は、まるで闇の入り口を扉ごと抱えているように見える。ミオはぞっとする感覚を押し殺し、ファルセットで毒を吐いた。
「へぇ、そうやって上から見てると、いつか尻に火がつくわよ。僕ちゃん」
「それは面白そうだ」
クラディオはいい気な調子で肩をすくめ、光る破片を懐にしまい込む。ゼオンが「あれはそう簡単に扱える代物じゃない……」と制止しかけたが、聞く耳を持つ雰囲気ではない。騎士たちも焦って詰め寄るが、彼はひらりと身をかわして歩み去っていく。
「厄介きわまりないわ」
ミオが毒づくと、フィリスも心底うんざりした様子で同調した。誰もが疲弊しきったこの状況で、あんな新参者が裏で何を仕掛けるのか想像するだけで胃が痛い。にもかかわらず、クラディオは最後にわざとらしくひと言残す。
「まあ、僕も闇組織には関心がありますから。捜索を頑張ってください」
嘲笑でも讃辞でもない、奇妙な抑揚とともに人混みに紛れて消えていく。その残像に苛立ちを覚えつつ、ミオはわざと大きくため息をついた。
「まったく、別の泥沼に足を突っ込んだ感じね」
苦々しく呟きながらも、手を休めるわけにはいかない。スペイラも、黒幕の影も、そしてこの亀裂だらけの庭園も放置できない状態だ。なのに満月まで本当に時間がない──追い詰められるほど燃える性分だとしても、さすがに余裕は皆無。
その空気を、セシリアの声がぶった切る。
「皆さん、怪我の再確認をします! まだ動ける方は負傷者を手分けして運んでください」
無自覚な司令塔ぶりに、騎士も魔術師も自然と行動を開始する。恨み言を言いつつも動き回るバンドー・リェルや、半泣きで破片を避けている兵士まで、彼女の指示に従う形でまとまり始めた。ここまで見事に立て直す光景は、まさに援軍そのものだ。
「セシリア、あんたは大丈夫なの?」
ミオが念のため声をかけると、彼女は不思議そうに首を傾げ、
「私はなんとも…。皆さんガードが甘いから、見ていると手が止まらないんですよ」
頬に付いた埃を気にも留めず、再び負傷者に駆け寄っていく。その小柄な背中を見送りつつ、ミオは密かに唇をほころばせた。有能な仲間の働きに救われる瞬間は確かにある。そしてこうした人材が、照れもなく周囲の補修を請け負ってくれることほど、心強いことはない。
闇組織の残党も、黒い石の不穏な脈動も、スペイラやクラディオの暗躍も……。あれこれ頭を抱えたくなる材料は山積みだ。それでも混乱の渦から脱する足がかりは確保しつつある。
「よし、気合い入れるわよ。あんな連中に好き勝手されてたまるか」
割れた通路をまたぐと、ミオはエランに向かって大声をかけた。
「次はキッチリ蹴散らすわ。大丈夫、無茶しなきゃやれないことだらけよ」
エランは虚脱状態ながらも苦笑し、わずかに腕輪を握り締める。フィリスも気力を奮い立たせるように目を閉じ、グレゴリーが部下たちを叱咤する声も力強い。
「じゃあ、続きを始めましょうか」
ゼオンは黙々と研究道具を広げながら、断ち切れない黒い謎を解きほぐす作業に没頭する。その周りではセシリアが必要な物品を迷いなく差し出し、彼の動きを一気に加速させる。何も言わずとも進んでいくその連携は、もう見ていて痛快だった。
せわしない重苦しさを抱えつつも、どこか胸が油を注がれたように熱くなる。同じゴールを目指す者同士、背中を預けられる安心感があるのだ。そう思った刹那、ミオは不敵な笑みを漏らす。
「望むところよ。暗い月の夜だろうが、怨念の闇だろうが、片っ端から叩き潰すだけ」
その呟きに応じるかのように、どこかで黒い石の欠片がかすかに脈打った。だが、もう恐れる気持ちはない。亀裂が増して揺れる浮遊庭園の悪夢を超えて、さらに先へと向かうしかないのだから。
行く手は厄介な闇ばかり。それでも、一緒に走る仲間がいる。その事実だけで、不思議と心が沸き立ってしまうのは、案外悪くない気分だった。