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闇夜に啼く背徳の双月狂詩曲4

フィリスが息を整える間もなく、ゼオンとともに離宮の地下書庫へ足を踏み入れると、そこは長年誰も手をつけていない埃まみれの空間だった。螺旋状の階段を降り切った先で、ようやく“隔離転移陣”の術式痕を見つけたフィリスは、顔を輝かせてゼオンに呼びかける。


「この一帯ね。古代の文献によると、月蝕のエネルギーを封じる役目があったらしいの」


「ふむ、やはり手掛かりはここか。修復できれば、スペイラの狙う儀式を封じ込めるかもしれない」


ゼオンが苦い笑いを浮かべながら書物をめくっていると、薄暗い書庫に歪んだ魔力の流れが混ざり始めた。背筋に嫌な悪寒を覚えたその直後、視界に黒い影が落ちる。


「ようやく追いついたと思ったら、勝手に始めるつもり?」


浮かび上がる魔術陣から、スペイラと“人形”が姿を現した。さらに周囲の空気がぐにゃりと捻じ曲がり、獰猛な闇の気配が書庫中へ浸透する。フィリスが一歩後ずさるのと同時に、スペイラはどこか楽しげに唇をつり上げた。


「王女様、あなたの“血”には絶大な価値がある。月蝕の夜に飲み干せば、今の結界など簡単に崩壊するのよ」


そう嗤いながら、スペイラは人形を指差し、静かに呪文を唱え始める。人形の体がかすかな光沢を放ち、まるで糸に繋がれた操り人形そのもののように関節をぎくしゃくと動かした。そんな光景にゼオンが声を荒げる。


「待て! ここで暴走を起こすつもりか!」


言葉を終える前に、結界の床面がひび割れ、突き破るように瘴気が噴き出した。フィリスの周囲に黒い触手のような呪気が絡みつき、彼女が強く悲鳴を上げる。その瞬間、背後から駆け込んできたエランが、腕輪から迸る呪印の光を振りかざして飛び込んだ。


「貴様ら、いい加減にしろよ」


渦巻く闇に向かって腕を突き出すエラン。しかし、呪印の発作が限界に近づいているらしく、その額には冷や汗が浮かんでいる。思うように力を操作しきれていないのか、放たれた光は半端に散っては空中で弾けた。


ミオが急ぎ追いすがり、論理魔術の符をばらまきながら、エランの背を押し込むように叫ぶ。


「また中途半端な衝動で突っ込んで、痛い目を見たいわけ? ほら、貴方の力を無駄にしないようにサポートしてあげるわ」


「ざまぁ期待してるだろ、お前」


「ちょっとくらい。だって崩れたときの顔が面白いから」


そんな応酬をよそに、フィリスは気力を振り絞り、凶暴な扉をこじ開けようとする闇の波を押し返そうとしていた。王家の血が疼いているのか、ぎらりと瞳を光らせつつ苦境に耐えている姿に、ゼオンが眉をつり上げる。


「それ以上は無理だ、フィリス! こっちが何とか結界を安定させるから――」


すると、不意に周囲を覆う闇がおとなしくなった。誰かが闇の核へ、別の呪文を叩き込んだのだ。振り返ると、何の前触れもなくイア・ルヴァンティがそこに立っていた。


「まさかこの程度で負けるわけじゃないでしょう? さあ、もっと足掻いてみせなさい」


冷ややかな声とともに、イアは奇妙な紋章の杖を振り下ろす。見る間に闇が小さくうねり、スペイラも焦ったように目を見開いた。人形が一瞬よろめき、儀式が微妙に乱れ始める。だが、イアが本気で助ける気があるのかどうか、誰もわからなかった。


「何者なの……?」


フィリスがかすれた声で問うが、イアは答えずに不敵な笑みだけを浮かべる。その一瞬の隙を突き、スペイラは人形を操って呪いの刃を放ち、炎のように飛び散った闇の破片で爆煙を巻き上げる。


「満月の夜まであと少し。王女に、月蝕の祝杯を捧げられるのを楽しみにしてるわ」


そう残してスッと闇に溶けたスペイラたち。儀式の半端な反動で結界は酷く乱れ、天井から崩落が始まる。ぶわりと落ちてきた瓦礫をすれすれでゼオンが結界盾を張るが、穴の開いた床下からは忌まわしい瘴気が嗤うように立ち上っていた。


「フィリス! 大丈夫か?」


エランが呻きながらも駆け寄る。フィリスは闇の暴走を辛うじて抑え込んだようだが、すとんと地面に膝をついてぶるりと震えていた。


「無茶を……しちゃったみたい」


呟いた途端、呼吸が浅くなり、ぐらりと倒れ込むフィリス。慌ててミオが駆け寄るが、エランの呪印も限界らしく視界が霞んでいくようだ。そこへグレゴリーとセシリアが息を切らしながら飛び込み、素早く状況を把握する。


「地下の奥はガラ崩れで通れない。これ以上、無理に追いかけるのは危険だ」


グレゴリーが鋭い判断を下すのと同時に、セシリアが機転を利かせ、あらかじめ書庫の入口周辺に待機させていた救護班を呼び寄せる。しかも彼女は「いま手が足りませんよね?」程度の感覚で動いているようだが、その段取りの早さは軍隊顔負け。周囲の混乱を一瞬で収め、担架を配置し、文字通り指示を的確につないでしまうのだから恐れ入る。


「セシリア、あんた有能すぎないの?」


ミオが思わず感嘆の声を漏らすと、セシリアは困惑気味に首を傾げる。


「そ、そんなことありませんって……私、あわわ、どうしたらいいか焦ってるだけですし」


「そりゃ、確かに焦ってる顔してるけどさ。結果が伴いすぎなのよ、あなた」


ぐったりしたフィリスは省かれ、エランも呪印のせいで発作寸前。ゼオンは結界修復のための術式を必死に書き足し。そこへセシリアが合理的に次なる対処を決めていく。よほどの場数を踏んでも、ここまで完璧には動けない。彼女自身だけ自覚が薄いらしい。


「結局、敵を取り逃がしたのは事実だ。次の満月に奴らが本気を出すなら、嫌でも全面対決になる」


グレゴリーの唸るような声が書庫に響く。瓦礫だらけの地下の奥へ繋がる道は完全に崩壊してしまった。待機していた部隊が確認したところ、別の経路も崩れ、まるで敵が逃げ道を潰してしまったかのようだ。


「王都に増援を頼むしかありませんね。ここまで封じられているなら、次は外部の支援がなきゃ打つ手なしです」


セシリアの素直な提案に、グレゴリーが深く頷く。「仕方ない」とばかりの重い空気が漂う中、倒れていたフィリスの身体を運ぶ兵士が控えめに声をかけてきた。


「姫様は安定した寝台で療養が必要です。エラン様も然り……」


そこでエランは不機嫌そうに顔を背けるが、呪印の痛みも相まって何も言えない。ミオが肩を貸してやると、彼は思わず刺々しく訊ねる。


「今度こそ敵を仕留めるんだろう? 俺抜きでやる気か?」


「もちろん、あなたのことは捨て置かないわよ。ただし、もう少し大人しくしなさい。痛みに負けて醜態晒すところなら、毎度ざまぁを言ってあげるから」


言い返そうとしたエランの口から漏れた声は、痛みに耐え切れないうめき声。そのまま兵士たちに支えられながら、地上への退避を余儀なくされていく。


こうして満身創痍のまま離宮の地下から引き上げる一同。風鳴りだけが虚ろに響く夜の廊下で、セシリアは地図を片手に部隊の配置を仕切り直しながら、ぱたぱたと落ち着きなく動き回る。彼女の指示に迷いはなく、兵士らの疲労もわずかに軽減されてゆく。まるで誰よりも最前線に慣れているかのようだが、本人だけは「こんなの普通です」と首を振ってばかりだ。


「スペイラたちは必ず戻ってきます。次の満月まで時間がない以上、私たちが整備できる盾も限られる。けれど、ここで引き下がるわけにもいかないのよ」


ミオが静かに呟けば、ゼオンも重々しく続ける。


「今回の闇の術式ぶりを見る限り、放っておけば離宮から王都全体へ災厄が波及しかねない。月蝕の夜を迎えるまでに、我々が結界を立て直さなきゃならないんだ」


古い天井を見上げれば、夜闇の気配がどこまでも忍び寄ってくるようだった。イア・ルヴァンティの狙いも掴めず、スペイラの計画は確実に進んでいるだろう。けれど恐怖と興奮が入り混じったこの感覚が、何故だかミオには悪くない。理屈を超えた戦いへ突入する予兆に、血が騒ぐのを感じる。


「さあ、もう退屈しないわよ。次こそは決着をつけて、思いっきりざまぁを叫んでやるんだから」


夜風が冷たく頬を撫でる中、一行は王都への急報を決意し、離宮の上階へ足を向ける。すべては“月蝕”の次なる夜に向けて――彼らは、さらなる危機とカタルシスを待ち構える運命の歯車を回し始めたのだった。

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