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闇夜に啼く背徳の双月狂詩曲1

離宮へ引き揚げた一行は、ほんのわずかな休息時間すら落ち着かないまま朝を迎えた。二つの月は夜明けにも関わらず空をかすめるように残り、その薄ら寒い照り返しが城壁を青白く染め上げている。


 


 ミオはごそごそと抱え込んだ古文書を机に積み上げ、未だに消えない不吉な気配を振り払うように小さく息を吐いた。ページの欠片が明らかに破り取られている一節を見つめるたび、無性に苛立ちがこみ上げる。


「破ったヤツ、絶対にあとで泣かす。……ああ、もう! こんなに肝心なところだけ欠けてるなんて、嫌がらせにも程があるわ」


 ブツブツと文句をこぼす声に、エランがやれやれと肩をすくめて寄ってくる。その腕輪の呪印が薄黒い文様を放ち、まるで自制を促すように脈動しているのが見えた。


「嫌がらせの主は闇組織か、それとも古の亡霊か。どっちにせよ俺たちをからかうにはほどほどにしてほしいな」


「言う相手を間違えてるわよ。私はただ被害を受けてる側なんだけど?」


「だから茶化すつもりはないって。……お前が怒ってると、こっちまで針のむしろだ」


 小さく笑いながら優雅に皮肉を言うエランだが、唇の端が微かに震えている。呪印による痛み、それとも昨夜の暴走未遂の影響か。ミオがちらりと覗き込もうとすると、エランはわざとらしく視線をそらした。


 


 そこへフィリスが、青ざめた顔を隠すように大きなストールを巻いて現れる。王女とは思えぬほど疲弊しきっているが、それでも彼女の瞳は揺るぎない意思を宿していた。


「私が離宮の奥に封じられた“転移陣”を見つけられれば、結界の混乱を少しは抑えられるはず……でも、二つの月のせいで血が騒ぐの。ほんの少し集中しても、胸が苦しくて」


「無茶して倒れられても困るわよ。昨日みたいに、また私が丸かぶりで尻拭いさせられると大損なんだから」


 その冷たいような毒舌に、フィリスは逆に僅かな笑みを浮かべ、かすかに肩の力を抜いた。怖がっている場合じゃない、と自分に言い聞かせるように。「ありがとう、ミオ」と小声で呟く。


 


 一方、ゼオンは離宮の門下で隊長格の騎士たちから結界の亀裂報告を受けていた。ふだんは飄々とした魔術師ですら、額に汗を滲ませているのが明白だ。


「結界のエネルギーが夜通し振動している。古代魔術で補修を試みたけど、次の満月までに完全修復は無理だろうね。……やれやれ、こんなときに限って夢見まで悪い。なんか妙な声が頭に響くんだよ」


「新手のぼやきっすか? せめて団員たちの前だけは、先生らしい威厳を保ってくださいよ」


 絡んだのはグレゴリーの副官。ゼオンは嘆息しつつ、「どの口が言うか」と半笑いで肩を落とした。それでも周囲はピリついた空気。満月の夜にまた地下で悪夢のような儀式が行われるかもしれない――その危機感に、騎士たちも皮肉を言い合う余裕など微塵もない。


 


 そのとき、ばたばたと早足で駆け寄ってきたセシリアが「大変です、物資と魔術師の増援が間に合わないかもしれません!」と報せる。息を弾ませながら、それでも咄嗟に臨機応変な配置転換を口にし、必要な手順を次々組み立てていく。言われたグレゴリーも即答しかねるほど慧眼だ。


「セシリア、あんた今のうちに騎士団長になったら? このまま立場をすっ飛ばして指揮取るほうが早いんじゃない?」


 ミオが皮肉まじりにからかうと、セシリアはきょとんと目を瞬かせ、「わ、私なんかが偉そうに指揮なんて……とんでもありません!」と慌てて手を振った。だが実際、メンバー全員がその指示を当たり前のようにメモしている辺り、彼女の地味に突き抜けた有能ぶりがうかがえる。


 


 そんなやりとりの隙を突くように、奥の回廊から一人の侍女が衝撃的な情報を届けに来た。どうやら地下への隠し通路に人影が見えたらしい。それも複数名。ロップと呼ばれる男や“人形”と噂される黒衣の魔術師など、不穏な名が混じっている。


「昨夜受けたダメージなんかもう何のその、ってことかしら。まったく、こっちの被害も省みないで好き勝手やってくれるわね。……ざまぁ返しの準備をしなくちゃ」


 ミオは毒々しく唇の端を上げる。心底むかつく相手を叩きのめすときほど、こんなにわくわくするものなのかと思うほどだ。フィリスの瞳にも、負けじと決意が宿る。


 


「闇組織なんぞに、王家が永遠に好き勝手されるわけにはいかないわ。結界の破壊を防ぎ、私たちの持てる術式や兵力を駆使して、あの悪趣味な月蝕の儀なんて叩き潰してやりましょう!」


 するとエランがわざわざ咳払いをしてから、頭上で腕を組んだ。


「いいだろう。俺も呪印がうずく限り、闘志は失わない。渋々ながら、そっちの意見に合わせてやるさ」


「渋々っていうくらいなら下がっててくれない? まあ、他に期待できる奴もいないんだけどさ」


 ピリリと毒を散らし合いつつも、二人の呼吸は妙に噛み合っている。セシリアが半ば呆れるように眺めつつ、「じゃあ、急いで配置を再調整しましょう!」と声を張り上げた。やたら慎重な騎士長も、その声に乗せられるように動き始める。


 


 やがてゼオンが髪をくしゃりと乱し、「もし呪印と古代魔術が激突したら、また想像を絶する被害が出る。でも、ここで手をこまねいていたら同じことを繰り返すだけだ」と決意を固めた。グレゴリーもまた黙って剣を握り、フィリスと視線を交わす。誰ももう退路を選ぶ気はなく、前に進むしか道はない。


 


 廊下を吹き抜ける冷たい風に、些細な月光が差し込む。空には二つの月が訂正不能なほど重なり合おうとしていた。ゾワリと背筋を撫でるような嫌な予感の正体を確かめに行くため、一行は地下へ向かう準備に走る。


「例のスペイラたちに、痛い目見せてやるわよ。今度はこっちがざまぁと嗤ってやるから」


 そう昂るミオの胸中には、苛立ちと期待が奇妙に混ざり合う。はたして次の満月が訪れるまでに、破壊と混乱と――そして勝利の瞬間を迎えられるのか。誰も答えを知らないまま、月下の悪夢が再び幕を開ける。だが目を背けるわけにはいかない。愛想笑いをくれている暇などないのだ。


 同じ悔しさを抱くエラン、震えながらも前へ進むフィリス、無自覚に有能な指揮をとるセシリア。皆が鼓動を高ぶらせながら、闇へ向かう歩みを止めない。いよいよ“月蝕”の夜が、その禍々しい影をひたひたとこちらへ伸ばし始めている――。

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