双月に宿る背徳の方程式4
暗い蝋燭の火がゆらめく離宮の地下通路を、ミオたち極秘調査班が足早に駆け降りる。風はひんやりしているはずなのに、やけに肌が火照る。扉の向こうにあるという“血の祭壇”を目指しているからか、心拍数も上がりっぱなしだ。
途中でセシリアが地図を握りしめ、「す、すみません! ここを右折してすぐの斜道が結界の入口に続いてます」と声をかける。彼女の言う通りに進めば、壁は複雑な紋章が彫られたものに変わり始めた。なにやら重苦しい圧迫感さえ漂う。
「いつ見てもイヤな気配ね」
先頭のミオが鼻をつまみたくなるほどの瘴気を感じ取る。目の端でエランが小さく呻く声が聞こえた。腕輪に触れる指先が白くなるほど力んでいる。
「無理しないでよ。あんたがここで転がったら、私が荷物持ちの役までやる羽目になるんだけど」
「うるせえ。そっちだって、ビビってるくせに」
皮肉の応酬をしつつも、どこか互いを気遣う空気がありありとわかる。フィリスは少し離れた位置で俯きがちだが、その手元が淡く光っている。どうやら血の暴走が始まりかけているようだ。
「ここで止まっていたら、もっと痛い目にあうわよ。行くしかない」
ミオが扉に向けて魔力をそっと送り込んだ、その瞬間──
フィリスの血が驚くほど鮮やかに輝いた。まるで自分の意思で扉をこじ開けようとしているかのように、ゴゴゴッと地響きが起き、結界の輝く紋様がひび割れていく。扉はビキリと不気味な音を立て、強制的に開放された。
「わ……私? ごめんなさい、勝手に手が動いて……」
フィリスが震える声で弁解するが、状況がそれを許さない。扉の向こうからは薄暗い闇と腐食した空気。そこに、黒い布で顔を隠した刺客たちがずらりと並び、嘲笑するように待ち構えていた。
ひときわ前に出たのはスペイラと呼ばれる女官。妖しい笑みを浮かべ、隣に控えるロップが短剣を舐めまわすように眺めている。
「早かったわね、でも焦りすぎじゃない? もう少し待っててくれたら、最高の“出迎え”を用意できたのに」
「ごめんなさいね。あなたの下手な演出を堪能する時間はないの。さっさと片付けて帰らせてもらうわ」
ミオが言い放つと、スペイラが肩をすくめて小馬鹿にしたような溜息をつく。その合図で闇組織の刺客たちが一斉に攻めかかってきた。
「くっ! やっぱり数が多すぎる!」
グレゴリーや騎士数名が応戦するも、地下の狭い通路だと全員が動きにくい。エランが腕輪を握り拵えし、呪印を使おうとした瞬間、刹那に月光のような冷たい輝きがその瞳を射抜いた。次第に彼の呼吸がおかしくなる。
「エラン! 暴走はやめて!」
ミオが必死に叫ぶが、目の前の敵は待ってくれない。騎士たちが刺客を捌いてくれているあいだに、エランの肩を掴み正気を取り戻すよう揺さぶる。
「ぐ……ミオ……お前、離れろ。今の俺は、お前を巻き込みかねない」
「巻き込まれたらその時よ。何度でも引っ叩いてやるんだから、さっさと落ち着きなさい!」
まるで呪いを叩き割るかのように、ミオはエランの頬をパチンと勢いよく叩いた。するとエランが目を丸くして小さく噛みしめた唇を震わせる。
「──ったく、恥ずかしい真似、させやがって」
その言葉とともに、腕輪がゆっくりと鈍い響きを収めていく。呪印の力はまだ暴れようとするが、ミオの毒舌交じりの必死さに少しだけ押し戻されたようだ。
その頃、フィリスは祭壇へと繋がる通路の奥に目を向けて尻込みをしている。かすかに聞こえる鼓動のような音に呼ばれるようで、膝が震えていた。ロップがにやりと口元を歪める。
「お嬢さん、その血、いただくぜ? 魔術の活性剤としても上等品だろうからなあ」
ロップの軽薄な言葉に反応したセシリアが、慌てて飛び出しかける。彼女の騎士仲間が「危険です!」と止めようとするが、セシリアはむしろ冷静に通路の左右を見回し、声を張り上げた。
「分隊の方々は左右に布陣して。遠距離攻撃を繰り返す敵がいないか警戒を! フィリスさまを安全な位置へ移動させましょう!」
素早い指示が的を射ているおかげで、騎士たちが綺麗に配置転換を行い、ロップは狙いを定めにくくなる。スペイラが「ちっ」と忌々しげに舌打ちしたのを、ミオは見逃さなかった。
(セシリア、やるじゃない。本人は自分が有能だなんて微塵も思ってなさそうだけど)
小声でツッコミつつ、騎士団が奮戦するあいだにミオは祭壇の奥へと滑り込む。闇組織が隠し持っていたらしい“黒い石”の断片の融合痕が壁際に幾筋も走っていた。ぞっとするほど禍々しい帯が、祭壇を覆っている。
「崩れかけてる……。このままじゃ結界が破れて、何が飛び出すか……」
一瞬の隙をついて、スペイラがナイフを向けてくる。かろうじて身をかわすミオに向けて、彼女は狂気じみた笑顔を見せた。
「次の満月には、もっと素敵な闇を絶望ごと招いてあげる。無駄に首を突っ込まないほうがいいわよ?」
「残念ながら、あなたたちが何をしようが勝手だけど、こっちも黙ってやられはしない。全員まとめてざまぁ、くらわしてやるわ」
スペイラは嘲笑しながら身を翻し、ロップともども撤退を始めた。刺客たちもなぜか一斉に引き際を示し、闇の奥へ姿を消していく。彼女らの自信たっぷりの態度が不気味で仕方ない。
その直後、じわりと床がひび割れ、結界から嫌な音が響く。もう長居はできない。グレゴリーも「撤退だ!」と鋭く叫び、騎士たちが安全な経路を確保していく。フィリスは宙を見つめたまま呟いた。
「まだ……聞こえるの。何かが奥で脈打って……」
「もう帰るわよ。倒れるなら部屋のベッドで倒れてちょうだい」
ミオがフィリスの腕を引くと、それに合わせてセシリアが出入口まで誘導を整えていた。なんとも手際がいい。頭の回転が速すぎるのに「だ、大丈夫でしょうか」と自信なさげな態度をとるのは、もはやギャップがすごい。
最後にエランが遅れてついてくる。呪印の痛みに耐えつつも、闇組織に対する怒りが収まらないらしく、荒い息の合間に低く吐き捨てた。
「次の満月? 何を企んでいるか知らないが、奴らをただで帰すと思うなよ」
「焦っちゃだめ。こっちだって対策を考えるしかない。あんたがまたグラついたら困るのよ」
「……どんな頼み方だよ」
反論しつつも、大怪我を負う前に撤退させられたことで、エランは不承不承ながら安心したようにも見える。ミオの言うとおり、今はこれ以上深入りしても破滅しか待っていないのだ。
焼け焦げた結界の破片が天井からボロボロと落ちてくる。ミオたちは地下から抜け出すと、そのまま走るように離宮の廊下を駆け上がった。そこには司令室代わりに使われている一室があって、セシリアが次の対応策をまとめようと忙しなくメモを取り始める。
「本当に、ありがとう」
ミオが彼女を労う声をかけると、セシリアはきょとんとして耳まで赤くなった。
「い、いえ! 騎士の方々が頑張ってくださったから、私は口先だけで……」
無意識の有能ぶりを発揮しておいて、本人にまったく自覚がないとは恐れ入る。エランが「まあ、悪くない仕事だったな」と苦笑すれば、フィリスもこくりと頷き、上手く礼を言えずに目を伏せた。
そうこうしているうちに、外の夜風が鋭く吹き込んできて、二つの月がぼんやりと重なる影を落とした。満月まで、そう遠くはない。そのときに何が起こるか、想像するだけで背筋が凍る。
「あいつらの言う“次の満月”……。必ず迎え撃ってやる。こんな余興みたいな戦いで逃げられるなんて、胸くそ悪いわ」
ミオが言い捨てると、エランが腕輪を強く握りしめ、息を吐くように応じる。
「俺も呪印の件をどうにかしないと。手を貸せよ」
「それはこっちの台詞。変に暴走されても困るんだから、協力して」
視線をぶつけ合う二人の後ろで、フィリスは相変わらず胸を押さえてうずくまりそうになりながら、それでも前を向こうと必死に耐えている。セシリアも震える手を握り締め、即席の戦術を思案しはじめた。
今宵、祭壇の奥に見た“黒い石”の融合痕、そして闇組織の狙い──まったく気味が悪く、腹立たしいほど手応えがある。だが、次の満月までにやるべきことは山積みだ。
走り去ったスペイラとロップの高笑いが、未だに鼓膜にこびりついている。扉の破壊が引き起こす災厄、血の暴走、呪印の高まり──全部まとめて解決できる日は来るのか?
それでも歩みを止めるわけにはいかない。煮え切らない焦燥と、対抗心と、奇妙な高揚感が入り混じって、胸がある種の熱で満ちていく。
鼻を鳴らして「ざまぁは絶対こっちが言ってやるんだから」と呟き、ミオは次の手を探ろうと結界崩壊の残響に耳を澄ませた。
満月まで、あとわずか──。戦いは、まだ始まったばかりだ。




