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宵闇に揺れる幻惑と囚われの真実 1

フィリスの部屋に戻ると、妙な静けさが漂っていた。さっきまで彼女の怯えた声が聞こえていたのに、今は息を潜めるみたいに沈黙している。まるで隠された足音だけが辺りを巡っているようだ。

「フィリス、まだ幻を見てるのかしら」

私が小さく呟くと、エランは不思議そうに首を傾げる。彼もこの重苦しい空気が気に入らないらしく、眉間の皺が増える一方だ。


ドアを開けた瞬間、寝台の傍で固まっていた衛兵二人がハッとしてこっちを見た。けれどフィリスの姿は見えない。あろうことか、布団だけがくしゃりと落ちていて、まるで忽然と姿を消したかのよう。

「嘘でしょ。いつの間に?」

衛兵が焦りながら説明してくれたが、どうやら一瞬だけ目を離した隙に、彼女がどこかへ行ってしまったらしい。足取りも分からず、幻影が残るだけだという。


「これは絶対に怪しいわね。まさかスペイラがもう動いた?」

エランはむっとした顔のまま、床を調べ始めた。彼の腕輪が微妙にくぐもった鈍い光を放っているのは、周囲に魔力が漂っている証拠だろう。私も軽く魔術オーラを探ってみたけど、どうにも嫌な感触が走る。

「準備してる暇はなさそうね。さっさと探すしかないか」

「分かってる。ただ、フィリスは怯えてるはずだ。下手に追い詰めると逆効果になりかねない」

「分かってるわよ。私だって脅かすつもりはないもの」


でも、のんびりしているうちに何か良くない仕掛けでもされたら困る。彼女は王家の血筋で、狙われる条件がそろいすぎている。幻に飲まれてうっかり変な生贄にでもされたら、大惨事確定だ。

「とりあえず、館の構造からして怪しい場所は限られてるわ。あの地下書庫と、周辺の古い通路。あと、離宮の奥にある倉庫の類い…」

私が早口で挙げていくと、エランは視線だけ私に投げてくる。

「どれもこれも広範囲だね。僕ら二人で一気には回れない」

「騎士団長にも協力させたいけど、あの人が加わると安全だけど動きにくくなるのよね」

「仕方ない。僕が一足先に地下に降りてみる。君はここで手がかりを集めてくれる?」

「はあ? 二手に分かれろってこと?」

「だめ?」


あからさまに拗ねた目をしてくるからイラッとする。だけど、たしかに手分けができれば捜索効率は上がる。フィリスを助けるためなら無駄なプライドは捨てるべきか。

「分かったわ。でもこっちも危険は承知よ。なにかあったらすぐ知らせて。あなたの腕輪には無駄に期待してるから」

「君って本当に素直じゃないよね」

「そっくりそのまま返すわ」


ちょっと苦笑いを交わしながら、私たちは衛兵に簡単な指示だけ出して分かれることになった。なんだかこのやり取りすら恒例行事みたいで腹立たしいけれど、今はそんなことにかまけてる場合でもない。


廊下を戻る道中、ふと窓の外を見やると、闇夜に薄く月が浮かんでいた。静かだけど嫌に重たい。何か大きな力がうごめいている感じがする。きっとフィリスはその渦中に放り込まれてしまったに違いない。

「どうにか早く見つけないと…」

私は小さく息をついて、急ぎ足で次の部屋へ向かおうとする。すると背後から、誰かが床を踏みしめるような音がかすかに聞こえてきた。


「今度は誰? いい加減にしてほしいんだけど」

振り返ると、そこには騎士団長のグレゴリー。腕組みをしたまま壁際に立ち尽くしていた。

「フィリス様が行方不明と聞いた。何があったか説明を」

彼は冷静ながらも、瞳の奥で焦りを隠しきれないようだ。やはり王家の身に危機が迫るとなると、彼もじっとはしていられないらしい。


「私たちも必死で探してるところ。地下をエランが当たってるから、団長には離宮の倉庫を見てもらえません? そこも古い文献があるらしいし、怪しい術式があったら危険なので」

私がまくし立てると、グレゴリーはわずかに渋い顔を見せた。だが即座に「分かった」と頷く。融通が利かないと思いきや、こういうときは話が早いのは助かる。

「では私は向かう。君も妙な動きを感じたら知らせろ。連絡を絶やさぬようにな」

「了解です。団長も気をつけて」


彼が去るのを見送って、私はさっそくフィリスの足取りを探るため、あちこち走り回る。廊下の隅には、強張った顔の侍女が隠れるように立っていたり、夜番の兵士が辺りを見回していたり。誰もが漠然とした嫌な気配を感じているんだろう。私も鳥肌が立ちっぱなしだ。


ようやくたどり着いた小部屋の前で、倉庫係らしき老人を見つけた。彼は片端が破れかけた古い巻物を持って、青ざめた顔で震えている。

「ど、どうしよう…誰かが勝手に倉庫へ入ったみたいで。おかしな光がちらちら揺れるんです」

「倉庫に? 具体的にどんな光?」

「ええと、青白い…まるで人魂みたいな…」


やっぱり嫌な予感が当たりまくりだ。フィリスを操るために、“幻術”の準備をしている連中がいるのかもしれない。これはもう突撃するしかない。

「どっちの倉庫?」

「地下の階段を降りて、奥へ進んだところです。普通は使わない区画で…鍵は厳重なのに」

「ありがとう。大丈夫。すぐ収めてくるから」


言い残して走り出す。地下へ続く階段を降りるたび、嫌な湿気が頬を撫でてくる。そこに混じる奇妙な魔力の匂いに、背筋がじわじわ伸びていく。心臓が高鳴る。怖いけど、同時にワクワクに似た感情が湧いてしまうなんて、我ながら性格が悪い。

「せめてフィリスは無事でいてよ。まだいろいろ話を聞かないといけないんだから」


階段を折り返す頃、うっすらと青い光が見えた。老人の言う通り、まるで人魂のようにゆらゆらと漂っている。その先に何か人影がある。もしかしてフィリス? それともスペイラ?

私は足音を殺しながらそっと近づく。すると、壁際に腰を落としそうになっているフィリスが目に入った。正面には、黒衣の人物がしきりに呪文を唱えている。あれが今回の犯人?


「フィリス!」

声を掛けたとたん、黒衣はいきなりこっちを向く。仮面で顔を隠しているが、どう見てもただ者じゃない。瞬間――何かピリッとした衝撃が走り、私は思わず反射的に右足を後ろに引いた。

「ちょっと! ルールくらい守りなさいよ!」

そいつは言葉も発さず、電撃めいた魔力を仕掛けてきた。思わず両手で防御陣を引こうとするけれど、狭い通路だし動きづらい。何よりフィリスに当たったらまずい。


「やれやれ、もう容赦なしって感じね…!」

私は自分の魔力をぎゅっと握りこんで、ショックを拡散する。それでも腕が痺れて痛い。こっちも負けてられないけど、射程を考えるとド派手な術は撃ちにくい。


黒衣がもう一発くるかと身構えた瞬間、背後から「いい加減にしろ!」と怒号が響いた。振り返ると、エランが険しい顔でこちらへ走ってくる。腕輪がギラリと光って、不穏な魔術を無理やり削ぎ落としていく。

「君はまったく…危ないじゃないか!」

「ちょうどいいところに来てくれたわね。そいつ捕まえて!」


私が叫ぶと同時に、黒衣は何やら意味不明の呪文を急ぎ足で唱え始める。床の上に妙な文字が描かれるように光がじわりと広がって…いやな感じだ。いやな感じ満載だ。

「まずい。逃げられる!」

エランがその場で腕を振り下ろす。腕輪の力が子供じみた嫉妬だけじゃないところを見せてくれて、半透明の結界が黒衣を覆いかけた。が、その結界を割るように暗黒の刃が飛び散り、黒衣の姿が一瞬ぐにゃりと歪んだ。まるで幻みたいに溶けていく。


「くっ、逃げられた…」

エランが悔しそうに手を握り締める。いまの黒衣、スペイラ本人か、あるいは手下か。確認する暇すら与えてくれないとは嫌になる。


私は急いでフィリスのもとへ駆け寄り、その肩をそっと抱えた。彼女は息も絶え絶えで、何度も幻を見ているように目を泳がせている。

「大丈夫? しっかりして」

「……ミオ…助けて…幻が…消えなくて…」

フィリスの小さな声に、ぐっと胸が締め付けられる。さっきの術者に何か埋め込まれたのかもしれない。


「わかってる。すぐ治すわ。だから辛抱して」

私が必死に魔力を照合しようとする直後、エランが私の肩を叩く。

「診るのはいいけど、ここじゃ危険すぎる。上へ運ぼう」

「確かに。ここは罠だらけっぽいものね…」


エランと協力して、意識の薄いフィリスを抱えながら階段を上がっていく。人生ゲームみたいに次から次へと障害が押し寄せてくるのはもう慣れたけど、今回は確実に根が深い。誰が何のためにフィリスを狙うのか。もしかして王家の血を使ったおぞましい儀式の準備かもしれない。想像するだけで吐きそうだ。


それでも私の心に一瞬、恍惚とした高揚感がざわつく。これだけ危険がはびこってるからこそ、突破したときのカタルシスは絶大。まさに背徳的な快感だ。

目の前でフィリスが苦しんでいるのに、おかしいと思う? いや、分かってる。私の性分がどれほど歪んでるか。でも、そんな嫌悪感も含めて私はこの瞬間にのめり込むのだ。



「さあ、逃げられたからには余計に燃えてきたわ。絶対に黒幕を引きずり出してやる」

呟く私の声を聞いて、エランが苦笑する。

「やっぱり君は怖いよ。でも、その強引さに助けられてるのも事実だからね」

「でしょ? 文句はあとで聞くから、とにかくフィリスを安全な場所へ」


屋上近くへ登ると、夜空からの冷たい風が吹き込んできた。あのよどんだ地下とは違って、少しだけ息がしやすくなる。不思議なもので、月を見ると少しだけ落ち着く気がする。

だけど、フィリスの息はまだ荒い。今はそっと休ませないと。


「ここからが本番ね。闇を泳ぐ亡霊たちを絶対に逃がしたくない。私たちが全部暴いてやる」

エランはフィリスを支えながら頼もしげに頷く。彼の瞳にはまだ消えない苛立ちと嫉妬が見えるけど、そんなものは些細な燃料みたいなもの。

私は彼の横でにやりと笑いながら、回廊の先を見据えた。何かがうごめいている。その気配を感じるたび、私の好奇心もぞくぞく騒ぎ出す。


地の底を這うような陰謀が相手でも、やるからには徹底的に蹂躙してみせる。フィリスを救い、スペイラを探し出し、邪悪な魔術研究を粉砕する。

混乱の只中でこそ味わえる、この危うい興奮――私は次なる行動を胸に誓いながら、フィリスの震える肩をそっと撫でた。大丈夫、恐れには負けない。誰も守れないような私じゃない。

背後で小さく足音が響いたが、今は振り返らない。その不気味な気配すら、どこか快感の呼び水になっている。どうせ逃げも隠れもできやしないのだ。ならば私から仕掛けて追い詰めてみせる。


暗い夜が、さらに深く沈み始める。

だけど、この戦いに終わりはないわけじゃない。破壊と救済、その両方を手を携えて成し遂げるために――私はより一層、心を燃え上がらせた。

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