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燃え上がる黄昏の調律3

 氷をまとった森を抜けると、鈍い銀色に光る広大な湖面が見えた。吹雪で霞む景色の中、奥には朽ちかけた看守塔がぼんやりとそびえている。高くそびえた尖塔は、まるで侵入者を逆さに映し出す鏡のようにも見えた。


 


「……あれが“天冥の調律”が眠っている場所なのね」


ミオが低く呟くと、フィリスの睫毛が小さく震えた。血が騒ぐのか、手袋の下の指先まで凝り固まっているようだ。彼女は唇を引き結び、一気に覚悟を決めるような表情を見せる。


 


「何か感じる。湖から呼ぶような感覚がするの」


「そりゃ物騒な招待状だな。どうせなら茶と饅頭くらい用意してくれりゃいいのに」


エランが呟くや否や、風に乗って耳障りな金属音が聞こえた。眼を凝らせば、看守塔の横手には鎧に身を固めた集団の影。先頭に立つ男がこちらへ鋭い視線を走らせ、目を細める。


 


「なるほど、お出迎えの方々が来てたみたいね」


ゼオンが皮肉めかして肩をすくめる。すると男――魔術隷属兵を率いるバルバロイが憎々しげに口を開いた。


 


「試金石エラン、貴様がここへ来るとは。呪印の疼き、いまだ引かぬらしいな。いっそ爆ぜてくれれば話が早いんだが」


その挑発に、エランは舌打ちこそしないが、手首のあたりを撫でながら小さく笑う。逆にフィリスがたまりかねたように一歩前へ出ようとしたが、ミオがそっと腕を引き止めた。


 


「待って。こんなのに反応しても得るものはないわ」


「そう、ざまぁは一気に叩き込むものよ。じわじわいたぶりたいなら、先にこちらの準備を済ませないと」


ゼオンがすっと笑みを浮かべて加担すると、フィリスは困惑しながらも勢いをそがれた様子で静かに息を吐いた。


 


その頃、遠巻きにセシリアとグレゴリーが周囲の配置を整えている。騎士たちに合図を送るセシリアの動きはこれ以上ないほど的確で、細かな死角まで把握している様子が見てとれた。誰もが彼女に頻繁に報告を求め、感謝の眼差しを向けるのに、当の本人は「え、えっと」と戸惑うばかり。だが、その一瞬のミスも許さぬような調整が、結局は最前線を支えていた。


 


「……まさか、あの子がこれほど頼りになるとはね。セシリアには感謝が尽きないわ」


フィリスがぼそりと呟くのを、ミオは軽く頷いて受け止める。


「一人だけ別次元の頭脳を持ってるんじゃない? まあ、自覚がないのがタチ悪いけど」


「君たち、ひそひそ話したいのはわかるが、そろそろ行動しないと向こうも仕掛けてくるぞ」


エランが視線で促した瞬間、バルバロイが腕を振り上げ、手下の魔術隷属兵数名が湖面に滑り出した。その足元では凍った水面をガリガリと削るような小舟が準備されているらしい。さらに遠目には、黒装束の者たちが氷に穴を開け、何かを引き上げようとしている姿が見えた。


 


「黒い鏡の欠片狙いね。あいつら、よくもまぁこんな寒空の下で無茶をしてくれるわ」


「それだけ価値があるのか、あるいは命知らずか。……ま、一時的には両方かもしれないな」


ゼオンの視線には、好奇心が宿っている。祭壇跡を探りたい気持ちが全面に出ているのが手に取るようにわかる。彼はすぐさま足場を確かめつつ、湖畔に点在する石碑に目を走らせた。


 


「ここだ。古代文献で見た『天冥の調律』ってやつ……陣形の一部らしい。もしこれを再起動したら一面が血の海、なーんて笑えない展開もあるかもね。誰かさんにとっては最高の見世物か」


「笑えないわよ。少なくとも実験はほどほどに。バルバロイとスペイラの手下までいるんだから、のんびりしてる暇なんてないんだから」


 


ピリリと張り詰めた空気の中、グレゴリーが騎士数名に合図を送り、それらは湖の反対岸へ素早く回り込んだ。後方支援の狙撃姿勢を取らせたようだ。セシリアが的確に降らせる指示も、騎士たちの混乱を少しも生まない。一見地味に見える奉行ぶりだが、裏ではどうすれば最小の動きで最大の成果を上げられるか、脳内で瞬時に弾き出しているのだろう。彼女自身は相変わらず「私なんてまだまだ」と呟いているが、その下支えがなければ全軍の動きが鈍るのは明らかだった。


 


「あっちの氷を割ってる連中、先に片付けた方がいいかしら? むざむざ黒い欠片を手に入れられては後が面倒よ」


ミオが腰に手を当て、人差し指でスペイラの手下と思しき集団を示す。エランが微妙に顔をしかめながら頷いた。その顎先から、ほんのわずかに白い息が漏れる。


 


「先制が肝要ですよね。じゃあ、俺が威嚇でもして――うっ」


彼が呪印が存在する手首を押さえた瞬間、どこからか奇妙な低い振動が伝わってきた。視線を移すと、祭壇周囲の石碑がうっすら光を放ち、「ゴウッ」と空気の淀みが走る。


 


「フィリス、昨日の砦と同じ感覚……?」


「うん、何かが反応している。私の血が……引き寄せられてる感じがするわ」


フィリスが僅かに蒼白な顔を向けると、ミオは周囲への警戒を解かずに小さく息を呑んだ。


 


「やっぱり、王家の血が鍵になってるんでしょうね。ならば逆手に取るしかない。私たちも結界を操作して、あの黒い欠片の力を封じ込める可能性があるわ」


「へえ、好きだなあ、そういう強引な手段」


ゼオンが薄い笑みを浮かべる。が、ミオにも迷いはない。バルバロイが動く前に仕掛けを解明するチャンスを逃すわけにはいかない。


 


「新しい魔術理論を組み立てるタイミングとしては最高でしょう。私たちにざまぁされたくないなら、連中は黙って突っ込んでくるでしょうし、結局ぶつかるのは時間の問題よ」


そう言いながら、ミオは冷気の中に立つフィリスの手をそっと取った。震えていた指は、驚くほど冷たく固まっている。


 


「大丈夫よ。私たちがいる」


つい耳元で囁いた瞬間、フィリスの表情にわずかな決意が宿った。怖くないわけではない。それでも、退くことは許されない道なのだ。


 


そのとき、さらに吹雪が強まり、視界が一気に白く染まった。風にあおられる悲鳴とともに、スペイラの手下たちが氷の上で踏ん張りきれず滑ってゆくのが見える。あちらも思うように作業を進められず、苛立ちの声がここまで聞こえてきた。


 


「ふん、天気までもが味方してるようね。よし、今が好機――」


ミオがそう言葉を結ぶや、狙撃班の矢が一本、空を裂いた。鋭い風切り音が凍結湖を突き抜け、大慌てで反応するバルバロイの部下たち。さらにゼオンがどこからか取り出した魔術道具で氷上を微かに震わせると、足元を削られた敵兵が次々と転倒する。


 


「ははっ、愉快。ちょっとしたお楽しみだね」


彼の声は皮肉というより純粋な興味で満ちている。ざまぁと舌打ちする間もなく、グレゴリーが「今だ、突撃!」と咆哮し、騎士が前に出た。吹雪の夜が激しさを増す中、この一戦の始まりを告げる号砲が鳴るかのような轟音が響き渡る。


 


「準備はいい? 黒い鏡の欠片を使わせないためにも、私たちは祭壇の解析を急ぐわ。その過程で奴らにきっちりオチをつけてやりましょう」


ミオの声に、エランは痛みに耐えながらも苦笑いしつつ頷く。フィリスは自分の血と湖の奇妙な共鳴に怯えながらも、意識を集中させる構えだ。


 


周囲をビリビリと震わす魔力のうねり。結界の鍵となる“天冥の調律”を巡る攻防は、今まさに幕を開けたばかり。セシリアが後方から指示を飛ばす声が頼もしげに響き、騎士たちの意気は揺るがない。


 


そして何より、吹雪の深まる夜にもかかわらず、彼らの胸には奇妙な熱が宿っていた。謎と陰謀の全貌を暴く――その意志が心臓を鼓動させ、喉奥を焼くような高揚感をもたらす。ページをめくる手が止まらないような、底知れぬ予感とともに。


 


この混乱が、終局へ向かう入り口にすぎないとも知らずに。彼らは吹雪の夜へ飛び込んでいった。次に待ち受ける光景が、どんなカタルシスをもたらすのかを信じて。

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