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燃え上がる黄昏の調律2

視界を奪う吹雪の中、砦の中庭では一行が出発の最終準備に追われていた。どこからともなく冷たい風が吹き荒れ、まるで誰かの息が耳元を撫でるような不気味さを帯びている。けれど、ミオは足元の雪を踏みしめながら、余計な恐れをかき消すように口を開いた。


「鏡の封印を完璧にするには、ここを離れて凍結湖の看守塔へ行くしかないわ。準備はいい?」


 エランはひとまず腕輪を押さえつつ、小さくため息をついた。それでも笑みを浮かべるのは彼の奇妙な癖だろう。


「いいも悪いも、他に手がないんじゃないか。ま、俺はお嬢さんの音頭に従いますとも。痛みなんか慣れの問題だ」


 周囲の騎士たちが心配そうに視線を向けるが、彼は「さて、出発前に倒れたら俺の名折れだ」となどと強がり、ミオをちらりと横目で見る。


 


 一方、フィリスは白んだ息を吐きながら、小さな震えを隠せずにいた。それでも眼差しは揺るがない。


「私の血がまた鏡に反応したら、何が起こるかわからない。でも……じっとしてるほうが、このまま最悪の結果を呼びそうで怖いわ」


 その口調には不安と決意が混ざっている。やや顔色が青いのは雪の寒さだけではないだろう。


 


「なら、これが終わったらゆっくり酒でも飲みますか。もっとも、僕はあまり強くないけどね」


 ゼオンが軽い調子で返すと、ミオは鼻先でふっと笑う。


「自虐が早いわね。実験のしすぎで酔いどれ寸前ってこと?」


「ご想像にお任せ。それより、看守塔でこじ開けなきゃならない仕掛けがあるなら、僕も全力で解析しなくちゃね。鏡をまた暴走させて灰になるのは勘弁願いたいし」


 ざまぁとでも言いかねない皮肉な言い回しに、フィリスはくすりと笑った。わずかな笑顔が砦全体の緊張を和らげた気がする。


 


 そんなとき、グレゴリー団長のどっしりした声が飛んだ。


「出発態勢はどうだ。雪の向こうで闇組織が待ち構えてるかもしれない。みんな無茶はするなよ」


 騎士たちが応じようとした矢先、セシリアが小走りにやってきて、地図と指示書を広げた。耳まで赤く染まっているのは吹雪のせいもあるだろうが、彼女なりに必死な様子がうかがえる。


「団長。補給物資は先に二手に分けて搬送してもらうと、安全圏で合流しやすいです。騎士隊と歩幅が揃わない荷運び要員がいますから」


「ほう、そうか。なるほど、あの尾根道が平坦に見えて実は……」


「はい、凹凸が多いので、隊列を切り替えれば先行組が囮になることも避けられますし、途中で雪崩が起きても混乱は最小限に抑えられます」


 重たい甲冑をつけた壮年の騎士たちが目を丸くして頷く。まるで助け舟が来たかのような感謝の視線をセシリアに注ぐが、当の本人は「すみません、私なんかが勝手に」と恥ずかしそうに俯くばかりだった。


 


「セシリアって地味に切れ者よね。私、この子がいなかったらきっと頭パンクしてたかも」


 フィリスが小声でぼやくと、ミオも小さく同意する。


「自覚ないところが始末に負えないわ。……でも、こういう人がいると正直助かるわね」


 当のセシリアは何やら次の報告書をまとめ始めている。行動が素早く、かつ的確。周囲の騎士が困っているポイントをすっと察して手配してしまうのだから、みんなの負担が劇的に減っていく。エランも気づいたようで、ぼそりと呟いた。


「……俺の痛みも減らしてくれりゃありがたいんだが。いや、まあ、無理だろうけどな」


「欲張るなっての」


 ミオが即座に呆れ声を返し、エランは唇の端を少しつり上げる。


 


 やがて、吹雪の合間を縫うように出発の号令がかかった。旗を掲げる騎士の脇にはグレゴリーが陣取り、指示をまとめるセシリア、その隣で意外と茶目っ気のあるフィリス。後ろにミオ、エラン、ゼオンが続いて凍結湖への道へ足を踏み出す。


 寒風が頬を切り裂こうとするたび、誰もがぎゅっとマントを握りしめる。だが、この侵食されるほどの寒さが、逆に彼らの士気を燃え上がらせているようにも見えた。


 


「にしても、闇組織が鏡の余波を利用して好き勝手やってると思うと、腹立つわ。仕掛けてくるなら堂々と来なさいよ」


 ミオがガチガチと奥歯を噛み締めて言うと、ゼオンが心底楽しげな調子で同意する。


「そうそう。こっちも試作品の術式がお披露目できるから、ある意味ワクワクなんだよね」


「呑気すぎてゾッとするわ。まあいいわ。私たちも本気で対応するだけよ。あいつらに盛大なざまぁをくれてやりましょう」


 その勢いに、フィリスもはっと息をのみ、声を張り上げる。


「うん、やってやろう。もしまた鏡が暴れ出しても、今回こそ抑え込むわ。私の血が変に暴発しないように気をつけるから・・・頼むわね」


 言葉に決意がこもっていて、小さな雪の結晶が彼女の睫毛に舞い落ちても融けないほどの熱が感じられた。


 


 そうして足音は重なり、吹雪の渦を割るかのように行軍が進んでいく。看守塔はこの先、凍りついた湖のほとりにそびえ立つという。誰もがざわめく胸の内を抱えながら、それでも前へ進む。


 激しく舞い上がる雪の粒が、あたかも隠された陰謀と罠を象徴しているかのように思えてならない。それは大いなる不安と同時に、高揚と興奮をも孕んだ光景でもあった。


 


 凍結湖への道は長い。だが、無駄を一切感じさせないセシリアの配置があれば、一行の足並みはすこぶる順調だ。その事実を、彼女だけが自覚していないのがまた皮肉に思える。まさに切れ者はこういう女性を指すのかもしれない。


 


 やがて湖を覆う氷の端がうっすら見え始めたとき、誰もが低く息を呑み、歩みを止めた。冷たい空気が一層研ぎ澄まされたみたいに肌を刺し、奥にそびえる看守塔らしき影がそこに佇んでいる。鋼鉄のように厳しい静寂が広がった。


 その威容は問いかけてくるようだ。「おまえたちは、本当にここへ来る覚悟があるのか」と。


 


 ミオは、ぎゅっと拳を握り込む。未知の危険が待つとわかっていても、後ろには引き返さない。エラン、フィリス、ゼオン。そしてグレゴリーにセシリア……全員がそれぞれの武器と決心を携えている。


「行きましょう。もし鏡がまた牙をむいたら、その瞬間に一気に叩き伏せる。誰にも邪魔させないわ」


 


 こうして一行は氷の上へと歩を進める。吹きすさぶ雪の嵐さえ、彼らの心を折るには至らない。むしろ、その寒さが新たな熱狂を焚きつけているかのようだ。


 先に待つのは何なのか。闇組織か、あるいはバルバロイの策か。それを確かめるために、いまはただ進むのみ。


 やがて氷面を踏む靴音が、静寂を打ち破るリズムとなって響いた。高揚と恐怖が入り交じる瞬間。誰しもがその感覚に飲まれながら、次へと駆り立てられていく。


 限界寸前の心臓の鼓動が、さらなる嵐の前触れを告げていた。

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