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凍土を破る鏡の幻影2

馬車が城門を離れる頃には、空気は一層冷たく、吐く息が白く舞い上がっていた。


それぞれが必要以上の荷を抱え、結界の暴走という厄介ごとを背負い込む道中は、どう考えても平穏無事には終わらない。けれど、やるしかない。ミオはちらりとエランの横顔を盗み見る。相変わらず呪印の疼きがあるらしく、こめかみには少し汗がにじんでいた。


「本当に無理してない?」

「何だよ、心配してくれるのか?」

「失敗して足を引っ張られる方が面倒だから、言っただけよ」


お互い毒舌らしき調子だが、二人の間にある微妙な信頼は隠しようがない。フィリスは苦笑しつつも、馬車の外をうかがっていた。道中で聞いた“魔力嵐”という噂が気になるらしい。北方砦のそばに青白い閃光が見えたとか、吹雪じゃ説明つかない現象だとか――どれも不穏な話ばかりだ。


ゼオンが興味津々で顔を突き出す。

「早く砦へ着いて観測したいなぁ。嵐の中心には、扉と似た魔術式が潜んでいるかもしれないぞ」

「呑気なこと言ってるわね。一歩間違えれば吹き飛ぶかもよ」

「それもまた研究材料さ」


彼の飄々とした返しに、エランは鼻を鳴らした。

「研究バカは楽でいいな。俺は命のやり取りは御免なんだが?」

「へえ、あれほど喧嘩っ早いくせに何を今さら」


ああ言えばこう言う。ミオは内心、周囲の空気が険悪にならないかと少々ヒヤッとしたが、不思議と二人のやり取りには妙な余裕がある。むしろ睨み合う会話が気分転換になっているらしく、偵察役の騎士たちも「またやってるよ」と苦笑している。


そんな中、セシリアは地図を確認しながら到着予定時刻を割り出し、グレゴリー団長に進軍の合図を送った。彼女の指示は的確さを極め、出立の際はもちろん、道中でも見事に兵と資材を振り分け、隊の混乱を最小限に抑えている。誰もが「セシリア殿のおかげだ」と称賛し、しかし当の本人はきょとんとしたまま「私など大したことは」と首を振るばかり。自分の有能さに全く気づいていないらしい。


二日目の夕暮れ時、やっと砦の姿が視界に入った。荒涼とした平野の奥、厚い雪の壁に覆われたような石造りの要塞だ。かつては王家の隆盛を誇示していたらしいが、今の姿は見る影もなく寂れ、白い息を吐く馬車の一行を迎える気配さえない。


どこからともなく風に混じり低い唸り声のような音が響く。ゼオンは敏感に反応し、魔術装置を取り出しては高速で数値を読み取った。エドワードが派遣した先遣隊も、とっくに到着しているはずだが、門兵の姿はなく、扉は半ば閉じられている。


「こりゃ本格的に人がいないな。まさか跡形もなく消えちまったってんじゃないだろうな?」


エランが笑おうとしたが、その声には明らかに緊張が混じっている。すぐ横でグレゴリーが槍を構え、周囲への警戒を強めた。セシリアが小声で命令書を確認する。「兵が配置されているはずなのに。不可解です」


砦の門へ向かおうとした瞬間、めりめりと雪を踏む音に混じって複数の人影が走り出てきた。その先頭にいたのは、やせ気味の若い騎士だ。携えているのは、王家の紋章が刻まれた旗。どうやら先に到着していた援軍の一部らしい。彼は肩で息をしながら報告を始めた。


「内部の結界に異常が……大広間の鏡が急に光り出し、吹雪なんて問題じゃないほど奇妙な力場を作り始めています。そちらへ近づいた兵たちが体調を崩して……全員、足が動かなくなっているんです!」


一気に場がざわつく。生易しい状況ではない。フィリスは硬い表情で言葉を失い、ゼオンは「鏡が…なるほどね」と燃え上がるように瞳を輝かせ、まるで宝物を見つけた子どものようだ。


エランは微妙に嫌な予感からか、片手を胸の呪印に当てている。「鏡っつーのは厄介だな。扉の闇とはまた別の質が混じってる気がする」


「どちらにせよ、すぐ踏み込むわよ。ここで立ち止まってたら意味ないもの」


ミオがそう声を上げると同時に、セシリアが素早く隊員を二手に分けた。負傷者の回収用組と、砦内部へ進行する先遣組。指令を渡す姿は落ち着いていて、無駄のない采配が次々に下される。


「さすがセシリア、女神みたいに見えてきた」


兵の一人が思わず漏らすと、彼女は本気で驚いたように「いえ、そ、そんなこと」としどろもどろになる。周囲は苦笑しつつ、それでも安心感を得ているようだ。


細い通路を進む先遣組。冷たい空気が鼻を刺し、壁の隙間から奇妙な風が吹きつける。遠くからは波打つような妙な金属音が聞こえてきた。まるで墜落した鐘楼の響きが地下で反響しているかのように……。


やがて通路奥が開け、そこに石造りの広間が現れた。中央にはどっしりした円卓と、大きな鏡が鎮座している。その鏡面はうっすら白く曇り、時おりぴりっと青い閃光が走っていた。フィリスが思わず息をのむ。扉の暴走時と似た不穏な気配が、ぐいぐい腕を引っ張るかのように膨れ上がっている。


「来たわね……」


ぎりっと唇を噛むミオの目に、鏡の奥が不気味に揺れるのが映る。これは術式か、それとも人為的な罠か。どちらにせよ、容赦なく巻き込んでくる危険な力であることに間違いない。エランは痛みをこらえる顔つきで呟いた。


「いいじゃん。とっとと叩き壊そうぜ、こんなもん」


皮肉気味に言いながらも、彼の背筋は緊張で張り詰めていた。少しでも油断すれば呪印が暴れ出し、こちらが先に飲まれかねない。


刹那、鏡面から走った白青い閃光が広間全体を染め上げた。雪と氷の匂いが一斉に強くなり、目に見えない冷気の刃が襲いかかる。すかさずグレゴリーが兵を庇うように体を投げ出し、ゼオンは護符をかざして魔力の流れを捉える。セシリアは瞬時に後方の兵へ撤退指示を伝達し、フィリスは咄嗟の判断で王家の血の力を呼び起こそうとする。


「落ち着いて! 焦ったら負けよ!」


ミオが声を張り上げたその瞬間、鏡の曇りがさらに荒々しく波打ち、まるで砕け散るように光が弾け飛んだ――。


凍りついた広間の底から何が出現するのかは、次章まで誰にもわからない。ただ確かなのは、これまでとは比べ物にならない巨大な渦が、一同をすでに飲みこんでいるということ。今度こそ、後戻りはない。震える心を押さえ、あふれる興奮と恐怖を胸に抱くまま、彼らは鏡の向こうの謎に挑もうとしていた。

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