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凍土を破る鏡の幻影1

「封印が仮に収まってみえるだけで、内側ではどんどん崩れてる感じがするわね」


ミオは離宮の廊下をそっと踏みしめながら、さらりと独り言をこぼした。およそ数日前に扉の暴走を抑えこんだばかりなのに、その影響はまだ王都の空気をざわつかせている。あの地下で感じた禍々しい魔力の残響は消えず、誰かが再び騒ぎを起こすのを待ちかまえているかのようだ。


エランはその横で、胸元を押さえつつ苦々しい表情をしている。呪印が収まらないのだろう。前に大見得を切ったわりに「やっぱツケが回ってきた」とうなだれてくるのが、いかにも彼らしくもあり、少しだけ不憫でもある。


「お前、今にも倒れそうね」

「うるせえな。余計なこと言うと俺、すねるぞ」


皮肉混じりに言い返すエランを、ミオは鼻で笑った。が、その奥には微弱な心配も見隠れしている――面倒ごとを抱えた相棒が、そう簡単に潰れられてはこっちが困るというだけだが。


すると急ぎ足で廊下を駆けてきたのは騎士団長のグレゴリーだ。いつもは沈着冷静な男だが、今は厳めしい顔に焦りの色がにじんでいる。


「北方辺境の砦から救援要請が届いた。古代結界が暴走しかけているらしい。すぐに準備が必要だ」

「ここまだ片付いてないのに、早くも第二ラウンドが来たの?」

「急げ。放置すれば王都まで災厄が広がる恐れがある」


グレゴリーの言葉に、エランは厭味たっぷりな笑みを浮かべた。


「王家が継承だの何だのと足並みそろえてる間に、火の粉がこっちへ飛んでくるってわけか。いいじゃん、わかりやすくて」


その挑発めいた態度に、グレゴリーが呆れ顔で肩をすくめた。だが、全く反論しないところを見るに、彼も面倒ごとが山積みで手が回らないらしい。一方、ミオは指先を軽く踵で打ち鳴らしながら考え込んだ。


扉の封印が完璧とはほど遠い現状に、今度は北方の古代結界の異常? しかも「暴走しかけている」と聞けば、王家的には看過できない問題だ。フィリスも既に準備を始めていて、表情に浮かぶのは決意と不安がない交ぜになった複雑さ。けれど王女としての責務に逃げる気は毛頭ないらしい。


「ミオ様、こちらの書簡をご確認を」


背後からセシリアが駆け寄ってきた。乱れた息を整えつつも、その手には必要な地図や書類がしっかり揃っている。王都から北方砦までのルート、補給地点、それから結界の警戒レベルを示す報告書までぎっしりだ。これだけの量をいつ纏めたのかと感心する間もなく、セシリアは慌ただしげに騎士団員へ指示を出し始める。


「隊列は二つに分け、片方は物資運搬と確認、もう片方が前衛になります。ミオ様、フィリス様、そしてエラン様は先遣隊と行動を。防寒具の確保を忘れないでください」


その見事な采配ぶりに、周囲の騎士や侍女たちが感嘆の声を上げているのも当人は気づいていないようで、「いえ、私は何も」と小さく首をかしげる。傍からすれば「いやいや、十分すごい働きだろう」と誰もが思うわけだが、彼女の有能さはまるで自覚がないらしい。


「さて、派手に行くとするか。怖がってる場合じゃないわね」


ミオは早速、ゼオンに声をかけ、古代結界とやらの情報収集に取りかかる。ゼオンも負けじと「やっと探究の出番だ」と瞳を輝かせ、あれこれと魔術装置を取り出しては精力的にチェックを始めた。エランが鼻を鳴らして「研究バカどもが揃ってよかったな」と茶化すと、ゼオンはさらりと「煽ってくれるなよ、君も実験台にするぞ」と毒舌を返す。軽妙な嫌味が飛び交う中、場にはどこか不思議な熱気が漂い始めていた。


そして、わずか半日足らずの準備で、ミオたちは北への出発体制を整えた。グレゴリーが率いる騎士団は人数を絞り込んだ少数精鋭。スペイラの闇組織を警戒しつつも大々的な布陣は取らず、あえて隙を見せる陽動も兼ねているらしい。荒業にも思えるが、敵に悟られないための策にはなる。


城門前で、馬車と騎士たちが行き交う喧騒にかき消されそうになりながらも、フィリスが小さく息をついた。


「私、王女としてやれることをやる。このまま逃げたら二度と自分を許せないもの」

「その意気。あんたがぼんやりしてたら、またエランが無茶をするんだから」


ミオが軽口を叩けば、エランは憮然として「お前、人をなんだと思ってるんだ」とため息をつく。だがフィリスはふふっと笑みをこぼし、ぎりぎりの緊張を和らげていた。


セシリアの声が響く。遠征隊の各部隊がほぼ揃い、大まかなルート確認を終えたようだ。彼女の的確な指示と行動がなければ、こんなにスムーズに出立できなかっただろう。憔悴しながらそれでも指揮をとる姿は、アリのように勤勉で隙がない。ミオが「すごいわね」と声をかけると、セシリアはほんのり顔を赤くしながら「私などまだまだです」と恐縮する。周囲が「遠慮はいらないのに」と苦笑する中、隊列が城外へと動き出し、やがて凛とした冬の空気が肌を突き刺すように包み込んだ。


砦へ向かう道中、改めて思い知る。扉の封印は暫定的に抑えこんだだけだというのに、もう別の試練が牙をむいている。何やら胸の奥底がぞわつくほどの予感――悪い意味でも、いい意味でも。真相に近づく興奮か、それともさらなる災厄の合図かわからない。だが、立ち止まっている暇はない。


エランが自嘲気味に「今度は俺がもうひと騒ぎ起こすかもしれねえな」とつぶやけば、ミオは同じ調子で返す。


「そのときは助けになるよう努力してあげるわ。ひっくり返るの前提だけど」


ぞんざいにつき放した言葉の裏には、かすかな友情とも呼べるものが含まれている。フィリスは眉をひそめながらも、そのやり取りにくすりと笑った。セシリアは次の予定を頭に詰めこんでおり、すでに異変の報が飛んできても対応できる態勢を整えているようだ。どこから見ても頼りになるのに、気づいていないのは本人だけらしい。


――こうして王都を出発した遠征隊は、凍結した古代結界が待ち構える辺境の砦へと急ぎ向かう。そこには危険が巣くっているだけでなく、もしかすると扉に匹敵する謎が潜んでいるのかもしれない。スペイラかあるいは別の勢力が、暗い爪を伸ばす気配が途切れることはない。けれど今さら尻込みするくらいなら、最初から飛び込めばいい。破滅と破格の興奮が入り混じった大博打に、もはや後戻りはできないのだから。


冷え込む風が真冬の刃となって吹きつけるなか、意を決して進む馬車と騎士たち。エランの呪印が痛むように脈打ち、フィリスの心臓も高鳴り、ゼオンは得意げに魔術理論をまくしたて、ミオはすべてを見据えるまなざしで手がかりを探す。セシリアが指揮の要として目を光らせ、書類と地図を自在に使いこなしている姿に周囲はますます感心するばかり。誰もがやるべきことを抱え、期待と不安を背負い、次の災厄へのカウントダウンを聞きながら猛進する――。


張りつめた空気の中、ミオは唇に熱を感じた。きっと次に襲ってくる波は、これまでの比ではない。それでも、その火花を逃さずに飲みこみ、真実を暴く。そう固く誓いながら、彼女は揺れる馬車の中で小さく笑みを刻むのだった。

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