閉ざされた離宮に潜む狂気と魔術師たちの対峙 5
こっちはボロ雑巾みたいになった身体をひきずっているというのに、離宮の空気だけは凛として冷ややかだ。そのせいで傷の痛みが妙に際立って、生きてる実感なんていらないのに、と思わず膝が笑いそうになる。
入り組んだ廊下を抜け、崩れかけた階段を上がった先――そこはもう屋外の空気が混じってきていて、鼻につく煤と血の臭いが薄まってきた。鬱々しい地下を脱出したあとの開放感には、なんだか背徳的な快感すら覚える。いや、こんな状況で開放感なんか感じてる自分が正気じゃないのはわかってるけど。
「みんな、あと何歩かで外だよ! 倒れるなら外に出てからにして!」
自分自身に言い聞かせるように声を張り上げた。すると、散らばっていたグレゴリーの部下たちも力を振り絞るみたいに頷き合い、瓦礫の山をえっちらおっちら乗り越えてくる。彼らの甲冑は変形し、兜や肩当てに焦げついた痕跡が点々とついてるけど、よくここまで無事だったよね、と素直に感心してしまう。
振り返ると、フィリスが壁を手で支えながらゆっくり歩いてきていた。あの寒気に苛まれていたのが嘘のように、目だけは澄んだ光を放っている。
「あなたが言った通り、生きるには一歩でも前に進むしかないのね」
と微かな笑みを浮かべる様子には、思わずこっちまでほっとしたい気分になる。が、問題はまだ山積みだ。
なにせ、スペイラがどこかで息を潜めてる。しかもあの女、手酷く負けたままじゃ終わらないタイプだろう。ですぐそばには首吊りと焼死の痕跡があれこれ散らばっているわけで。まるでホラー映画よろしく、またゾンビみたいに復活してきても驚かないんだけど。
「さっきは最後っ屁みたいな呪詛を撃ち込まれたけど、まだ薄汚いトラップが残ってるかもね」とわたしが毒づくと、ゼオンが軽く肩を竦めて返事をよこす。
「そうだな。こっちは体力も魔力もぎりぎりだし、あれ以上ごちゃごちゃ仕掛けられたら正直ヤバい。王宮魔術師だって休息は必要なんだよ」
「労わってる余裕あるわけ? わたしもボロボロよ。あんただけ休むとか許さないんだから」
「おやおや、それが君流の優しさかい? 嫌いじゃないよ」
こんな慌ただしい最中にまで軽口を叩ける余裕があるのかないのか、もうよくわかんない。ゼオンの顔に浮かぶ笑みは相変わらず飄々としてるけど、よく見ると汗が滲んだこめかみが震えている。そりゃそうだ、地下結界の魔術をあれだけ強引に破ったんだから、ぶっ倒れても不思議じゃない。
一方エランは、腕輪を握りしめたまま血走った眼差しをしていた。呪印の暴走が収まった一方、彼の中で何かがぐらついているのが伝わってくる。その瞼の奥で、皇帝との契約だか何だかややこしい事情が怪しく蠢いてるんだろう。わたしがじっと見つめると、
「ほら、そんな目で見ないでよ。今はまだ大爆発しないつもりだから」
と弱々しい口調ながらも冗談を言ってみせる。ああ、これがエラン流の回復宣言ね。煙たいけど、こっちも元気づけられる気がするから許す。
そんなこんなで、みんなで傷だらけになりながら屋外に出てみると、かつての離宮はますます半壊状態に近づいていた。天井も一部崩落して、あちこちから瓦礫と砂埃が上がり、周辺にはさっきまで火の手も伸びていたようだ。煙が空に昇る様は、見ようによっては壮観だけど……実際は血生臭い惨状だ。
「ねえ、あれ見て。あの柱の根元……誰かが倒れてる?」
フィリスの声に振り向くと、焦げ跡の隙間に人影が横たわっていた。すぐそばには縄の切れ端も転がっていて、嫌な予感しかない。
傷だらけのグレゴリーが先頭をきって駆け寄る。幸い、そいつは息があるようで、かすかな呻き声が聞こえた。どうやらスペイラの手下の一人みたい。ただ、この場で余計な時間を取られたくはないんだよね。
「そいつから情報引き出すか? あるいは放置でいいんじゃないの?」
尋ねると、グレゴリーが苦い顔をして低くうなる。
「いや…彼があちら側に戻っても状況を悪化させるだけだろう。拘束しておく。スペイラの居場所を吐かせれば、追い詰める手がかりになる」
まあ、それはそうだ。仕方ないから手早くロープを探したら、さっきの首吊りに使われてたっぽい縄切れが転がってる。なにこの皮肉きわまりない状況。もう嫌悪感と笑いが同時に込み上げてきて、自分で自分が怖い。
「燃え残ったロープを逮捕用に使うって、もう魔術師の仕事じゃなくてレスキュー隊か何かだよね」
ぼそっとつぶやけば、エドワードが肩をすくめて苦笑いを浮かべる。
「奇遇だな、王子の仕事ってのも同じくらい多忙だよ。妹を助けだったり、闇組織とやり合ったり――何でもアリだ」
「へえ、なら半分くらい肩代わりしてくれない? わたし、幻の長期休暇取りたいんだけど」
「残念、それは……無理だ。けれど、肝心なところで助力するつもりはあるさ」
王子が見せる微かな意地と優雅さに、こっちが変な気分だ。とにかく、今できることは、ボロ雑巾チームの状態を確認しつつ、スペイラの後を追うかどうか判断すること。命がけで行くなら行くで、最低限の情報は欲しい。
まだ立ち込める煤煙の中で、ゼオンが壁際に落ちている焦げついた書類を手に取っていた。そこに走り書きされた古い文字には、見覚えのある呪式のキーワードが並んでいる。ひょっとすると、この離宮で過去に行われていた儀式の記録かも。
「まるで歴史から抹消された怪異のアーカイブみたいだね。ああ、血なまぐさいものばっかり嫌になる」
呆れたようにゼオンがぐしゃりと書類を握ると、その破片が灰にまみれて散っていく。けど、そのほんの一端でも手掛かりになりそうだ。
視線を移せば、フィリスが膝をついて地面に手をついている。苦痛かと思って駆け寄ると、彼女の唇からは静かな言葉がこぼれた。
「わたし……きっと、まだこの“血”に振り回される。でも、それでも前を向くって決めたの。もう嫌でも、逃げてばかりいられないから」
そう言った顔は、滲む涙をこらえながらも固く意志を宿している。思わず口を挟むのが野暮に思えるほど真剣だ。エランも黙って視線を交わしている。こういうときは温かい声をかけるのが定番シーンなのかもしれないけど、わたしはあいにく気の利いた言葉を持ち合わせてない。だから、ただそっと彼女の肩を叩くだけにしておいた。
その後、地下で仕込まれていた低級な呪詛の影響が完全に消えたかどうかが気になるけれど、周囲の空気は僅かにクリーンになった気がする。生き残ったみんなが何とか動けるのを確認して、やっと一息つく瞬間がやってきた。
「さて、こっからが本番かもしれないわね。スペイラがやらかした事なんて氷山の一角に過ぎない気がするし、首吊りと焼死ばっかじゃ芸がないでしょ。次はどんな地獄絵図を用意してくれることやら」
場違いだけど、口元に悪い笑みが浮かぶ。“最悪”に惹かれる探究心が止まらないんだから仕方ない。
エランが苦笑しつつも言う。
「ほんと、君はまるでアドレナリンジャンキーだね。僕も人のこと言えないけど、よほど怖いもの知らずなんだね」
「何をいまさら。もう身体じゅう痛いし、精神もギリギリだし、それでも先に進むしかないってところよ」
こんな狂気と背中合わせなやり取りができるのも、既に常識の枠から外れちゃってる証拠かもしれない。けど、それを否定するほどのお行儀は持ち合わせてない。ここに来てしまった以上、徹底的に乗り越えるしかないんだ。
黒焦げの離宮を後にしつつ、わたしは再び内部へ踏み込む足を止めない。極限状態だろうが、怖いもの見たさと怒りと興味と――いろんな感情が混ざり合ったこの感覚を、もう湧き上がるままに受け止めてやるのだ。首吊りや焼死みたいに最悪な凶行がまだ眠っていても、スペイラがどんな暗黒プランを抱えていようとも。
「さあ――地獄がどこまで続くのか知らないけど、わたしたちは終わらせないとね。何があったって、二度も三度も逃げ出すつもりはないわ」
わざと張り詰めた口調で言うと、周囲のみんなが同じように荒い呼吸を整えながら頷いた。もう勇気とかやけくそとか、そんな言葉じゃ言い表せない血潮が、この離宮の夜気と混ざり合って燃え上がる。
死人とホラーと陰謀の三拍子で、正直お腹いっぱいだけど。だけど、この戦慄と興奮が脳を支配して、後戻りできないのがまたたまらない。どうせなら、凶暴な結末もとことん味わってみようじゃないか。わたしは片手を高く上げ、暗闇の奥へ挑むように歩み出した。視界の先、ドクドクと鼓動に合わせて赤黒い残光が揺れている。
――まだまだ、ここからが勝負だ。




