狂い咲く魔術の迷宮と血の系譜 5
やっと地上に戻ったのはいいけれど、外の寒気が肌に染みる残酷さったらない。疲労と砂埃まみれの体をさらしてるのに、この冷気は追い打ち以外の何物でもないわ。騎士団の面々がばたばたと目に見えて消耗してるのもムリない。地下書庫での惨劇は思い出すだけで背筋が冷えるぐらいだし、それが全部片付いたわけでもないのだから。
「ほら、そっちの通路塞いじゃダメ! 負傷者通すんだから早く寄りかかり先を替えてよ!」
まだ現場整理に必死な騎士たちを見つけて、思わず声を荒らげる。一度大崩落した場所だから、せめて怪我人は安全な位置に移動してほしい。わたしだって休みたいけど、そんな余裕あるはずもなく。
ふと視線を巡らせると、エランが壁に寄りかかって小さくうめいている。腕輪から滲む闇の印がじわじわ広がってるようで、見てるこっちが気が気じゃない。でも、あのひと美形のわりに瞬間的な体力はあるんだよね。どんなにボロボロでも辛うじて倒れないのが大した根性。そのぶん、こちらははらはらしっぱなしだけど。
「調子はどう? まだ呼吸できる?」
ため息交じりに尋ねると、エランは苦笑いを浮かべて一言。
「君の皮肉は相変わらず耳にしみる。大丈夫、もう少しだけ意地を張っていられそうだ」
うーん、それって大丈夫じゃないやつ。半端な冗談言う余裕があるのかないのか、判別が面倒くさいわね。まったく、いっそ素直に「助けて」って言ってくれればいいのに。
一方で、フィリスは瓦礫の山から拾い集めた布切れで腕を包み込みながら、必死に歩き回ってる。さっきまでは激痛に顔をしかめてたのに、なまじ自分の力を制御できたのが嬉しいらしくて、目はぎらぎら輝きっぱなし。これまではただ隠れて震えてた子が、いまじゃ逆に危なっかしいレベルで「私もやれる!」って燃えてる。うん、いい変化だけど、ほどほどにしておかないと過労と暴走のダブルパンチが来るわよ。
「無茶しないで。せっかくその力をなんとか御せるようになったんだから、不用意に振り回さないでちょうだい」
わたしが注意すると、フィリスは汗だくの顔を拭いながらこくりと頷いた。その表情は以前の弱々しさとはなんだか違うんだけど、妙に危なっかしい魅力を帯びていて、少しだけ胸がザワつく。人間、変わるときは一気に変わるものだ。
そして問題の地下書庫の方はといえば、騎士団が今も引き上げ作業と被害状況の確認を続けていて、へとへとになりながら「なんてこった!」を連呼してる。魔術道具やら古文書やら、けっこう大事なものが盗まれてるらしい。しかも、どれが神経を逆なでするほど危険なアイテムなのか全部は把握できてないんだって。そりゃ頭が痛いわよね。あんな大バトルの最中に持ち去られた物が、まっとうな用途に使われるわけないし。
「あーもう最悪。スペイラめ、やることだけやって逃げ足の早い女だわ」
わたしが舌打ち混じりに毒づくと、横でゼオンが笑うでもなくため息をつく。
「彼女らの狙いはまだ序章に過ぎないだろう。実験材料を得て、さらにやばい術式を完成させるかもしれない」
なんてことをさらりと口にするから、また胃が痛い。まったく、先の見えない鬱展開を提起するんじゃないわよ。そりゃ、わたしも多少は覚悟してるけど、こうもあっさり言われるとテンションだだ下がりだわ。
「結局、封印術の核心部分も完全に守れたわけじゃない。もしかするともっと大規模な儀式が準備されてるかもしれない。そう思うと落ち着いて眠れないわ」
愚痴をこぼした瞬間、どこからともなく砂ぼこりをかぶったグレゴリー隊長がやって来て、わたしの肩をどんと叩いた。
「だからこそ我々はこれから先、警戒と捜査を徹底する。そっちはそっちで、封印術の真髄とやらを解き明かしてもらいたい」
いきなり急かすんじゃないわよ。こちらも休む暇なんてないのは百も承知だから悔しいけど何も言えない。はいはい、わたしが調べりゃいいんでしょ。ちぇっ。
しかし、そのノルマはそう簡単じゃない。そもそもあの地下書庫、結界が破壊されてどこもかしこも風穴だらけ。残存する魔力がへばりついてるせいで、ろくに立ち入れない区画もある。そこにしか残されていない文献もあるはずで、完全に調査することは時間も手間もかかりそう。わたしの文句を聞いたフィリスが、つられて口を挟む。
「私も役に立ちたい。地下書庫を調べるのなら、一緒に行かせて」
その言葉は頼もしい反面、心臓に悪い。あの子は自分の血にひそむ力を引っ張り出すとき、まだ命を切り売りしてるような危うさがあるのだ。そんなに簡単にオッケーできるわけないでしょ。でも断っても、もう彼女が引き下がるとも思えない。
「勝手に燃えて倒れなくても知らないわよ。わかった、でも無理はしないって約束して」
神妙そうなフィリスに、わたしは強めに言い聞かせる。すると彼女はまるで嬉しさを抑えきれないみたいに、かすかに笑みを浮かべた。もー、どんだけ前向きになっちゃってるのよ。
その横でエランが苦い顔をしているのを、わたしは見逃さない。彼がちらりと視線を落とした先には、まだ脈打つ黒い呪印がある。まるで魔物の心臓みたいにじわりじわりと拡張して、エラン本体の力を蝕んでいるらしい。正直いって止め方が分からない。皇帝と結んでいる契約がどんなもんなのか、わたしも聞き出せず仕舞いだから、迂闊に手も出せないのだ。
「どうにかならないの? あんたのその変態的美貌とタフさで押し通すのは、さすがに限界でしょ」
わたしが毒舌気味に問いかけると、エランは困ったように微笑むだけ。まったく、隠し事多いわね。まあ、この人に無理矢理突っかかるとろくでもない目に遭うのは学習済みだから、いまは静観しておくか。彼自身がいちばん苦しんでるのは見りゃ分かるし。
仕方ない、最大限に動けるものが動くしかないわ。闇組織の次なる一手を探りつつ、地下書庫の封印術を研究して、フィリスの暴走リスクを管理して、エランの呪印問題も調べる。あれ、それで手が足りるの? 破綻してるじゃない。しかもスペイラの狙いがもっとでかいのなら、一刻たりとも暇なんてない。ああ、思い浮かべただけで頭痛が増してきた。
「ま、やるしかないわね。どうせ放っておいても向こうから厄介ごと押し寄せてくるし。それならいっそ、全力で迎え撃つ方が性に合ってる」
こう宣言すれば、不思議と気持ちが軽くなる。騎士団のばたばたした足音、瓦礫撤去の怒号、そして救助されてる負傷者のうめき声……どこをとっても最悪の状況だけど、そのぶん燃える要素ばかりだし、凶悪な刺激は大好物よ。もちろん冗談半分、死にたくはないからちゃんと準備はするけど。
空を仰げば、黄昏の色が街並みに滲んでいる。灰色に沈む雲が、まるで次なる嵐を連想させるようにゆっくりと流れていた。ここで尻込みするなら、そもそも魔術研究なんて無理な話だし、悪役令嬢もどきとしての生き方を選んだ意味だってない。
「さ、騎士団に場所を借りてまずは情報整理するわよ。フィリス、あんたも来なさい。エラン、あんたは……できればくたばらない程度に協力して」
わたしの言葉に、あの美青年は静かに肩をすくめるだけ。もしかしてかなりキツいのを耐えてる? まあ、自分の限界は自分がいちばんわかってるはずだから、ここではあえて声をかけないでおく。意外とプライド高いんだから、あんまり構われてもうざがるでしょ。
わたしは地下書庫の方向へと一度振り返り、壊れた石段の奥に暗闇の残像を見つける。さっきまでの死闘が幻だったとは思えない。抜け殻のように立ち尽くす封印の断片から、冷たい風が吹きこぼれてくるのを感じる。
――まだまだ事件は終わらない。乗り越えたはずの壁は、じつは序章だった。けれど、こうした危機の連続が、わたしを貫く意志をさらなる高さへ押し上げてくれる。デタラメに見えて、これがわたしの生きる道。ならば胸を張って突き進むしかないわ。
「それじゃあ、地獄めぐりの続き、もうちょっとだけ付き合ってもらうわよ。喜びなさい」
背後にいる皆に向けて皮肉半分の言葉を投げかけ、わたしはにやりと笑った。血と呪印と封印術、そして世界を揺るがす闇組織の企み。どうせ山ほど難題があるんだから、一個ずつ潰せばいい。それがわたしたちの“次のスタート”なんだから。やれやれ、また大きな波が押し寄せそうだけど、覚悟とカタルシスはセットで味わうのが醍醐味ってやつよね。さあ、めくるめく次の悪夢をどう料理してやろうかしら。