狂い咲く魔術の迷宮と血の系譜 2
まるで迷路の奥から、さらなる迷路がいくつも派生しているみたい。隠し通路が次々に見つかったって報告を聞いたときは、さすがに鳥肌が立ったわ。そもそも書庫の構造がもうとっくに複雑怪奇なんだから、これ以上ややこしくしないでほしいのだけれど。ずいぶんと手の込んだ仕掛けを残してくれた闇組織様に、ここは素直に拍手でも送ってあげようかしら?
「なんだよ、その顔。あんまり驚いてないみたいだな」
不意にエランが斜め後ろから声をかけてくる。振り返れば、呆れにも似た表情でこちらを眺めているじゃないの。なるほど、びっくりして絶叫でも上げると思った? ふふ、悪いけどそうはいかなくてよ。前の一件で肝は据わったからね。
「ちょっとは驚いてるわよ。でも世の中、それ以上に呆れることが多すぎるんですもの」
口先でそう言ったものの、わたしだって内心はかなりヒヤヒヤしている。真っ暗な地下迷宮、どこそこに点々と張り巡らされた不気味な結界、それだけでも十分に嫌な予感をかき立てるのに。さっきから、闇に溶け込むようにぎしぎしと軋む音まで聞こえてくるんですけど? おまけに何かが盗まれた形跡もあるとか。希少な魔術書だけじゃなくて、高位の封印具までもが丸っと持ち去られたらしい。ろくでもない予感がしないはずないじゃない。
すぐそばではゼオンが額に手を当て、管理官らしき人にしきりに苦言を呈している。どうやら闇組織の侵入を許した管理体制に問題があっただけでなく、内部の誰かが手引きをしていた可能性が高まっているとか。ほらね、やっぱり人間関係って最強に胡散臭いわ。
「内部犯がいるって、まさか。おい、気をつけろよ、変なヤツに近づくんじゃないぞ」
エランが自分の外套をぐいっと引いて、わたしの腕を軽く押しやる。その強引さに、思わず「はあ?」と返しそうになる。子ども扱いはやめてくれないかしら。でもまあ、その過保護っぽい振る舞いに嫌悪感だけじゃなく妙な安心感を覚えるのも事実。ちょっとだけ“ここで倒れたら怒るわよ”って気持ちになってくるから不思議よね。
書庫の通路を進むたび、嫌な視線が背中をなぞっていく。誰のものかは定かじゃないけど、この一帯の空気が狂気のように満ち始めているのは確か。脈打つような魔力の波がどこからともなく感じられるし、そもそもそんな波動があすこにもこっちにもあるなんて、多すぎでしょ。一体どれがフィリスの力と呼応してるんだか。
……そう、フィリスの赤い痕だ。あれが妙に活発化しているって話を聞いたときは、さすがに背筋が凍ったわ。あの子自身も制御しきれないほど、魔力が暴れ始めているらしい。あなたたち、いい加減フィリスをそっとしておいてくれない? いや、むしろ守るためにわたしが手を出さなきゃいけないのが現実なんだけど。ああ、面倒なことが大好きな連中だらけね。
「団長がそっちを固めてるらしいけど、それでも安心はできないわ。どこから侵入してくるかわからないんだから」
書棚の陰で顔を顰めるわたしに、ゼオンが淡々と報告を続ける。どうやら今回は騎士団長グレゴリーが自ら隊を指揮して、地下の各出入口を封鎖中らしい。でも、はたしてそれだけで全ての隠し通路を押さえられるのかは疑問が残る。何しろ、こんな場所からぞろぞろと穴が見つかっているんだもの。
「おやおや、書庫の仕事は書物の管理だけじゃないってことだね。魔術士ってのも大変だな」
と、エランが冷笑交じりの口調で場を茶化す。ゼオンが無言のまま肩をすくめたのは、反論するより現状を優先しているからだろう。静かだけれど鋭い視線が先の暗闇を睨んでいるのがわかる。確かに、わざわざ口論してる場合じゃないものね。ここに敵が潜んでいる以上、おしゃべりなんか余裕ない。
「どうせ、すぐに見つかるさ。俺が全部叩き潰してやる」
あら、さっきからずいぶんと勇ましいことを言うじゃない。護衛を買って出るのは結構だけど、あなた一人で無茶しないでくれる? 適度にわたしたちに頼ってくれたっていいのよ。
「ミオ、それからエラン。もし奴らが儀式紛いの準備をしているなら、上手く攪乱してくれ。僕はフィリス関連の本を死守する」
わかったわよ、ゼオン。こっちだって腕がなるってもの。逆らうつもりはないけど、内心では“魔術師ってほんと研究バカ”なんだからと呆れ気味。一歩間違えたら大惨事になるのに、それでも魔術書が大事なのね。
ふと、書棚の角を曲がると、妙な声が聞こえた。高い声の悲鳴と、低く押し殺した呻きが混じり合っている。様子を探りに少し近づこうとした瞬間、エランがさっと腕を伸ばして止める。
「向こう側、たぶんさっき言ってた連中じゃないか。慌てて突っ込むなよ」
「──わかってる。そっちこそ一人で先走る気じゃないでしょうね?」
わたしが言い返せば、エランはわずかに悔しそうに口をつぐんだ。どうやら図星みたい。ほんと、いつも自分だけで何とかしようとするから困るわ。
慎重に二人で書棚の合間を覗くと、恐れていた光景が広がっていた。黒ずんだローブに身を包んだ数人の男たちが、手にした封印具をガチャガチャと操作しながら、何やら練り上げている模様。そのうちの一人が、足元に倒れている無力化された魔術師に向かってドスの効いた声で言い放つんだから、聞いていてうんざりする。
「やはり内部から弱らせたのが正解だな。へっ、これで“王家の血”は完全にこっちのものになる」
──そういうセリフはせめて人に聞かれないところで言えば? わたしは深いため息をつく。まあ、これで何が狙いかは決定的になったけど。
視線を交わすまでもなく、エランとわたしは動く。まずはわたしが結界を歪める術式を阻害するために、細かい呪文をいくつか頭の中で唱え始める。魔力の糸をからげて、奴らの封印具に干渉しようってわけ。もちろん、阻害された相手が抵抗してくるのは百も承知だけど、そうでなきゃ面白くないでしょう?
同時にエランが棚影から飛び出し、一人を後ろから蹴倒した。よくそんなに華麗に飛びかかれるわね、と感心するほど俊敏。闇組織の男が悲鳴を上げるのと同時に、もう一人があわててこちらに振り向いたけれど遅い。わたしの術式に引っかかった封印具がビリビリと軋む音を立てて壊れかけ、それに伴って結界の一部が崩れていく。
「くそっ、邪魔をするな!」
ローブの男が睨んでくる。それはこっちのセリフだっつうの。だけどその瞬間、埃まみれの床を転がっていた黒い石がぴくりと動き、激しい光を放った。駄目、またキナ臭いものが発動しようとしてる?
わたしはすかさずエランのほうを見る。彼も状況を察してか、すでに手を伸ばしながらこちらに走って来ていた。 けれど、黒い石の光は一瞬のうちに膨れ上がり、耳をつんざく衝撃波を巻き起こす。弱い結界がバリバリと砕け、視界がごっそり奪われるほどの粉塵が舞い上がった。
「ミオ!」
すぐそばでエランの声がする。まずい、勢いで焦げ臭い気体まで吸い込んじゃったじゃない! 苦しさに咳き込みながら、わたしはエランの腕を探るように掴んだ。彼の体温を感じた瞬間にほっとするのは、ちょっと悔しいけど仕方ない。闇組織の連中もまだ完全に倒れてはいないらしい。ごほごほとむせ返りつつ、わたしは上着の袖で口元を覆った。
爆散の衝撃が引いていくと同時に、あちこちから金属音やうめき声が聞こえる。どうやら作りかけの結界が逆流し、連中同士を巻き込んだ形になったみたい。うん、状況としては悪くないわ。この隙に一掃してしまえばいい。わたしが立て直そうと身構えたところへ、足音を弾ませながらゼオンが駆け寄ってきた。後方の扉のほうも騎士たちが急いで駆け込んできている。
「ミオ、エラン、無事か? 今の光、フィリスの赤い痕に反応しかねない。気をつけろ!」
ゼオンが叫び終えるより先に、遠くの通路からかすかな振動が伝わってきた。まるで大地が鼓動しているみたい。本気でフィリスの魔力とシンクロしかけているの? もう、やめてって言いたいくらい嫌な胸騒ぎが続くわ。
「結構ハードな展開じゃない。でも、こんなの想定内よ」
顔を押さえながら呟けば、エランがなぜかニヤリと笑う。さっきまであんなに焦ってたくせに、どうして楽しそうなの? ──でも、わからなくもない。この緊迫感こそが、わたしたちを奮い立たせる理由でもあるから。スリルは最大のスパイスよ。オタク女子だって、波乱万丈な展開には滾るものがあるんだから。
わたしは改めて息を吸うと、粉塵の向こうで立ち上がろうともがく闇組織のローブ連中を睨み据えた。目の端には、黒い石のかけらがまだ立ち上る光を放っているのが見える。それをどうにかしないとフィリスが危ない。内部犯の存在もまだ晴れていない。問題が津波のように押し寄せてくるけど、構ってられない。大丈夫、徹底的にやるまでよ。
「行こうか、エラン。ここからがクライマックスの始まりじゃない?」
最深部まで踏み込まなきゃいけない理由がまた増えてしまったけど、こんなドキドキを無視しては物語にならないでしょ。あなたもわかってるでしょ? これから先、さらに激しく心を揺さぶるクライマックスが待ってるって。
だから、息を切らして駆け出すわ。混乱にまみれた地下書庫のど真ん中を突っ切って、闇組織の企みも、フィリスの暴走の芽も、すべて叩き潰すために。こんな状況こそ──わたしの好奇心が最も燃え上がる瞬間だから。
さあ、まだまだ乱舞は続くわよ。次の爆発音にも負ける気なんてさらさらないんだから、覚悟しておいてね。もし読むのが怖いなら、ぎゅっと物陰に隠れててもいいわ。でもそれじゃ勿体ない。あなたも一緒に、このハラハラを味わってちょうだい。わたしとエランの“暴れっぷり”がどれほどのものか、とくとご覧あれ──ここから先はギリギリの快感とカタルシスの連続になるんだから。誰にも文句は言わせないわ。