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暁を乱す契約と朽ちし王冠 5

正直、もうひと山越えたらぐっすり眠れるかと思ったのに、人間の希望ほど当てにならないものはないわね。赤い痕の暴走が終わったかと思いきや、今度は式場のあちこちで煙やら崩落の音やら騎士の怒号やら、ロクでもない残響がしぶとく続いている。うんざりしつつも、わたしはフィリスの肩を支えながら、とりあえず生存確認だ。


「呼吸は大丈夫?」

小声で尋ねると、フィリスははあはあと浅い呼吸を繰り返しながらも短くうなずいた。その瞳にはかすかな光が残っている。もう二度と闇に飲まれない、そんな強い意思が見え隠れしているのが救いだ。周囲の兵士や侍女が慌ただしく駆け回る中、彼女の肩に回すわたしの手にも思わず力がこもる。


「はい、はい、壊滅的大惨事でもまだ婚礼を続行したい奇特な人、いるかな~?」

やけに明るい口調で毒を吐けば、宙を睨んでいたエドワードが苦い顔で深く息をついた。何もかも破綻しちゃったのに「どう挽回する」と詰め寄られても気が遠くなるだけでしょう。予想通り、王宮関係者の血圧が限界を迎えつつあるのが手に取るようにわかる。


「無理に取り繕わなくていい。国同士の同盟とか難しい話は、頭の偉い人にお任せよ。わたしたちは命あってのものだねだから」

わたしの突き放し気味な言葉に、エドワードは反論しそうになりかけたが、その口をぐっと噤んだ。意地悪いけれど、わたしなりの優しさだ。今は中途半端な慰めより、お互いハッキリさせたほうが気が楽でしょうに。


一方、エランはというと、広間の隅で崩れかかった柱にもたれ、顔色がまるで死人みたいに青ざめている。一瞬、また拗ねてるのかと思ったけど、その腕にはうっすら血が滲んでるじゃないの。わたしは思わず目を見開き、フィリスをゼオンに預けて急ぎエランのもとへ向かった。


「ちょっと、だいぶヤバそうだけど大丈夫?」

そう声をかけると、エランは少しもったいぶった仕草で首を振った。いつもの“くせに”このダメージ具合は深刻そうだ。先ほどの力の解放が相当に身体へ反動を与えたんだろう。


「見ないでくれ、みっともない姿は好きじゃない」

などと強がるもんだから、余計に突きたくなるこの意地悪心。だけど今回は悠長にからかっている場合じゃない。わたしはさっさと彼の傷口を確認し、すぐに簡易的な手当てに移る。医術と魔術の併用は難易度が高いけど、今さら嫌とは言っていられない。


「もう、傷口抑えて! あなた、本当にしゃれにならないのよ?」

血と汗で滑りそうなエランの腕を掴みながら、わたしは魔力の流れを整える。すると、彼の眉が一瞬ひきつるように歪んだが、すぐに呼吸が落ち着いていくのがわかる。どうやら効果あり。


「余計な手はかけさせないって言いたいけど、頼ってくれるならもうちょっと素直に甘えてもいいんじゃない?」

彼はかすかに唇を噛みながら、睫毛を伏せたまま視線をそらす。ああもう、この微妙な意地っ張りが逆に可愛い──じゃなくて、とにかく手早く治療を終わらせるわよ。


治療の間、ちらりと視線を伸ばせば、フィリスがゼオンやグレゴリーに囲まれながらも黙々と大広間の落ち着きを取り戻そうとしているのが見えた。崩れ落ちた花壇や焦げ跡の残る床を気にかける余裕なんてないはずだが、震える足で立ち尽くすだけじゃなく、周りに声をかけ、負傷者がいればすぐ介抱するよう指示している。まるで、さっきまでのか弱い王女ってイメージを塗り替えるかのような、毅然とした態度だ。王宮の者たちも驚いているみたい。目を丸くして、あの子を“ひとりの王女”として意識し始めているのが手に取るようにわかる。わたしはこっそり笑ってしまう。


「さて、とりあえず応急処置は終わった。あとは大人しく安静にしてれば助かるわよ、エラン」

包帯代わりの布をギュッと締めると、エランが小さく肩を上下させた。どういう感情なのか測りかねるけど、その目が一瞬だけわたしの方へ向いたとき、あきらかに“もっと俺を見てくれ”って叫んでるように感じる。まるで大きな犬のようにうるうるしてる目。はいはい、そっちがその気ならいくらでも面倒みてあげるけど、後でちゃんと借りを返してよね。


「フィリスはどうするんだ?」

低い声で尋ねられて、わたしは目を細める。あの子は目の前で、今まさに“王家の血”を自ら御する覚悟を決めようとしている。けれど状況は完全にめちゃくちゃ。十中八九、婚姻話は破談決定だろう。隣国貴族もショックどころじゃないはず。スペイラという厄介者までが姿を消し、次にいつどこで仕掛けてくるやら。


「どうって、決めるのはあの子自身でしょ。わたしは適当に背中を押すだけ」

にやりと返すと、エランはわずかに眉をひそめてから、再び横を向く。何を言いたいかはわかるよ。これだけの大事になったんだ。政治的な責任も何も全部投げ出すような無責任にはなりたくないし、わたしだってそう。だけど、まずは生き延びたことを万々歳としましょうや。


そんなこんなで、大広間の中枢部には、疲れ切ったフィリスの姿がある。周囲はがれきと破壊の惨状。豪華絢爛だったはずの装飾は見る影もなく、うんざりするくらい焦げくさい。でもその真ん中に立つ彼女は、まるで新しく芽吹こうとする若木みたいだ。


「まだ終わったわけじゃない、だよね?」

フィリスの一言に、ゼオンが微妙に笑みを浮かべる。まるで「やられたわ」とでも言いたげに。グレゴリーもやれやれと手を振っているが、その後ろ姿にはどこか満足げな色が混ざっている。エドワードは深刻な面持ちであちこちに指示を出しつつ、フィリスの新しい在り方を見届けるように視線を投げ続けている。


「ええ、まだまだよ。ひょっとしたら今回なんて序章の終わりくらいかもしれないわ」

わたしはくたびれた体を伸ばしながら、大きく息をつく。さっきまでの修羅場に比べれば、今の静寂なんて甘い甘い。どうせこの先に待ち受けているのは、もっと派手な混乱だろうから。スペイラは逃げた。その封印術を逆手に取る技をどう完成させるのか、もう考えただけで胃が痛い。でも、そんなわたしたちをきっと絶望と興奮の両方が待っているに違いない。


「よーし、それじゃわたしもまだまだ忙しくなるわね」

わたしが宣言すると、フィリスが疲れた顔で苦笑する。エドワードやエラン、他の連中もこっちを見ている。王宮の威信が大ダメージを受けようが、外部と揉め事が増えようが、知ったこっちゃない。わたしの好奇心は止まらないし、彼女の意思は今や確固たるものだ。


その姿を眺めながら、わたしは心の底でゾクゾクとした期待に震えている。いいわね、どれだけ最悪な裏切りが来ようと、わたしはこの先を見届けてみせる。破壊された婚礼の残骸を踏みしめつつ、改めてそんな決意を固める。皆さんも途中退場はナシよ。どうせなら最後までハラハラさせてあげるから。


「じゃあ、次の幕までしばし休憩。ほんのちょっとだけよ?」

そう呟いて、わたしは控えめに微笑むフィリスの手を引く。薔薇も散ったこの場所で、今度は何を見どころに仕立て上げてくれるのか。思わず期待してしまうじゃないの。こういうのこそが醍醐味でしょ。どうせやるなら派手に、最後まで。わたしが見守る限り、まだまだ物語は続いていくんだから。

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