暁を乱す契約と朽ちし王冠 1
目の前にある、お偉い方々の公文書――フィリスの“おめでた話”を認める証書などという代物――をちらりと見た瞬間、正直言ってわたしは噴き出しそうになった。だってどう考えても普通じゃないでしょ、こんな急ごしらえの政略結婚。おまけに本人には碌な相談もなく、まるで用意した舞台へ突き落とすかのような強引さ。陰謀のにおいがぷんぷん漂ってる。
「お嬢さま、ご母堂からも正式に祝電が届いておりますが…」
知らせに来た侍女がどこか気まずそうに言う。その眉尻が下がり切った様子が、すべてを物語っていた。祝うというより、無理やり押しつけられた婚礼を外堀から固めてる感がありあり。フィリスのもとに押しかける同盟貴族やらなんやらの顔ぶれも、ちょっとした見世物みたいになってたからね。
「本人が嫌がってるのに、よくもそんな能天気に“おめでとう”が言えるよね」
皮肉っぽく呟いてしまい、侍女はヒッと息をのんだ。わたしの声が冷たすぎたかもしれない。まあ仕方ないか。ここ数日、心の余裕なんてカケラもないんだから。
紙片をぺらりとめくりながら、わたしはひそかに舌打ちした。案の定、フィリスの婚姻相手は隣国のえらく高圧的な伯爵家らしい。噂によると、王家の血を継ぐ花嫁を得ることで大きな権力を振りかざそうとしている、なんとも分かりやすい野心家だ。まんまと“お宝”を手に入れ、王国内で一定の発言力を確立する算段なのだろう。
「そんな胸糞悪い輩に、あの子が嫁ぐなんて…ありえない」
わたしが苦々しくつぶやくと、湯気の立つ茶杯を手にしたゼオンが後ろからひょいと顔を出した。前髪から覗く目が妙に鋭い。どうやら彼もこの話を耳にしたばかりらしく、そうとうご立腹のご様子。
「あのさ、王家や貴族たちの画策は分からないでもないけど、フィリスには“王家の血の力”という爆弾があるわけだろ? こんな強引な結婚で暴走したらどうするつもりなんだろうね。あの伯爵家もそこまで頭回ってないんじゃないの?」
「だろうね。本人どころか国中を巻き込む大騒動になりかねないってのに」
しかも外部に“血脈情報”が盛大に漏れてる可能性も極めて高い。わたしは内心で嫌な予感が膨れ上がるのをひしひしと感じながら、ゼオンが差し出してくれたお茶を啜った。ほろ苦くて温かい香りが、いっそう苛立ちを掻き立てる。
そのとき、部屋のドアが乱暴に開かれ、エランがずかずかと入ってきたのだ。まーた何かしら虫の居所の悪そうな雰囲気をまとっている。見た目は相変わらず天使級の美貌だけど、背負ってるオーラはまさに死神か何かのようだ。
「ミオ、いたか。探したよ」
「探さなくても、いつもどこかにいるでしょうに」
あきれ半分で返すと、エランは目を伏せ、唇を噛んだ。あれ? いつもの子どもっぽい拗ねとは違う。もっと深刻そうに見える。
「フィリスに、婚姻の支度を早めるよう正式通達が来たそうだ。皇帝は“有能な花嫁を渡せ”って言ってるけど…正直、納得いかない」
その声音には苛立ちと焦燥が同居している。彼は皇帝からの密命を受けている立場だからかなり複雑なのだろう。でも、不満を漏らしてる場合じゃない。わたしたち、もう一日だって油断できない状況下にいるんだから。
「あの子を巻き込む伏線、いろいろ出揃ってきた感じがするよね。すべてを仕組んでる黒幕は、フィリスを何か巨大な儀式の生け贄にしようとしてるのかもしれない」
熱気を帯びていく言葉を押し殺すように、ゼオンがそっとテーブルに紙束を置いた。そこには辺境の村の呪印騒動や、奇妙な羽虫被害の報告書がぎっしり並べられている。どうやら、王家の“血”を断絶させようとしてる勢力か、あるいは逆に解放させようと狙っている勢力か…いずれにしても、わたしの胸が嫌な汗でびしょびしょになりそうなくらい緊迫感がある。
「えーと、危ない匂いしかしない。って言うか、わざとらしいぐらい“婚礼の準備”に合わせて騒動を増幅させてない?」
わざとらしく首をかしげてみせると、エランは苦笑まじりで「僕もそう思う」と言いながら、ほんの少しだけ表情をゆるめた。
「ミオ、まさか飛び込む気じゃないよね?」
「何言ってるの、飛び込むに決まってるでしょ。知的好奇心がうずうずしてるし、たいして時間もない」
法外な無茶をさらっと口にしたら、当たり前のようにエランは眉をひそめる。ほら出た、独占欲丸出しの不機嫌顔。正直、そんなストレートに感情がダダ漏れになる彼を見ると、ちょっとだけ愛らしく思える瞬間もある。まあ、それでムードが和むわけでもないんだけど。
「フィリスを助けるためなら、僕だって何でもするよ。ただ、君は危険すぎる方向に突っ走るから…僕がそばにいないときは勝手に暴れないで」
「はーいはーい、ツンデレさんのご命令承りました」
軽く茶化したら、ぎろりと睨まれた。かわいい。こういうところでしか意地の張り合いができないのが、彼のちょっと面倒くさい魅力でもあるんだよね。そんなわたしたちのやり取りに、ゼオンは呆れ顔で肩をすくめた。
「で、結論としてはどう動く? グレゴリーからは近衛隊を増やすだの、一時的な閉門規制を敷くだの提案があったけど、それじゃ根本的には片づかないと思う」
「そうだね。まず、フィリスを正面から救いつつ、裏で糸を引いてる連中の尻尾を掴む必要がある。最終的には黒幕が全部バレるぐらい派手にやらないと面倒くさいことになるし」
きっぱり言い切ると、ゼオンは「はあ、またとんでもないことになりそうだな」と天井を見上げる。いいじゃない、どうせやるなら派手にカタをつけたほうがスッキリするでしょ。わたし個人としては、フィリスを悲劇の犠牲者なんかにさせたくないんだよ。
その瞬間、バンッと勢いよくドアが開いて、青筋を立てたグレゴリーが姿を見せた。悪いけど、騎士団長さんのこういう登場スタイル、もう慣れっこで笑いそうになる。
「…君たち、政略結婚の一件はもう把握しているな。現状、上層部も混乱していて、隣国の使者が早急に式を進めろと迫っている。だが、わたしはこのままでは危険すぎると思っている」
言葉は厳粛だけど、声には微妙な焦りが混じっている。それだけ事態が差し迫っている証拠だろう。
「わたしたちも同感です。無理やり話を進めるように見えて、何か裏があるとしか思えませんから」
ゼオンがひと呼吸おいて、わたしとエランをそれぞれ見たあと、静かに頷いた。そう、わたしたちはここからが正念場。あの子──フィリス──が自分の意思でこの道を選び取れるようサポートして、いざ核弾頭級の王家の血が暴発しても食い止める。さらに、その混乱に乗じて暗躍する連中を炙り出し、徹底的に追い詰める。忙しすぎて頭が痛くなりそうだけど、やるしかない。
「グレゴリー、多少の荒事も覚悟しておいて。わたしはまた妙な術式を解体する可能性があるし、エランは超人的な『試金石』モードでドカンとやらかすかもよ?」
「そこまで言うなら、腹をくくって付き合うしかないな」
彼は鋭い目つきのまま、しかし以前よりずっとわたしたちを信用している。こういう頼もしさが彼のいいところ。口調の割に情に厚そうだ。
さて、問題はフィリス本人がどこまで覚悟を固めているか。きっと彼女はわたしの到着を待っている。あれだけ怖がりながら、それでも退かずに立ち向かうと決めたんだから。婚礼なんてただの契約書じゃないわよ、そこには人の心がある。王家の血を背負う彼女がこれ以上踏み躙られる前に、わたしが手を打たなきゃ気が済まない。
「行くよ。あの子だって、きっとわたしたちに何か報告したいことがあるはず」
わたしが踵を返すと、エランもゼオンも無言でついてきた。いい感じに連帯感が生まれてるんじゃない? もしかすると近いうちに、とんでもない破局的事件が爆発するかもしれない。なにせフィリスの結婚式は、世紀の大惨事か華やかな祝宴か、表裏一体の危うさを抱え込んでいる。
けれど、その荒波に巻き込まれる予感は、わたしの胸をざわつかせるどころか逆に火をつける。もっと刺激的な謎に浸りたい。だってこのままじゃ終わらないもん。スペイラの暗躍も確実に絡んでくるはず。王家の血がもつ封印を逆手に取ろうとしてるなんて、薄汚い野心に満ちた計画に違いない。
──でも、だからこそ最高に面白い。死線をくぐって手に入れるカタルシスは、きっと甘美な余韻をわたしに与えてくれるはず。フィリスを救いつつ、黒幕の鼻面をひっぱたき、ぜんぶ暴いてやる。そんな乱暴な決意で、わたしは城の石畳を踏みしめた。
「さて、ハラハラドキドキの祭典の始まりね」
誰に向けたわけでもない呟きを残し、駆け出す足取りが軽くなる。それはまるで猛毒の甘い匂いに誘われるような、危うい昂揚感でもあった。いずれにしても、わたしはもう戻らない。次に見る景色は、恐怖と高揚が入り混じった修羅場かもしれない。でも、それが待ちきれない。
──さあ来い、王家の結婚式なんて言う大舞台。わたしが全部、心ゆくまで引っ掻き回してやる。