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深紅の幻影と錬金の迷宮 5

ぐっしょりと湿ったような空気の中、床の焦げた匂いがまだ鼻をつく。残骸と化した錬金装置の周囲を後にしつつ、私は心のどこかで「何かもう一波乱くらい起きそうだな」と薄々感じていた。だって見込み通り、赤い残滓が散らばる床には今だ妙な魔力のにおいが漂っている。まるで別の世界につながる扉が、ほんの少しだけ開きっぱなしになっているみたいで気色悪い。


「あまり近づかないで。残り香だけでもちょっと悪さをする可能性があるかもしれないから」

ゼオンが目を細めて釘を刺し、案の定、手を伸ばしかけていた職人たちが慌てて後ずさった。今回の騒ぎで十分痛い目を見たはずだし、危険への警戒は嫌でも強まるだろう。薄暗い照明の下で散らばった水晶の破片を、みんな恐る恐る掃除している様子が逆に滑稽だ。


しかし、滑稽なんて言ってられないのが現実だ。そこかしこにはまだ、人の意思を嘲笑うような魔力の滴が残っている。それを食らえば次の騒乱が起きかねない。先ほどの赤い暴光が一瞬でも再現されれば、工房としては完全に終わりだろう。


「フィリス、大丈夫?」

思わず髪をかき上げながら尋ねると、壁際に寄りかかっていたフィリスが微かに唇を噛みしめた。額には、いっそう濃くなった深紅の痕がじわりと浮き出ている。見ているだけでぞわっとする程の不気味さ。あれ、どうやって対処したらいいんだろう。薬を塗れば治るわけでもないし、適当な呪式で封じられるとも思えない。


「これ……そんなに目立ってる?」

柔らかい声なのに、どこか押し殺した響きがある。自分でも怖がっているのが伝わってくる。うん、目立つって言うか、いまさら詰めたところで意味ないってくらいド派手に赤い。けれど彼女は逃げなかった。観念して、自ら見据えようとしている。


「正直に言うと、けっこう目立つ。大丈夫じゃない気もする。でも、今はそれを上回るぐらいの覚悟がいるんじゃない?」

そう返すと、フィリスはうっすらと眉を下げたまま小さく頷いた。目に宿るのは確かな決意。自分の運命を嫌と言うほど突きつけられて、もう逃げても仕方がないって理解したんだろうね。お飾りみたいに仕立てられた王女の仮面を引き剥がすのは、さぞ痛むだろうけど。


「無理はするな」と横合いから口を挟んだのは、エラン。低い声には思い詰めた熱が滲んでいる。彼はフィリスを気遣っているようだけど、明らかに私へ向ける眼差しの方が鋭い。なんなのよ、また嫉妬? 私がフィリスやゼオンに気を配ると、すぐに不機嫌そうなオーラをまとうのはやめてほしい。


「私だってそんなに好き好んで危険には飛び込みたくないわよ。まあ、もう少しだけ研究材料と知的好奇心が満たされるなら、余裕で飛び込むけど」

それを言ったら、エランはわずかに目を伏せてから深い息をついた。彼の左腕には、かすかに光る腕輪が埋め込まれている。皇帝から与えられた“試金石”の象徴だとか聞いたけど、その本来の力を完全に見たわけじゃない。何か封印だか契約だか知らないけど、最近その歪みが表に出はじめているようで少し不気味だ。


「君さ、今はまだ平気だと思ってるかもしれないけど、いつか本当に追い詰められたらどうする?」

まるで投げやりに問われた気がして、私は肩をすくめた。なんていうのかな、人の命に関わる問題ってのは確かに重い。でも私としては、むしろ派手でえげつない方が燃えるっていうか、もう引き返せない段階に来てる感じがするんだよね。


「追い詰められたら、そのときはそのとき。切り札も考えてるから安心して」

「……切り札、ね。ふん、最終的には僕が手を貸してあげるしかないんだろ?」

ふわりと甘い笑みを浮かべながらも、その目は全然笑ってない。ほんと、天使のような面して中身は案外こじらせてるのがエランの怖いところ。これに心奪われる人は多いだろうけど、私はじっとりとした執着を感じて、むしろ鳥肌が立つときもあるんだよ。


その横では、ゼオンが錬金装置の残骸や床の魔力痕を丹念に調べている。さっきまではテンションが高かったみたいだけど、今はやけに慎重だ。張りつめた空気の中、彼の指先だけが器用に資料や破片を触って回っている。


「なにか分かりそう?」

私が声をかけると、ゼオンは眉根を寄せて断片を手に取りつつ、低く答えた。

「散らばった魔力は複数の術式の干渉によるものだ。うち、一つはスペイラの古代術式。もう一つは、ここで精錬されていたルビスパーク由来の錬金魔術。どっちもトリッキーで厄介なんだけど、これを組み合わせた意図を考えると、正直背筋が寒いよ」

彼が震える手を必死に隠そうとするのが分かる。学者肌の人間ほど、こういう未知の脅威に惹かれつつ畏怖も抱くものだ。私も似たようなもんだけど、ゼオンは責任感も強いから大変だよね。


「あのバックヤードの鏡面装置から出てきた結界波形、明らかに人の精神を乱すものだったわ。今回もフィリスにダメージはいってるし、きっとあいつらは王家の血を利用して、何かもっと大きな儀式をやろうとしてる」

「だろうね。だからこそ、俺たちが先に把握する必要がある。この国の中枢にも強力な結界が張られているけど、それらを逆手に取ることで闇の儀式を成立させる可能性はある」

冷淡に見えるゼオンの瞳が、揺れている。いつもの好奇心だけでなく、不穏な予感が抑えられないんだろう。フィリスを中心に、何か決定的な一撃を加えようとしている輩がいる。それがスペイラ。そして、その背後にいる闇組織かもしれない。


「だからフィリスは、早く自分の力をコントロールできるようにならないといけないわけね。……本人、きついのは間違いないけど」

視線の先では、フィリスがそっと額に触れていた。赤い痕はじんわりと大きくなっている気さえする。まるで生きているかのように、見るたび形が変わっているんじゃないかと思うほど不気味だ。


そんな彼女が、低い声で言った。

「今さら逃げようなんて思わない。私、やるよ。……こんなに怖いのに変だけど、不思議と逃げるより戦うほうが納得できる気がするから」

はっきりと覚悟を固めた目をしていた。私にはない令嬢らしい気高さを感じる。それもまた面白い。王家の血を呪われた力だと思っていた子が、今は逆にそれを使ってみせる気なのだから。


「まあ、とりあえず今回みたいに途中で寝込まないように頑張って。私が助けるなら費用も手間もかかるし」

意地悪く茶化してみたら、フィリスは「なによそれ」と微笑を浮かべ、少しだけ肩の力を抜いた。よしよし、緊張を切り裂く冷たいジョークも時には大事でしょ。痛みを隠す偽りの笑みだとしても、憔悴しきるよりはマシだ。


と、そこへ重々しい足音と共にグレゴリーが騎士団員を引き連れて現れた。がっしりした腕を組み、鋭いまなざしをこちらに投げてくる。どうせまた「あれこれしなくていい」とか言うのかと思いきや、人差し指で私たちを順番に示して、たったひと言。


「……王宮の深部に向かう話、すでに本部で議論が始まった。お前たちにも厳戒態勢で臨んでもらう」

完璧にやる気だ。その口調には隠しきれない覚悟があるし、以前と違って「余計な真似するな」なんて一切言わない。いよいよ、私たちを欠かせない存在として認めざるをえない段階に来たんだろう。そういう折衷が取れるのは、グレゴリーの柔軟さとも言える。嫌いじゃないよ、その実直さ。


「面白くなってきたね。みんな揃って本気モードじゃん」

思わずくすっと笑いながら、私は散らかった床を一瞥して最後の確認をする。残った破片と魔力の痕跡、スペイラが投げ捨てていった古代術式の改造図。どれもこれも、次の脅威のヒントになり得る。持っていけるだけ持って王宮の書庫で調べてやるわよ。


「よし、それじゃ撤収。王宮の深部で待ってる闇を暴くとしましょうか」

声を張り上げた私に、ゼオンはイタズラっぽく目を細め、エランはどこか焦燥感をにじませる表情を見せ、フィリスは小さく拳を握った。怖いのは皆同じ。だけど、逃げ腰なんて退屈すぎる選択肢をとる人間はもういない。


そう、これはある種の決意。フィリスの刻印された赤い痕、エランの腕輪に潜む封印、ゼオンの探究心、そして私の好奇心。全部ひっくるめて、さらに深い謎へ飛び込む。そこには、まだ見ぬ惨劇と恐怖、そして想像以上のカタルシスまで待ち構えているはず。


「準備はできてるよね、みなさん?」

踵を返そうとした私に、フィリスが少し震えた声で「はい」と答えた。その目にはもう逃避の色はない。エランも口をつぐんだまま、しかしどこか穏やかじゃない熱を携えてうなずいている。ゼオンも「まったく、好奇心は半端じゃないな」と苦笑しながら立ち上がる。


こんなメンバーで挑む王宮の深部は、どれほどの地獄なのだろう。だけど、それは私にとって不器用な生き方の中の唯一の希望かもしれない。呪われた血だろうと皇帝の陰謀だろうと、まるっと暴いてすっきりしてやろうじゃない。この目がまだ見ぬ光景が山ほどあるって考えただけで、胸の奥が急激に熱を帯びてくる。


「行くわよ、地獄の先にある真実の追求へ」

誰に向けたとも知れない高揚を隠しきれずにつぶやき、私は残骸まみれの錬金工房を後にした。どんな困難が待ち受けても、今さら引き返せるわけがない。かすかな火照りと期待に奮い立たされながら、私たちは一歩ずつ王宮の深部へ足を踏み出す。次こそは必ず、この赤い陰謀の核心を引きずり出してみせるのだ。

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