深紅の幻影と錬金の迷宮 4
工房を包んでいた赤い光が、まるで未練がましく揺らめきながらも薄れつつある。あちこちで立ち尽くしていた来賓たちはようやく意識を取り戻したらしく、我に返った途端にぎゃあぎゃあと悲鳴をあげ始めている。偶然そこに居合わせただけの人にとっては、これはもうトラウマものの大災害だろう。いや、私だっていつもこんな目に遭いたくはない。
「何とか、収まった……わけじゃないのよね」
ゼオンが痛む肩を回しながら呟き、ちらりと私の方を見た。私も考えるまでもなく同意する。スペイラは逃げたし、鏡面装置の残骸からは妙な魔力の気配がまだ残っている。下手に延焼しなかっただけマシだけど、気を抜けば再発しそうっていう厄介極まりない状態だ。
床は焦げてひび割れ、装置のパーツが散乱している。向こうの隅っこでは職人たちが半泣きで片づけを始めていた。大広間の真ん中に封鎖ラインが敷かれ、グレゴリーの騎士団が現場検証をやってる最中。まったく、ご苦労さまだよ。
「おい、そっち運ぶなら急げ!」
グレゴリーの叱咤が飛ぶ中、オスカーがばつの悪そうな顔でペコペコしているのが見える。彼も今回の一件で工房の評価がガタ落ちになるって把握してるんだろう。いや、ガタ落ちもなにも、下手すれば閉鎖だよね。展示会と称して未知の暴走魔術を披露しちゃったのだから、責任問題が山積みでも仕方ない。
だけど今、そんな行政処分がどうこうって話よりも重大な問題がある。そう、フィリス。彼女はまだ額を押さえて、壁に寄りかかっている。顔は真っ青。あの“赤い痕”が前にも増して濃くなってるように見えるのは私の気のせいじゃないはず。近づいて声をかけると、フィリスは小さな声で言う。
「私って、結局また狙われたのね。わかってたはずなのに、まだ慣れなくて」
弱々しい声に胸が痛む。誰だって自分の血が呪いじみた価値を持つなんて知りたくもないよね。なのに、あのスペイラは執拗にフィリスを引きずろうとしてくる。絶対に止めてやるしかない。
「少なくとも今は大丈夫。あなたが意識を失わなかったおかげで、巻き込まれ方は最小限で済んだわ」
言いながら、気休めでもいいからポンと彼女の肩に触れると、フィリスはほんの少しだけ安心したみたいに息を吐いた。でも目にはまだ緊張が宿っている。そりゃそうだ。次はいつ襲われるかわからないんだから。
すると、その隣からエランがぐいっと顔を出した。全身には破損した鏡面の破片やら埃やらが付着してるのに、なぜか決まって見えるあたりが腹立たしい。彼はフィリスに視線を落とすと、どこか苦々しい表情を浮かべたまま、静かに言った。
「もし次があるなら、今度は斬り捨ててやるよ。あんな女、もう許せない」
いつも上品ぶってるくせに、内心はかなりキレてる様子。もっと毒づいてもいいのにと思うけど、どうやら本人なりに押さえているらしい。同僚の騎士たちや、まだ意識の朧な来賓たちの前で王族の名誉に関わるような乱暴な言葉は言えないんだろう。そっちも大変だね。
でもその瞳は相変わらず私を捕まえて話さない。ええ、わかってるよ。さっきまでゼオンと組んで大掛かりな魔力操作をやってたから、それがちょっと面白くなかったんでしょ? たぶん今はフィリスを心配する前に、私を“独占できなかった”ことにイライラしてるんじゃないの? 信じられないほど子供っぽい。私が思わず顔をしかめたら、エランは「なんだよ、その顔」と今にも唇を尖らせそうだ。
「はいはい、拗ねてるならあとにして。見るべき現場がたくさんあるの」
半ばあしらうように返すと、彼はじろっと目を細めた。たぶんあとであれこれ言ってくるに違いない。面倒だけど、いちいち構ってたらキリがないんだよね。とりあえず、今の急務はスペイラが残した痕跡を探すこと。
錬金装置の基盤近くには、謎の暗号が断片的に散らばった報告書が放り出されていた。拾い上げてパラパラめくってみると、古代魔術や不死の研究がどうとか、もう聞くだけで頭が痛いワードが並んでいる。これだけ証拠があれば、さすがに王宮も黙ってられないだろう。
「見てよ、ゼオン。これに書いてある不死の実験とか、絶対ロクでもないわ」
「どれどれ……はは、例えば死者の魂を呼び戻す術式、とか書いてあるけど、現実的じゃないだろうな。むしろ生者を壊す力として転用される可能性の方が高い。さっきの幻惑といい、こりゃ最悪だ」
ゼオンが肩をすくめている横で、私は嫌な鳥肌が立つのを感じる。不死の探究って、その手の誰かの執念によって大惨事を引き起こす定番ネタじゃない? 本当に勘弁してほしい。
「どうやら城のすぐそばか、中に潜り込んでいる謎の連中がいるらしいわね。それも古代術式を大幅に改造した形で……」
ペラリとページをめくると、血統が鍵になる文章がちらっと見えた。この国で“特別な血”といえば、当然王家のそれ。つまりはフィリスが狙われる理由の一端がここにあるのも間違いない。フィリス本人もその断片を整合しようとしているのか、私の読み上げる文字に耳を傾けていた。
ものすごく内心は嫌がっているはずなのに、意外と逃げないのが彼女の強さだろう。ああいう健気さは見習いたい……とはあまり思わないけど、まあリスペクトだけしておこうか。
「しかし、どう動くかね。王宮の深部を探るなんて話、大人たちはまず反対するだろう。それこそ“機密”がいっぱい眠ってるから」
ゼオンがそう言うと、グレゴリーが騎士団員に指示を投げ終えたらしく、こちらに近づいてきた。明らかに小言を言いたそうな顔だ。やれやれ、まだ説教されるのかな。
「ミオ、ゼオン、今回の件は王宮に報告しなければならん。現場保存を優先したいが、人手が足りない。お前たちにも協力を要請する。……ただでさえ王家の内情は複雑だ。下手な行動は許されんぞ」
いつも厳格なグレゴリーが、さらにキツい口調になる。まあ、痛いほどよくわかる。こんな大事件、普通に扱えば「お前ら勝手に暴れすぎ」って怒鳴られて終わりだろうし。でも済んだことはしょうがないじゃない。被害を最小限にしたんだから多めに見てよ。
「了解です、騎士団長殿。だけど黙って待ってるだけじゃ解決しないと思いますよ?」
ちょっと挑発めいた言い方をすると、彼の眉間のシワがさらに深くなった。いやもう、慣れたよ。その説教じみた視線。でも私は止まるつもりはない。どうせあとで嫌でも巻き込まれるんだから、こっちから突っ込んだ方が早いもの。
「あのね、グレゴリー。王宮の地下書庫には古代魔術の記録やら儀式やらがあるって噂を耳にしてるわ。今回の幻惑の根っこを探るなら、そっちの検証も必要なんじゃない?」
横槍入れるつもりはないけど真実よ、と思いつつ上目づかいで彼を見やると、グレゴリーは嫌そうな顔を隠しもせずに溜息をついた。まるで「やめろっつってるだろうが」って口に出してるも同然だ。でも、言い返してこないあたり、内心では私たちの手に頼りたいんでしょ?
「フィリスの身体に浮き上がったこの痕も、放置は危険よ。放っておけば、どんな呪いを引き寄せるかわからないんだし」
当のフィリスは顔を伏せたまま、そっと自分の額に触れている。その仕草を、エランが憂いを帯びた瞳で見つめていた。やっぱり血の契約とか、そういう大げさな話が裏にあるっぽい。
栄えある“鑑定係”として王宮に遣わされているエランは、この国の表と裏を隈なく知っているはず。なのに、ここまで執拗に秘密が隠されているあたり、皇帝の思惑もあんまり普通じゃないってことか……。ああ、面倒度が臨界突破してくる。
「とにかく、錬金工房は大損害を受けたし、オスカーは戦々恐々ってところね。下手すると貴族連中からの支援も引っこ抜かれるだろうし」
私が視線を工房中央へ戻すと、オスカーがまるでお通夜みたいな顔で呟いていた。「新しい試作品」も盗まれたらしく、もう頭を抱えている。かわいそうだけど、こっちもそこまで手が回らない。スペイラが起こす闇の術式への対処が先決だからね。
「魔術と錬金のコラボがこうも大惨事になるなんて、ほんと洒落にならないわね。このままだと“危険な工房”ってレッテル貼られてお終いよ」
ゼオンの皮肉にオスカーが青ざめて絶句する。でも否定できないんだから仕方ない。工房が悪いわけじゃなくても、実質これじゃもう信用問題だ。
「……もう決まりね。次は王宮の深部に向かわないと、話が進まないわ」
スペイラにも逃げられたままだし、これ以上くだらない妨害を受けたくない。フィリスへの呪いが強まるのを指をくわえて見守るなんて性分じゃないし、そもそも私が自由に魔術の研究を満喫できる環境を守るためにも、さっさと核心に迫る必要がある。
「行くなら、僕も同行する」
横合いから、どこか上擦ったエランの声が聞こえた。はいはい、わかってる。どうせ私がゼオンと二人旅しようもんなら全力で拗ねるんでしょ? もう嬉しそうに見張るのやめてよ、あなたは王宮の“試金石”なんだから。本来は冷静に私たちを観察する立場じゃないの?
そんな皮肉を胸の中で呟きながら、私は堅くなった足を動かした。このぼろぼろの工房に長居しても得られる情報はもうほとんどない。スペイラが遺した暗号文とルビスパークの残骸、そしてフィリスの赤い痕が、次の道しるべだ。
微かな焦げ臭さや金属の焼けた臭い、混じり合った薬品臭に気分が悪くなりそう。でも興奮が収まらない。胸の中でじわじわ満ちてくるのは何なんだろう。恐怖? それとも期待? どうせなら、派手に危険なほうが私の好奇心を存分に刺激してくれる。ここまで来たらとことん突き進むしかないじゃない。
「王宮の闇ってやつ、全部ひっくり返して調べてやるわ。嫌なら今のうちに止めてちょうだい」
振り返ると、ゼオンもエランもフィリスも、そしてグレゴリーまで、重たい空気をまといながらも一歩踏み出そうとしていた。誰がどんな立場であれ、このまま逃げて終わりにはできない。スペイラを放置すれば、次はもっと大きな災厄が来る。
ぐちゃぐちゃに壊れた工房を背に、私はそっと目を細める。次の舞台は——王宮の深部。そこには、今回よりもさらに危険な謎と、それを解き明かすだけの価値がきっと待ち受けている。
「行こう。今度は、絶対に全部暴いてやる」
誰に聞かせるともなく呟いた言葉に、少なくとも私は嘘はない。あの黒衣の魔女め、覚悟してなさいよ。研究と知識欲に飢えた悪役令嬢なめんなっての。思い切り血沸き肉躍る展開が欲しかったんだし、これくらいのトラブル、むしろ望むところだ。全員まとめて、とことん巻き込んであげるわよ。震える心臓を無理やり鎮めつつ、私は陶酔まじりの昂揚感に身を任せた。さあ、地獄の扉を開く準備は万全ってわけだ。




