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虚飾の夜宴と揺らぎの代償 4

私はエランの冷たい頬に触れたまま、乱れた呼吸をなんとか整えようとしていた。さっきまであれほど大勢の客やら楽師やらがぎゅうぎゅう詰めだった大広間は、まるで嵐が通り抜けたあとみたいに、ただ重苦しい沈黙と化している。ああ、ほんと――最高に最悪な夜。わざわざ洒落込んで着飾ってきたのに、私のドレスには血やら埃やらがくっついて台無しだ。ま、そんなことを気にしてる余裕なんて、今の私には全然ないんだけど。


「エラン、聞こえる? ちょっとだけでも目を開けてよ」

思わず声が震える。不器用に眉を寄せた彼は、唇の端からかすかに息をもらすものの、意識が薄れかけているのがありありと分かる。腕輪は不吉なまでにひび割れ、軽く触れるだけでピリピリとした残響を伝えてくる。もしかして、あの宝玉と腕輪に予想外の相互作用があったんじゃないの? そんな懸念が脳裏を巡る。それを解析するのは後回しとしても、まずはエランの命を最優先にしなきゃ。


「…….おい」

呆然としていた私の肩を、ゼオンが乱暴に揺さぶった。普段は飄々とした彼も、やはり状況が状況だけに声が詰まっている。けれど、その瞳にはどこかいつもの研究者らしい執着が垣間見える。嫌な予感を抱きつつも、私はあえてそれに触れない。今はまだ、悪趣味な解剖学トークを聞きたくなんてないから。


「医療班を呼んだ。適切な魔術治癒が間に合えば、彼はなんとか助かるはずだ」

「間に合わなかったらどうするのよ」

「そのときは、解剖ついでに腕輪の仕組みを――」

「冗談はやめて、変態魔術オタク!」


思わず怒鳴った声がピーンと張り詰めた大広間に静かに響き渡り、近くにいた騎士たちは一瞬ぎょっとして周囲を見回した。ゼオンが呆れ顔で肩をすくめたのを尻目に、私はエランの脈を確かめる。途切れそうで、でもまだ辛うじて鼓動はある。この人には何だかんだで借りが山ほどあるんだから、簡単に死なれては困る。あと、ちょっとは本人への痛烈なお礼の言葉だって考えてたのに、言えずじまいになるなんて反則すぎる。


一方、塞ぎ込むように座り込んでいたフィリスは、騎士団長グレゴリーに支えられながらようやくゆっくり立ち上がった。彼女の頬にはまだ幻術の名残がうっすらと刻まれている。それでも王女らしい意地なのか、プライドなのか、凛と顔を上げようとしている姿に少し胸を突かれた。窮地に追い込まれたときこそ、その人の本質が出るんだろう。この子もまた、あんな悪趣味な呪詛に落とされるだけで終わるようなタマじゃないってことだ。


「大丈夫…だとは言えないけど、あなたが無事でよかったわ」

私が呟くと、フィリスはかすかにこっちを見て、「あなたのおかげよ」と口を動かす。前ほどピリピリした敵意は感じない。ま、それでも友達になれるかどうかは怪しいけど、いまはそんなことを考えている暇もない。まずはこっちの“試金石”が瀕死なんだし。


傷だらけの床を見れば、砕け散った宝玉の欠片やら、闇の瘴気の痕跡が嫌な汚れとして散乱している。スペイラは間違いなく仲間を引き連れて、どこかに逃げ込んだのだろう。あれだけ攻撃しといて、こちらを仕留めきれなかったのが悔しかったのか、最後は宝玉の暴走を強引に引き起こして消え失せた。いかにも薄気味悪い女官もどきって感じだ。次に再会するのを思うと吐き気しかしないけど、どうせそのうちまたひょっこり顔を出してくるんだろうな。しかもさらに凶悪にパワーアップして。


「大広間は騎士団が封鎖しました! 負傷者を裏手の回廊へ搬送いたします!」

どこからともなく声が響き、すぐに騎士団の面々が手際よく私たちを囲んで安全な場所へ誘導してくる。みんなの細かい挙動は、こんな大惨事にしては意外と冷静。少なくとも混乱しきった来賓たちは急いで救護所に運ばれ始めたようだ。同時に、「モタモタするな!」「私の衣装が!」とかいう失礼な悲鳴も聞こえてくる。いや、誰だって生き延びるのが一番大事でしょうに。着飾ったドレスより命が大事って、結構当たり前のことなんだけど。


騎士たちの隊列に従おうとしたとき、ぐらりと私の身体がバランスを崩しそうになった。先の戦闘で酷使したせいか、今さらになって膝の震えが止まらない。大量の魔力を使ったせいもあると思う。理詰めの頭脳戦で切り抜けたつもりだったけれど、体力には自信がないほうだもの、仕方ないわよね。何より考えてもみて? ド派手な夜宴であんな大乱闘なんて、普通じゃあり得ないんだから。


「ミオ、こっちだ。しっかりしろ」

強張った私の腕をつかんでグレゴリーが助け起こしてくれる。厳格で怖い人かと思っていたけれど、意外にもこういうときは頼りになるんだな、とちょっとだけ見直した。偉そうに説教を食らうのは嫌だけど、助かるものは素直に助かっておこう。でもって、その横でゼオンはすでに手際よくエランを浮遊魔術で安定させつつ、医療班の到着を待っているらしい。あれはあれで変態だけど有能だ。


「フィリス殿下も、先に救護所へお運びしましょう。続けるなら場所を移したほうがいい」

グレゴリーが短く提案する。私はその言葉に頷き、彼女の背中をそっと押した。王宮がめちゃくちゃになったこの場で、今すぐに誰が何を話し合おうと、まともな結論は出せないだろう。スペイラの呪詛、宝玉の正体、王家の血に隠された秘密――課題は山積みで、正直気が遠くなるほどやることだらけだ。ただ、ここで中途半端に突き進んだら、むしろ危険を増幅させるだけってのは前世の知識と私の直感が警告している。


「ええ、今はまず私たちが立ち直れるだけの余力を確保して、次の手を考えないと」

妙に冷静な声で引き受けると、フィリスはわずかに首をかしげた。意地っ張りの王女様が自分の不調を悟られまいとしているのが伝わってくるけど、もう限界なのは見て分かる。回廊のほうにからからと運ばれていく彼女の後ろ姿を見送ると、私はあらためてエランへ視線を落とした。彼は魔術で身体を支えられているというのに、目を閉じたまま鷹揚に微笑んでいるような、そんな錯覚すら覚える。


「へえ、こんな時でも王宮一の色男ぶってるのかしら。ほんと、調子いいんだから」

ぼそりと毒づいてみても、返事は返ってこない。馬鹿馬鹿しいくらい静かで、それがやけに寂しくもある。あの皮肉屋が意識を失ってるなんて、こんなの絶対に似合わない光景だ。


やがて、医療班と呼ばれる魔術師集団がどやどやと駆けつける。彼らは大混乱の大広間を見回してすぐさま救護を開始し、ゼオンやグレゴリーも手分けして誘導に回る。私も巻き込まれるようにして、騎士の一人に肩を貸されながら救護所へと移動していく。世界がゆっくりと反転していくみたいに足元が定まらず、まるで正夢か白昼夢かわからない景色だ。


深呼吸するたびに、鼻を突く焦げむせるような臭いが気になる。呪詛が燃えカスのような痕跡をそこら中に残しているんだろう。ちょっとしたことで悪寒が走るくらいには、あの邪悪な残滓が尾を引いている。だけど、どうしようもない。忘れようにも目の前には血と残骸、傷だらけの物体が大量に転がっているんだもの。


「にしても、ここまでデタラメに壊滅的な夜宴になるなんて、正直予想外すぎるわね」

落ち込みそうになりながら、あえて自分に言い聞かせるように皮肉を呟く。普段ならこういう混乱は、ドラマとか物語の中だけで十分で実際に遭遇したくないシチュエーションだ。でも私の人生は、もうとっくに物語の領域へ突入してしまっている。この世界で“好き勝手に生きる”って決めたのは自分自身なんだから、腹をくくるしかない。


視線を上げると、崩れかけたステンドグラスを通して冷たい月光がやけに鮮明に差し込んでいた。宝玉は粉々になったし、スペイラも姿を消した。フィリスは生き延びて、エランもまだ命がある――それで十分だと思い込めば、ほんの少しだけ救われる気がする。さっきの絶望感に比べれば、かすかながらも勝利の味を噛みしめたい。


でも、これで終わりじゃない。いくら宝玉を破壊したところで、奴が今後この国を引っ掻き回す可能性はゼロじゃないし。うかつに安心していると、次の夜宴ではもっと最悪の事態が待ち受けているかもしれない。私がこんなに肩をいからせて警戒するハメになるのも、そのうち慣れるかと思うと、なんだかやるせない。


「さあ、ひとまず治療を受けて、作戦立て直しね」

自分で自分に活を入れ、エランを乗せた担架のあとをぴたりとついていく。彼が意識を取り戻したとき、まず何を言ってやろうか。怒鳴りたいほど心配したし、“勝手に死ぬつもりなんじゃないでしょうね?”と詰め寄るかもしれない。だけど、最後は「助かってよかった」と素直に喜ぶんだろうなと思うと、自分でも可笑しくなる。


廊下を抜けると、救護所の部屋からはすでに怒号やら「あぁ痛い」だの「大げさな!」だのと騒ぎが響いている。どうやらまだまだ波乱は収まりそうにない。でも、私は目を逸らさない。王家の血を狙った呪詛が、生半可な覚悟どころか国家レベルの根深い闇と繋がっているのは明らか。そこに前世の記憶と、私の魔術解析がどう絡むのかは未知数だけど、突き破っていくしかないでしょ。


「ったく、こんな負債を抱え込まされたんじゃ、知的好奇心だけじゃ足りないかもね」

自嘲ぎみに笑いつつ、私の足は止まらない。たとえスペイラがさらなる陰謀を巡らせていようと、宝玉の呪詛がこれで完全に終わらなくても、やられっぱなしで終わる気なんてさらさらない。エランだって私に執着するなら、もっと元気に絡んできてもらわないと困る。もはや意地でも活かしてやるわよ、この“試金石”を。


それにしても、また夜宴があったら死ぬ気がするから、今度は平穏な昼間にしてほしいわ。夜ばっかり呪術が暴れ回って、お肌のトラブルの原因になるじゃない。そんなことを誤魔化すように笑い飛ばしながら、私は無傷ではいられない新たな嵐の気配を、どこかワクワクすらして見つめていた。いつか痛快な“仕返し”を決行するためにも、今は怯まずに生き抜くしかないから。――こうして、私の足音とともに混沌の夜はゆるりと幕を閉じ、次なる惨劇の予兆をはらみつつ暗転するのだった。

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