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③騎士団長の小さな嘘

「…………はあっ!?!?」


 暫しの沈黙の後。

 彫像と化していたスタッグが漸く人間に戻ったが、その途端にドタドタと後ろに下がり、壁際まで来ると吠えた。どんな強大な相手と闘う時にも怯まなかった彼が、今はあからさまに狼狽している。

 無理もない。女に縁がなかった彼が初めて異性から告白をされたのだ。それも、身分差でも年齢差でも決してそういう目では見ない相手から。


「そんな……俺は……っ、私は! 殿下にそのようなお言葉をかけていただける身ではありません! 私が不甲斐ない為に殿下は……!!」

「いいえ」


 大人びた、落ち着いた彼女の声にスタッグはハッと冷静さを取り戻し、サファイアを見る。彼女は恋心を告白しているとは思えない顔をしていた。自分の内に有るものを必死で押し込めて、無表情を貫いている。だが顔色は青白く、輝く金髪の先は細かく震えていた。


「わたくし達を守り、国を守る貴方の広い背中に幼き頃から憧れを抱いていました。陛下に……父上だけには『いつかレイモンド様のお嫁さんになりたい』と打ち明けておりましたの」

「……!」


 スタッグははくはくと、口を開け閉めするが声にならない。


(では、陛下が俺に殿下の護衛を命じたのは……)


 国境で無様に敗け、おめおめと帰ってきた事への罰などではない。望まぬ嫁入り前の最後の時、せめて娘が好きな男と少しでも長く時間を共有できるように、との親心だったのかと騎士団長は理解した。


「ああ……」


 スタッグは大きな手のひらで顔を覆い、小さく呻く。理解はしたが、なんと答えれば良いのか。いくら美しいと言っても相手は仕えるべき王族であり、そして何よりもサファイア姫はまだ子供だ。


 彼女の利発さはずば抜けていて、度々子供とは思えぬところを見せているが、外見はやはり十二歳の少女である。倍以上の年齢であるスタッグの恋愛対象になる訳がない。こう言っては見も蓋もないのだが、スタッグは隣国の皇帝(変態ジジイ)とは違うのだ。


 だが利発な王女にとっては彼が困惑する事すらも想定の内だったようだ。


「レイモンド様、もしも、のお話でございます」


 スタッグはハッとしてまた彼女に向き直る。姫は恋情の熱に浮かされる事なく、むしろスタッグを困らせている事に申し訳なさそうにさえして言葉を続けた。


「もしもわたくしが、もう少し歳を重ねていたら……あと数年、成人の歳であったなら、貴方はわたくしの気持ちに応えて下さる可能性があったのでしょうか?」


 その言葉にスタッグは応えられず、どうすればいいかと思い悩む。


(殿下……貴女はなんと……)


 なんと高潔で美しい願いだろう。数日後には望まぬ結婚が待っているとわかっていて、好きな男と二人きりになっても口づけどころか抱擁も手を触れることも望まず、部屋の端にいるスタッグとの距離を縮めることさえしない。「もしも自分が大人なら」というありもしない仮定の、答えの一言だけを求めているのだ。


 だが、このような真摯な告白を受けたとて、彼の気持ちは変わらない。スタッグは貴族の端くれで叩き上げの騎士団長だ。今までも、そしてあの国境でも沢山の人間を斬ってきた。

 もしもサファイアが成人していたとしても、この血塗れの手で、白い繭のように柔らかく美しい、一片の染みも無い彼女に触れるなど有り得ない。


 けれども。今の彼女は死の淵に立たされているような悲壮感を纏っている。それはきっとスタッグの勝手な想像ではなく、姫君はこの後にあの忌々しき皇帝の手により心を殺されるのであろう。その死の間際に彼女の心にひとときの灯りを照らせるなら、嘘を吐いても罪にはならないだろうと彼は思った。


「……はい。このような事になり残念です」

「ああ……!」


 今まで凍りついていたサファイアの表情が柔らかくなり、そして口許を綻ばせる。細められた青の両目の端から透明な液体がぽろりと零れ落ちた。それを見たスタッグは、ギクリと身を強ばらせる。強面の彼は女性を怖がらせて泣かせたことがあるからだ。だがこの涙は恐れの意味など微塵も含まれていなかった。


「嬉しい……嬉しい。その言葉がどれだけわたくしに勇気をくださるか、貴方は知らないでしょう……ありがとう、レイモンド様」

「殿下……」

「今だけは、サファイア、と」


 スタッグの胸が内側から強く締めつけられる。彼女の自分への想いなどただの憧れで、仮初の恋だろう。だが彼女はこれから生涯本物の恋を知ることはないのだ。その小さな身体で国を背負って隣国へ行く。忌まわしき隣国の皇帝に弄ばれ、心を殺されるために。


 スタッグはその痛ましさを少しでも薄めたいと思い、彼女に近づいた。大きな身体で跪くと、立ったままの姫君と近い目の高さになる。彼はできるだけにこやかであろうとする。普段あまり笑わず、右目は未だに眼帯で覆ったままの強面が無理に笑おうとする姿は滑稽か或いは恐ろしいかと思ったがサファイアは笑いも怯えもせず、じっとスタッグを見つめていた。


「サファイア、君が幸せであることを願っている。ずっと……この命ある限り」


 これは嘘偽りの無い、スタッグの本心だった。サファイアは目を瞬かせ、宝石のような涙を散らせてから美しく微笑んだ。


「ありがとう、レイモンド様」

「……では、これで失礼します。おやすみなさい」

「ええ、今夜はよく眠れそうだわ」


 スタッグはサファイアの部屋から退室した。二人は最後まで指先ひとつ触れることもしなかった。


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