⑪性別逆転魔法の正体
サファイアは計略の内容を語った。まるで目の前にある菓子の味わいを語るような気軽さで。
『こちらは皇帝を弱らせ、クーデターに持ち込める隙を作ると約束する。勿論失敗すれば妃たちは何も知らないふりでサファイアを切り捨てて構わない。その代わり、成功すれば連合共和国制を採用し、五国間及びスラーヴァ王国との長期平和条約を新たに結ぶこと』
これがサファイアと五人の妃たちの間で事前に交わされた密約だった。だが妃たちも半信半疑どころか九割がた信じていなかったであろう。あの苛烈な皇帝を弱らせて隙を作ることがわずか十二歳の少女にできるなどと。
「だからデモンストレーションが必要かなと思って」
他国の人間の割合も多いテスタの街で大勢の目がある中、性別逆転の魔法をかけてみせた。事情を聞いた妃たちはサファイアが何をするつもりなのか理解し、本気で協力的になった訳だ。
「彼女たちは本当に良くしてくれたよ。帝国に滞在中、夜中に妃の侍女に変装して後宮に忍び込ませて貰ったりだとか、色々便宜も図ってくれたし」
「そんなことまでしていたんですか!?」
「うん、あの魔法自体は古代語で少し面倒だから、ラブラひとりに陣を敷く準備をさせるのは不安だったからね」
「古代語……『禁呪』ですか」
古代語魔法には喪われたものが多い。中には生け贄を捧げたり魔法の発動者の命を奪うなど、代償が大きい危険な魔法も存在していたそうで、それらは所謂『禁呪』と呼ばれている。スタッグは古代語魔法には明るくないが、人間の性別を変える事が出来るならきっと禁呪だろうと確信していた。だがサファイアは笑う。
「ふふ……『禁呪』ね。まあ、間違っては居ないんだけど。僕等のご先祖様たちは、途中からこの魔法を自主的に禁じたらしいから」
「?」
「僕が一年前、過去の遺物である魔導書を解析して手に入れた古代語魔法はね、もっと単純なんだ。肉体系補助魔法の『取引』だよ」
「『取引』?」
「陣の中にいる二人の人間が、身体的特徴を交換するのさ。勿論、取引だから永続ではないし、交換内容も魔法効果の期限も古代語で陣の中に書き込まれている。それを読んで両者が同意しないと魔法の効果は得られない」
「……あっ!!」
スタッグは漸く理解した。あのテスタでの魔法陣の中で、サファイアは「『同意する』と言え」と騎士団長に言った。あれは命令であると同時に、自らも「同意する」という発言を兼ねていたのだ。
「古代人は商人や奴隷にお金を払う代わりに相手から健康や若さ、顔の美しさなんかを『取引』で交換して貰っていたらしいよ。因みにどちらかが『同意しない』と言えばそれで魔法陣は効果を失って消えるんだけどね」
「……」
まさかの、「同意しない」と言えばあの魔法が無効化されると言う種明かしにスタッグは開いた口が塞がらなかった。
「……よくそれで皇帝に同意をさせましたね」
「簡単だよ。ラブラがベッドの上で抵抗して『殿下に手を出さないと約束して下さらなければここで自害します。私の提案に同意すると仰って下さい』と言うだけさ」
「……なるほど」
寝室での二人きりの口約束。そんなもの、後から幾らでも反故にできる。皇帝はニヤニヤしながら「同意する」と言ったに違いない。その瞬間に男としての全てを奪われるなど想像もできずに。初老の女に変化し、征服される側となった元皇帝がその後どんな目に遭うか……考えるとなかなか恐ろしそうだ。
「まあ、ラブラは元々男の子だからね。万が一失敗して皇帝に手を出されても、女性より心のダメージは少ないから、と自分で言っていたけれど」
「え?」
「ん?」
「殿下……あの者は、元々男性、だと?」
「そうそう。今までは女装していたんだよ。でもそれじゃ流石に帝国の後宮には入れないだろうから、事前にハンナと『取引』して、暫くの間女の身体になって貰って……あっ!」
サファイアの青い瞳が三日月型に細められる。
「あぁー、いけない。王家の影であるラブラの性別は秘匿中の秘だったのに。うっかりしゃべっちゃった」
なんと言う棒読み。手を口の前にあてたポーズをとっているが、ニヤニヤ笑いを全く隠せていない。スタッグは壁につけている背筋がすーっと寒くなった。
「王家の影の秘密を知っちゃったんだから、もう王家の一員になるしかないね?」
「は!? い、いやそれは……」
口を濁しはしたが、騎士団長であるスタッグにはわかる。王家の影は騎士団とも魔術師団とも異なる、まさに影の存在。今回の活躍でラブラはそうだろうとは思っていたが、彼の秘密まで知ってしまうのはまずい。
確かにまずいのだ。サファイアが椅子から立ち上がり迫ってきた。スタッグは横目で扉を見る。王家の秘密を知った途端に逃げ出せば主君への忠誠を疑われるだろう。
サファイアの白い腕がついと伸びてきて、スタッグの大きな胸をつついた。それはたゆんと揺れる。
「ね? もう逃げられないよ?」
「~~~!」
スタッグは目をぎゅっと瞑り、腹から声を出した。男の時は全くモテなかった自分が元女性に対してお断りをするなんて烏滸がましい気もするが、出来ないことは正直に出来ないと言うべきだと思ったからである。
「殿下、申し訳ありませんが私は殿下のお気持ちに応えられません!!」
ところが、このスタッグの勇気をふり絞ったお断りにもサファイアは動じない。
「え? あの夜『残念です』って言ってくれたじゃない」
「あ! あれは……!!」
スタッグは焦った。哀れな姫君の心を救いたくてついた小さな嘘。あの時は彼女を純粋無垢な、守らねばならぬ存在だと信じていた。
「ええー? 団員皆が憧れる、男の中の男の騎士団長サマが、まさか女の子に嘘や軽々しい気持ちで好意を示していたのー?」
「ぐっ……」
目の前にいるのは純粋無垢な守らねばならぬ存在などではなく。大胆な計略で国も自らの純潔も差し出すことなく皇帝を失脚させた美しき悪魔だった。
補足です。
『取引』が途中から禁呪扱いになったのは、古代語を読めない人に対してこれを使い、騙して身体能力を奪う詐欺(サファイアがやったことそのままですね)が横行したからです。
※次回、エピローグで完結になります。