第6章 桜の木の禍
翌朝早くに宗は、尚紀と知亜子を桜の木の前に呼び出した。
「宗」
「安堂くん」
待っていた宗のもとに、登校したての尚紀と知亜子が到着した。
「何か分かったのか?」
「ああ」宗は尚紀の質問に頷くと、「まずは、これを見てくれ」
昨日に姉から受け取った図面を二人の前に広げた。
「これって、学校?」
「そうみたいだな。桜の木の移植先まで描き込んである」
知亜子と尚紀は、まじまじと図面を見て、
「で、これがどうかしたか?」
尚紀が宗の顔を見た。
「この図面から、犯人が分かるんだよ」
「はあああ?」
宗が答えると、尚紀は頓狂な声を上げた。
「正確に言えば、名前までは分からないが、多くても数人程度にまで絞り込むことは出来る」
「ちょっと、安堂くん」と知亜子が、「名前までは分からないって、ということは、犯人は北詰先生じゃないってわけ?」
「そうだ。そもそも、この桜の木の下に死体なんて埋まってない」
宗は、踏み固められた地面を靴の踵で叩いた。
「じゃあ、あの警告文は?」
「そこだ。あれは、何のために貼り付けられたのか」
「桜の木を移植させないため?」
「そう。でも、あの張り紙一枚だけでもって、桜の木の移植を永久に阻止することは無理だろ」
「それは、そうだろうね。先生方や造園業者に見つかったら問題にはなるだろうけど、せいぜい一週間くらい工事を延期させるのが関の山でしょうね」
「それで十分だったんだよ」
「どういうこと?」
「犯人の目的は、それで達せられていたってことさ」
「この木の移植を一種間程度遅らせる。それが犯人の目的だったってこと?」
「そういうことだ」
「それに何の意味があるの?」
「それを説明するには……場所を移そうか」
宗は歩き出し、知亜子と尚紀もあとに続いた。宗が向かっているのは中庭だった。
「ここだ」宗は、中庭の中央、バリケードで囲まれた場所の前で立ち止まると、「あの桜の木は、ここに移植されることになっている」
「そ、それって、安堂くん……」
「ああ、そういうことだ。犯人の目的は、確かに桜の木の移植を阻止することにあったが、何も今ある場所から木を動かしたくなかったわけじゃない。犯人が阻止したかったのは、木がここに移植されることだったんだ」
「移植元じゃなくて、移植先が問題だったってわけか!」
尚紀はバリケードで囲われた地面を見た。
「でもよ、宗、犯人の目的は何だ? 何だってここに木を移植させたくなかったんだ?」
「それは……」宗は、尚紀から視線を逸らすと、「そこだ」
中庭の三面を囲った校舎の一方向を指し示した。その指の先にあるのは、科学準備室の窓だった。
「化学準備室?」
「じゃあ、やっぱり北詰先生が関係してるってこと?」
尚紀と知亜子も同じ方向を見やった。
「そうだ、あの張り紙が貼られた理由には、北詰先生が大いに関係している。でも、先生自身はまったく与り知らないことなんだ」
「い、言ってる意味が、分からないが……」
「尚紀、想像してみてくれ」宗は再びバリケードの中を見て、「もし、あの場所に桜の木が移植されたら、どうなる?」
「どうなるって……別にどうもならんだろ。中庭はこのとおり十分な広さがあるんだし、木が一本増えた程度で、何も支障があるとは思えない」
「いや、違うんだ。そこに桜の木が移植されたとしたら、それは、ある生徒にとっては非常にやっかいな邪魔もの、まさに“禍”になってしまうんだよ」
「邪魔もの?」
「ああ、視界が塞がれてしまうんだよ」
「視界が塞がれる……?」
「――分かった!」知亜子は、ぱちんと指を鳴らして、「化学準備室!」
「はあ?」
怪訝な顔をする尚紀に、知亜子は、
「私、見たことある。休み時間に何人かの女子が窓から外を覗いてたの。で、中庭に何か面白いものでもあるのかなって思って近づいてみたら、違った。彼女たち、中庭じゃなくって、対面の校舎一階の化学準備室を見てたんだよ。窓際に座って本を読んでる北詰先生目当てで!」
「ああっ!」
「そうなんだ」宗も頷いて、「ここに桜の木が移植されると、教室から対面の校舎を見るための視界が塞がれてしまうことになる」
「犯人の目的ってそれか! 教室から化学準備室を――いや、そこにいる北詰先生を見続けたいがために、桜の木の移植を阻止しようとした……」
尚紀が言うと、続けて知亜子も、
「北詰先生が教育実習でこの学校にいるのは二週間で、残りはもう一週間と少し。その間だけ木の移植を阻止できたらよかったってことね。移植を永久に阻止しようだなんて、犯人にはそんなつもりはなかったんだ」
「ということは……宗!」尚紀は宗を向いて、「犯人が絞られるって意味、俺にも分かったぞ。つまり、あの警告文を貼り付けた犯人は、一年から三年の女子生徒!」
「長谷川くん、それでも生徒の半分だよ。“絞り込む”というには、あまりに大雑把すぎるって」
知亜子に指摘され、尚紀は、ぬう、と唸った。
「安堂くん」知亜子は宗を見て、「さっき言ってたよね。犯人は少なくとも数人に絞り込めるって」
「ああ、それじゃあ、始めるぞ」宗は、再び図面を広げて二人に見せながら、「まず、移植される木だが、確かに校舎間の視界を塞ぐと言っても、壁のように立ち塞がって中庭を完全に分断するわけじゃない。中央に一本そびえ立つだけだ。だから、角度的に各学年一組と四組の窓からは、化学準備室を見る視界の妨げにはならない」
「一組、四組の生徒は除外される」
「そうだ」宗は知亜子の言葉に答えてから、「次に、北詰先生は教科指導で木俣先生の授業についてくる。だから、木俣先生が授業を受け持ってるクラスの生徒なら、化学の時間に北詰先生に会えるわけだ。あんな警告文を貼り付けるだなんてリスクを負ってまで、窓から先生を見ることにこだわるとは思えない」
「木俣の担当って、各学年の一組と三組だな」
「そのとおり」尚紀に答えた宗は、「だから、ここで三組も除外される」
「残るは、各学年の二組ってことね。でも、安堂くん、二組の教室は縦一列に並んでいるから、条件は全部同じよ。ここからどう絞り込んでいくの?」
「そこで、北詰先生自身の事情が絡んでくる」
「先生個人の事情?」
「唐橋が教えてくれたろ。北詰先生は、来年度からこの学校に教師での採用が内定してるって」
「それは確かな情報のはずだけど、それが何か……あっ!」
「気が付いたな。そうなんだ。北詰先生の教育実習期間は二週間だけで終わるが、来年度になれば教師として大鳥学園にやってくる。普通の先生と同じように接して、会話を交わしたりできるようになるってことだ。つまり、一、二年生は来年度になれば大手を振って北詰先生に会える」
「警告文のリスクを冒すなんて馬鹿馬鹿しい! てことは……今年度でここを卒業する三年生! つまり、三年二組!」
「犯人は、三年二組の女子!」
尚紀が声を上げた。次に知亜子が、
「でも、安堂くん、学校のクラスは約三十人構成。女子に絞るとしても、まだ十数人もいるわよ」
「そこで、最後の絞り込みだ。犯人は、あんな警告文を貼り付けてでも、化学準備室を、そこにいる北詰先生を見ていたいと思った。休み時間に窓際に行く、総計してもたかだか一時間にも満たない程度の、そんな時間のために、あんなリスクを背負おうと思うか?」
「それは、確かに釣り合わないと思う」
「だから、犯人は恒常的に化学準備室を覗ける場所にいるもの。つまり……窓際の席」
「窓際の席なんて、各クラスに五つか六つくらいしかない! その中でも女子となると……」
宗たちは対面校舎を見上げた。四階に位置する三年二組の教室の窓、そこに、机に頬杖を突いてこちらを――いや、化学準備室に視線を送る、ひとりの女子生徒の姿があった。