第1章 謎の警告文
“この木を動かしてはならない。この木に触れるものに禍あるべし”
そう書かれた紙を目の前に突き出され、大鳥学園高校一年の安堂宗と長谷川尚紀の二人は、ぽかんと口を開けた。その紙を突き出した本人であり、加えて、放課後に二人を部室に呼びつけた新聞部の唐橋知亜子は、メタルフレームの眼鏡越しに二人の同級生の顔を順に見比べて、
「……なに、その薄い反応は」
「反応ったって……」と宗は、もう一度突き出されたA4サイズの紙を見て、「どうしたんだよ、これ」
「桜の木に貼り付けてあったのよ」
「桜の木って、校庭の?」
「そう」
「もしかして、今度移植されるやつか?」
「ご名答」
知亜子は、掲げていた紙を机に置いた。
宗たちが通う大鳥学園高校には、学校敷地を囲う塀に沿って十数本の桜の木が植えてあるのだが、そのうちの一本が移植されることになっていた。その経緯はこうだ。学校周辺の区画工事の一環で、塀に開けられていた古い通用口が閉鎖されることとなったため、新たな通用口を新設する計画が持ち上がった。利便性などを鑑みて、大通りに面している塀の一部を開け、そこを新たな通用口として使うことが決定されたが、その新通用口を開けるためには、そこに位置している桜の木を撤去する必要があった。だが、開校以来生徒たちを見守り続けてきた桜を切り倒してしまうことは忍びないと、職員会で会合を開き、その桜の木は校舎中庭に移植されることが決定した。作業を請け負う造園工事業者もすでに決まり、数日後には移植作業が行われることになっていた。
「今朝はいい天気だったから、移植前の桜の最後の姿を写真に収めるには絶好の機会だと思って、朝早くに当校して、その桜の木まで行ってみたの。そうしたら、これが木の幹に貼り付けてあったってわけ」
知亜子は、机に置いた紙を、ぽんぽんと叩いた。
「お前、そんなの剥がしてきてよかったのかよ!」
尚紀が声を上げると、
「そのままにしていたら、誰かに見つかって大事になってたでしょ」知亜子は眉を釣り上げて抗議すると、尚紀の隣に立つ宗に顔を向けて、「で、これって、あれでしょ?」
「あれって、なんだよ」
「決まってるじゃない。警告文よ、警告文」
「あの桜の木の移植を阻止しようと?」
「そうとしか考えられないじゃない?」
知亜子は、にやりと面白そうな笑みを浮かべた。
「なになに……」と尚紀は、改めて謎の警告文に目を走らせて、「“この木を動かしてはならない。この木に触れるものにかあるべし”……」
「“か”じゃなくて“わざわい”だ、“禍”!」
尚紀の間違いを宗が正した。
「なんだよ、ルビ振っておけよな」
「ルビの振ってある警告文なんて風情ぶち壊しだろ」
「手書きじゃなくて印刷の時点で風情もなにもないだろ」
尚紀の言葉どおり、警告文はワープロソフトによって印刷されたものだった。
「それで、こんなのを俺たちに見せて、どうしようってんだよ、唐橋」
「決まってるでしょ。犯人を突き止めるのよ」
「だろうと思った……」
宗は、はあ、とため息を吐いた。
新潟県新潟市内に位置する大鳥学園に通う高校一年生、安堂宗は、概ねごく普通の高校生と称してよい男子だが、ただひとつだけ、普通とは言えない境遇を持ち合わせていた。それは“素人探偵の姉がいる”ということ。宗の姉、安堂理真は、作家という本職を持ちながら、主に新潟県警管轄下で起きる不可解な事件、いわゆる“不可能犯罪”に対して民間人ながら捜査協力をし、いくつもの事件を解決に導いてきた実績を持つ“素人探偵”だ。宗の姉が素人探偵であるということは、親友の長谷川尚紀と、級友の唐橋知亜子には知られており、特に知亜子は校内で何かしら事件の類いが起きると、すぐに宗を駆り出して解決させようとする。探偵の才能が遺伝するのかは分からないが、実際に宗自身も、なまじそういった事件を解決してきた実績があるため、知亜子はさらに事件を宗に持ち込むようになっているのだった。
「でさ」知亜子は再び宗を見て、「どう思う?」
「どうって……」
「これって、あれじゃない?」
「だから、代名詞ばっかり使うなよ」
「これを貼り付けた何者かは、あの桜の木が移植されると困るってことだよね」
「まあ、そうだろうな」
「どうして困るんだと思う?」
「……さあ」
「またまた、すっとぼけちゃって……」
「だから、何だよ」
「桜の木が移植されるってことはさ、根ごと掘り起こさなきゃならないってことでしょ」
「当たり前だ」
「そうしたらさ、もし、桜の木の下に何かが埋めてあったら、それも掘り返されちゃうってわけだ。桜の木の下に埋まってるものっていえば、もうひとつしかないじゃない?」
「まさか……お前……」
「“桜の樹の下には屍体が埋まっている!”」
有名な文豪の著作の一文を口にして、知亜子は再び面白そうな笑みを浮かべた。