夢のかけはし
……太陽が海に沈むとき、僕たちは巡り逢えるだろうか、あの約束の日のように。
そこまで書いて、僕はひと息つき、窓のない部屋の片隅で丸くなる。
ベッドと机と椅子。したためる一本のペンと一冊のノート。
これがあの頃の僕のすべてだった。
・
・
・
・
・
「最近、どうですか?」
白衣の初老の医師が問う。
「ここはいいですね。うるさい電話もかかってこないし、周りに誰もいない。落ち着きます」
「夜は眠れていますか?」
「そうですね……。なんだか夢を見ているのか、現実なのかわからなくなるときがありますが。まあ、眠れていると思います」
医師は、パソコンに何か入力しながら
「それでは、もう暫く様子を見ましょう。部屋に帰っていいですよ」
「ありがとうございます」
そして、僕は女性の看護師に連れられ、部屋に戻る。
看護師は二階から三階へと繋がるドアのところで注意深く施錠した。
「ここは……閉鎖病棟なんですか?」
「佐伯さんのようにわかった患者さんばかりではありませんから」
「でも、僕は個室に入れられて、監視されている」
「監視はされていませんよ」
「そう感じます」
「感じなくなるまではここでゆっくり療養しましょうね」
そう優しく言って、その若い看護師は僕が部屋に入るとナースステーションへと消えていった。
僕はベッドに暫し横たわっていたけれど、おもむろに起き上がり、ノートとペンを取り出した。
二十四時間、朝晩の区別がつかなくなり、会社に行けなくなって気がつくと僕はここにいた。
僕は一人前のビジネスマンにはなれなかった。
僕は……。
碧衣。
君はどうしているのか。
高校を卒業して五年。今も君は医学生として頑張っているだろう。
きっと僕のことなど忘れて……碧衣……。
会いたい。会いたい。会いたい。
狂うほど君に会いたい。
何故、卒業式のあの日、『十年後の約束』などしてしまったのか。
十年かけて君に相応しい男になる。
その一念で交わした約束だったけれど、君に合わせる顔など僕は今でも。
碧衣。
天女のように美しい僕の碧衣……。
会いたい……君に。
君に会いたい……碧衣…………。
そうして僕はペンを握ったまま、また深い、深い微睡みの底へ、終わらない夢の世界へと堕ちていく。
・
・
・
・
・
それから三ヶ月後、僕は退院した。
入院中に書き散らかした文章……碧衣をヒロインとし、夢と現実の狭間で揺れる僕の私小説が、たまたまある出版社の新人賞を受賞し、僕は作家の端くれとなった。
退院した今でも、僕は夢と現実の区別がわからなくなることがある。
白昼夢。目の前に碧衣の幻が浮かんでは、僕を惑わし、消えていく。
でも、今の僕には「窓」がある。
僕には一枚の窓があればいい。難しい言葉はいらない。
見えるのは海と空と碧衣、君の姿。他のものはいらない。何もいらない。
空はなぜこんなにも美しいのだろう。あの日ふたりで見上げた空と同じように、なぜ?
青い空の下にいるとき、僕は碧衣を抱きしめる。白い雲の下にいるとき、僕は君を……。
いや、違う。それは夢。
僕はあの時と同じ、永遠に終わらない夢を見ているのかもしれない。
決して触れてはならない君の姿を、今もこうして夢見ているのだから……。