勇者、神官と再会する
門をくぐり街に足を踏み入れた瞬間、嫌な感覚が足元から沸き上がってきた。
それは背筋が震えるような感覚で、肌の上を虫が這うような不快さでもあった。
慌てて確認したが、服の上も中にも、虫など存在しない。
万が一を考え、公衆トイレでパンツの中も確認したから、それは間違いない。
そのときに肌を触っているので、視覚と触覚に問題はないだろう。
次に思い至ったのが嗅覚だ。
街には工業地帯があり、異臭が空気に含まれているという可能性もあった。
これなら、普段この街で生活している人たちに異常がないのもうなずける。
だが、それも違うらしい。街の入り口近くには露天商がおり、屋台で簡単な食事を提供しているのだ。芳しい香りは不快とは程遠く、食欲をそそるいい匂いだった。
屋台で買った串焼きも美味しく、味覚も問題ない。
残すは聴覚だが、これも問題ないと思う。
これといった根拠はないが、肌感覚として、五感は街の住人と大差がない気がする。
なら、この不快さはなんだろう?
おれだけが感じているのだろうか?
周りを見た。
街を闊歩するみんなが笑顔だ。露店商も大きな声ではきはきと接客している。住宅の窓に映る子供も、室内で飛び跳ねてイキイキしている。
どこを見ても、活気に満ち溢れた光景が広がっていた。
おれと同じ感覚なら、これはありえない。
無視して生活できる類の不快さではないのだ。
だとすれば、おれだけがおかしいと結論付けるのが妥当だろう。
……腑に落ちない。
この不快であると同時に、悍ましさすら感じるモノを、だれ一人として認識していないなどとは思い難いし、信じたくない。
ましてや、新参者だけが抱く感情なら、尚更だ。
おれは街を隅々まで歩くことにした。
そうすれば、一人くらいは不快に感じている者と出会うだろう。
結果だけ先に伝える。
不快なのはおれだけらしい。
解せない。許せない。
ただ、歩いて分かったこともあった。
丘から見た印象と違い、この街は非常に管理が行き届いていた。
道は石畳で舗装されているし、区画もわかりやすく碁盤目で仕切られている。
住宅地、商業地、工業地といったように、それぞれの用途分けも成されており、迷うことも少ない。
平屋が多いのは、壁によって遮られる日光を、高い建物がさらに遮蔽しないためらしい。作ろうと思えば、高層ビルのような多層建築も可能で、その技術も持ち合わせていると、大工らしきおっさんが胸を張っていた。
その話もまんざらウソではなのだろう。証拠になるかはわからないが、街全体に上下水が確立されていると聞いたときそう思ったし、正直驚いた。
日本のようにオートメーション化されているわけではないようだが、機械の代わりに魔法を使うことで、ほぼ同等の効果があるようだ。
そのおかげもあり、この街の工業は発達しているのだそうだ。聞けば、街の半数以上の人間が工業地となんらかの取引があるとのこと。
親切に説明してくれたおばちゃんに浮浪者と思われ、おれも工業地帯への就職を勧められた。雑用は腐るほどあるらしく、なにかしらの仕事にはありつけるそうだ。
ただ、問題を起こした場合、解雇も早いらしい。
ちなみに、工業地でお払い箱になった者を雇用するところは皆無だということだ。それほど、街は工業地と結びつきが強い。
発言権も同様で、工業長が白と言えば、黒も白になるらしい。
「まあ、そんな横暴な頭はいないけどね。だぁ~っはっはっは」
と、おばちゃんの横にいた酔っ払いが付け足した。
街中は驚きに溢れていたが、なにより驚いたのが、教会が多いことだ。
区分けされた地区に最低一つはあり、二十四時間だれかしらが常駐しており、いついかなるときであろうと、礼拝には困らないらしい。
信心深くないおれには理解できないが、この街では教会に行くことが、なによりも大事なことのようだ。
「それはつまり、王に祈りを捧げることに他なりません」
ということらしい。
住宅地にある一際大きな教会の宗主である女神官がそう言ったので、間違いないだろう。
あと、お気づきかもしれないが、おれの目の前にいる女神官は、おれを街に呼んだ神官と同一人物である。
たまたま歩いていた際に通りかかった教会の前に、彼女がいたわけだ。
宗主である彼女の姿を拝めるのは僥倖であり、多くの市民が跪き祈りを捧げていた。
「お待ちしていました。さあ、お入りください」
神官の言葉を受け、それがだれに発せられたのかを確認する市民たち。
神官の視線はおれに向けられている。
「うらやましい」
「だれだ、こいつは?」
「代わってほしい」
皆、声には出していないが、言いたいことは痛いほど伝わってきた。
この状況で、拒否権などあろうはずがない。
教会の前に来てから増した嫌な感覚はいまだ拭えないが、おれは神官の後に続いて教会に入った。
そして言われたのが、さきほどの一言である。
「神は民を救わぬことがありますが、この国の王は決して民を見捨てません。ですから、王を崇めるため、祈りましょう」
神官が胸の前で手を組み、祝詞を唱えた。
般若心経にしてもそうだが、祝詞というのは理解していない者には上手く聞き取れない場合が多い。
神官が唱えているのもそうで、おれには彼女がなにを言っているのか理解できなかった。
しかし、前言通り、王を崇めているのだろう。
それ自体に問題はない。
信仰は自由だ。
ただ、神官が祝詞を捧げた瞬間から、おれの中にあった不快感が急増したのは問題だ。
いままでは我慢できないほどではなかったが、その感覚が急速に薄れている。
肌の上を這っていた虫が、皮膚の中に入ってくるような嫌悪。というよりは、許容できないおぞましさがおれを襲っていた。




