勇者、請求書を受け取る
「では勇者、これをお読みください」
サラフィネが一封の封筒を差し出してきた。
「おれ宛?」
うなずかれたので受け取った。
ただ、封がしっかりと閉じられているうえに、送り主の名前もない。
「間違いないの?」
おれがここにいることを知っている友人、知人はいない。いたとしても、神界に郵便を送れる猛者はいないだろう。
怪しい。この封を開けるのは危険だ。
第六感がそう強く主張している。
「開けないのですか?」
サラフィネの顔から笑みが消えている。
いや、笑みだけじゃない。感情そのものが無に帰している。それはまるで、能面を張り付けたようだ。
(おっかない!)
そう叫んで逃げ出したいが、逃げ場はない。
「開けないのですか!?」
言葉の圧が凄い。さっきまでの殊勝なやりとりはどこにいったのだろうか。
「開けなきゃダメかい?」
…………サラフィネは無言だ。けど、背後には当たり前だろ!? と書いてある。
「……わかったよ。開けるよ」
封に手をかけた。後は千切るだけだ。
(ダメだ!)
踏ん切りがつかない。
こういうときはあれだ。深呼吸をして気持ちを整えよう。
吐いて~。吸って~。吐いて~。吸って~。
反対だろ!? と思った人もいるだろうが、体内に酸素を取り込むにはこの方がいい場合もある。と覚えておいてほしい。
理由は吸ってから吐くと呼吸が浅くなる場合があるのに対し、肺の中の空気を吐き切れば、人は自ずとその分を吸うからだ。
よし。大分落ち着いてきた。
吐いて~。吸って~。吐いて~。吸って~。
これだけやれば十分だ。
気持ちも整った。
「せいっ」
思い切って開封した。
中を見ると、一枚の紙が入っていた。二つ折りにされていたそれを取り出して広げた。
『請求書。一三〇〇万也。鍛冶屋ロイド』
簡素な文だ。
それだけに明快だな。
「おれに払えと?」
サラフィネが無言で首肯した。
「ないわ~。そりゃないわ~」
頭を振った。
「大体、これなによ? 鍛冶屋? 仕事頼んだ覚えありませんけど!?」
「竜滅槍」
「あったね~。完全に忘れてたけど、いま思い出したわ」
前言撤回。手のひら返し。そんな感じのことが、綺麗に決まった。
「どうします?」
「どうしますもなにも、金なんかねえよ。無い袖は振れねえんだから、払いようがないだろ」
完全な開き直りだが、それも致し方ない。だって、本当にないのだから。
「それについてなのですが、勇者はなぜ魔導皇国で支払われた対価を置いてきたのですか?」
「なぜって……べつにいらねえし、あいつらもそこまで裕福じゃないみたいだったからさ。なんかの足しになればいいなぁ、って」
はあぁぁぁ、とサラフィネが盛大なため息を吐いた。
「勇者よ。あなたは馬鹿ですね」
カチンときたが、払えない請求書が手元にあるいま、反論できなかった。
「ニナは現王妃です。事件が解決したなら、王宮に戻ることも可能でしょう。ニナの腹積もりは知りえませんが、彼女は能力も高く人気もありました。王宮勤めの助産師が付いて行ったのもうなずけます。そしてなにより、ニナは救国魔団を立ち上げ、貧民の味方をしていました。そんな彼女を、民衆が放っておくと思いますか?」
ぐうの音も出ない。まったくもってその通りだ。
運命、宿命、天命……表現はそれぞれだし、是非もある。けど、抗えないモノもたしかにある。
「ニナなら大丈夫だ。ツベルやアベル、ニコルが支えてくれるだろうさ」
「そんなことは聞いていません。わたしが訊ねているのは、なぜ支払われた硬貨を持ち帰らなかったのか? ということです」
いい感じで話を逸らせたつもりだったが、ダメらしい。サラフィネはどうあってもそこを詰めたいようだ。
「いや、でもよ。あれはそんな大層な額なのか? おれは違うと思うな」
「ええ。額でいえば大したことはありません」
「だろ!? なら、あってもなくても同じだろ」
「よく考えてください。日本の硬貨をアメリカで使用することが出来ますか?」
無理だ。通貨単位が違うからな。……待てよ。ということは……
「硬貨自体に価値があるのか?」
「その通りです」
サラフィネが大きくうなずいた。
「あの袋の中には、天界では希少な材料が使われた硬貨が含まれていました」
「一三〇〇万の価値があるほどの物があった……」
「市場価値でいえばそこまでの物ではありません。ですが希少であるのは間違いありませんし、職人によってはそれ以上の価値をつける人もいるでしょう」
「この鍛冶屋もそうなのか?」
「わかりません。ですが、交渉してみる価値はあったでしょうね」
にわかには信じられないが、ウソをつく理由もない。
ただいずれにしろ、ないものはどうにもできない。
「どうする?」
「体で払ってください」
卑猥な冗談にもっていくこともできるが、無視されるのがオチだろう。それに、そんなくだらないことを言っている余裕はない。
「具体的には?」
「ロイドから依頼があるそうです。詳しくはあちらで伺ってください」
「了解した。では、転移してくれ」
「あちらをご使用ください」
サラフィネが指し示す先には、ピンクのドアがあった。
それはまさに、どこにでもいけるドアだ。絵にすれば完全にアウト。著作権侵害で訴えられても不思議じゃない。
いろんな意味で、あれをくぐるには勇気がいるな。
だが、こうしていても始まらない。覚悟を決め、おれはドアノブを回した。
「勇者よ。今回は大魔王や魂のカケラの回収はありません。借金の返済。それが唯一無二の目的です」
気持ちいいほど明確だ。
「了解だ」
ドアを開けた。先は光が差しているだけ。
(おれの未来もこうだったらいいな)
足を踏み出した。
「健闘を祈ります」
後ろ手に手を上げ、おれはピンクのドアをくぐった。




