勇者、修行の後、異世界に行く
「もうやだ~」
修練の間に入って五分もしないうちに、おれは追い詰められていた。
「キシャアアアアア」
「グワァァァァァ」
「ピギャアアアアア」
「ドビュッシュゥゥゥゥゥ」
獰猛な唸り声をあげ襲い来る獣たち。
総じて体長三、四メートル越えだし、目方も百キロはあろうかと思う。
中にはフランス出身の有名作曲家のような鳴き声のやつもいるが、全員が鋭利な爪や牙をギラつかせて突進してくる。
修練の間は広く小回りが利くため、辛うじて避けられてはいるが、どうにか出来そうな気がしない。
剣を抜いて戦うなど、出来ようはずがない。
だって、めっちゃくちゃ怖い!
「逃げてはいけません。戦うのです。勇者」
いつからそこにいたのかは定かでないが、ポポという名を語るサラフィネが、ファイティングポーズをとってみせる。
「さあ、行け! 行くのです! 勇者よ」
ボクシングのセコンドよろしく、床をバンバン叩いて鼓舞するが、そんな無責任な言葉に従えるわけがない。
おれは醜く転がりながら、なんとか獣たちの攻撃を躱し距離を取った。
「相手は弱っています。いまです」
「キシャアアアアア」
「グワァァァァァ」
「ピギャアアアアア」
「ドビュッシュゥゥゥゥゥ」
サラフィネを否定するように、獣たちが再度咆哮した。
弱っているどころか、元気満々だ。そして、幾分かの怒気が混じっているような気がする。
「あんなものは虚勢にすぎません。ためらわずやるのです」
言いながら、ジャブ、ストレート、フック、アッパーという流れるようなコンビネーションを披露するサラフィネ。腰が入り、軸回転で放つそれは、見事だった。
「お前がやれ!」
言い返すおれに、
「それは出来ません。わたしは修練の間の管理者であって、この場に足を踏み入れた、勇者であるあなたを鍛えることしか許されていません。いまここであなたの手助けをすることは、その成長を阻害します。ですから、アドバイスしかできないのです」
サラフィネはそう言うが、アドバイスすらされた記憶がない。
おれの記憶にあるのは、修練の間に入った瞬間、獰猛な獣たちに追い回された思い出しかない。
「だいたいこれのどこが修行なんだ。一撃で死ぬぞ」
「ええ。勇者の一撃で難なく屠れる存在です。さあ、やっちゃってください」
話が噛み合ってねえ。
「死ぬのはこっち」
半泣きで訴えるおれを無視して、
「実戦に勝る修行はありません。心身ともに極限状態に陥ることで、あなたの中に眠る潜在能力が目覚めるのです。さあ、覚醒するのです」
サラフィネが悦に入っている。
その姿はヤベェやつだ。
信じる者を間違えたかもしれない。
「おれは戦闘民族じゃねえぞ。ごく一般的な日本人だ」
抗議の声を上げたが、それが意味の無いことだとも理解している。
そして、おれ自身覚悟を決めなくてはいけないことも。
……やる……しかない。
「キシャアアアアア」
「グワァァァァァ」
「ピギャアアアアア」
「ドビュッシュゥゥゥゥゥ」
だって獣たちは、殺る気満々だから。
集中しよう。
こういうときは目を瞑り、己と対峙するのだ。
…………実践しようとしたが、
「キシャアアアアア」
「グワァァァァァ」
「ピギャアアアアア」
「ドビュッシュゥゥゥゥゥ」
そんな獰猛な声が聞こえる以上、目を瞑ることなどできようはずがない。
できたとしても、8ビートのように刻む心音がうるさくて、集中できない。
「やっぱ無理。助けて」
「すでに剣と防具を授けています。これ以上の手助けは、契約上できません」
突き放す言葉であったが、おれは思い出した。
契約。
そう。そうだ。おれは、サラフィネと契約を交わしたんだった。
そしてそれは、いまここにいない自分との契約でもある。
全力で業務にあたる。
過程においての失敗は許されるが、結果を失敗で終わらせることは許されない。
万が一失敗したとしても、全力で事にあたったと、胸を張れる自分でいなくてはいけない。やれることは全てやったと言えないようでは、フリーランスとして生き抜くことはできない。
なら、おれはいま、全力で対処しているだろうか?
否だ。
困難から逃げているだけだ。
これではいかん。
やるしかない!
そして、それは『いま』なんだ。
覚悟を決めると、おれの中でなにかが爆発した。
「キシャアアアアア」
「グワァァァァァ」
「ピギャアアアアア」
「ドビュッシュゥゥゥゥゥ」
恐ろしい咆哮だった。だが、いまはそれを冷静に受け止められる自分がいる。
そしてよく見れば、獣たちの動きはそれほど俊敏ではない。
もし自分の手に負えない相手であるなら、おれはとっくに死んでいたはずだ。
「キシャアアアアア」
「グワァァァァァ」
「ピギャアアアアア」
「ドビュッシュゥゥゥゥゥ」
血気盛んに迫りくる獣たちに向け、剣を一閃させた。
剣線が届く距離ではない。
だが、獣たちは首をはねられ、事切れた。
「お見事です」
拍手するサラフィネに、斬撃を放った。
「キシャアアアアア」
サラフィネの前に突如現れた獣が、断末魔の叫びと共に切られた。
「見えない敵も切る。一段上の剣技を身につけましたね。これで一応の修行は完成です。さあ、異世界に行くのです」
「早くね!?」
「グズグズしている時間はないのです。さっさとしないと、二号は大魔王に穢されてしまいます」
サラフィネの言っていることは理解できる。
だが、物語はまだ序盤だ。大魔王討伐は時期尚早だ。それだけは間違いない。
だからおれは言った。
「おっしゃってることは理解できるんですけど、大魔王に戦いを挑むのはまだ早いと思うんですよね。準備とか……異世界の知識とか……色々ご教授願いたいんですけど……だめですか?」
思いっきり下手で。
平身低頭で揉み手をする姿は、完全にご機嫌伺だ。
「転送はわたしにお任せください」
こちらの話を聞く気はないらしい。
サラフィネが両手を合わせ祈りをささげると、おれとサラフィネの足元に魔方陣が生まれた。
交渉は決裂した。というより、こちらの願いは話し合いの場にすら届いていない。
「実戦に勝る修行はありません。ただ、これだけは胸に刻んでおいてください。あなたの仕事は、大魔王を倒すことであって、魔王を倒すことではありません。いいですね? 狙うは一つ。大魔王の首です」
力強く言うサラフィネに、おれは言った。
「おれの魂の回収は?」
「おまけです」
はっきりとそう聞いたのを最後に、おれは異世界に跳んだ。




