勇者は居たたまれない
村長に案内された宿はまあまあだった。
室内は質素で最低限の物しかなかったが、問題ない。ベッドがあるだけで充分だ。
布団は森の草かなにかが入れられているのか少し硬かったが、森林浴のような香りがおれの眠気を更に誘った。毛布も同様で、ベッドに横になってすぐ、眠りに落ちた。
「……者様。勇……様。勇者様」
ワァーンの声がする。
「朝です。起きてください」
低血圧は朝に弱いと言われているが、おれはそうでもない。低血圧ではあるのだが、寝起きはいいほうだと自認している。
一人暮らしが長く、他人に起こされたのも大分昔だ。久しく忘れていたが、こういうのもいいものだ。
「おはよう」
挨拶しながら、軽快に布団をはねのけた。
「おはようございます。元気ですね」
IT屋時代は五時間眠れたら奇跡だった。それが昨晩は、少なく見積もっても七、八時間は眠れたはずだ。これで体調が悪いはずがない。
「朝ごはんはどうされますか?」
「いただきます」
正直言うと、朝は食べない派だ。けど、それは生活が不規則だったのが原因である。規則正しく三食食べるなどということは、したくても出来なかった。腹が減ったら片手で食べられるものを口に放り込む。それが常だった。
そんな生活を送っていると、周りからは職に興味がないと思われがちだが、違うのだ。
出来るなら、三食いいものを食べたい。
だからこそ、仕事が一段落し、時間が出来たときのおれは欲望に忠実になるのだ。食べたい物を食べる。値段が張る張らないは二の次だ。美味しいと思った物で、腹がはち切れんばかりに満たす。それが人生の楽しみだった。
とどのつまり、食べることは好きなのだ。いまもパンが焼き上がったような芳醇な香りがしていて、うきうきしている。
「では、身支度を整えられたら、下にいらしてください」
ワァーンがお辞儀をして去っていくが、ひょこひょこと歩き方がぎこちない。
それを指摘しないデリカシーはあるし、ワァーンの表情は昨日と一緒だった。
ベイルとの行為は、無理やりではなかった。ということだろう。ならよかった。
親戚のおっさんみたいだが、安心した。
「さて、飯にしよう」
身なりを整え、おれは階段を下りた。
「こちらです」
声のした方を見ると、店の奥のテーブルにワァーンがいた。
「よう」
「やっと起きてきたか。バカ野郎」
その隣に、にこやかに手を上げるベイル。少しだけ不機嫌そうな村長は、二人の対面に座っている。
四人掛けの席で空いているのは、村長の隣だけ。
嫌だ。村長の隣うんぬんではなく、あのテーブルに着くこと自体が嫌だ。
けどまあ、わがままは許されないのだろう。席はおろか、食事もセッティングされてしまっている。
テーブルの移動は許されないだろう。
ああ、憂鬱だ。食事は美味しそうなのに、テーブルを囲むメンツが最悪だ。せめて、ベイルと村長が仲良さげにしていてくれれば違うのに。
なぜおれが間男のような心境にならなければいけないのだ。
面倒くせえなぁ。飯ぐらい気持ちよく食べさせてくれよ。
ただまあ、それは叶わぬ願いなのだろう。
「おはようございます」
半ば諦め、おれは席に着いた。
「遅よう」
「ったく、もうちっと早く来いってんだ。バカ野郎」
ベイルと村長に嫌味を言われた。意味がわからない。起床時間は指定されていないし、朝会う約束をした覚えもない。
だが、反論することに意味がないのも理解している。
ベイルの表情は自分の優位性を確信し、上から見下しているのが丸わかりだ。思い当たる節はないが、自分のほうが優れていると思うなら、それでいい。
かたや村長のほうは八つ当たりである。それを理解しているから、反論は無駄なのだ。そこにロジックはないし、道理もないのだから。
空気になって、やり過ごすしかないのだ。
(ザ・エアー)
心の中で呪文を唱え、おれは空気になった。
ちなみにだが、これは不思議な力ではない。おれが社会人時代に編み出した処世術だ。その辺勘違いしないでほしい。
「…………」
「…………」
「…………」
ベイルと村長がなにか言っているが、おれには届かない。心を無にしたからな。
「…………」
まだなにか言っているようだが、リアクションしないでいると、ベイルはおれから興味を失ったようだ。
「ワァーン。食事を再開しよう」
「ええ。勇者様」
「では、食べさせてくれないか」
「ふふ、勇者様ったら、仕方がありませんね」
ベイルが口を開け、ワァーンがサラダを含ませた。
なんだこのバカップルは!? そのあまりの衝撃に、おれの心が波立った。くそっ。呪文の効果が切れてしまった。
これが続いていたのだとしたら、村長の仏頂面もうなずける。
「美味しいよ」
「ええ。このお店の料理は絶品ですよね」
「ワァーンが食べさせてくれるから、なおの事さ」
「あら、私の料理が食べたいとは言ってくれないのですか?」
「ワァーンが絶品なのは昨日確かめたからね」
勘違いかもしれないが、とんでもないセクハラでないかい!?
「もう。勇者様ったら」
恥ずかしそうにはしているが、ワァーンもまんざらではなさそうだ。
無理だ。こいつらを理解できない。
「デザートは桃かな?」
「きゃっ。勇者様! それは桃ではございません」
机で隠れて見えないが、ベイルがワァーンの尻を触ったようだ。
すげえな、こいつ。よく親の前でこんなことが出来るな。
横目で見たら、村長は怒りを通り越し、悲しそうにしていた。
「じゃあ、サクランボかな」
鼻の下を伸ばして、ベイルがワァーンの胸に手を伸ばした。
これはダメだ。
村長でなくとも、居たたまれない。
素早くテーブルに置かれたフォークを掴み、ベイルの手の甲に投げ刺した。
「イテえっ! おい、なにすんだ」
手を引っ込めたベイルが、おれを睨んできた。
「悪い。手が滑った。寝起きでまだボウッとしてるみたいだ」
「そんな言い訳が通じると思っているのか?」
まあ、無理だろう。寝ぼけていたやつがフォークを落とすならまだしも、投げつけたのだから。
「許してくれよ。聞くに堪えなかったんだよ」
「ケンカを売っているんだな」
「滅相もない。ただ、そういうことをするなら、人目のないところでお願いします」
「うらやましいってことか」
勝ち誇ったようにベイルが笑った。
さきほどの地獄のような光景が訪れないのなら、そう思ってもらって構わない。
「ワァーン。場所を移そう」
「ですが勇者様」
立ち上がったベイルとは反対に、ワァーンは困惑の表情を浮かべた。
意外だった。先ほどまでの感じなら、ノリノリで行きそうだったのに。
「約束は守られるのだろうな」
腹の底よりもっと深い場所から、村長が絞り出すように訊いた。
「当然だ」
ベイルの返答に、ワァーンが目を閉じた。
「ありがとうございます。勇者様」
そう言って満面の笑みを浮かべるワァーンは、別人のように映った。
一瞬で気持ちを切り替えたのだろうか。もしそうなら、一流女優のようだ。
「では、失礼。行こう、ワァーン」
「はい。勇者様」
ベイルの腕に自分の腕を絡め、ワァーンたちは店を後にした。
「いいのかい?」
訊くのも野暮だが、いまなら対処できる。
「いいんだ。いい……んだよ。バカ野郎」
消え入るような声。それだけで、良くないことはわかる。
止めてやるべきなのかもしれないが、村長はそれを望んではいない。震わせながらも、おれのズボンを強く握っているのが、その証拠だ。
理由はあるのだろう。ワァーンのことなのか、娘が選んだベイルのことなのか、はたまた別のなにかなのか。
探ることはできるが、はばかれる。
必死に耐える村長の傷を穿るようなことは出来ない。
この世界に来てから、こんなことばっかりだ。いい加減嫌になってくるが、折り合いをつけるしかないのだろう。
村長もワァーンも納得している。もしかしたら、していないのかもしれないが、腹をくくり覚悟は決めているようだ。
なら、おれがどうこう言う問題ではない。
この話はこれで終わり。だれも得しないことをする必要はない。
「いただきます」
朝食に手を付けた。
美味しそうな匂いをさせていたそれは、すっかり冷めていた。




