勇者と女神の初対面
三年前。
地球で生まれ日本で育ったおれこと清宮成生は、バリバリのIT屋として働いていた。
もともと電子機器が好きだったこともあり、高校や大学に行きながら秋葉原のパソコンショップでバイトし、修理やメンテナンスといった機械としての基礎知識を学んだ。
それと同時にゲーム会社のプログラミングやデバックのバイトを掛け持ち、機械の中のことも学んだ。
大学卒業後はIT系に強い派遣会社に登録し、数多の企業に赴き人脈を作った。
現場のたたき上げだけにバカにされ辛酸をなめることも多かったが、学んだスキルは裏切らず、いつしかおれは結構な高給取りになっていた。
現場主義である性格も評価され、仕事の依頼も増えた。
それならばとおれは派遣を辞め、フリーランスの道を選択した。
まあ、派遣戦士であり続けられない事情もあったのだが、それは割愛させてもらう。
いま言えるのは、恨みは買わない方がいい。それだけだ。
なんにしろ、フリーランスに転身したおれは成功し、小金持ちになった。
都心にマンションでも一棟買い、住処と家賃収入を確保して、後はやりたい仕事だけやって悠々自適に生きていこうかな。
なんて思った三八歳。
…………現実は……甘くなかった。
フリーランスという立場では、おれの望むローンが組めなかったのだ。
貯蓄を振り絞ればイケたかもしれないが、先々のことを考えれば不安だし、博打を打つつもりもなかった。
仕方ない。頭金を増やすため、もう少し懸命に働くか。
なんて思った矢先、パソコンに一通のメールが届いた。
送り主は、海外に本社を持つセキュリティーソフト会社の日本法人。
内容を確認すると、新製品の開発に協力してほしいということだった。
苛烈な業務が予想できヤダな、と思ったが、メールの送信者は昔世話になった恩人であった。
転職したらしい。
となれば、無下には出来ない。
なぜなら、義理を欠くことはフリーランスがしてはいけないことの一つだからだ。
かくしておれは恩人に会い、断れないまま、なぜか海外の本社で働くことになるのだった。
まあ、それはいい。
その国の母国語は英語ではなかったが、多国籍企業であるため、英語が通じた。
ベリーナイスなコミュニケーションとはいかないが、仕事に支障がきたないぐらいの英会話はこなせたので、私生活を含め問題はなかった。
一本のソフト開発の契約としては、驚くべき額の報酬も得た。
半年以上に渡った業務が、永遠と続く死のロードだったことを除けば、概ね良好だ。
マスターアップと同時にマンションの頭金には十分な利を得て、おれは帰国の途に就いた。
その帰りの飛行機が、墜落したのだ。
そして気づけば、おれは目の前にいる女神のもとにいた。
「あなたは死にました」
いきなりの宣告に、眉根を寄せた。
とはいっても、おれもバカじゃない。
飛行機が墜落したのも理解しているし、見渡す限りの真っ白な世界に飛ばされれば、大体のことは想像がつく。
目の前の女が言う通り、おれは死んだのだろう。
百歩譲ってそこは認めよう。
だが、この女の物言いは許容できない。
もう少し、デリカシーがあってもいいはずだ。
「ですが、あなたは運がいい」
この一言におれはキレた。
世界一安全な乗り物といわれている飛行機が落ちたのだ。
運がいいわけがない。
なのにこの女は、言うに事欠いて運がいいとのたまうではないか。
許せん!
泣くまでイジめてやる。
「両親に感謝すべきですよ。清宮成生さん」
名乗ってない名を当てられ、おれは少しだけ動揺した。
「あなたは飛行機事故に巻き込まれ、砕けた肉体と一緒にそこに収めた魂まで砕けてしまいました。これは大変意外なことなのですが、あなたの名前『清宮成生』が幸いし、あなたの魂の一部をここに運んできました。名は体を表す、とはよく言ったものですね」
この女はなにを言っているのだろう? さっぱり意味が解らない。
沸き上がった混乱が、胸を占めていた怒りを上まっている。
「あなたの困惑は理解できます。ですから、説明致しましょう」
ありがたい。
この女に対する評価を、少しだけ改めようと思った。
ゴホンッと咳払いをし、女が語り始めた。
「まず初めに、わたしは女神です。名はサラフィネと申します。愛称であるサラと呼んでもらっても構いませんが、わたしはあなたにそこまでの親しみを覚えていません」
友好的……ではないのだろう。
初対面の相手を信用していないのはおれも同じだから、なんの問題もない。
「管轄は色々です。色々だからこそ、この案件の担当にされました。忌々しい」
おや、語尾に女神にそぐわない言葉が聞こえたぞ? 空耳だろうか。
「普通は肉体が活動を終えた場合、中に収められた魂は天に召され、浄化された後に転生します。ですが、あなたは肉体と一緒に魂まで壊れてしまったのです。前にも言いましたが、これは大変稀有なことです。千年に一度あるかないかと言っていいでしょう。ガッデム!」
おや? また語尾に変な一言が……もしかしてこいつ、確信犯か?
「さらに、その魂の一部が女神のいる場所まで勝手に来ることなど、人類史始まって以来の出来事です。ちっ!」
舌打ちと同時に、ペッとツバを吐き捨てる女神。
「失礼。はしたないことをしました」
そう言いながら、女神が手を払った。
すると、吐き捨てたツバが綺麗に消えた。
うん。褒められた行為ではないが、痰が絡むなどはあることだ。
あれもわざとではなかったのだろう。
おれは好意的に解釈することにした。
でないと、自分を制御できない。
「そんなことが起こった原因が、あなたの名前だと考えられます。
清宮成生。
つまり、この清閑な神宮で、魂を生成する存在であると認められたわけです。ファ●クユー!」
聞き間違いかもしれない。
だが、中指を立てているのだから、解釈としては間違ってはいないのだろう。
目の前の女神は、おれに喧嘩を売っているのだ。
「てめえっ! さっきからふざけんのもたいがいにしろよ! その綺麗な顔面、グチャグチャにすんぞコラッ!」
「あなたの怒りはごもっともです。ですが、わたしのそれはあなたのそれ以上です」
サラフィネが眉と目を吊り上げた。
圧倒する迫力があり、おれの気勢はそがれた。
「ですが、それを互いにぶつけたところで、なんの解決にもなりません。不毛な傷が増えるだけです」
さすがは女神、立派な言葉だ。
しかし、シャドーボクシングを始めた意味がわからない。
「シュッ、シュッシュ」
声を出し、ウォーミングアップに熱が入りだした。
「一発ぐらいはいいですよね?」
「いいわけねえだろ」
お菓子をねだる子供のような無邪気さで訊かれたが、入念な左フックを確認しているサラフィネに応えることはできない。
「そうですか。なら仕方がありません。話を続けましょう」
サラフィネが空間に一つだけある椅子に座り、小さく息を吐きながらうつむいた。
「突然ですが、勇者になりませんか」
顔を上げたサラフィネに、笑顔でそう言われた。
「だれが?」
「もちろんあなたです。清宮成生さん」
サラフィネは笑顔だ。見惚れるほど美しい。
それだけに、怖い。
まるで、笑顔の仮面を張り付けたようだ。
「魔王を倒せ。世界を救え。などという無理を言うつもりもありません。あなたはあなたを救う勇者になるのです」
抑揚のない声だ。
おれはこれを知っている。
派遣会社や派遣先の会社が、業務以外のことをやらせようとしているときと酷似している。
契約違反ならまだマシだが、中には法律違反スレスレ、もしくはアウトな事案もあった。
無知な人間に危ない橋を渡らせ、利益を得る。例え捕まったとしても、契約外のことを無知な人間が『勝手』にやっただけ、という逃げ道も用意している。
「報酬は、生まれ変わった後の豊かな人生でどうですか? 本来なら転生先は選べないのですが、特例で選ぶことを認めることもできます。どうでしょう」
サラフィネが言うように、これは破格の好条件なのだろう。だが、上手い話には裏があるのも付き物だ。
これは乗ってはいけない船だ。
訝しむおれの表情を見て、サラフィネの表情が変わった。
「安心しました。こんな胡散臭い話に飛びつくようなら、任務の成功は難しいでしょうからね。あなたが聡明であってよかったです」
ニッコリ笑う姿は、可愛らしい。これがサラフィネの本当の笑顔なんだと感じた。
「試すようなことをして申し訳ありません。ですが、これは必要なことだったのです」
頭を下げながら、サラフィネは言葉を続ける。
「一番初めに言いましたが、あなたは飛行機事故で死んだ際に、肉体と一緒に魂が砕け散りました。もう一度生まれ変わるには、魂の修復が必須です。ですが、あなたの魂の一部は異世界に移動してしまいました。そうなると、神界に住む女神であるわたしには手を出すことができません。これは神界のルールであり、破ることは適いません。ですから、別のだれかに、魂の回収を頼まなければならないのです」
言葉には悔しさが滲んでいる。下唇を噛む姿からも、それがうかがえた。
そして、サラフィネがなにを言いたいのかも。
「それを頼むのが……おれ……ということなのか」
「舌の根も乾かぬうちに前言を撤回することになりますが、魂の回収は……別のだれか……ではなく……あなた……で、なければならないのです」
サラフィネの言葉は歯切れが悪い。
「理由があるんだな」
サラフィネが重々しくうなずいた。
「神ではない他人が回収した場合、あなたの魂は穢れてしまいます。そうなると、あなたが現世で行ってきた善行と悪行が正確に判断できなくなり、どこにも転生させられなくなってしまいます」
サラフィネの言葉から、色が消えた。
いままではそこに必ず存在していた、喜怒哀楽が無くなったのだ。
「行くところのないあなたは、神界に留まることしかできません。しかし、神でないあなたには、神界の空気や水は毒です」
言葉に重さがない。
ただ淡々と、事実だけを口にしている感じがした。
「もちろん、すぐにどうこうということはありません。ありません……けど、徐々にその体は弱り、最終的には消滅するでしょう。そうなれば、あなたに待っているのは永遠の虚無です。なにもない世界で、一人たゆたうのです」
重い。
感情が揺さぶられない現実が、これほど重く苦しいとは知らなかった。
「ですが、わたしはそれを認めるつもりはありません!」
強く言い切るサラフィネが、おれの押し潰されそうだった心を支えた。
「そしてそれは、あなた自身の想いでもあります。さあ、これを見てください!」
サラフィネが、懐から一枚の紙を取り出し、眼前に掲げた。