海へ行ってみよう
「お店も暇だし、気分転換に海に行きましょう!」
夏も中盤、猛暑のピークに差し掛かった頃のある日、シュガーフェストで働くはずの3人はその一言で突発的に海へ行く事になった。
茅原町から佐藤の運転する車に揺られ県を越え、しばらく行った所にある海岸付近の駐車場で降車した明也たちは視界の先に広がる海辺を見た。
「……人、いますね」
「それは夏真っ盛りだからな。まあ、ここは少ない方ではあるが……日帰りで行ける範囲ではこれが限度だろうな」
駐車場のフェンス越しで浜の方に視線を向けた明也は嫌そうに声を漏らす。京はそれとは逆に残念がる声で返した。
正直、明也としては海へ行くのは乗り気ではなかった。どちらかと言えばインドア派だし、人ごみというのも好きではない。
しかしそれでも結局行く事にしたのは佐藤の水着姿が見たかったからである。海でチャラチャラした男グループに絡まれてしまったりしないようにという心配もある。
そんな、はっきり言って下心まみれで同行した明也だったのだが……。
「でも、これだけいればお店の宣伝にはなっちゃいますよね、ちょっとくらい!」
「それ自体は、特に否定しませんけど……」
麦わら帽子とサングラスを身に付け、両手にはビニールシートやら飲料やらの詰められたバッグを手にした、そこだけ見れば遊ぶ気満々の佐藤がうかれ気味な声を上げる。
「だからってこの格好で来る意味はなかったんじゃないですか!?」
佐藤と京、それから自身の衣装を指差し明也は叫ぶ。
今日のファッションは3名ともお揃い、魔装少女の衣装である。いずれも、照り付ける太陽の光で強い光沢を放っていた。
「え、でも海でシュガーフェストの制服だと不自然じゃないです? あれ結構蒸しますし、泳ぐのにも不便だと思いますけど」
「そんな真っ当な疑問を抱くなら先に全身ラバースーツみたいな3人組が海にいる光景に疑問を抱いてくださいよ!」
「全身を包むタイプの水着もそう珍しい物ではないだろう?」
「間違いではないですけども! でもこことか! ほら!」
明也は必死に水着としては若干不自然な手足の装甲やサークレットなどを指で示すが、2人は特に取り合おうとしない。
「そういうファッションもあるだろうさ」
「寛容だなあー!! でも海にいる人全員がそうとは限らないでしょう!?」
「まあまあそんなにかっかしないでください暁くん。お店の宣伝って言うのは建前で、今日の本題は遊ぶ事なんですから」
声を荒らげる明也を佐藤は優しくなだめる。どう考えても丸め込まれている流れなのだが、明也は一度冷静になる事にした。
そもそも今この場で何を言おうとも手遅れなのだ。着替えようにも本来の衣服はシュガーフェストの更衣室の中だし、車の運転ができない明也が歩いて帰るには無謀な距離なのだから。
第一に何も不思議に思わず着替えて車に乗り込んだ明也にも落ち度はある。諦めて、今日はこの格好で目いっぱい楽しもうと心を入れ替えた。
「それは……そうですよね、すみません。俺も考えなしに言い過ぎました」
「わかってくれればいいんですよー、今日はお仕事の事はあんまり考えないでおもいっきり息抜きしましょう!」
「戦士にも休息は必要だからな。ここでしっかりと英気を養おうじゃないか」
そして、砂浜に降りた3人は早速準備に取り掛かった。佐藤の用意してきたバッグの中身を取り出し、開いている場所にビニールシートを広げて日除け用のパラソルを挿した。
「よし、完成だな」
慣れた手付きで京と佐藤がほとんどの準備を終わらせてしまい、手伝う暇も無かった明也は感心するように眺めていた。
そんな明也に、近くを通り過ぎたカップルの会話が偶然聞こえてくる。
「うわ、何あのカッコ。コスプレ?」
「ダッサ……あんなの家でやっててほしいんだけど」
心無い呟きだったが、既に吹っ切れた明也はそんなものまるで気にしない。気にすることなく京に話しかけた。
「先輩、俺ちょっと飛び込みとかやりたいんですけどこの辺に飛び込んだら死ぬタイプの崖ってあります? 」
「その文章の繋がりで教えるわけないだろう……」
嘘だった。めちゃめちゃ気にしてるし文字通りの死ぬほど辛い気持ちになっていた。
「いや……やっぱり無理ですってこれ……超絶変な目で見られるし、このままだと仕事を忘れるどころか一生忘れられない傷だけできちゃいますよ……」
顔を覆い、明也はさめざめと泣き始めた。所詮は名前も知らない通りすがりではあるのだが、むしろそんな相手だからこそ奇特な目で見られるのに酷い羞恥の感情を覚えるのだ。
「うーん、やっぱり海で過ごすにはちょっと目立つ格好という事なんでしょうか……」
悲しみに暮れる明也を見かねてか、佐藤はそんな事を呟いた。
「できれば、ここに来る前に気付いてほしかったですそれ……」
「そんなに落ち込まないでください暁くん! 私もそーゆー事態を全く想定してなかったわけではないので!」
胸を張ってそう答えた佐藤は、バッグの方へ手を伸ばすと中身を漁り出した。
もしかしてこっそり着替えを持ってきてくれていたのだろうか。そんな事を明也が考えていると、取り出されたのは文字のプリントされたゼッケンだった。
「……あの、これは?」
「ここは逆転の発想で、とにかくお仕事の事を考えてみましょうというわけですよ!」
ゼッケンには『ドーナツ専門店 シュガーフェスト』という文字がプリントされており、下の方に店付近の地図が描かれている。
「これを着て3人でお店の宣伝をしましょう! まあやる事はただみんなで遊ぶだけなんですけど、こうすれば『そういう仕事だから』と気も紛れるはずです!」
「つまり一石二鳥、というわけだ」
「……でも店長それと似た宣伝やって逆効果だった話前にしましたよね」
「…………大丈夫、宣伝はとにかく何度もするのが大事なので!」
そんな調子の佐藤に乗せられ、明也は結局佐藤に京と同じく魔装の上からゼッケンを着させられてしまった。
すると再び佐藤がバッグに手を突っ込み、ビニール製のボールを取り出して持ってきた。
「ほらほら暁くん、考えるより体を動かした方が楽しくなりますよぉ」
「……まあ、そうですよね。折角遊びに来たんだし、ネガティブになってたらもったいないですよね」
このまま自分がマリスドベルを生み出してしまうのではないか、というくらい落ち込んでいた明也だったが、なんとか自分を楽しませようと頑張る佐藤を見ていると少し気分が楽になってきた。
そこで気付いたのだが、いつマリスドベルが現れるかなんてわからないのに魔装少女である3名が茅原町を留守にしていいのだろうか。そんな事を思い、明也は口にしていた。
「今更なんですけど、マリスドベルの出現は心配しなくて大丈夫なんですか? もし俺達が遊んでる間に出てきたりしたら……」
不安げに明也がそう質問すると、心配ないと言って京が答える。
「そんな顔をしなくとも考えはある。そもそも今回は日帰りなのだし、私達が町を発ったのと同時に出てきたのでなければ多分間に合うだろうさ。仮にそうでなかったとしても……あれだ……まあ、結構どうにかなるものだろう。不安がるな」
「めちゃくちゃあやふやな上にあからさまに考えなしじゃないですか……うわすごい不安になってきた」
「暁くんは心配性すぎですよー。怪人さんだってこういう日くらいは空気を読んで出てこないですって。もっと気楽に考えましょう?」
「そんな事あります……?」
「ありますよーきっと」
答えになっていないような気もしたが、楽観的な佐藤の言葉に明也は言い包められてしまう。何にせよ今考えても仕方のない事でもあるし、今はそれ以上考えないでおく。
不安を忘れるためにも明也は佐藤、京の2人とビーチバレーをして遊ぶ事にした。距離を取って、3角形の形に向かい合う。
1打目は明也からのスタートになったのだが。
「あっ」
間の悪い事に、ボールを高く上げたのと同時に風が吹いて明也の後方へと飛んでいってしまった。
そう遠くない位置に落ちたもののそこは波打ち際であり、見計らったかのようなタイミングで来た波がボールをさらっていってしまう。
「す、すみません! すぐ取ってきます!」
「そんなにビクビクしなくっていいですよおー」
顔を青くした明也は大慌てで海に駆け出し、ボールを追いかけていく。
水深はあっという間に深くなり、明也は必死になって泳ぐ。
しかし思っていた以上に互いの距離は縮まらず、ボールはどんどん沖の方へと流され始めてしまう。不幸な事に他の海水浴客も近くにいないため、誰かに止めてもらう事もできない。
重なるアクシデントに明也は怒りを押し殺すようにギリリと歯を噛んだ。これ以上行けば今度は戻ってくるのが困難だろうという所まで追いかけたのだが、まるで届かなかった。
諦めてボールを紛失したと佐藤に伝えるよりほかないのか、と明也は諦めかける。
「ん……?」
引き返そうとした時、水平線の向こう側から何かが近づいてくるのが見えた。
だんだんと輪郭の大きくなっていくその何かに明也は一瞬サメが接近しつつあるのかと身構えたが、そうではなかった。
人だった。若干緑がかった髪色でショートヘアーと褐色肌の人物は自身の方へ流れてきたボールに気付くと抱きかかえるように掴み、明也の方へと泳いできた。
「これ、お前の?」
あっという間に明也の隣まで進んできてそう聞いたのは、なんと女の子だった。しかもかなり小さい。中学生くらいだろうか。喋り方もなんだかカタコトな感じで、一体どこから来たのか明也は気になる。
「一応そうだけど……」
「ありがとな! ちょい疲れてたから助かったんよ! もうちょっと貸しててナ!」
「え、あの」
笑顔で感謝を述べた少女は、また泳ぎ始めた。明也の横を通り、佐藤たちの待つ砂浜を目指しているようだ。
まるで海の住人であるかのような速度で泳いでいった少女に置いて行かれ、明也は1人取り残されてしまう。
「ほんとにどこから来たんだろ……?」
少女の現れた水平線をもう一度見る。その先には島などあるようには見えず、広大な海が広がっているだけだった。
今の女の子がどんな所から泳いできたのかわからなかった明也は首を傾げ、不思議そうにしながら砂浜の方へと戻っていく。
海から上がった明也は、即座に佐藤と京に挟まれてしまった。
「もー、どこまで行ってるんですか暁くん! あんまり遠くまで行ったら心配するじゃないですか!」
「すいません……ボールが思いの外流されていっちゃって」
「それくらいならまた買えば平気ですけど、人の命はそうはいかないんですよ!」
「き、気を付けます」
「この近くの海は人食いサメとか殺人クラゲもいるからな、無事に戻って来られて安心したよ」
「え!? そんなのがいるんで……ははあ、さては冗談ですね先輩?」
「いや、本当だからこそ夏真っ盛りの今でもそこまで混んでいないんだぞ。よく見ろ、皆深い所には行っていない」
言われてよく観察してみると、海水浴客のほとんどが浅瀬に集中している。腰より深い水深の場所にはほぼ人はいなかった。それに気付いた明也はゾッとする。
「そう顔を青くするな。今のは偶然人が深い所にいないから言ってみただけだ」
「……わ、わかりにくい冗談はやめてくれます!!?」
冷や汗を垂らした明也の顔を見て、京は口元を歪めた。
流石に怒りたい気持ちもないではなかったが、実際あまり陸から遠く離れては危険だし、命の危険もある。それを遠回しに明也に教えてくれているのだという事にしておく。
「あの、ところでボールは」
「暁くんより先に上がってきた女の子が持ってたので、説明して返してもらいました。暁くんにお礼言ってましたよ」
そう言って、佐藤はお腹の前にボールを抱えた。
お礼も何も、あれが無かったとしても普通に泳ぎ切っていたような気がする。ともかく、明也もボールを取ってくれた事に直接感謝をしたかったのだが。
「どこ行きました? その子」
「それがすぐにどこかへ行っちゃって、見失っちゃいました」
「そうですか……」
残念そうに言う佐藤に、明也も同じような声色で返す。
見渡した限り褐色の子供は見当たらないし、海であれだけ機敏なら陸でもさぞ素早いであろうし、探し出すのも難しいだろう。
「お礼くらいはしたかったけど……残念だな」
「残念ですよね……。絶対魔法少女とか好きそうだったのに」
「え……もしかしてあんな小さい子にこれ着せる気だったんですか!?」
佐藤の呟きに明也は自らの纏う魔装を指差して聞き返す。
大人が着ても恥ずかしいが、子供に着せるとそれはそれで犯罪臭のすごい衣装である。そこは目を瞑るとしても、子供をマリスドベルとして戦わせるのも明也は気が引けるのだが。
「何を言うんだ明也、魔法少女って本来は小さい子がなるものだぞ」
「そうですけど! そもそも俺達って魔法少女ではないですし、子供に着せるのは駄目でしょこれは!」
「大丈夫ですよ暁くん。魔装少女だって名前に少女って付いてますし、年齢にも性別にも制限はありませんから」
「問題はそこじゃあないと思うんですけどねえー!!」
もしかしたら、女の子がすぐいなくなったのはこの2人が魔装少女に勧誘とかしようとしていたからなのかもしれない。明也はそう思った。
結局女の子はどこから来たのか、それどころか名前さえ知らないままだったが、佐藤の車に戻るまでの間に彼女と再会する事はなかったのだった。