ライバル店の危機!
「お客さん……まったく来ないなあ」
シュガーフェストで働き始めてそろそろ2週間が経とうとしていた頃、冷房の効いた昼下がりの店内で明也はそうぼやく。
しかし、少なくとも明也が店にいる時間内で来客があった事は1度もなかった。
佐藤の話を聞いてしばらくの間ほとんど明也は仕事が手につかなかったが、そもそも客が来ないのでは仕事もやりようがなかったのだ。
改めてこの状況を認識してみれば、ここシュガーフェストの将来は絶望的というほかない。明也の口からは自然とため息がこぼれていた。
「うむ、これも楽ではあるが私の自信作が人目に当たれないというのは確かに張り合いもないな」
「……その自信作っていうのは今手に持ってる蛍光色に発光するドーナツの事ですか? 先輩」
「題して『ホタル』だ」
「いや……名前は綺麗だけれども!!」
閑古鳥が鳴くようなありさまだというのに先輩である京はこの調子で、心配のしの字もなさそうだ。
以前佐藤が言っていたことによればもう1か月以上は客が来ていないという話で、合わせれば約1か月半になる。シュガーフェストの財政状況は明也には分からないが、未だ破綻していないのは奇跡に近いのではないだろうか。
「……それにしたって、なんでこんなお客さんが人っ子1人来ないんでしょうね」
「それは仕方ない、商店街の中に強力なライバル店があるからな」
「そんなのがあるんですか?」
ここから少し離れた場所に商店街があるのは知っていたがライバル店があるというのは明也には初耳だった。
まあ、少なくとも食べられるドーナツは間違いなくそちらの方が多いだろうし(本来ドーナツは基本的に食べられるものだが)、客を全て取られてしまっているのだとしても不思議ではない。
「明也も知っているだろう、マスタード・ナッツというチェーン店だ」
「……チェーン店ですか」
ライバルの名を聞いて、明也は唸った。
マスタード・ナッツと言えば日本でも有数のドーナツ専門店である。全国的に展開しており、それだけあって安定した味と豊富なメニューを誇る人気店舗だ。
その上店は商店街に位置しているとなれば買い物ついでに来店する客も多いだろう。大多数がそちらへ流れてしまっていても納得はできる。
「だとしてもお客さんが皆無ってのはいくらなんでも不自然なような……。この店だって商店街からちょっと外れてはいるけど、誰かしら立ち寄ってもおかしくない距離なのに」
客足が遠のく理由には当然心当たりがある。品揃えとか、品揃えとか、品揃えとか。あと品揃えにも。
しかし人気なものをあえて避けるような変わり者だって少しはいるだろうし、そろそろまともな商品が並んでいるだろうかと訪れる誰かがいてもおかしくはないはずだと明也は思う。
この間のストーカーは例外として、やはり誰も店の中に入ってすらこないのは不自然に思える。
……もしかして、マスタード・ナッツ側が主導してシュガーフェストへ人が立ち寄らないよう嫌がらせを行っているのだろうか。そんな事を明也は考えてしまう。
「実は、このお店にお客さんが来ないのには理由があるのです……」
「あっ店長!」
話を立ち聞きしていたのか、調理場でドーナツを作っていた佐藤が現れて明也の前に歩いてくる。彼女が手にしている皿の上には蟹の甲殻のような質感のなにかが乗っているが、明也はあえてそれには触れないでおく。
「それで、過去に何があったんですか?」
「……開店当初、ちょうど京ちゃんがお店に来てお仕事してくれるようになった頃ですね、あまりしっかり宣伝をできていなくってお客さんが来なかったんです。なので改めてお店の事をアピールしようとしたんですけど……」
「ライバル店からの嫌がらせにあってしまったんですか?」
「そんなそんな。マスタード・ナッツさんは悪いお店じゃないですよー。もっと単純な話です」
明也の懸念だったがやはり考えすぎていたらしく、佐藤はさらっと否定した。
そうなってくるとなぜこの状況になったのかは疑問だが……、一体何があったのか。明也は話の続きを待つ。
「シュガーフェストというお店の名前と、ドーナツ屋さんが新しくできた事をお知らせしたくって、京ちゃんと話し合って近くのお家にドーナツを配って回ることにしたんです」
「そう言えばやったな。結果としては芳しくなかったのだが」
「…………まあ、本当ならそれで十分宣伝にはなるんでしょうけど」
ちら、と明也は陳列棚の方を見る。軽く目を向けただけでもドーナツではなく魔物の群れと呼んだ方がしっくりくる光景が広がっていた。
これを持って来られては近所にドーナツ屋がオープンした、というよりキメラを作るマッドサイエンティストが引っ越してきた、と思われてもおかしくはないだろう。
「お店の名前と近くの地図をプリントした箱に入れて玄関の前に置いていったのも逆効果だったんでしょうねー。それからはずっとこんな感じで」
「私もドーナツ作りにあまり慣れていない頃とはいえ、自信作だったんだがな、『墓標』と『棺』。何故客離れしたのか……疑問だ」
「そんな名前付けたもん配っといてよく疑問持てますね……」
あからさまに縁起の悪そうなドーナツを近隣に配れば、まあ誰も寄り付かなくとも納得はできる。その上面と向かって渡すのではなく家の前に置いて行かれてはなおの事不気味だろう。チェーン店へ客が全て集中しても自然でしかない。
しかし、しかしどうしようもない状況と呼ぶにはまだ早いかもしれない。まだ挽回のしようはある。ほぼ詰みの状況にしか見えないが名声を取り返す方法は残っている。ような気が明也はする。
「そのすぐ後にマリスドベルが出ちゃったのも痛かったですねー。魔装少女の姿を見た人達が『近くに変態の巣がある。多分あの店だ』ってシュガーフェストにも魔装少女にもひどい勘違いしたのを聞いちゃったんですよ! あんなにかわいいのに酷いですよね! 暁くん!」
「うーん……まあ……」
そう思うのも仕方がない。と、明也は思うが言葉には出せない。佐藤に嫌われたくはないので曖昧に返事をした。
どうにかシュガーフェストに客を呼び戻す方法を考えようと思っていたが、これはもう明也がどれほど知恵を絞り出してもどうしようもないのではないだろうか。
変態とまでは言わないにしても魔装少女の格好は実際きわどいし、従業員も3分の2は相当尖った性格であるし、間違っているとも言い難い。
これはもう信頼回復を諦めるしかないのかと明也が思ったその時、京が神妙な顔になって服のポケットからスマホを取り出した。
「このタイミングで来るとはな……」
「マリスドベルですか?」
「ああ。……そしてこれを見てみろ」
そう言って京は佐藤と明也に画面を見せた。シュガーフェストからかなり近い位置だ。更にただ近いだけでなく、ある事に気付いた佐藤が声を上げる。
「ここって……もしかして商店街?」
「そうだ。しかも件のマスタード・ナッツのすぐ近くだな」
怪人が出現したのは商店街。1時を少し回った現在時刻からすれば買い物客もまだ多くいる頃だろう。
明也は魔装へと着替えるために急ぎ更衣室へと向かう。
「行きましょう!」
「今回は私も行きますよ暁くん! 商店街のピンチを救ってシュガーフェストをアピールしちゃいます! 京ちゃんはお留守番で!」
言って、佐藤が明也の後に続く。どうやら、初めて店長の魔装少女姿が見られるようだ。まあ京と同じく色が違う程度で衣装としては同じなのだろうが、明也はちょっと期待していた。
シュガーフェストの制服を脱いで、着ていたシャツを脱ごうとしたところで、明也は止まった。
「……あの、店長もですか?」
「? 早く着替えちゃいましょう暁くん。商店街の危機なんですから」
当たり前のように下から脱ぎ始めた佐藤を前に、明也は物凄いスピードで更衣室から飛び出して着替えが終わるのを待った。
「もー、ちょっと時間かかっちゃったじゃないですか」
「いえ、これは絶対必要な時間でした」
佐藤に少し遅れて魔装へ着替えた明也は、頬を膨らませながら怒っている店長に弁解をしながら商店街までやってきた。
しかし、それが幸いしたのか商店街には既に人の気配がなかった。おかげでまたこの姿を人前に晒さず済み、明也はホッとする。
そのまま明也は佐藤の方を見た。予想通りというべきか、装甲部分の色が黄色であるのを除けば同一の衣装だ。
流石に体形までは同じではないのでそこは個人差がある。……京と比べると、すごい。服で隠れて普段は目立たなかったが、今なら一目瞭然だ。
このまま見ていると余計に好きになってしまう気がしたので、明也はひとまず視線を逸らした。
「……! 店長、あれ!」
立ち並ぶ店の奥に1つの影がある。常人ではありえない黒いもやを放つそれは、間違いなくマリスドベルだろう。
明也は佐藤と顔を見合わせるとアイコンタクトを取り怪人の元へと走る。
「そこまでだッ!」
明也の叫びに、マリスドベルは振り向く。
怪人の上半身はまるで筋肉の塊のようであり、巨大な肩幅を持ち、そしてそれに見合うだけのサイズを持つ頭部は鰐に近い。大きく長い口とそれに沿うように鋭利な牙が無数に生えていた。
対して下半身は普通の人間レベルに小さく、足の代わりのように両手を地面に付ける姿は恐竜に近いものを思わせる。
口を開き、怪人は獣が唸るような声で言葉を発した。
「なんだぁ、オメェらはぁ!?」
「私たちは茅原町の平和を守る、魔装少女です!」
「この町の人々を傷つけさせはしないッ!」
佐藤が決めポーズと共に口上らしきものを述べたので、明也も特に何も聞いていなかったがアドリブで合わせる。
……が、気に入らなかったのか普通すぎたのか佐藤は渋柿を食ったような顔をしている。いや店長もだいぶ普通の事言ってるのでは……と思うが、明也は言わない。
「ヒトを傷つけさせねぇだぁ!?」
怒りの混じるような声色で言葉を繰り返す怪人に、明也と佐藤はDブレードを構えていつでも反撃できる体制を取る。
「ヒトなんざどうだっていいぃ! オレはただこの店をブッ壊してぇだけだぁ!!」
「えっ?」
怪人の言葉に明也は間抜けな声で聞き返した。
そして改めて怪人前に建つ建物を見ると、それはつい先程まで話題に上がっていた店、マスタード・ナッツであった。
「毎日毎日毎日毎日ぃ、人手が足りねぇ訳でもねぇのにオレだけ開店から閉店までフルで働かせやがってよぉぉ!! 誰かがこんな店ブチ壊して休業に追い込んでくれねぇかって期待してたのに誰もやらねぇからオレがやるんだよぉぉ!!」
「そ……そんなの店長と相談して休みでも貰えばいいだろ!!?」
「知らねぇ! そんなもんこっちから言う前に寄こしやがれってんだぁぁ!!」
一際大きく吠えた怪人の言葉に、明也は少し邪な考えをしてしまった。
このまま、ちょっと、ちょっとだけ怪人がこの店の中を全壊一歩手前程度に壊すのを待ってから撃破したら、シュガーフェストにお客が流れるのではないだろうか? と。
しかし明也はすぐにその考えを振り払う。わざわざそんな事したって食えるものはほとんど置いていないのだ。普通にドーナツじゃなくてケーキとかスナック菓子とかを買うだけにしかならない。
無駄な考えはやめて早くマリスドベルを討つべきだ。そう考えた明也は先手を取るべく動こうとするが、佐藤に片手で制される。
「店長……?」
「相手がどんな手を持っているかわかりません。暁くん、ここは様子を見ましょう」
「店長……!?」
「さあマリスドベルさん! あなたが何をするつもりなのか見せてもらいましょうか!」
「店長!!! それやったってうちに客は来ないんですよ!!?」
「ちょ、ちょっとだけー! ちょっとだけですから! お店の先っぽのとこだけ!!」
明也と同じことを考え、そしてその先までは考えなかった佐藤は羽交い絞めにするように明也を抑え込んだ。
力はあまり強くないため振りほどこうと思えば簡単にできるのだが、超硬度を誇る割に感触はしっかりと伝わってくる不思議なスーツ越しに背中に感じる質量を相手にしては、明也に振りほどく事は困難であった。
「……邪魔しねぇってのかぁ? だったらいいさぁ、そこで見てやがれぇ!!」
明也と佐藤の漫才に付き合いきれなくなったのか、怪人は2人に背を向けるとその巨大な顎を大きく開き、マスタード・ナッツの入り口ドアに噛み付いた。
3メートル近く開いた顎は地面のコンクリートごと、まるで豆腐のようにドアを軽々と噛み砕いた。
店内を恐竜のような前脚で踏み砕きながら進んで行く怪人は店内の至る所をスプーンでプリンをすくうかのように食い荒らしていく。
「ほ、ほら店長! もう店の中に行っちゃいましたよ! もういいでしょう!?」
「……そうですね。そろそろ行きましょう!」
渋々、という声色だったが佐藤は明也から手を離した。そのまま明也が先頭を切って店の中へ入る。
店内へと一歩を踏み出した瞬間、破壊の限りを尽くしていた怪人が敏感に明也の気配を感じ取り、獰猛な牙をぎらつかせながら振り返った。
「てめぇらぁ、やっぱり邪魔ぁしようってのかぁぁ!!」
「ッ!?」
憤怒を隠そうともせず叫ぶ怪人の咆哮が大気を震わせる。小規模な地震のように建物自体を揺らすほどの怒気に、明也は一瞬身がすくんだ。
その一瞬をマリスドベルは見逃さない。店に突っ込んだ時と同様に巨大な顎をばっくりと開き、凄まじい勢いで突進してくる。
迫りくる無数の鋭利な牙を前に、魔装が守ってくれるから平気だと分かっているはずの明也だが、恐怖を感じて後ずさってしまう。
しかし少し下がった程度の距離ではその顎から逃れられない。執拗に追い縋り、怪人は明也に喰らい付かんとする。
「うりゃあー!」
退いた明也と入れ替わるように、少し気の抜けた掛け声と共に佐藤が前に出る。
そして怪人の下顎スレスレの位置にDブレードを逆手持ちにした右手を差し入れ、剣の柄で下から怪人をかち上げた。
「――!!」
勢いよく突き上げられて強制的に口を閉じさせられた怪人は、反り返るように吹っ飛び、宙に浮いた。
「とどめ、でーすっ!」
重力に引っ張られ、床に落ち始めるマリスドベルとは逆に、佐藤は屈み、跳躍する態勢を取ると、一気に飛び上がった。
お互いが交差する瞬間に、逆手持ちしたままのDブレードを勢いよく振り抜き、怪人の体を斜めに両断した。
「がああああぁぁ!!!」
防御する事もできなかった怪人は床へと叩きつけられ、断末魔の咆哮を上げる。同時に、切断面から全身へと光が広がっていく。
「畜生ぉ、こんなんじゃぁまだ、壊したりねぇぜぇ……!」
「くっ、それでも修繕が終わるまでに少なくとも1ヶ月はかかる損害が出てしまいました……!」
「……いえ、本当なら損害出す前に決着が付けられたはずなんですよ、店長」
自分の行動が原因なのに守る事が出来なかった感を出すのはやめてほしい、と明也は思う。止めきれなかった自分にも責任はあるのだが。
ともかくそのままマリスドベルは消滅し、それを見届けた佐藤は踵を返してその場から去っていく。明也もすぐに後へ続いた。
商店街を抜け、間も無くシュガーフェストが見えてくるほどの距離まで歩いて来た時、唐突に立ち止まった佐藤は顔だけを明也に向けて言った。
「……これから忙しくなりますよ、暁くん」
「……いや、無理ですからね?」
それからマスタード・ナッツが再開店するまでの間、シュガーフェストの来客数に特に変化はなかったという。