表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/49

店長の過去

「そういえば、私の昔話ってまだしてませんでしたよね」

「えっ」


 シュガーフェストで働く明也は相変わらず客の訪れない店内で退屈そうにしながら、佐藤と共にレジの前に立ち壁にもたれかかっていた。

 京は午後から来る事になっているので、今日は開店の9時から12時までの3時間ほどは佐藤と2人っきりである。

 明也が思わず一目惚れした相手であり、仲を深めるチャンスではあるのだが明也には彼女が食い付きそうな話題を持っていない。

 何か話すべきなのだろうかと思い口を開きかけるものの、2人きりという普段と違う状況に緊張して話す内容を思いつけずに口を閉じて、というのを時間を置いて幾度か繰り返し、結局何も話せず1時間が過ぎようとしていたところだった。

 明也の状態を見かねたというわけではないだろうが、ふと思い出したかのように佐藤が聞いてきたのだ。話を振られたのだし折角だから乗っておきたいところだったが。


「……えーっと」


 振られた話題が話題だったので明也はなんと返していいものか悩み、曖昧な表情を作りながら返答をはぐらかした。

 偶然とはいえ京にその話を遮られ、それからタイミングを完全に逃して聞けずにいたのだが……。

 時間が経つにつれてなんだか触れてはいけない話題だったのでは、とさえ思い始めた矢先だったために明也は首を縦に振っていいものか悩んでいたのだ。


「あれ? もしかして、もうしましたっけ?」

「いや……、聞いては、いない、んですけど」


 顔を覗き込んで聞いてきた佐藤になぜか明也は自分でも分からないままに目を逸らしていた。

 そんな明也の行動に佐藤はクスリと笑う。


「途中でお客さんが来るかもって心配してるんですか? 大丈夫ですよそんなこと気にしなくっても~」

「……いや店長はそこ心配した方がいいと思うんですが」


 仕事真面目にでも見えたのかそんな事を言われる。

 実際に心配なのは経営面の話を含めずとも来客よりも佐藤の方なのだが。しかしやたらと積極的に話そうとしてくるあたり、杞憂なのかもしれない。

 そもそも暗い話と決まった訳ではないのだ。勝手に人の過去に闇を抱えているという前提で話すのもどうなのだろうと明也も考えを改めだす。


「……店長が話してもいいって言うなら、聞きたいとは思ってます」

「もー、そんなに重いお話じゃないって前にも言ったじゃないですか暁くん。……それじゃ、お話ししちゃおっかな」


 そう言った佐藤の顔を、明也はさりげなく視線をやって眺めてみる。やはり悲しみなどを滲ませる様子もなく、むしろ待ってましたという感じだった。

 そうですねぇ、とどの辺りから話すか迷うように唸る佐藤は少し悩んでから口を開く。


「私、ずっと子供の頃から普通の子だったんですよ。お父さんもお母さんも喧嘩はしないけどラブラブってほどでもなく仲が良くて、お友達も多くはないけどいなくはない程度にいて、学校の成績もずっと上でも下でもない中間くらいで、なんていうか……あんまり目立たない子って感じで」


 なるほど。どうやら佐藤は明也と同じく普通の人間だったようだ。そうなってくると必然的に過去の予想も立てやすい。

 きっと普通すぎるのが嫌だったのだろう。普通というのが悪いとは言わないが、記憶に残りづらい。そんな薄い印象の出来事は忘却も早く、考えれば考えるほどまるで自分には過去などなかったような、まるでついさっき記憶だけを植え付けられてこの場に生まれたような気分にさえなってくるのだ。明也も、佐藤の言葉を聞いて自分の過去に疑問を抱き始めていたりした。なんだか不安定な気分だ。


「まあそれ自体はやだとは思わなかったんですけどね。楽しい事がなんにもなかったわけじゃないですし」

「あれっ、そうなんですか?」


 意外な言葉が続き、明也は驚いたように聞いた。


「そうですとも。むしろ今だって普通なのは嫌じゃないんですよ?」

「え、じゃあなんで普通のドーナツを作るのは嫌なんですか?」

「その原因が……私が高校生になった時のお話なんですけどね」


 普通嫌いなのだと思っていた佐藤だが、嫌ではなかったらしい。

 ならばどうして明也の作ろうとしていた普通のドーナツを店に並べる事を躊躇ったのか、明也は気になり食い入るように話の続きを促す。


「高校生の時のクラスメイトに、1人すっごく目立つ女の子がいまして。スポーツも勉強もいつも学年トップクラスで、クラス中のみんなと仲良くしてたんですよ。もちろん私とも」

「へえ、今でもその人とは仲良しだったり?」

「……いえ、疎遠ですね。大学は別々の所に行っちゃいましたし。彼女は地元がここなのでいつかばったり会ったりはするかもですけど」


 明也の質問に佐藤は複雑そうな顔で答えた。あまりいい想い出のある相手ではなかったのかもしれない。

 聞いてはいけない事を聞いてしまったか、と明也が慌てていると佐藤は話を再開した。


「……で、男女関係なくいろんな人と話の合うその子の周りにはたくさん生徒が集まって、その中の1人に私が今まで仲の良かった子もいるんですよ。『佐藤さんと話すよりあの子と話した方が楽しい』って言って、気が付いたら私に向かって話してる子は誰もいなくなっちゃってました」

「…………じゃあ、それが原因で?」

「いえいえ、それも気にしてないんですよ。実際あの子はお話しするのも上手でしたし、事実を言われただけですから」

「そ、そうなんですか。……精神、強いんですね」

「えへへ、まあ流石に今でこそ軽く流せますけど当時は結構ショックでしたよ。落ち込んでた所をその目立つ子に見つけられて、理由をつい話しちゃったんですよね」


 笑いながら佐藤は続けたが……重い。なんか、明也が思っていたより佐藤の人生は普通とは違っている気がする。


「で、聞き終わったらその子が『それは酷いわね。でも、その子だけじゃなくってあなたも悪いのかも。普通の事ばっかりじゃ段々飽きてきちゃうし、この際思い切ってヘンな事に挑戦してみたら?』って」

「それじゃあ、それが原因で普通が許せなく」

「っていうわけでもないんですよね。その頃は確かに奇抜な事に挑戦して、友達もゼロにはならなかったし普通なのが悪いとまでは思いませんでしたし」

「……え? なら、どうして」

「このお話、もうちょっと続きがあるんですよね」


 そう言って、佐藤は呆れたような笑顔を浮かべた。なぜそんな顔をしたのかは明也にもわからないが。


「結局そこでできた友達も卒業後の進路は別になっちゃって、大学では知り合いもいなくって。また友達作りから始める段階になって、気付いちゃったんですよ、私」

「何にです?」


 明也が聞くと、佐藤はまた笑った。そこにはやはり自嘲のようなものが混ざっている気がした。


「普通の事ができなくなっちゃってたんですよ。いきなりミュージカル調に話し始めたり、授業中に突然ラッパで音楽を奏でてみたり……。高校の頃はそれで面白がってくれたりしたんですけど、大学ではみんな気持ち悪がって離れていってしまって。私もこういうのは駄目なんだなと理解して普通に人と接しようとするんですけど、普通に話をしたりするだけで気持ち悪くなってきて、吐いちゃうんですよ」

「……それって、今は平気なんです?」

「もちろんですよ! お話するくらいなら問題ありませんとも! ……ただ、今でもあの子の言葉が頭の中に残ってるのか、どうしても普通のドーナツって作れなくって」


 眉をハの字に曲げて溜息をついた佐藤は、客のいない店内に並ぶドーナツに目をやった。


「……お店にお客さんが来ないってことは、私の感覚だけじゃなくて味覚もダメなままなんでしょうね。暁くんの作ったドーナツも、実は吐きそうになったりしてました」

「え……、店長」


 衝撃的な事を言われ、明也は思わず言葉を失う。

 本人は重くないなどと言っていたが、重い。不意打ちで頭を殴り付けられたような気分だ。

 店に並ぶ到底食べられないであろうドーナツは全て、佐藤の心に呪いのようにまとわりつく1つの言葉が作り出していたものだったということだ。

 絶句していた明也に、誤魔化すように佐藤は笑いかける。


「……あはは、ごめんね! 京ちゃんが楽しそうに昔話してたから真似したくなっちゃったんですけど……聞きたくなかったかな」

「や、そんな……ことは……」


 床に視線を落とした佐藤にそう言われ、何か言葉を返すべきだと明也は思うが、何も浮かばない。

 それでも何か励ますような事を言おうと必死に頭を回転させ始めたが、逆に佐藤の方が顔を上げて口を開いた。


「でもですね、暗い話ばっかりじゃないんですよ! こうやってドーナツ屋さんを開店させる夢も叶いましたし、私は今楽しいですよ!」

「そう……ですか……」


 取り繕うようにそう言った佐藤に、明也はやはり言葉を返せないまま、俯いてしまった。

 どうにかしてこのシュガーフェストのために美味しいドーナツを作ろうと考えていたが、それでは佐藤は満足できないのだろう。佐藤に恋をした明也としては、やはり美味しいと言ってもらえるドーナツが作りたい。

 だが店長の気に入るものを作ろうとすればそれはそもそも一般受けするものではなく、ともすれば人が食べられるかどうかも怪しいものになりかねない。

 自分がこの店の軌道修正を図ろうなどと思った時もあったが、それは絶望的なまでに難しいのだと明也は知ってしまった。

 何も言う事ができない明也と、後悔するように顔に皺を作る佐藤。2人は長い間、それ以上会話を交わさずに俯いていた。


「やあ、おはよう2人とも」


 シュガーフェストの店内にしばし訪れた沈黙。唐突にそれを破ったのは京だった。いつの間にかもう昼になっていたらしい。

 ドアベルの音と共に現れた彼女に、店全体を支配していた暗い空気は消えていく。


「あ、京ちゃん……」

「……おはようございます、先輩」

「うん? どうした、元気がないじゃないか。何かあったか?」

「いえ……特には」

「そうか」


 覇気のない明也の返事に京は訝しがるような反応を見せたが、深くは追及せずに更衣室へと向かっていく。


「……うん、京ちゃんも来たし、重い空気はここまでにしておきますか。暁くんも、気持ちを切り替えていきましょ!」

「……努力します」


 京を不安にさせないためか、佐藤は軽く自分の頬を叩くといつものように優しい笑顔を明也に見せるて店内の掃除を始めだした。

 びっくりするぐらいの切り替えの早さだが、それでつい先程までの暗さは鳴りを潜めてしまった。

 明也も店長に倣い先程の話は一旦忘れるようにする。が、彼女ほど上手くは気持ちを入れ替える事はできず、むしろじわじわと思い出し始めてしまう。

 しかし強く頭を振って無理矢理にでも記憶を脳の片隅にやろうとする。効果は薄いが、多少はあったようでなんとか気を取り直せた。


「……あれ?」


 とそこで明也は何かが引っかかる。眉根を寄せて違和感の正体を探ってみると、すぐにそれが何なのか分かった。

 佐藤の過去に何があったかは聞いたが、なぜ夢がドーナツ屋だったのかは聞けていないのだ。


「まあ……また今度でいいよな」


 これ以上の爆弾はないと願いたいが、もしも続けて闇の深い話を聞かされようものなら明也の精神にも影響が出そうなので聞かないでおく。

 今佐藤の近くにいてはまたすぐに気持ちが沈んでしまいかねないので、とりあえずは明也も何かやるべきことを見つけなくてはと調理場へと向かうのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ