怪人、跳梁跋扈
林を抜け出た明也が最初に目にしたのは、茅原町を飛び交う無数の怪人たちの影だった。
至る所に散っていった怪人はそれぞれが自身の源となった悪意に沿って暴れ始めている。
しかし悪意の大小にはかなり差があるようで、ちょっとした迷惑、程度の規模のものが多い。道路を掘り返したり、建物に体当たりを繰り返して揺らしたり。
それら単体であれば話は簡単ではあった。……だがそれらは今恐ろしい数のマリスドベルの手によって行われているのを忘れてはいけない。1体の怪人が起こす被害が10数メートル程度の範囲だったとしても、それが1000、1万倍にもなれば茅原町全体をマリスドベルの暴威が覆いつくしかねないのだ。
多くは無いだけでもっと直接的に町を破壊したり、住民を脅かすような行為に及んでいる怪人もいるだろうし、何体か融合体がいるのも確実であるのだ。一刻も早くマリスドベルを倒して町を救う必要がある。
明也は走り、怪人たちに占拠される茅原町へと急いだ。
「あ、メイヤ!」
「ライミィ! 無事だった!?」
DブレードΩでマリスドベルを斬り捨てながら町を疾走する道中、ライミィの姿を明也は見つけて駆け寄る。
魔装を着て、彼女も既に戦えるような体勢になっていた。明也の姿を見て安心したのか、嬉しそうに口元を緩める。
「起きたら町中マリスドベルだらけでビックリしたのな。サトーもキョーもいないからマナと手分けして倒しまくってたんよ」
「え、誰? マナって」
「あー……、トガサキ」
「そういう名前だったんだ、戸ヶ崎さん」
1年近く一緒に働いていたのに下の名前をそう言えば知らなかったな、と明也はどうでもいいことに気付いてしまう。
まあ今はそこは重要ではないので気にしないでおく。
「ま、まあそれはいいとして! ライミィは店長たちには会ってないんだね?」
「うん」
「わかった、俺が探しておくからライミィも気を付けて。融合体もいるみたいだから危なくなったらシュガーフェストまで逃げるんだ」
明也の言葉に頷きを返したのを見て、再び走り出した。もしかしたら佐藤も京も、まだ何が起きているのかを理解していないかもしれないし、融合体の存在自体知らずにいる可能性もある。
どこにいるかの正確な位置はわからないが、明也はひとまず京の見せたスマホの画面を思い出しながらマリスドベル出現位置の付近へと向かっていく。
ほどなくして、明也は佐藤と京を2人揃って発見するのに成功した。既に合流を果たして戻ろうといたらしく、道中で再会することができたのだ。
「すみませんでしたぁ!!!」
そして2人と視線が合うなり明也はスライディングしながら土下座を決めた。コンクリートの大地に裂けた魔装から覗く膝が思い切り削られる。
そんな明也に、佐藤も京も動揺した顔を向けている。
「ど、どうしたんですか暁くん?」
「どうもこうも……俺の責任です! マリスドベルが封印されていた井戸を壊されて、融合体も出てきて……町がこんな状況なのは全部、俺の!!」
「そんな、明也だけの責任では」
「変な慰めはよしてください! どう言い繕ったって悪いのは俺です! 2人はマリスドベルを倒せたのに……!」
「……いやー、それはどうなんでしょう」
「そうだ、明也ばかりが悪い訳ではないぞ」
「え……?」
全力の謝罪だ。明也も責められるのは覚悟しての行いだったのだが、両者共に「明也のせいはない」と言いたげであった。
それは単なる同情のようなものかと思ったが、顔を上げた明也は佐藤と京がなんともばつの悪そうな顔をしているのに気付いた。
そして続く言葉で明也はその理由を知る。
「えっと……暁くんの所にもあったんですね、井戸」
「そして、明也も壊されてしまったんだな、井戸」
そう言って、2人は明也の肩に優しく手を乗せた。
あの3か所同時に現れたマリスドベルは同じような目的を持って発生したらしい。
マリスドベルの湧いてきた井戸。その封印の破壊。……目的は見事に達成されてしまったようだ。
「私は間に合わなくって、もう壊されちゃってました。それで怪人がどあーって」
「こっちはなんとか倒せそうだったのだが……攻撃を避けたら井戸に当たって、な」
「ああ……どうりでなんかすごく多いような気がしてたんですね」
ここまでくる道中も明也は怪人を倒してきたが、遠くに見えたものも含めるとその数は非常に多かった。気を失っている間に更に出現していたにしてもすさまじい数に思えたのだ。
自分だけの失敗ではないと知って少し心持ちが軽くなった明也だが、それでも無数のマリスドベルをどうにかしなくてはいけないのは堪えるものがある。
「……それにしてもこの数は異常だ。ゆうに1万は超えているんじゃないか?」
「……え、それだとちょっと計算が合わなくなっちゃわない?」
「? 計算? どういう事ですか、店長」
佐藤の言葉に疑問を覚えた明也はオウム返しで聞き返すと、すぐにその答えが聞かされた。
「茅原町って確か人口が6000人とちょっとくらいだったはずなので、マリスドベルの数がそれより多いっていうのはおかしいはずなんですよね」
「ああ、そういう事ですか」
マリスドベルは人々の悪意から生み出される。そしてそれは1人につき1体のはずだ。少なくともこれまで戦ってきた相手はそうだった。
それに決して少なくないはずの怪人を既にこの1年で倒してきている。同じ人間から再びマリスドベルが発生した例も明也は知らないので、人口よりもっと少ない数でなくては確かにおかしいのだ。
明也だけでなく京もそれを理解し、口元に手を当てて考え始めてしまう。
「宿主はどこかに隠れ潜んでいるのか……? いや、だとしても4000を超える数が隠れる場所などこの町には……。1人が複数の人間の記憶を……いや、それこそ無理か」
「あー京ちゃん。考えるのは後にしよ? それより先にマリスドベルを減らさなくっちゃ」
「そうですよね、俺達にできるのってそれぐらいですし。手分けして戦いましょう! 融合体がいるはずなのでそれだけは気を付けてください!」
話は終わり、明也は2人と別れた。数は多いがやる事はいつもと変わらない。そう考えながら明也は走っていく。
「ひっ、い……嫌! 誰か、助けて!」
マリスドベルを切り倒していった明也の耳に、突如助けを呼ぶ悲鳴が聞こえてくる。
声のした方向は左右をコンクリートの建造物で挟まれた狭い道からだ。
その奥地に駆け付けると1人の少女が融合体のマリスドベルに襲われる直前の状況だった。
融合体の頭だけにマリスドベルの肉体が纏わりついており、後頭部からは髪が1本にまとめ上げられて蛇の尾のようになったものがぶら下がっている。
巨大な蛇の被り物をしたかのような融合体を前に少女は動けなくなっているのか明るい色の髪を振りながら震えているだけだ。
その光景に、明也は考えるまでもなく踏み込んだ。一息で融合体の背中に肉薄し、振り向かれるのと同時にDブレードΩの一閃を直撃させた。
融合体はその蛇のような顔を明也に向けたが、口を開いて噛み付かれるよりも先にその顎を両断される。明也に届いたのは、その赤く光る黒蛇の眼光だけだった。
……だけだったのだが、その視線には何らかの力が込められていたのか、視線を交わしてしまった明也の体は電撃が駆け抜けたかのように急激に痺れ、融合体を倒すことに成功はしたが動けなくなってしまう。
バランスを取ることもできず、明也は天の方を見ながら転倒してしまった。
「だ、大丈夫……、ですか?」
少女の方は硬直が解けたのか、心配する声と共に明也の視界に入ってくる。恐怖から解放された瞳は潤んでいた。明也は安心させるべく口を開く。まだ体は麻痺しているが喋るくらいはできそうだ。
「へ、平気です。それよりその、……えっと、あなたの方こそ平気です? ケガとかは?」
「……私のこと、知らないですか?」
「え?」
初対面だと思っていた少女だが、そう思っていたのは明也だけだったのか彼女の方は驚いたような顔をする。
アイドルだ、と言われても納得してしまえるくらいの可愛らしい顔はとても忘れられたりはしなさそうなのだが、まるで覚えがない。記憶を総動員して明也は思い出そうとした。
「あれ、どこかで会ったりして……? してた、かな……!?」
「あっ、ごめんなさい変な事言って。知らないんならいいんです、私の事はくるすって呼んでください。……お兄さんが助けてくれたおかげで、傷1つありませんよ♪」
「そ、そう、なんだ? なら良かった」
混乱した様子の明也に言葉を取り消し、少女はくるすと名乗った。やはり聞き覚えのない名前なので会ったのは初めてなのだろう。
「お、お仕事のお休みを頂いて、……遊びに来てたんですけど、急に変な怪物が町にいっぱい現れて、それで……、……」
まだ状況が整理できていないのか、くるすは視線を行ったり来たりさせながら話し始めた。
マリスドベルに襲われて、まだ取り乱しているのだろう。何も知らない普通の少女ならそうなってしまっても無理はない。明也の事も、知り合いか誰かだと勘違いしていたのだろうか。
「そんなに怯えないで大丈夫だよ、くるすさん。あんな怪物、俺達が全部倒してみせますんで。まあ、今はちょっと動けないんですけど、少ししたらまた……」
「……。……」
「あの……くるすさん?」
さっきから視線が動いていたくるすだったが、明也が安心させようと言葉をかけた時には据わった目で一点を見つめていた。
その視線の先は、明也の体へと向けられている。破壊され、穴だらけのままの魔装はボロボロで、元からそんな傾向だったが衣服としての意味は現状ほとんどない。
今までは極限状態で気にする暇もなかったようだが、マリスドベルの存在も知らない者が今の明也の姿を見ればどんな感想を抱くだろうか。
急ぎ明也は弁解しようとする。
「いや、あの、この服はですね。決して趣味とかではなく体を護るために着なくてはいけないもので……や、確かに今はほとんど裸みたいになってはいるんですけど違くてですね! ……えっと……なので……許してください。さっき助けたので、どうかそれで」
「……駄目、もう我慢できない」
明也の言葉など聞く気もなくなったのか、くるすは耐えきれない思いを言葉に乗せて放った。変態に助けられた、などと思っているのだろうか。
息も荒くなり、相当怒り心頭といったふうに見える。勘違いなのでどうにか説明したいが、とても言葉を聞き入れてもらえそうにない。
くるすは明也の上に馬乗りになってきた。頭に血が上ってか、相当顔が赤くなっている。
このまま彼女の気が済むまで殴られ続けたりしてしまうのか、と思うと明也は逃げ出したくなってしまう。負傷しはしないのだが、それでも怖いものは怖い。
どうにか脱出を試みるべく明也は指先を動かしてみる。怪人の力が消え始めたのかぎこちなくだが動かせていた。好機と見て、明也はくるすの下から這い出て脱出を試みた。
が、逃げようとするのは予想されていたのか両腕は掴み上げられ、脱出を封じられてしまった。力もまだ戻っていないのか、華奢なはずのその腕を振りほどくこともできない。
「私の事知らないって言ってたわよね。丁度いいから、この後の事も黙ってなさい」
「ゆ、許してください……」
「だめ、ぜったい逃がさない。そんな恰好で出歩いてたあなたの方が悪いんだからね」
そう言うと彼女は片手で服を脱ぎ始めた。
「えっえ、えええ??! なんで!? ちょちょちょ、え、なんで脱いでるんですか!?」
躊躇すらなく下着姿になろうとするくるすに明也は混乱した様子を隠しもせずに問いかけた。
するとむしろ明也の方がおかしいかのように彼女は首を傾げる。
「は? なんでって、そりゃ脱ぐでしょ」
「血が付くからですか!」
もしかして、明也から血が吹き出るまで殴り続ける気なのかと思い、恐怖交じりに叫ぶ。案外、凄まじく武闘派の女の子だったりするのだろうか。
返り血で衣服を汚さないための脱衣なのかと思った明也だったが、その想像を超える返答が返ってきた。
「血なんか出るわけないでしょ! 何回やってると思ってんのよ!」
出血など起こさせない。皮膚を裂くようなことはせず、内部から体を破壊するという宣言だろうか。自らが殺人拳のプロフェッショナルであるとも取れるような発言に、明也は戦慄する。
「そ、そんなに上手なんですか……!」
「……んー、他の子がどうかは知らないけど、割とそうなんじゃない? 回数とかもう覚えてないし」
殺した相手の数など覚えていない。そうとも取れるような発言に明也は地面に寝かされたままの体勢で天を仰いだ。この狭い裏路地の出口の光が見える。
と、そこには1人の見知った顔がこちらを覗いているのが見えた。
いつも大事に抱えている人形の顔に手を被せながら期待するような目を向けている。
「た…………助けて!!!!!! 戸ヶ崎さん!!!!!!」
「ちょ、誰よそれ!! いくら何でも別の女の名前を出すのはナシでしょ!?」
明也が名前を叫ぶと、戸ヶ崎は申し訳なさそうな顔をして顔を引っ込めた。そのまま、特に助けに来る気配もない。
「な……なんで見捨てるのーー!?」
逃げた戸ヶ崎に追い縋ろうと体をよじり、そこで明也は体の痺れが完全に抜け、自由に動けるようになっていたのに気が付いた。
逃げられると分かって明也はすぐさま掴まれていた腕を振りほどき、くるすの下から今度こそ脱出すると戸ヶ崎の後を追いかけて全力でダッシュした。
「はぁ!? ここまできて逃げるの!? なんでじっとしてないのよ! もう全部受け入れなさいよーー!!」
弾丸の如く少女の前から逃げ去った明也は、彼女の言葉からも逃れるように振り返ることなく走っていった。




