穴場の桜
春。暖かい陽気が過ごしやすい環境を作り出してくれる季節が茅原町にも本格的にやってきた。
各地では桜が咲き、花見が最も盛り上がりを見せるシーズンの到来である。
「そんなわけで、今日はみんなでお花見ですよー!」
佐藤のそんな宣言の元にシュガーフェストの営業はお休みとして、5人揃っての花見が敢行される運びとなった。
これは数日前から従業員にも連絡されており、当日には各々飲食物を持ち寄って店に集合していた。
暖かい日差しに負けず劣らずの佐藤が元気に腕を振り上げてお花見お花見、と歌うように口にしている。
「それはいいんですけど、席の確保とかしなくて大丈夫なんですか?」
「え」
「え、って、店長……? し、してあるんですよね……? もう殆どお昼なんですけど、場所取りはもう済んでますよね……?」
「……。……ええ、もちろん。大丈夫ですよ。この日の為に腕によりをかけて色々作りましたから。昨日は遅くまで料理して、さっき起きました」
「咲もか。なら今日の食事は楽しみだな」
「ワタシもおんなじなのな!」
「やっぱりこういう時って気合を入れちゃいますよねぇ」
「……なるほどー、これは最悪立ち食いとかする必要がありそうですね」
「またまたぁー。心配し過ぎですよ暁くん。この町は日中だってほとんど人が歩いてないんですから、人が集まっていってもせいぜい50人も超えませんよ」
明也の言葉に楽観的な返答が返ってくる。まあ佐藤が言う事も正しい。実際茅原町で最も盛んな地域でもある商店街でも1日の来客はそれより何倍かは多いにしても、500人も超えはしない程度だ。
住民の年齢層も比較的高めで、外に出てアウトドアな行事を楽しもうとする人数と言えばやはり佐藤の言ったような数で概ね正しいだろう。
それに花見は1日だけしかできないものでもない。家族や近隣の住民が予定を合わせていけばおのずと日程はバラけていき、結果的にかち合うのは少人数のグループが2、3といったぐらいだ。
「まあそう上手くいくかは俺もわかんないんですけど……」
「行ってみればわかりますとも。さ、行きますよー!」
そうして佐藤は桜の木が植えられた地域へと向かう。茅原町には主に2か所あり、1つはやたらと広い公園と、もう1つはお寺の前の参道である。
……結果から言えば、そのどちらも満員であった。文字通りに足の踏み場もないほどに。
「あぁ……やっぱり……」
そうだろうな、と明也はある程度納得していた。おそらくは他県からの花見客なのだろう。近くに停められた車のナンバーは揃いも揃って県外のものであるし、全体的に客層が若いのだ。地元が混んでいるであろうと見越して辺鄙な地へと足を運んだ者であるのは容易に見抜ける。
座れる場所がないのでは諦めるしかあるまい。そう明也が思うとの同時に、佐藤が踵を返して歩きだした。
が、その口から断念の言葉が漏らされることは無かった。
「うん、仕方ありませんね。それじゃあ次に行きましょう」
「え、次? でも、他に桜が見える場所ってないような」
「ふふん、私実は穴場を知ってるんですよー。前に言いませんでしたっけ、いい場所を知ってるって」
得意げに語る佐藤が4人を連れて来たのは、シュガーフェストの前であった。スタート地点へと戻ってきたような形だ。
まさか店に桜が植えてあったのだろうかと思っていると、そこから更に来た道とは反対の方向へ進んでいく。
「もうちょっと歩きますからねー」
言葉通りに10分ほど歩いて、いきなり佐藤が左へと曲がった。
そこは民家と民家を隔てる塀の間であり、道というよりは隙間という方がぴったりだ。
迷うことなく進んでいく佐藤に明也たちも遅れて続き、その隙間を横歩きになりながら進む。
その狭い空間を抜け出た先には開けた空間が広がっており、
「じゃーん! ここです!!」
――周囲を塀と民家が壁のように覆った四角い空間。
完全に死角となったその場所には、背の低い1本の桜の木が陽光を浴びながら佇んでいた。
たった1つの狭い道以外からの侵入方法のないそこは、まさに隠し部屋とでも呼ぶような雰囲気と静けさを持っている。
「どうです、すごいでしょう! ちょうど周りのお家にも窓がない所に生えてるんで、近くに住んでる人もあんまり知らないみたいなんですよー!」
「おお、これは確かに穴場だな」
「ワタシらだけなんよ!」
「いいですねぇ。静かで、こういう所は私も好きです」
「本当に凄いですね……っていうか、よく見つけられましたね」
「前に行ったことのない道を探して歩いてみようって思った時に発見しちゃったんですよねー。みんなに紹介するのが待ち遠しかったですよ!」
えっへん、と胸を張って佐藤は誇らしげにしている。確かにこんな所を見つけられたのならそうしたくもなるだろう。
「さーて、それじゃあ準備しちゃいましょうか!」
佐藤の言葉に4人が頷き、ビニールシートを広げ、各自持ち寄ったものをその上に乗せながら座っていく。
京が最初にライミィへ紙コップに注いだジュースを渡し、それから明也たちにも飲み物が渡される。
「皆さん、これまでご苦労様でした! これからも私と一緒にお店も茅原町の平和も守っていきましょうね!」
そんな挨拶と共に乾杯し、各自の持ってきた食べ物が公開され始める。
「私はチーズを持ってきたぞ」
「わー、どのチーズ?」
「トロトロに溶かしてチーズフォンデュ風にしたんだ。何か他の物をつけて食べても美味しかっただろうな」
「……それは今先輩が持ってる重箱に詰まったガッチガチに固形のチーズの話ですか? いったいそこにどうつけろと」
「……ああ、だから過去形なんだ」
「そ、そんな哀しい目をされても……。時間が経てば固まる事くらいわかったでしょうに……まあ切り分けたら食べられないわけではないからいいとは思いますけど」
「京ちゃんはチーズかー。私は干物を持ってきましたよ」
そう言って佐藤は特大のタッパーにぎっしり詰め込まれた干乾びたものを明也たちに勧めてくる。
「沢山ですねぇ」
「なんの干物ですか? 店長」
「これですか? 実はですねー、手作りなんです!」
「なんの干物ですか?」
「かなり前から仕込んでたんですよー」
「な……なんの干物なんですか!?」
「そんなに怯えないでくださいよ暁くん。さ、まずは食べてみてください」
「そりゃ原料を教えてもらえないなら怯えもしますよ……」
とは言いつつも明也は恐る恐るだが干物に手を伸ばす。いくらなんでも毒物は喰らわされないだろうし、味の方も気にはなる。
暗い琥珀色をしたそれは、何度か裏も表も見てみるがとんと見当がつかない。まさに正体不明だ。
ただし微かに漂う香りは食欲をそそるもので、口に運ぶのを躊躇わせはしなかった。
「ん……。……? んん……??」
食い千切るようにしてひと口をかじり取り咀嚼するとじわじわと味がしみ出てくる。
が、口の中に味が広がっていくほどに明也の首が傾げられていく。
「どうです? 暁くん」
「……なんだろう、これ……。甘いのかしょっぱいのか、苦いのか辛いのか何にもわからない……。何らかの味があるんだけど、味覚の正体がまったく掴めない……」
「ふふ、喜んでもらえたみたいでよかったです」
「今の感想で好評の内に入るんですか!?」
やっぱり、最終的に何を食べていたのかはわからないままであった。そして正体不明ではありつつもまずい訳ではないので明也は進んで食べてしまう。
「まあ、食べられないわけじゃないですね……」
「メイヤメイヤ、ワタシのも食べてみるのな」
「ライミィも作ったんだ。何だろ」
服の裾を引っ張って佐藤とお揃いのタッパーを明也に差し出してくる。ライミィの方を振り返ってそこから1つつまみ上げる。
「……うーーん、なんとなく予想はできてたなぁ」
明也の手にしたものは赤色だった。半月状の形からして、多分かまぼこだろうか。
トマトと見まごうほどに真っ赤なそれは、おそらく唐辛子の類いでの着色だろう。スパイシーな臭いからも間違いない。
「……なんか気のせいかつまんでる指がビリビリ痺れてるんだけど本当に食べても大丈夫なのかな?」
「辛くておいしいよ」
「そ、そっか……おいしいんだ……辛くて……」
本人はそう言っているが、明也は以前ライミィが作った食べ物で気絶しかけるほどにダメージを受けた覚えがあるので、気が引ける。
とはいえライミィは期待の目を向けて見てくるので、手にした分は食べなくてはならない。
意を決して口の中に放り込む。
「づッ、ぐ、あああああ゛あ゛……!!」
「わー、よかったー」
「お、美味しいとは一言も言ってないんだけど……!?」
噛む前から舌に何度もナイフを突き立てられたような痛みに咆哮する明也を見て、ライミィはにっこりした。彼女的にはそれで美味判定なのだろうか。
拷問級の辛さに慌てて明也は自分が持ってきたビニール袋の中身を開封する。
「へぇ、先輩はおにぎり持ってきたんですかぁ」
「……うん、みんなは持って来ないかな、と思って」
白米で痛みを誤魔化すようにして口の中の物を無理矢理に押し込んで答えた。
明也が用意したのはごく普通の、塩が軽くかかっただけのおにぎりである。
4人の嗜好を考えればご飯のおかず系統が多いと踏んでの判断だ。
……まあ、他に何を作ればいいのか思いつかなかっただけというのもあるのだが。
しばらく米の甘味で口の中を癒した明也は戸ヶ崎に視線を向ける。
「で、そういう戸ヶ崎さんは?」
「ゆうくんの好きなやつですよぉ」
戸ヶ崎は編み籠の蓋付きバスケットを持参していた。
正直何が詰まっているのか不安でならないが、誰かの好物であるならそこまで予測不可能なものではないだろう。
「先輩も食べてみますかぁ?」
「それじゃあ貰ってみようかな」
明也がそう言うと戸ヶ崎は快くバスケットの蓋を開けて差し出してくる。
入っていたのは果物だった。あまり見たことはないが、青々とした果実がいくつも詰められている。
全体にねじれたような螺旋状のそれは、片手で収まるような大きさだ。
「どうですかぁ? 綺麗な色ですよねぇ」
「う……うん……海みたいだね……」
深海を思わせる青色の果実を明也は手に取る。木の枝のようなものが先端の方についている事から木の実ではあると思うのだが……なんの実かはわからない。
「この前ゆうくんとお散歩してる時に生えてるのをみつけたんですよぉ」
「ああ……茅原町産なんだ、これ」
「こんなに綺麗な色が出てるのは私の住んでた村では見た事ないですよぉ」
高品質な実に出会えたのが嬉しいのか、いつも以上に戸ヶ崎の機嫌はいい。明るい笑みを明也たちに見せてくれる。
「それで……どうやって食べたらいいのかな、これ。皮とか剥いた方がいい?」
「そのままかじってくださいねぇ」
言われるがままに明也は果実にかじりつく。すると簡単に歯が通り、橙色の果汁が果肉から溢れてくる。
プラムのような食感とすっきりした甘さ、はっきり言ってあの戸ヶ崎が渡してきたものとは思えないほど非常に美味しい物であった。
「……おいしい、これ好きかもしれない」
「気に入ってくれましたぁ? それは私もゆうくんも嬉しいですねぇ」
「すごいねこれ。俺は初めて見たんだけど、こんなにしっかり美味しいなんて」
「そんなに褒めてもらえると持って来たかいがありますねぇ。想い出の味ですからぁ」
「私も気になるなー。戸ヶ崎さん、1個くださいな」
「もちろんいいですよぉ。沢山持ってきましたのでぇ」
そうして戸ヶ崎は明也だけでなく佐藤にも京にもライミィにも青い果実を渡していく。
3人は明也以上に不気味な外見など気にしないのでためらう事無くその実を食べて、明也と同じようにその味を気に入った。
全員の持ち寄ったものが出揃ってからはそれぞれが好きなものを食べ、飲み、桜の木を見ながら楽しみ始める。
周りが民家だというのもあって騒がしくはしないが、それでも静かながらに盛り上がり、明也も気分が高揚してくる。
「……、よし!」
「お、暁くん? 急に立ち上がってどうしたんです?」
すっと立ち上がり、明也は桜の木に向かって歩いていく。自然と他の4人の目も明也に向かっていく。
佐藤たちもだいぶ楽し気な雰囲気になっていて、今ならどんなことでも簡単に受け入れてもらえる気がしたのだ。
自分が、マリスドベルだと打ち明ける。今ならそれができそうな状態だと思い、明也は佐藤らに振り向き、背中を桜に預けた。
「がっ……!!」
……思ったより木が後方にあり、後頭部を木に打ちつけてしまう。痛みに漏らした声を笑うように、振動で木が揺れる。
「大丈夫か? 明也」
「……ッ、……平気、です。その、それはそれとして、聞いてほしい事があります!」
4人を見て、しっかり注目と視線が集まっているのを確認した。それから明也は意を決して口を開く。
「言うべきかどうか、ずっと迷ってはいたんですが……、言います。隠していた事があるんです。俺は…………マ」
ぶおんっ、という重く低い音が明也の前を通り過ぎる。今まさに本題に入ろうとしていた所なのだが、その突然の異音に思わず明也の口も閉じてしまう。
なんだ、と思っている間に続けざまに同じような音が響き、徐々に絶え間なく鳴り続ける。
「え、な、何……?」
「わー! 暁くん! ハチ! ハチです!」
その言葉と共に嫌な予感を感じた明也は桜の木に振り返る。
そこには黄色と黒の体色をした、大人の親指ぐらいはあろうかというサイズのスズメバチが何匹も蠢いていた。
明也が衝突したことで木の中にいたハチを刺激してしまったのか、わらわらと出てくるスズメバチが次々に飛び、今まさに襲い掛かろうとしている。
「お花見ちゅうだーん!! 危ないからみんな早く逃げましょー!!」
すぐ手に持てる物だけ持って佐藤たちは一目散に退避する。明也も一瞬だけ呆然としたが、後を追って逃げた。
幸いな事に誰も刺されたりはしなかったのだが、それまでの気分は嘘のように冷め、シュガーフェストまで戻ってきた頃には一様に溜息が漏れていた。
その沈んだ空気を前にして、明也は申し訳ない気持ちになってしまう。これはもう打ち明けるどころの話ではないだろう。
「あの……すみません店長。俺のせいで、こんな」
「暁くんは悪くないですよ。私が事前に確認しておくべきでした。みんな無事でしたけどもしも誰かが刺されたりしてたら私の責任ですもの」
「サトーも悪くないんよ、見ただけじゃわかんないのな」
「巣が木の中にあったのではなぁ。……まあ仕方がないさ、続きは店の中でやろう」
桜の木の周りは後日片付けるとして、いくらかは持ち帰ることができたものもある。
花見ではなくなったが、とりあえず食べ物は残さないようにすることとなった。
「……ところで先輩、さっきなんのお話をしようとしてたんですかぁ?」
「…………それは、まあ、また今度の機会に……」




