初来客!
京の過去を聞かされた翌日。その日のシュガーフェストはいつもと違った。
従業員3人が揃い店を開け、手持ち無沙汰になりつつも何かやることはないかと店内をうろうろしつつ店の外を眺めて時間が過ぎるのを待っているまではいつもの事。
開店から数十分ほど経った頃、カランカランとドアベルが鳴り、にこやかな男性が入ってきたのだ。
「なッ……なぜドーナツ屋に人が……!?」
「いや、なんでドーナツ屋に人が来たらおかしいみたいな反応なんですか!」
突然の来客に京は動揺していた。明也も明也で緊張している。なにせシュガーフェストで働き始めてから初の来客だ。
「い、いらっしゃいませ」
ぎこちない声で明也はそう言った。今までは言われる側だったはずなので、なんだか変な気分だ。
当然だがそれに返答はない。男性客は機嫌が良さそうに店内をキョロキョロ見回している。
だが、どうもドーナツを探しているわけではないように見えた。……まあ、ドーナツと呼べるようなものは明也が作った一部の物のみしかないが。佐藤にどうにか頼み込んで陳列棚の片隅に並べさせてもらっているが、そちらには興味を示していない。
「ちょっといいかな」
「あ、はい、なんでしょうか」
声をかけられ、明也はドキッとした。チラチラと視線を向けて挙動を観察していたのがばれてしまったのだろうか。
いや、そうではなく単純に一番近い所にいたから呼ばれただけである。佐藤は奥で新しい商品を考えているので姿はなく、京はいつの間にか明也を挟んで男性客とは対局の位置へと移動していた。接客をしろ。
「佐藤咲はいるかな?」
「…………ええ、はい、いますけど」
自分の好きな相手を呼び捨てにされ、ちょっとムッとした明也だが、態度には出さない。相手は佐藤とどんな関係かも知らないし、兄弟とか家族とかかもしれない。
「えっと、呼んできますね」
誰かはともかく佐藤に用事があるのは事実だろう。明也は調理場へ戻り佐藤を呼んできた。
「はーい、何のご用で……」
ガラス張りのショーケースとレジが一体になったカウンターにスマイルで姿を現した佐藤は、笑顔で彼女を待っていた男性客を見るなり言葉を止めた。
スマイルが苦笑いへと変わった佐藤は困ったような声色になった。
「ええっと……なんでここに?」
「なんでって、君のいる所だったらどこにでも行くよ」
「うーん、そうなんですかぁ……」
困ったような、というか本当に困っていると訴えているのがわかる顔で佐藤はちら、と明也の方を見た。
店長の反応を見るに、どうも家族だとかではない様子だ。すかさず明也は会話に割って入る。
「あの、失礼かもしれませんけどあなたって店長とどういう関係なのか聞いても?」
「うん? 私がかな? ……まあそんな改まって言うほどの関係でもないんだけど」
明也に問われた男性客は笑ってそう言い、一度佐藤の方を見て静かに頷いた。佐藤は思い切り首を振った。
「恋人同士かな」
「へえ、そうなんですか」
「はああああああああ!?」
あまりに自然体で言われ、疑問を抱くより先に流してしまった。遅れて驚愕が口をついて飛び出してくる。
「……あの、何にしようと仕事中なので。何も買わないのなら帰っていただいても?」
佐藤の方は否定も肯定もしない。どちらかと言えば迷惑そうにしている。まあいくら彼氏でも仕事の邪魔をするのならそういう態度にもなるだろうが……。
それにしたってやけに刺々しい物言いだ。今は喧嘩中とかなのだろうか……という疑問も今の明也には考える事もできない。ただ壊れかけの機械のように「か……か……」と繰り返すだけだ。
「ああ、ごめんね。それじゃあ、また後で来ようかな」
そう言うと男性客は聞き分けよくシュガーフェストから出て行く。去り際に小さく手を振っていたが、佐藤はそれに応える素振りも見せない。
それどころか大窓に張り付くようにして彼が完全に見えなくなったのを確認し、大きな溜息をつくとレジまで戻ってきてそこに突っ伏した。
「……うう、まさかお店にまで来るなんて」
その一言を聞いて、明也はあらぬ想像を掻き立ててしまう。それはやはりあれだろうかずっと前から交際しててでも家は別々で会うのもたまにお互いの家のどっちかでとかそういうのだったけど段々彼氏の方はそれだけでは辛抱たまらなくなって少しずつ家に来る頻度が上がっていって最近ではもう毎日のように家まで来てそれで恋人同士が同じ屋根の下に集えばどうするかってそんなのもちろんアレに決まって……
などと考えている明也の無意味な高速思考を断ち切るように京が言う。
「それにしても意外だな。咲に彼氏がいたとは」
「……ううん、あの人はそういうのじゃないの」
「違うんですか!!??」
危うくマリスドベルが生まれてしまうのではないかというほど闇に沈み始めていた明也の思考、というか妄想だが、それは佐藤の一言で掻き消された。
「うるさいぞ明也。さっきから……」
「ご、ごめんなさい。……あの、それで彼氏さんじゃないならどういう……?」
「えへへ、ちょっと言うのは恥ずかしいんですけど」
真剣に問う明也に、なぜか佐藤はもじもじした。恋人でもないならなぜそんな反応をするのか不思議だ。
少し躊躇いがちに言い淀みながらも佐藤はその先を続ける。
「あの人、私のストーカーなんですよぉ」
何てことないような口調で言われ、明也と京は凍り付いた。
あまり表情からも深刻さは窺えず、むしろ明也の方が真剣な口調で佐藤に詰め寄ってしまう。
「じ、実害はないんですか!?」
「そうですねぇ、今のところは頻繁にうちの前で声をかけてきたりするくらいでしたよ~」
「……住所がバレてるのか? それは既に致命的なレベルで危険なんじゃないのか?」
「でもそんなに悪そうな人には見えないんですよねー」
「いや悪いでしょ!! 外見とかじゃなくて行動がもう完全な悪なんですよ!!」
本当に佐藤自身は事の重大さを把握していない様子だ。これは非常にまずい。
佐藤の自宅の場所まで特定されているとなっては、ストーカーの男次第では今夜にでも襲われたっておかしくない。
それだけでなく、こと茅原町においてのこういった行動はより重大な脅威を招きうる。
「それに、これってマリスドベルが生まれる可能性だってありますよ、悪意のある行いじゃないですか。何にせよ魔装少女としても見過ごせない問題ですよ」
「フッ、明也もついに女としての自覚が芽生えてきたか」
「いや便宜的に言ってるだけだから!! 実際の俺は男ですよ!」
「わかっている、冗談だ」
軽く明也をからかった京は佐藤へと向き直る。
「私も明也の言葉はもっともだと考える。そしていずれにせよ咲の身に危険が迫っているのだ。放ってはおけんし、あの男は今すぐに対処すべきだろう」
「……京ちゃんもそう思うの?」
質問に対し京は静かに頷くと、明也の肩を掴んで引っ張っていく。
「そう不安そうな顔はしなくていい。私と明也で片付けて来るさ」
京に引っ張られるようにして明也はストーカーの後を追いかけ始めた。
幸いなことにまだ遠くまでは行っておらず、すぐに発見できた。幅3メートル程度の人通りのない路地を進んで行く。
自分がつけられているとは気付きもしていない男の後ろを2人はこっそりと追う。
「これ……はたから見たら絶対俺達が変質者ですよね」
「仕方がないだろう。そこはもう諦めるしかない。……それに、見方によっては刑事ドラマの主役っぽい気分だろう?」
「……いや、その気分にはなれませんね」
そう言って明也は自分の首から下を見る。
胴体にぴったりと纏わりつく黒のラバースーツと手足を守る赤色の装甲。いつもの魔装少女姿であった。
同じく色違いの青い魔装に身を包む京と共に物陰に隠れつつ1人の男を追いかけるさまはまごうこと無き変質者である。今のところ見つかってはいないが一般人に見つかってしまったらどう言い訳をすればいいのだろう。
「こんなこと聞くのって今更かもしれませんけど、先輩はこの格好って恥ずかしくないんですか?」
まるで警戒もせずに歩いていく男を追跡するのにも慣れてきた頃、ふと明也は気になったので聞いてみた。
まだこの姿で外へ出る機会はそこまでおおくない明也だが、正直言って慣れる気がしない。茅原町にはいないが親にでも見られたらどうしたらいいのかと時折恐ろしい事を考える。
少なくとも彼女は明也の先輩である以上は魔装姿にも多くなっているだろう。どのくらいで平気になっていたのかは気になる。
「え、恥ずかしいのか? かっこいいだろう、これ」
が、根本的な価値観が違うらしく、何の参考にもならなかった。
「……そう、ですか……」
「え? 明也はそう思わんのか? 変身ヒーローって感じがするじゃないか」
「いや普通に更衣室で着替えてますしコスプレって感じしかしないですけど……。一瞬でこれに変身できるアイテムとかがあったらそれもわかるかもしれないですが」
「それはいくらなんでも科学的に難しいだろう、あまり無理を言うものじゃないぞ」
「…………」
非科学的な要素が詰まった兵器Dブレードを静かに見て無言で訴えかける明也だが、京はそれに気付きもしなかった。というか見てもいなかった。
「どうやら、尾行してきて正解のようだったな」
硬い声で京が言う。その視線の先を追うと、そこにはストーカーの男がいた。
いつの間にか立ち止まっていた男の足元から頭へ、徐々に全身が黒いもやのようなものに包まれていく。
じわじわと体を覆っていったそれが全身を呑み込み、まるでその男を介してぽっかりと暗黒の穴が開いているような状態になった。
その穴を通るようにして、中から何かが飛び出してきた。
それはストーカーの男ではなく、マリスドベルだ。彼より一回り程小柄で、以前遭遇したマリスドベルとも大きく違うデザインだ。
真っ黒い宝石の原石を削り出した人間型の蜘蛛の彫刻のような外見をしていた。二足歩行で、人間に近い手足を持つマリスドベルの背中からは4本の細く長い、それでいて鋭利な脚が伸びている。
黒いもやはマリスドベルを追いかけるようにそちらへ移っていき、もやのあった場所に立っていた男はそれに合わせて意識を取り戻したようだ。
「うわあああっ!? なんだ、お前!?」
背後の存在に気付いた男は振り返り、そこにいたマリスドベルに驚愕して尻もちをついた。
マリスドベルの出現を確認した京と明也も顔を見合わせ、隠れていた身を晒し向かっていく。
「うおおおおおっ!? なんだお前ら!?」
男は2人の姿を見るなりそう言って叫んだ。心なしかマリスドベルを見た時よりリアクションがデカい気がする。
「あえて名は名乗らんが、見ての通りだと言っておこう!」
いや、見ての通りだと変態としか認識されないのでは。そう思ったが明也は何も言わず、触れないでおく。
「こいつは我々が相手をする、下がっているがいい一般人!」
「あ……ありがとう変質者!」
ストーカーのお前も変質者なのではないか、そうも思ったが明也は何も言わず這うように逃げ去っていく男を見送った。
男が安全な場所まで離れたのを確認すると明也は改めて蜘蛛のマリスドベルと向き合う。
対して蜘蛛のマリスドベルは明也も京も見てはいなかった。
「咲……私が今から迎えに行くね……」
2人の事を意に介さず、小さな声で呟きながら通り過ぎようとするが明也と京はDブレードを構えて立ちはだかり、その行動を許さない。
「先へは行かせん!」
「店長は俺達が守るッ!!」
剣を向けるとマリスドベルは蜘蛛と同じ8つの目で2人を見て、痙攣するように体を震わせながら蜘蛛の顎を擦り合わせて金切り声の大絶叫を上げた。
「……――――――ッッ!!!」
明也らを敵と認めたのか黒もやの中からこちらを見据える8つの目は赤く光始め、全身を揺するようにして背部の4本脚を叩きつけようとしてくる。
黒曜石のように輝くその脚は細く鋭い。強靭なそれが人を大きく超える力を持つ怪人によって放たれれば肉も骨も容易く切断される事だろう。
しかし魔装少女である明也と京には効かない。装甲を纏う手足はもちろん一見無防備に見える胴体に当たっても衝撃はほぼなくスーツも裂けたりしない。
何らかの特殊な素材でできているのだろうがその辺をとくに説明されていなかった明也は胸部めがけて飛んできた一撃にゾッとしたりはしたが、ともかく攻撃を防ぎつつ京と歩調を合わせ怪人の懐へと歩を進める。
「うりゃあッ!!」
幾度も叩きつけられる脚の一本を明也がDブレードで切断する。すると傷付いた個所から光が溢れ、別世界へのランダム転送が開始される。
が、勝負あったと思いきやマリスドベルは斬られた脚を別の脚で根元から切り離した。発光も切断箇所で止まり、敵もまた健在だ。
「お前……よくも、やったなぁぁッ!!!」
脚を切り落とした事でマリスドベルは完全に明也に狙いを定めた。無事な3本の脚が全て明也へと襲い掛かる。
しかしそのいずれもが明也へと届きはしなかった。
明也が標的となり、フリーになった京が横から鞭のように振り抜かれた脚の3つをまとめて掴み取ったのだ。ギリギリと握り締められた拳はそのまま脚を粉砕することさえできそうだった。
魔装の力が成せる技なのか、強く握られたままの拳を思い切り京は自身の後方へと引っ張り、蜘蛛のマリスドベルをつんのめらせた。
「これで決まりだッ!」
無防備に前のめりとなったマリスドベルの腹部に、京は下から突き上げるようにDブレードを振るった。
腹のど真ん中に深くDブレードは突き刺さり、そこからすぐに輝きが放たれ始める。あの位置なら再び体を切り離して回避するのは不可能だろう。
「イっ、イヤだぁ! あの女は私のものだっ、私が手に入れるんだああぁッ!!!」
「……店長を物扱いするんじゃねえよ!!」
Dブレードを引き抜かれ、そのまま地面に崩れ落ちたマリスドベルは叫びを上げてもがきながら上方へと腕を伸ばす。体は光と共に分解され、あっという間に半分近くが消えていく。
明也は京にトドメを奪われやる事がなかったので、叫んでいた言葉の中で気に入らなかった部分を叫び返しておいた。
その言葉が届いたかどうかはわからないが、最後まで暴れながら蜘蛛のマリスドベルは消滅した。
「これで、一件落着という所か」
消滅を見届けた京はフッ、と短く息を吐くとそう言った。
「……怪人は確かに倒せましたけど、本当に片付いたかって言うとあんまり実感は湧かないですね……」
何とも言えない表情で明也は返す。ストーカー男が逃げて行った方を見ながらだ。
マリスドベルを倒せばその元となった人の悪意も消え去るそうだが、それは完全に改心するという意味なのだろうか。怪人の宿主となった人物と関わるのは明也には初めての出来事なので不安が募る。
「そう心配そうな顔をするな。結果はすぐに分かる」
明也とは対照に京は不安など微塵もない様子だ。こんな体験は慣れっこだという事なのか、不敵に笑いながら来た道を引き返していく。
まあ、先輩がそういうのなら大丈夫なのだろう。自信に満ちた態度に明也はそう思い、京の後を追ってシュガーフェストへと帰還する。
それから閉店まで、ストーカー男が戻ってくる事はなく無事に終わった。念のため佐藤の帰宅も京が付き添ったが、やはり何事もないままであった。
「うわ……」
翌日、シュガーフェストへ働きに来た明也は店の前を見るなり顔をしかめて口から嫌悪がこぼれた。
例のストーカー男が店の大窓に張り付いて店内を覗き見ていたのだ。
男の方もその声で明也に気付き、明也に向き直って声をかけてきた。
「あ、先日はどうも」
「あー……えっと、こちらこそ?」
男は軽くお辞儀をしてみせるが、明也は内心で焦っていた。先日ってどっちの事だろう。店の中での事なのか、魔装少女として戦った時の事なのか。そういえば魔装は特に顔を覆ったりはしていないので誰なのかは丸わかりだろうが、周りの人間からもそう見えているのだろうか。認識を阻害したりせずそのままに見えていたのなら、明也はちょっと、いやけっこう恥ずかしい。
ていうか店の前でこんな行動をしているなら特に改心も何もしていないのではないだろうか。今更ながら明也は京のあの謎の自信はなんだったのか問い詰めたくなってきた。
「あなたともう1人の人に怪物から助けて頂いたおかげで私も無事ここに来ることができましたよ」
「それは…………まあ、よかった、ですね」
それでまた佐藤を付け回すつもりなら全く良くはないのだが、明也は一応そう言っておいた。しかし警察に通報とかした方がいいのではないかとも悩む。
「ええ。……佐藤さんにも迷惑をかけてしまいましたからね」
「……お?」
申し訳なさそうに言った男の態度に、明也は意外そうな声を上げる。
どうやら失敗などしていたわけではなく改心しているようだ。さっきのは佐藤に直接謝罪するために探していたのかもしれない。勝手に京の事を疑い、明也は途端に申し訳ない気持ちになってきた。
「これまでの私の非礼を詫びて……もちろんそれだけで許していただけるとは思いませんが……まずはケジメとして、直接謝らせていただこうと思っておりまして」
彼の顔は、嘘を言っているようには見えなかった。心から反省し、これまでの行いを悔いるつもりでいるようだ。
そのつもりであるのなら佐藤がそれを受け入れるかは別としても、ひとまず店の中に上げてやるくらいは構わないだろう。
「わかりました、それじゃあ」
「そして、今度は真剣にお付き合いを申し込むつもりです!」
「…………うん?」
店に通そうと思った明也だがその言葉に耳を疑い、彼に聞き返していた。すると、はきはきとした声で返事をされる。
「はい、これまでのように陰湿に付き纏うのではなくて、食事などに誘って正面からアタックしてみようと思っています!」
「は? ちょっと」
「あっ、早速佐藤さんがお見えになりましたね! それでは、本当にありがとうございました!」
丁寧に一礼をすると男は店のドアを開けて入っていった。
その勢いに圧倒され、明也は少しぽかんとして何が起こったのかを考えていた。
「佐藤さーん!」
「……ちょ、待て待て待て! おま、お前入るな! 出ろ1回!!」
思考が追い付くと、明也は男を追いかけて店に入った。
ストーカーではなくなったのかもしれないが、佐藤に好意を寄せる明也のライバルが増えてしまったようだ。
店長の危機は去ったが、明也の悩みの種は一つ増えてしまうのであった。