終わりへの秒読み
店に現れたマリスドベルが倒されてから数日。気が進まない側面もあるが、それでも明也はシュガーフェストに働きに来ていた。
「メイヤー、そこのお盆奥に持ってきてだってー」
「…………。ん? ああうん! わかった、持ってくよ」
数秒遅れでライミィに返し、空の盆を手に取った明也はやけに余所余所しい動作で調理場に向かっていく。
ライミィと途中ですれ違う時もさりげなく視線を逸らし、できるだけ接近しないようにと迂回気味に歩く。
わざとではなく、明也の無意識の行動だ。そんな背中を見て、ライミィは不思議そうに首を傾げる。
親しい相手であろうとマリスドベルだったと分かれば殺す。そんな想いをシュガーフェストの従業員4人が抱いていると分かってからはずっとこんな調子である。
ここまで露骨に避けなくとも、今までずっと周りからマリスドベルであるとバレてはいないのだからやる必要のない回避なのだが、自然と体が動いてしまうのだ。
むしろ、こんな怪しい行動をいきなり取り始めた方がよっぽど怪しまれるというもの。現に最近の暁明也が何か不自然である事は他の4人から察されている。
「あの、店長。これ、ここに置いときます」
そしてまた、明也は調理場にいた佐藤の元に持ってきた盆を置いていくが、無意識の内に視線を逸らしてしまう。
「……暁くん」
挙動不審を絵にかいたような態度の明也に、佐藤が手を伸ばす。
明也の手を握ろうとして伸ばされるが、先に気付いた明也が逃げるように手を引っ込める。
あからさまな拒絶だ。動いてしまった明也の方も、しまった、という思いが非常に強い。
「え…………?」
「あっ、えっと、じ、じゃあ俺は表に戻りますので……!」
そのまま本当に調理場から逃げていってしまう。佐藤の手は、未だ明也に向けて空に伸ばされたままだ。
少し後に、ライミィが入れ替わりで調理場に来る。顔を見合わせた2人は自然と、おかしな行動を取り続ける男の話題が口から出た。
「メイヤ、なんかおかしかったんよ。ちょっと前からずっとおどおどしてるっていうか」
「ライちゃんもそう思う? ……暁くん、もしかして……」
調理場から逃げてきた明也はレジの隅に隠れるようにしてしゃがんだ。
そうしてようやく自分の行動を冷静に客観視して、頭を抱えてしまう。
「わかりやすすぎる……!! こんなの、言ってなくたって伝わるレベルだろ……!」
誰にもマリスドベルである事を明かしてはいない。
しかし、ひたすらに不自然極まりない挙動とそれが始まった日時を考えれば自分から正体を教えに行っているのとなんら変わらないだろう。
そんな明也の自分を責める小さな声が聞こえたのか、店にいた京と戸ヶ崎が明也の方へと顔を向ける。
そのまま2人は明也の方へと歩いてきた。
「……最近、なぁんか変だなぁ、とは思ってたんですけどぉ」
「やはり、そういう事だったのか、明也」
驚愕を露わにした2人を見て、明也は「気付かれた」と思った。
これまでの不自然さに今の一言が合わさって、明也の隠し事に合点がいったのだろう。京も戸ヶ崎も信じられなさそうな顔をしている。
咄嗟に、またしても明也は逃げてしまう。言い逃れの言葉すら思いつけなかったのだから、こうするしかできない。
が、今度の逃亡は失敗に終わる。
「わわわっ、暁くん!?」
丁度調理場から出てきた佐藤がライミィと共に立ちはだかる形となり、そして後方からは京と戸ヶ崎が詰め寄ってくる。
前後を塞がれ、明也は逃げ道を断たれてしまった。
「さてと、それでは説明してもらいましょうか」
佐藤たちに四方を囲まれた明也は、その中心で正座していた。奇しくもつい最近見せられた光景と酷似している。違いは、今回の明也は当事者であるという事だろうか。
4人は実ににこやかな顔をして明也を見下ろしている。敵意、殺意の類いはまるで見られないが、それが逆に明也を怯え上がらせる。
現に平静を保とうとしてはいるが、明也の体は僅かに震えている。あのマリスドベルもこんな気分だったのだろうな、と思うと賞賛したくなってきた。
明也は今すぐにでも逃げだしたいという気持ちを抑え、自白を待つ佐藤と目を合わせる。
彼女の顔は実にいつも通りで普段と変わりない。だが、明也の方はいつもとは違う理由で目を逸らしたくなってしまう。
怖い。佐藤の瞳を見るのが怖い。目が合った途端に自分がマリスドベルであるとばれて、有無を言わさず殺されてしまうような気がする。
まあ今は誰もDブレードを持ってきてはいないので即座に死にはしないのだが、それでもまともに顔を見ていられない。
そんな有様で沈黙を続ける明也を見て、言葉を待っていた佐藤の方が口を開いた。
「……言いにくいのであれば私の方から言いましょう。暁くん、あなたは」
体が強張る。なんとか顔を上げていた明也だが、佐藤が喋り始めた内容を聞いてビクリと震え、即座に床へ向けて顔が伏せられる。
「シュガーフェストを辞めようと思っている、違いますか?」
「ッ、それは……」
否定できない。自分がマリスドベルであると知られる前にこの店を去ろうとも考えた事だってあるのだから。今となってはそれもできないが。
続く言葉、辞める理由へと話が進むのを明也は死刑判決を告げられる心境で待つ。
「……」
「……」
「……」
「……? 店長、続きは……?」
が、佐藤の言葉は続かない。言うのを躊躇っているとかでもない。顔を上げた明也が見たのは、推理を終えた名探偵のような顔で腕を組む佐藤だったからだ。
「つづき。……まあ簡単な事です。暁くんの最近の動向は不自然でしたからね。何かを隠している。それも私達に言いにくいような事だとは少し考えればわかりますとも」
「は、はあ。……それで、俺が辞めたいという理由については」
「さあ……そこまでは考えてませんでしたので」
「……」
目を丸くして、明也は他の3人も見る。
全員佐藤と似たようなもので、「なんかよくわかんないけど辞めようとは思ってたのかな」程度の理解であるのが表情から窺える。
……言うまでもなく、明也がマリスドベルであると分かっているような者はこの場にいないようだった。
「い、言わなくてよかった……!!!」
心の奥深くから明也はそう思う。危うく自分の方から勘違いして暴露してしまう所だったのだ。
慌てた様子の明也に、佐藤がにやにやしながら顔を寄せてくる。
「おー? そんなリアクションをしてくれるってことは恥ずかしい理由だったりします? よかったら私にだけ教えてくださいよー」
「教えませんよ! まあ言ってたら恥ずかしさと共に死んでたとは思いますが!」
マリスドベルだとバレていない。それがわかった途端に明也は顔を真っ赤にしつつも立ち上がった。
「あと、店を辞める気もありませんからね!」
勘違い……まああながち間違いでもないのだが、ともかく勘違いも解け、明也の宣言を聞いて佐藤たちは安心したようだ。
「あ、そうなんですか!? よかったー、暁くんがいないと重い物とか運ぶの大変ですからねー」
「ですねぇ。……それで、実際のとこはなんであんなにきょどきょどしてたんですかぁ? 教えてくださいよぉ」
「…………まぁ、秘密で」
戸ヶ崎の言葉に思い切り視線を逸らしつつも、明也は先程までと打って変わって今までの調子を取り戻し始めていた。
あれほど露骨な怪しい行動を見せても正体を悟られないのであれば、多分自分から言ったりしない限りはバレる心配もしなくていいと分かったからだろう。
このまま正体を隠しながら、平和に過ごしていければいいなあ。明也は密かにそう願う。
同時刻。
一切の光の無い、暗く深い場所で静かにたたずむものがあった。
巨大なドーム状にくり抜かれたようなその空間にいるのは、人にも動物にも見えないような、無機物の塊のようである。光源があれば、金属の光沢を見る事ができたであろう。
葉の上に垂れた雫をそのまま拡大して見上げるようなサイズにした物体は、時折その表面が波打つように震えている。
不動の姿勢を解きはしないのだが、その波紋が生まれるのと同時に、金属の物体の表面から何かが顔を覗かせる。
ずるり、と水銀のようなそこから姿を見せたのは、人だった。しかしよくよく見てみれば人とは違う個所があるのを見て取れる。
そのまま排出されるようにして暗い地面に叩きつけられた人らしきものは、体の所々が周囲と同じ闇の色をしていた。
産み落とされ、闇の霧を纏ったそれはマリスドベルである。生まれたての怪人は硬い大地に落とされたことなど気にも留めていないかのように立ち上がり、フラフラと歩いていく。
そのままいずこかへと怪人は姿を消し、この空間には静寂が戻ってくる。それから暫くの時が経ち、また銀色の雫が震えてマリスドベルを生む。
不規則にマリスドベルが生み出されていく光景は、まるで工場のようにも見えた。もしくは、働きアリを生み続ける女王であろうか。
続けざまに2、3体が生まれては連れ立ってどこかへ歩いていく時もあれば数時間の間を空けて1体ずつ怪人が生まれる事もあり、やはりそこに規則性はないように見える。
……しかし、その生産には規則があるのは、しばらく見ていれば理解できるだろう。
少しずつ、マリスドベルの生み出される間隔が狭まりだしているのだ。
それはまるでじわじわと、じわじわと、動画の再生速度を速めていくように。僅かな倍率での増加だが、確実に速度を上げている。
もしも、その倍速が限界まで到達したらどうなるのだろうか。途切れることなくマリスドベルが生まれ続け、増加し続けていき。
その全てが茅原町に解き放たれていくというのなら、それはきっと全てが終わる終末の時だろう。
そして、その時は眼前へと迫りつつある。




