変態おじさんを退治せよ
「最近、茅原町に変態が出るそうだ」
「えー、怖いねー」
出勤して早々、明也は京と佐藤のそんな会話を聞いてしまう。
「……変態ですか?」
「あ、おはようございます暁くん」
佐藤に返事をしつつ、明也は考える。
季節は冬。こんな時期に現れる変態とはどんなものだろうか。
まず候補から外れるのは露出狂だ。普通に服を着ていても野外で10分も過ごせば手足が冷え切ってしまうような時に出ては来ないだろう。……もっとも、常識では考えられない行動に出るからこそ変態と呼ばれているので、可能性はゼロではないかもしれない。
逆に、真っ先に候補に挙げられそうなものと言えば……明也はすぐに思い至る。そして嫌そうな顔をする。
「その変態って、もしかしてラバースーツを着用した5人組だったりしませんか?」
「いや……単独だそうだ」
「え、違うんですか?」
どうせまた魔装少女として戦う自分たちが変態だと思われている案件かと考えた明也だったが、京に否定を返されてホッとする。
ホッとしつつも、本当に変態が1人茅原町にいるという事がわかり、同時に不安にもなる。
「……じゃあ、どんな奴なのかは分かってるんですか?」
「ああ。全裸で笑いながら町中を走り回っている太った中年男性だそうだ」
「そ、それは間違いなく変態ですね……」
現れたのは最初に候補外だと思っていた露出狂だった。やはり変態というものを常識で考えた所で無意味なのだろう。
「ま、まあ冬場に現れるには随分気合の入ったタイプですけど、それならすぐに捕まりそうじゃないですか?」
「私もそこまで聞いただけではそう思えたのだが、実際は警察も苦戦しているそうだ」
「裸で走るおじさん相手にですか……?」
変態が現れたのはいいのだが……いや良くはないのだが、ともかくそれ相手に警察が手こずると言うのはどういう事だろう。
話を聞いた限りでは文字通りに丸腰の相手だ。車なりバイクなりで追いかければ簡単に捕まえられるのではないかと明也は思う。
疑問に対する答えを知っているのか、京は口を開く。ただし、なぜかその顔は若干渋かった。
「うん……逃げ足が速いそうでな、追い付けないらしいんだ」
「それってパトカーでもって事?」
佐藤の質問に京は頷く。
「人間離れした速度だったそうだ。まるで失速する様子も見せず、容易く警察の追跡から逃れたらしい」
「……つまり、それって」
「多分、明也の思っている通りだろうな」
言葉を遮り、溜息を吐きながら京はそう言った。
言うまでもない。これはマリスドベル絡みの事件という事だろう。
通常では考えられない速度で走り、極寒の冬に裸でそんなことを成せるのは人間業ではない。
「マリスドベルとあらば我々の出番ではある。あるにはあるのだが……」
言いながら京は眉を顰める。気が進まない、というのが見るだけでわかる。
いくらマリスドベルだとしても、裸の男だ、と認識できるような特徴があるわけだろうし、それは乗り気でなくとも仕方ないだろう。
「私も京ちゃんと同じ気持ちですねー……」
「そうでしょうね……全裸の男が相手なんですし。わかりました、俺1人で行ってきますよ」
明也としても、そんなの相手に佐藤や京を連れて行きたくない。ライミィや戸ヶ崎も同じくだ。
その言葉を聞いて、2人の顔は途端に明るくなる。
「本当か! それは良かった、最近寒さが酷くなってきたしあんまり外に出たくないと思っていたんだ」
「……はい?」
「私も暖房の効いた部屋にいたいなーと思っていたので、そう言ってくれて嬉しいです、暁くん!」
「へ、変態と戦うのが嫌だったのでは!?」
「えーまさか。そんなわけないじゃないですかー」
「そうだぞ、戦う相手が嫌だからとか、そんな下らない理由で逃げるわけがないだろう? あまり舐めるなよ」
「いや寒いから店から出たくないって方がよっぽど下らない理由だと思うんですけど!!?」
心配をよそに、ただ冷えるのが嫌なだけだったようだ。しかし魔装は防寒機能が備わっていたような気がするのだが。
「寒いから暖かい室内でじっとしていたいと思うのは……駄目な事ですか? 暁くん」
「正直人としてはだいぶ駄目な部類に入るかとは思いますけど、今回はいいですよ」
「わーい」
まあどちらにせよ佐藤たちを同行させたくない相手なのは変わらない。手早く魔装に着替え、明也は単身で変態のマリスドベルと戦うために町へと出た。
「さーて、店を出たはいいけど、変態かぁ……」
京から変態が主に出没する地域の情報を聞いておいた明也は早速その付近を見回っている。
まばらに住宅が並ぶ閑静な道で、道幅も広く人通りも少ないため走り回るのに適しているだろう。
ただ人通りが少ない、とは言ったがそれでも変態の頻出が噂になる程度には明也とすれ違う人間が10数分おき程度に現れる。仲間だと思われているのかあからさまに視線を逸らして早足で逃げ去っていくが、明也も気にしたら死にたくなってくる予感がするのでできるだけ考えないようにする。
それより、今明也が気にかけているのは相手の変態の事だ。車でも追い付けないとなると相当に早そうだが、果たして倒せるのだろうか。
「いざとなったら、アレを使えばいいんだろうけど……」
自分の手に握られたDブレードΩを見る。アレ……つまり超光速機動が9秒間だけ可能になる強化機能、ナインカウントの事だ。
効果終了後に全身が死んだように動かなくなるデメリットはあるものの、高速で動き回る相手に使うのであれば効果覿面のはずだ。
ただし今回は1人である以上、もしも外したり使い所を間違えて攻撃を当てられずに効果時間が過ぎてしまえば一方的に明也はやられてしまう危険性もあるので、できるなら使わずに済ませたい所だ。
「何にせよまずは変態のマリスドベルを確認してからだよな」
跳躍し、明也は民家の屋根へと飛び乗り上方から町を見回す。降り積もった雪に太陽光が反射され、少しまぶしい。
その輝きに目を細めながらも遠くまでを見ようとした時、視界の隅におかしなものを見る。
爆発でもあったかのように白い何かが舞い上がっている。おそらく雪だろう。強い衝撃でも受けたのか雪が煙のように待っているのが見えたのだ。
それがぽつんと1か所だけにあるのではなく、少しずつ線のように伸びていっている。茅原町の道を爆走するそれは、気付いた時には明也の待つ道へと接近しようとしていた。
「もしかして……コイツがッ!?」
「はっはっはっはっはっはっは!」
間違いようもない。笑い声と共に雪煙の中から現れたのは件の変態、裸で若干太り気味の30代ほどの男性であった。
とても走るのが早そうには見えない外見だったが、確かに明也の目の前で男は爆走している。まるで弾丸のようだ。
ただ闇の霧を放っていない男の姿はどこからどう見ても普通の人間の外見である。マリスドベルのようには見えない。
だからといって油断はできない。現にあり得ないほどの速度を出しているのだからマリスドベルとの関連は強いはずだ。融合体か、もしくは以前姿を見せた事のある人と同じ姿のマリスドベルであろう。
「これをまりちゃんと同種とかだとは思いたくないけど……それはそれとして退治しなくては!」
跳躍した明也は男の進路を妨害するように立ちふさがる。だが前方に障害が現れてもその笑顔は崩れず、真っすぐに向かってくる。
変態の速さは情報通りで、常人では動きを捉えるのも難しいだろう。しかし魔装を纏った明也ならなんとか対応できる程度だ。すれ違いざまに一撃を叩き込むべくDブレードΩを構える。
そして激突を回避するべく、相手の方から軌道を左へとずらしてくれた。これは間違いなく好機だ。明也はそれに合わせて踏み出し、曲がるために一瞬だけ速度の落ちた男へと横薙ぎに刃を振り抜いた。
「これ、でッ……!?」
だが、DブレードΩの刃が接触する直前、変態の男は突如変態的加速を生み出し斬撃を回避していた。
そのまま速度を落とすことなく明也の脇を通り過ぎていく。
「はっはっはっはっはっはっはっはっ」
体型の割にやたらと引き締まった綺麗な尻を明也に向けながら男は笑い声と共に走り去っていく。
「ッ、クソ……!! このまま逃がしてたまるか!! ナインカウントッ!!」
瞬く間に距離を離そうとする変態に追い縋るため明也は切り札の使用を決める。反動が恐ろしいが、この際ためらってはいられない。
強化機能の名を叫ぶと同時、明也の頭の中に声が響く。
『――起動コード承認、並列時空個体との多重リンクを開始、――リンク成功確認。グレートブースター発動。カウント、スタート』
音声と共にDブレードΩに嵌まった藍色のオーブがまばゆく輝き、超加速状態に移行する。
レーザーさえもスローに見えるほどの身体強化を受けた明也は、9秒以内に決着をつけるため、走った。
わずかに前方を走る全裸にすぐさま追い付き、追い付き、
「追い……付けない……!?」
全力で走る明也だったが、それでも中年の男に追い付く事ができない。
ナインカウントの発動により相対的に減速してはいるものの、それでも速い。全力で逃げる野良猫を追っているかのようにまるで距離が詰まらず、それどころか僅かずつ離されている。
「ッ!?? そんな馬鹿な!? ……こ、これならどうだ!!」
はしっても追い付けないのを悟った明也は、ヤケクソになってDブレードΩを投擲した。
放たれた刃は弾丸のような速度で飛び、変態の肩に命中した。……が、何らかの手段で防がれてしまったのか傷つける事はできておらず、光の粒子に変わっていく様子もない。
跳ね返って放物線を描きながら道に落ちたDブレードΩを拾い、明也がもう1度前を見ると、変態との距離は既に埋めようがないほど開ききっていた。
「……ナインカウント、終了」
『――リンク解除。カウント、ゼロ』
変態のマリスドベル討伐は失敗に終わった。そう判断し、明也はナインカウントを終了させた。
世界の速度が元に戻り、同時に明也はコンクリートの地面に膝を突き、深い溜息と共に仰向けになって倒れ込んだ。
「……と、まあそんなわけでして、マリスドベル討伐には失敗してしまいました」
シュガーフェストに戻ってきた明也は、先程の事をそのまま報告した。
ナインカウント使用の反動で体を動かせないほどの痛みが襲ってくるので自力では帰れていない。夕方になっても戻らない明也を京が迎えに来てくれた形だ。
報告を聞いていた佐藤も京も、呆れるように息を吐く。
「……捕まえられなかったのは、置いておきましょう。暁くんが生きて戻ってきてくれたんですからそっちの方が大事です」
「同意見だ。そしてここから先も咲と同意見だろう。……単独での戦闘で行動不能となるナインカウントを使用したのはいただけないな。仮に倒せていたとしてもマリスドベルが他に潜んでいる可能性もあったかもしれないのだから」
「その通りですね。……2人共あったかい部屋でぬくぬくしてただけって点を除けば返す言葉もありません」
「ちなみに今日の昼食は先と一緒に鱈の鍋を食べたぞ」
「先輩、体動かせるようになったら1発ぶん殴っていいですか?」
「まあまあ暁くん。お鍋の残り汁で作ったおじやがまだあるのでそれ食べて機嫌直してください」
そう言って佐藤が奥から土鍋を持ってきて、微かに湯気の立ち上るおじやを明也の前に用意した。
まあ1人では当然食べられないので食べさせてもらう形になる。それで明也は全てを許した。
「それと、マリスドベルを倒せなかったと気に病んでいるみたいだったが、そこは心配しなくていいぞ、明也」
「え、なんでです? もしかして先輩が倒したりとかしました?」
明也の言葉に、しかし京はかぶりを振る。
「そうではない。だが、明也の投げたDブレードは当たりはしたのだろう?」
「え、ええ。でも弾かれちゃったみたいで、本当に傷すら付かなかったんですよ」
「無傷だったのを見たと。ならばなおの事安心していい」
「……???」
マリスドベルを倒し損ねたのを安心しろと言われても、明也は首を傾げて混乱するばかりだ。
理解が及んでいないという様を見て、京はすぐに続ける。
「Dブレードはマリスドベルにしか効かない。当たって、無傷であるなら、それはつまりマリスドベルではないという事だ」
「…………じゃあ、俺が戦ったのは」
明也は思い返す。笑いながら走る変態の姿を。
確かにそこにはマリスドベル特有の闇のような黒い霧がなかった。むしろ皮脂によるテカりで輝いているようにも見えた。
それがどういうことかと言えば。
「変態のマリスドベルじゃなくて、ただの変態さんだったわけですねー。いやー、これで一件落着ですね!」
「そうで……いやいやいや! 結局茅原町に変態がのさばってるまんまなんですが!! なんも落着しとりませんが!?」
「マリスドベルではないと分かっただけでも充分だろう。後は警察に任せよう」
「その警察が捕まえられない速度だというから俺が出撃したんですが……っていうか、普通の人間だったって事は自力でナインカウントの超スピードに対抗してた事になるんですけど本当に放っといていいんですか!?」
「ランニングは体にいいからな」
「健康法の域を余裕で飛び越えてる速度でしたが!?」
明らかに人の領域から外れた速さだったが、当事者でなければその異常さが伝わりきらないのか2人の真剣みは薄い。
納得がいかないものの、しかし変態は人を襲うとかでもなくただ全裸で走り回っているだけでもある。マリスドベルでもないとなると、危険性は低いだろうし放っておいてもいいのだろうか。
なんにせよ今日の明也はもう動けない。変態の事はまた変態が現れた時に考えるとして、佐藤におじやを食べさせてもらうのを優先するのだった。




