ドラマ撮影を、もとい撮影にお邪魔しよう
「な、何だこの人の数……!?」
ある日、シュガーフェストに向かっていた明也は店の前に人だかりができているのを発見して目を見開いた。
20人近くはいるであろう人々が、何かを待機しているようだった。
飲食店に行列ができるのは珍しい事ではない。しかし、明也が働くシュガーフェストにおいては異常事態の部類に入る出来事だ。
新メニューが広告やSNSなどで拡散されれば買いに来る者もいるかもしれないが、そもそも広告を出してもいないし、SNSのアカウントも現状は存在しないはずだ。少なくとも明也は教えてもらっていない。
まあ新しいドーナツは毎日のように生み出されてはいるが、アレをわざわざ買いに来る人間を見たことは明也もほとんどないし、少なくともドーナツ目的の集団ではないだろう。
そうなってくると考えられるのは……、やはり、何かしらの法に触れてしまったのではないか。
だとしたら明也はむしろ納得する。これまで産み出されてきた数々のモンスター……もといドーナツがなんらかの違法性を孕んでいたと判明しても自然に受け止められる。
「……いやいや! 受け止めてる場合じゃないだろ!」
警察が来たのだとすれば責任者が何らかの罪に問われる可能性が高い。そしてシュガーフェストの責任者とは、佐藤咲の事だ。
「すみません! ちょっと通して下さい!」
人と人の間をかき分けて明也は進み、店のドアを開ける。
店内には、カウンターに立つ佐藤とその横に並ぶ京がいた。
「店長……!!」
「あ、暁くん。おはようございます。やー、今日はにぎやかですよねー」
にこやかに笑う佐藤はいつも通りの口調で明也に挨拶をした。店前の人だかりなどまるで気にしていないかのようだ。
「なんでそんな呑気なんですか……! もし捕まっちゃったらどうするんですか!」
「つかまる? 何の話です?」
明也の物言いに首を傾げる佐藤。それに続いて隣にいた京がわかる、と言いたげに頷く。
「まあ、すぐ隣だものな。ふとした事から私達の才能を見抜かれて飛び入りで参加する、なんて事もあるかもしれないな」
「え、隣? うちじゃないんですか?」
隣、という言葉を聞いて明也はきょとんとした顔をする。
改めてシュガーフェストを囲んでいる人々をよく見てみると、視線はシュガーフェストの中ではなく、そこから若干ずれた位置に向けられている。
その顔には一様にワクワクや、そわそわとした感情が溢れており、何かを期待しているようであった。
「明也は知らんのか。今日は隣の家でドラマの撮影があるそうなんだ」
「はい? ドラマ……?」
立て続けに想像もしていなかった言葉を耳にした明也は一瞬思考が止まる。それを見た京が自慢げに説明をしてくれた。
「人気シリーズの作品の新作の撮影だそうだ。そのワンシーンをそこで撮っているらしくてな、ずっとこの人ごみだ」
「あ、あぁ……そうだったんですか。勘違いでよかった」
別にシュガーフェストが警察のお世話になるような話ではなかったとわかり、明也は安心する。
それにしても盛況な事だ、さっき明也が見た時よりも人の数は更に増えていた。少しくらいこの店にも入ってこないものかと思うが、目もくれられていないので無理だろう。
「……撮影は構わないが、こうも人が集まるとここのドーナツを買いたい奴が入ってこられず不便だな」
「そうですね。……まあ、そんな人がいるかは非常に疑問ですけど」
人は増えども来客数は普段と変わらない事に腹を立ててか京が呟く。本気で怒っている、という感じではないが若干煩わしそうだ。
故意ではないと分かっていても、多少の不満は抱いてもおかしくないだろう。そう思っていると、京は明也の元へ歩いてきた。
「よし明也。文句を言いに行くぞ」
「なっ、何言ってるんですか先輩!?」
堂々とした苦情宣言に明也は驚愕する。まあ思う所がないかと言われれば明也もそんなことはないのだが、流石に直接言いに行くほどではない。
「……そんな真に受けた顔をするな明也。そういう口実で少し撮影に飛び入り参加しようじゃないかという話だ」
「え、ああ……なんだ、そういう話でしたか」
本気でいちゃもんを付けに行くのだと勘違いしていた明也はその言葉でようやく冷静になる。
ドラマの撮影で客が店に入れない状況にされてしまっているのだから、その苦情を告げるというていで隣の撮影現場に向かい、お詫びとしてちょっとドラマに出させてもらおうという訳だ。
どこもおかしくはない。
「……いや、おかしくない? なぜそんな話になるんです……?」
「そんな細かい事を気にするな、明也。こういうチャンスは逃さない方がいいぞ!」
「お店の宣伝もしてきてねー」
そんなこんなで、京に引っ張られるままに明也はすぐ隣のドラマ撮影の現場に殴り込むことになってしまった。
店の前を埋め尽くす人の山をかき分けながらズンズン進んでいき、人だかりの中心まで到達する。特にこれといって見る物もないような空き地だ。
しかしそこでは複数のカメラや撮影機材が準備されており、俳優やスタッフと思しき人物が何人もいる。
休憩中なのか非常に静かなそこへ躊躇もなく京は入っていき、大地を踏む音と明也を引きずる音が大きく響き渡り彼らの注目を嫌でも集めてしまう。
「あのーすいませんね、今この辺はちょっとドラマの撮影にお借りしてて、関係ない方が勝手に入られると困るんですよ」
「関係はある。私達はすぐ隣の店の者だ」
侵入を止めに来た男性スタッフに京が睨みを利かせる。いや普通に顔を見ただけなのだが、普段から目つきの鋭い彼女の眼光はそう映ったのか、スタッフは非常に動揺していた。
「え、あれぇ……? じ、事前に連絡とか、行ったはずなんですけど……何も聞いてません?」
「聞いたとも! その上で我々は文句を言いに来ている!」
「滅茶苦茶だこいつら!!」
「お、俺は違いますよ! ただ先輩に連れてこられただけで!!」
勝手に複数形にして仲間扱いされ、明也は弁明する。だが向こうからすればそんなことはどうでもよく、厄介な者が2名現れたという認識は変えられないだろう。
「まあまあ。とりあえず話くらい聞こうじゃないの、丁度今やることも無かったしね」
「ああっ、監督!」
そこにもう1人が京と明也の前にやってくる。スタッフに監督と呼ばれた男は短髪の黒髪に若干の白髪の混じった朗らかな顔をしている。
変人の登場にしどろもどろだったスタッフと入れ替わるようにして立つ監督へ向けて、今日は1歩前に進み出る。
「お前がここの監督か。我々の要求を飲む用意はあるのだろうな」
「セリフがもう人質とって籠城してる犯罪者みたいですよ先輩……」
「ははは、要求ね。まあ聞いてはみようかな。女優の子の到着が遅れててね、撮影が進められなくて暇してたとこなんだ」
一目でわかる横暴な態度の京に対し、監督は軽く笑い飛ばして聞く姿勢を見せてくれた。
それと共に明かされる撮影状況を耳にした京は好機とばかりに口元を歪める。
「フフフ、ならば実に都合がいい。客の来店が妨害されている詫びとして、我々を撮影に参加させてもらおうか!」
「うーん……まあそれくらいだったらOKかな」
「い、いいんですか?」
難色を示されるかと思いきや、二つ返事で了承されてしまった。意外な展開に明也は驚く。……京の方は当然と言わんばかりに平静な態度だが。
「良かったな明也。私の見事な交渉術でドラマの出演権をゲットできたぞ」
「……本当に良かったですね、監督さんが優しくて懐の広い人で」
普通に警察を呼ばれてもおかしくない、むしろそうなって当然な行いをしているのだが、そんな事は気にせず京は嬉しそうだ。
あと、完全に自分は巻き込まれているだけなのに共犯みたいな口調で喋るのをやめてほしいな、と明也は思う。
「じゃあ君らの会話シーンを撮るから、こっち来てよ」
「いや、我々はそこまでは求めていない。台詞は必要ないし、主役の背景に映るモブとしての登場で構わない」
「横暴なのか謙虚なのかわかんない要求ですね先輩……」
監督と京の後に続き明也はそう零す。ドラマに出るなんて緊張するし、台詞がない方が助かるので別にいいのだが。
そうして流れるように準備が進められていき、到着が遅れている女優の出ないシーンの撮影が始まろうとしている。
本来はもう完成しているシーンなのだが、京が要望を出したことにより再度撮り直す事になったらしく、やっぱり彼女の要求は横暴なものだったんじゃないだろうか、と明也は思う。
その横で、京は瞳を閉じ、フッと小さく笑う。
「カメラの前に立つ、というのも久し振りの経験だな」
「……? あぁ、前に言ってましたよね、番組作ってたんでしたっけ。……あれ? でもその時は撮る側だったのでは」
明也は首を傾げる。京が以前特撮の番組を作ったという話は聞いていたが、それならカメラの前ではなく後ろに立つ、の方が正しいのではないだろうか。
「それほど難しい話でもない。たまに話の中でゲスト出演していただけだからな」
「あー、そういうことですか。……ちなみに何回くらい出たんです?」
「40回前後だったかな」
「4クール番組って言ってましたけどそれほぼ毎回出てませんか!?」
「カメラ回しまーす。3、2……」
やたら映りたがりの監督という絶不評番組の片鱗が明かされた所でカメラマンが撮影の開始を告げる声が響く。
緊張で明也の体がビクッと震えて硬直するのと「どうぞ」というジェスチャーが送られるのと同時、
「ウオオオオオオオオオオーーッ!!!」
静寂と緊張感をブチ破るような咆哮が空から響き、続けざまに爆音と共に土煙が弾け飛ぶ。
固まっていた明也は一瞬の間それを撮影の一環だと思っていたが、晴れる土煙の中から姿を見せたものを見てそうではないと気付く。
明也と京、そして背後で轟いた爆音に腰を抜かして怯えている俳優との間に立っていたのは闇色の霧を纏う怪人、マリスドベルだったからだ。
「なっ、何あれ!?」
「ッ! 監督さん! スタッフの方を避難させてください!!」
驚愕を声に出す監督に明也はハッとし、退避を叫ぶ。
しかしそれよりも先にマリスドベルが動き出す。状況を理解できぬまま呆然とカメラを構えるカメラマンへと怪人が迫り――
「危な……!!」
明也は咄嗟に走り出す。だが、明也が1歩を前に出すよりも先に怪人の腕がカメラマンの彼を叩き潰す方が先だろう。
その光景を予測し、絶望的な思いが明也の胸を満たす。
「…………?」
が、上げられた怪人の腕は振り下ろされる事なく止まっている。
なぜかカメラマンの前で停止しているマリスドベルは明也が2歩、3歩と歩みを進めようとその位置から動かない。
「な、何なんだよこいつ!」
「イエーー!!!」
いや、動いていないわけではない。目の前の怪人に怯え後ずさるカメラマンに合わせて、彼の手にするカメラのレンズの先に立つように怪人は動いている。
「……本当に何をやってるんだあのマリスドベル」
「あれは……おそらく映りたがりの人間が産んだマリスドベルだな。ああやって思い切りカメラに映って撮影を妨害してみたい、そんな一時の想いが具現化したと見える」
「……それって先輩があのマリスドベルの親だったりしません?」
「まさか。私は引っ込み思案だからな」
「4クール中40話に出てた割によく言えますね」
京の言う通りマリスドベルは先程からずっとカメラを追いかけている。
襲い掛かったりしてこない以上は無害とも言えるが、追い払おうと接近してくるスタッフには容赦なく怪人のパワーを発揮し吹き飛ばしてしまうのでこのままでは撮影が進められそうにない。
そもそも相手がマリスドベルなら放置してもおけないし、明也と京は注目が怪人の方へ移っている間にこっそりとシュガーフェストへ戻り、魔装を着て戻ってきた。
「……よし明也、折角カメラも回っている事だし、少し演技を加えてみるか」
「え? 演技、ですか?」
手早く怪人を倒そうとDブレードΩを手にした明也が動き出そうとした時、京が突然にそう言った。
「そう怖がらなくていい。前にやったショーのつもりでやればいい」
「ああ、あの時の……。……いや、あの時のショーって絶望的なまでにグダグダだったんですけど本当にそれでいいんですか!?」
「心配するな、細かい所はアドリブで何とかなる!」
「聞き覚えのある台詞!! 絶対二の舞になるやつだこれ!!」
京の後に続き、ヤケクソ気味に明也も走る。ロクでもない事になる予感がプンプンだが、それでも優先するのはマリスドベルの撃破である。
「そこまでだマリスドベル! 貴様は私達魔装少女が排除するッ!」
「イエエーーーーッ!!」
「く、クソッ、いい加減にしろよお前! あっち行けよ!!」
京が名乗りを上げるがマリスドベルはまるで意に介さずカメラの前に陣取っている。
「無視、だと!? そんな、ではここからはどうすればいいのかまったくわからなくなってしまったぞ……!!」
「……わかってはいましたけどアドリブへの対応力死ぬほどカスですね先輩」
初手で思考が止まった京に、明也は半ば知ってはいたという感じの呆れた視線を投げる。本当に、監督なんて事をやっていたのが事実なのか信じられなくなりそうだった。
頭を抱えフリーズ状態の京とカメラに顔を向けて背中を無防備に晒しているマリスドベルを何度も見比べ、明也は怪人の方に向けて歩いていく。
「……えい」
「ガアアアーーーーッ!!」
DブレードΩの剣先を背中に軽く突き刺すと、マリスドベルはノーガードでそれを受け入れた。見る間に怪人が光の粒子に変わって消滅していく。
「な、なんて隙だらけな……」
敵ながら隙だらけの怪人に明也は再び呆れたような顔になってしまう。まあ、ただテレビに映りたいだけの意思が怪人になったのならこんなものだろうが。
ともかく、まだ止まったままの京に向けて明也は言葉をかける。
「終わりましたよ、先輩」
「終わっ、た? ……フッ、我々のコンビネーションにかかればこのぐらいは容易だったな」
「よく微塵の恥ずかし気もなく言えますねそれ……」
何もしていないのに勝ち誇る京に、明也は今日何度目になるかわからない呆れた顔を彼女に向ける。
マリスドベルが完全に消滅し、危険が去ったのを理解した監督が明也と京の元へやってきた。
「やー、ビックリしたよ。何だったのあれ? 君らが倒したみたいだけど、僕らを脅かそうとして用意してたとか?」
「あ、いやそうではないんですけど」
「簡潔に言えば、あれはこの地に巣食う怪物で、私達はそれを討つ力を持った存在という事だ。現れたのは偶然だが、怪物を撃破する迫力あるシーン……実に良い画が撮れた事だろう?」
「うん、ウチは特撮はやってないから活かしどころはないと思うけど、喜ぶ所は喜ぶかもね」
余計に混乱させそうな京の説明だったが、監督は気にせず受け入れられたらしい。もしくは、とても手の込んだイタズラという事にして流そうとしているのだろう。
「……それじゃあ、邪魔は入っちゃったけど改めて撮り直しちゃおうか。助けてもらったりもしたわけだし……」
「京ちゃーーん」
撮影再開、となった所で大きな声が聞こえてきた。親しげに京を呼ぶのは、佐藤だ。
佐藤が人だかりの中から割り入るように姿を現し、その手に紙箱を持って駆け寄ってきた。
「咲? どうした、咲も映りたくなったのか?」
「ううん、そういう訳じゃないんだけど、これ。せっかくお隣さんで何かしてるんだったら差し入れした方がいいかなって思って」
佐藤の持つ紙箱はシュガーフェストで使われているものだ。4つ以上のドーナツを詰めるときに使われるサイズのもので、それが日の目を浴びるのは明也がシュガーフェストで働き始めてから初の事だったかもしれない。
あの箱の中には何が入っているのだろう。……いや、言うまでもなくドーナツなのだが、果たして見ただけでそれに自信が持てるかは微妙な所だ。
「今、京って言ったかな?」
明也が紙箱の中身思いを馳せている時、背後から監督がそう言葉をかけてきた。
その言葉は京の耳にまで届いたらしく、胸を張って本人が肯定する。
「ふふん、そうだとも。私の名は夏条京。自分で言うのも何だが、特撮好きの間ではそれなりに名の知れた者だ」
「それ知れ渡ってるのって悪評ですよね、ほんとに自分で言うのもどうなのって感じではありますけど」
「あー、あの。名前だけしか知らなかったけど、まさか君がそうだとはねえ。……うんうん、君がねえ」
京の正体を知って監督はにこやかな顔で何度も頷いていた。そしてスタッフ達の方へと戻り、全員の顔を見渡した。
「全員!! 録音録画データは全部削除!! 撮影に使った機材は全部破壊して焼却!! 大至急だ!!!」
「か、監督!? どうしたんですか急に!? そんな事したら先週までのロケが全部パアになっちゃいますよ!!」
「いいんだよ!! あの夏条京と関わっちまったんならイチからやり直した方がマシだ!! ここからも撤収するぞ、急げ!!!!」
「ええええッ!?? で、でもまだ天城さんが来てませんけど……」
「後で連絡すりゃいい!! 急いで逃げるぞ!!」
穏やかそうな印象だった監督はどこへやら、雷鳴のような怒声と共に困惑するスタッフへ正気とは思えない指示を飛ばし始めた。
その剣幕に圧倒されるかのように撮影機材を破棄、その場でデータを削除し機材を粉砕、その後一か所にまとめられたそれに監督自らがガソリンをかけて火を放った。
迅速な行動に明也が呆気に取られている内に撮影スタッフ一同はその地帯から逃げるように去り、後には燃えカスだけが残されていた。
「あ~……皆さん行っちゃいましたね」
「ふむ、どうやら私が産み出した番組の伝説は業界内でも未だに語り草になっているようだな」
「ふむ、じゃないですよ!! 伝説は伝説でも都市伝説の類いになってるでしょ!! 扱いがほとんど『関わった事実が存在するだけで悪影響をもたらす妖怪』じゃないですか!! アンタ本当に何作ったんだ!?」
なぜか誇らしげにする京に、明也は激しくツッコむ。
スタッフがいなくなり、撮影が終了したのかと考えたのか人だかりは徐々に減っていき、シュガーフェスト周辺はいつもの静けさを取り戻し始めていく。
結局まともな映像が撮れてはいないにせよ、ドラマに出演するチャンスがなくなってしまったのは残念だな、と明也は思うのだった。




