奪われるたいせつなもの
「やー、昨日のおなべおいしかったのな」
「うん……そうだね不味いわけではなかったよね」
佐藤の家での闇鍋から翌日、明也は昨夜の事を楽しそうに語るライミィに付き合って話を聞いていた。
よほどライミィにとって新鮮な体験だったのか、明也がシュガーフェストに来てからすぐ飛びつくように話しかけてきたのだ。
新鮮という意味では、明也も同じくである。できの悪い悪夢でも見ているかのように味が変わっていく鍋は彼にも初めての経験である。
あまりにも未知の体験すぎて、明也は1晩中謎の腹痛に襲われたりしていた。
「サトーの家でみんなと食べるから、昨日はとっても楽しかったんだと思うんよ。またやりたいのな!」
「…………1回で十分かなぁ」
好きな人の家に上がるという経験は貴重なものではあったが、それを含めても明也はもう1度鍋を佐藤らと囲みたいかと聞かれると……遠慮したかった。
入る度に構造の変わるダンジョンに潜るようなものだ。次また無事に帰れる保証も無いし、鍋はもうこりごりであると明也は思う。
「えー、なんでなんよ?」
「だって……怖いじゃん。食べ物って本来いきなり別のものに変化したりしないんだよ、ライミィもあんなの今まで見た事なかったでしょ?」
「そんなのいつもサトーたちが見せてくれてるのな、怖くもなんともないんよ」
「そうだったね……!」
明也は忘れていた。すり替えマジックも真っ青なほどの瞬間変身を毎日のようにドーナツ作りで見ているライミィにとって、あれは普段とさして変わらない光景だったのだ。
ライミィ本人にもわりと悪食な部分があるので、どちらにせよ明也の共感を得てはくれないだろう。
そんな結論が出たタイミングでシュガーフェストのドアが勢いよく開かれる。実は叩き割るつもりだったのではないかと思うような爆音に明也はビクッと震えてそちらに振り向く。
「ッ!? と、戸ヶ崎さん……?」
飛び込んできたのは戸ヶ崎だった。全力でダッシュでもしてきたのか過呼吸気味にハアハアと息を切らし、髪もひどく乱れている。落ち着いた態度の彼女を見る機会の多い明也とライミィにとって思わずぎょっとする姿に映った。
「どしたの? ちょっと怖いのな」
「いないの!!!!!!」
「ひっ」
目を見開き張り裂けんばかりに叫ぶ戸ヶ崎の声には激しい怒りと悲しみが入り混じっている。顔を覗き込むように近付いたライミィも驚いて明也の背後に隠れてしまった。
そのまま戸ヶ崎の視線は明也に向かい、滑るような動きで接近して明也の両肩に食い込ませるような力で両手が乗せられる。
その時、明也は恐怖と共に「あれ?」と違和感を覚えた。
「いないんです、どこにも」
「い、いないって、誰が……?」
明也が聞き返すと彼女の両手の力がすっと抜け、怒気の混じった表情から一転して感情が消えたような顔になる。
遅れて瞳が潤んで、目じりから一筋の涙が零れると同時に決壊したダムの如く涙が流れ出し、その場にくずおれた戸ヶ崎は静かに泣き始めてしまった。
「ゆうくん……」
「ゆうくん? ……あー、だから」
自分の肩を掴んでいた戸ヶ崎の両手を見て、なにがおかしいと思っていたのか明也はようやく理解する。
いつも戸ヶ崎が大事そうに抱えている人形のゆうくんがどこにも見当たらないのだ。
詳しい事情は聞かないがゆうくんを溺愛している戸ヶ崎であれば、そのゆうくんを紛失すればこれほど錯乱した状態になるのもおかしくはないだろう。
「どこかに落としちゃった、のかな」
恐る恐るそう聞くと、戸ヶ崎は力なくふるふると首を横に振った。
「ゆうくんがはぐれちゃわないようにずっと抱っこしてたから、そんなことありません……ご飯もお風呂も眠るのも一緒なんです」
「そっか。じゃあ、無くなったのに気付いたのっていつだった?」
「……朝、私がベッドで目を覚ましたらいなくなっていたんです。お家のどこにもいなかったし、もしかしたら家出しちゃったのかもしれません」
「…………うん、まあ、その可能性も無くはない、のかもね」
涙を拭いながら話す戸ヶ崎に明也はためらいがちに返した。流石に人形が独りでにいなくなる事はないと思うが。
「ゆうくんってああ見えて結構照れ屋さんな所があるので、最近の私って少しゆうくんに大胆だったじゃないですか」
「そうだね。知らないけど」
「もしかしたらそれがゆうくんは恥ずかしくなって1人でどこかに行っちゃったんだと思うんです」
そう言うと、戸ヶ崎はスッと明也の顔を見る。若干赤くなった彼女の目と視線が合ってしまった明也は、蛇に睨まれたように動けなくなる。
戸ヶ崎はゆっくりと立ち上がり、再び明也の両肩に手を乗せる。今度は力を込められてはいないが、気分的には万力で挟まれる直前のようなものだった。
「一緒に探してください」
「はい」
呪術で操られているかのように、明也は自然と口からその2文字を発していた。
断ろうものならどんな目に遭うかと考えれば、どちらにせよ怖くて他の返答などできないのだが。
「……じゃあ、ライミィも」
そしてかわいそうではあるがこの場にいた以上ライミィも巻き込むつもりでいた。後ろに振り返って彼女の姿を見る。
が、ライミィは忽然と姿を消していた。
「にっ、逃げた……!!」
いつからいなかったのか、既にライミィはどこかへ行っていた。佐藤と京のいる調理場に避難したのだろうか。
ならばいっそ3人共付き合ってもらおうとして、戸ヶ崎に腕を掴まれる。
「早く行きますよ。ゆうくんが凍えてるかもしれないので」
「え、と、戸ヶ崎さん? ライミィ達は……?」
「お店番は必要ですし、仕方ないでしょう。ほら、ぐずぐずしないでください」
そう言いきられ、明也は引っ張られるままにシュガーフェストの外へと引きずり出されてしまった。
冬の茅原町には雪が積もっていた。道に、塀に、家の屋根に、至る所に足首まで埋まってしまいそうな量の雪が鎮座している。
幸い降ってはいないのでこれ以上積雪が増えはしないだろうが、気温はしっかりとした冬のそれだ。シュガーフェストの制服を着た明也より若干寒気の方が勝っている。長時間室外にいれば凍えてしまうだろう。
戸ヶ崎の方も似たようなものである。あまり厚着には見えない格好なのだが、寒くはないのだろうか。明也は自分の二の腕をさすりながら彼女を見る。
「さ、寒いね。すっかり冬って感じだけど、戸ヶ崎さんは平気なの?」
「私の事はいいのでゆうくんを探してください」
「は、はい……」
ばっさりと切り捨てられ、明也は身が縮こまってしまい、おとなしく戸ヶ崎の後を追いかけて歩く。
さっきシュガーフェストに現れた時からそうだったが、いつもと口調の違う戸ヶ崎は、いつも以上に怖く感じるのだ。
普段の口調には余裕や安心感のようなものを感じられたが、今は焦りと苛立ちしか感じられない。それだけゆうくんに精神的な部分を支えられていたのだろう。
そんな彼女を放っておくのも忍びない。有無を言わさず連れ出されたりはしたが、少し前に明也1人ではまともに動けなかった時に助けてもらったりしたし、その恩返しも兼ねて明也はゆうくん探しを手伝うつもりでいる。
「しかし、なんでいきなり無くなったんだろう? 戸ヶ崎さんならどこかに忘れたりしなさそうなのに」
戸ヶ崎はいつもあの人形を肌身離さず抱いていた。入浴中でも離さないのは明也も知っているし、本当に触れていない時間は無いと言っていいだろう。
そうなってくると、紛失には第三者の関りが考えられる。誰かがゆうくんを盗み出したのかもしれない。
もっとも、その可能性はあまり考えられない。いくつもの布を継ぎ接ぎして作られたあの人形はとても高価には見えないし、探せばいくらでも似たような人形が見つかるはずだ。
かといって戸ヶ崎が言うように家出したという事も考えられない。それならどこかに置き忘れていたというオチの方がありえる。
ならどこにいってしまったのか、と考える明也に戸ヶ崎は言葉を返す。
「私がゆうくんの事を忘れるわけがないのなんて当たり前の話です、例え死んだとしても忘れるつもりなんてありませんから」
「う、うん。……じゃあどこ行っちゃったんだろうね、ゆうくん」
「きっと、悪い人に騙されて誘拐されてしまったのかも。ゆうくんは純粋な子だからその手のものにひっかかりやすいんです」
「……そう、かもね」
明也の考えよりも更に突飛な答えが返ってきた。
攫うにしても人形より人間の方にいくと思うのだが……いや、誘拐犯が戸ヶ崎と同じように人形への凄まじい執着があればそうとは限らないが、多分いないだろう。というか、明也としてそんな変態はこれ以上この町にいてほしくないが。
「だとしたら、マリスドベルかな」
常軌を逸した存在という意味では、マリスドベルの方が茅原町では身近だ。人間の心の中の悪意が怪物として具現化した者たちであれば、そういった行動に出たとしてもおかしくはない。
「そうだったら、心おきなくおしおきできますね。人でも一緒ですけど」
「前半はともかく後半も笑顔で言わないでよ、怖いよ戸ヶ崎さん」
いずれにせよマリスドベルであってくれれば明也としてもやり慣れた相手であるので、そちらの方が助かる。白く染まった雪の世界では、あの闇を纏った姿は容易に見つけられる事だろう。
しかし、それも魔装があればの話だ。せめてDブレードだけでもあればいいのだが、今の明也と戸ヶ崎は魔装少女としての装備を何も持っていない丸腰状態だ。このままマリスドベルと出会えばとにかく危険である。
「……いったん帰って魔装とDブレードを持ってきた方がいいかもね」
そういって明也は来た道を引き返そうとする。
が、戸ヶ崎の方はその明也に気付いていないかのようにその場に立ち止まっていた。
不思議に思い、明也は振り返る。
「あ」
戸ヶ崎が小さく漏らした声、その視線の先にあったものを明也は見る。
そこにあったのは闇を纏う巨体だった。
2メートル近い棒を2本繋げたような細長い手足と、背中が物をたくさん詰め込んだ黒いビニール袋のように膨らんでいる怪人は、間違いなくマリスドベルである。
そしてマリスドベルの膨らんだ背中には様々なものが貼りつけられていた。貴金属、大きな宝石の付いた装飾品など、高価そうな貴重品がいくつもぶら下がっている。
その中に混じるようにして動物や人間の写った古びた写真などもある。見た限り、誰かにとっての「大切なもの」があの怪人の背中に貼られているようだ。
それを証明するように、怪人は明也と戸ヶ崎の目の前で近くの民家へと腕を伸ばす。
怪人の腕は建物の壁をすり抜けるように通過していき、物色するように動き回る。
ほどなくして引き抜かれた手の中には1冊のアルバムが握られていた。半開きになったページから生まれたばかりの子供の写真が何枚も収められているのが見えた。
「なら、戸ヶ崎さんの人形も……?」
戦利品を誇示するように怪人が自らの背にアルバムを貼り付ける。その時、明也たちの視界に見覚えのあるものが映った。
いくつもの布を継ぎ接ぎして作られた、男の子の人形。疑いようもなく戸ヶ崎の大切にしているゆうくんだ。それがマリスドベルの背の頂点付近にくっついているのが確認できた。
あれが、眠っていた戸ヶ崎の枕元からゆうくんを奪い取ったのだろう。
「やっぱりか! 戸ヶ崎さん、急いでシュガーフェストに戻って、魔装を……」
明也の言葉を聞くより先に戸ヶ崎は駆けだしていた。
ただし、それはシュガーフェストではなくマリスドベルへ向かってだ。目を見開き、歯をむき出しにして走る姿は、まるで理性を失った獣のようであった。
薄々そうなる予感はしていた。ゆうくんに対して戸ヶ崎は何よりも熱心で、何よりも情熱的になる。彼女からゆうくんを奪った犯人を前にしては何を差し置いてでも殺しに向かうだろう。
「む、無理だって戸ヶ崎さん! 魔装がないとマリスドベルには敵わないんだよ!? 俺が取ってくるから、それまで待って……」
「――――ッ!!!!」
必死に明也は追いかけて止めようとするが、言葉として成立していない金切り声を上げながら爆走する戸ヶ崎に追いつく事叶わずどんどん距離を離されていく。
あっという間に怪人の足元まで接近した戸ヶ崎が跳躍し、怪人の右足に飛びついた。
何をするのかと思えば、口を開き、怪人の足に喰らい付き始めたのだ。だが、そんな攻撃はマリスドベルに通用はしない。人であれば痛みに動きを止めるかもしれないが、マリスドベルには痛くもかゆくもない。
ないはずだったのだが。
「るあぁぁぁぁあぁあぁーーーーッ!!!!」
咆哮と共に、戸ヶ崎が怪人の足を食い千切ったのだ。突如片足を失ったマリスドベルはバランスを崩し、叩きつけられるようにコンクリートの地面へ横転する。
倒れたマリスドベルの背中ががら空きになり、ゆうくんが戸ヶ崎の手の届く位置まで降りてきた。
そこからゆうくんを優しく引き剥がし、優しく両腕に抱きながら戸ヶ崎は明也の方へ歩いてくる。
「こわかったねぇ、ゆうくぅん」
「こ、怖いぃ……!!」
一瞬でいつもの調子を取り戻した戸ヶ崎を見て、明也は素直に恐れおののいた。
「別に先輩に言ったつもりはないんですけどねぇ。それよりせんぱぁい、早くお店に戻って武器を取りに行きますよぉ?」
「そっ、そうだね」
スイッチか何かで人格を切り替えたかのようにスッと口調が元に戻った戸ヶ崎が明也を通り過ぎ、シュガーフェストへ戻ろうとするので明也も怯えながらそれに続く。
手早く魔装とDブレードを持って戻ってくると、怪人は依然倒れたままほとんど動けていなかった。千切れた足は元通りに修復されていたので、身体を起こすのに手間取っているのだろう。
無防備な姿を晒すマリスドベルは、戸ヶ崎が念入りにとどめを刺した。怪人の姿が光の粒子に変わっていく。
「よぉし、これでもうゆうくんがさらわれる心配もなくなりますねぇ」
風に吹かれて飛散する砂のように消えていくマリスドベルを見ながら戸ヶ崎は心底喜ばしそうに言う。
付き合わされた明也の方も、ようやく解放されるとなって安心する。
「よかったね、ゆうくん見つかって」
「本当ですよぉ。まぁ先輩はなにもしてなかったですけどねぇ」
「はははは、そうだねー……」
何もしなかった、というよりは出る幕がなかったという方が近いと思うのだが、明也は黙っておく。
生身でマリスドベルの足を食い千切り、単独でゆうくんを救出するほどの力を見せつけられては活躍のしようもなかったのだが。
何にしても戸ヶ崎を怒らせたりは、詳細に言えばゆうくんを取り上げたり傷つけたりなんて事は絶対にしないようにしよう、と深く心に刻み込むのだった。




