温泉でゆっくり
ナインカウントを使い、マリスドベルを倒した翌日。
明也はシュガーフェストの床に膝を突き、壁に手を押し付けて倒れないように必死に耐えていた。
「し、しんどい……」
ナインカウント終了後から続く疲労と全身の痛みは丸1日近く経過した今も明也の体からは消えようともしていない。
一応家に帰るのも出勤するのも明也単独でやれはしていたのだが、それも多少体が動かせるようになったから四つん這いになったり這いずったりしてのものなのでまともに立つ事すらほとんどできていなかったりはする。
「大丈夫ですかぁ? 今にも死んじゃいそうですねぇ」
「た、多分平気だと思う……」
「ちっともそうは思えないのな」
虚勢を張ってみるも、見ただけでわかる疲労困憊加減に余計に心配されてしまう。
「すまない明也、私が使用をせがむようなマネをしたばかりに」
「先輩は別に悪くないですよ。どうせ使わないと危険な敵だったんですし」
京が謝るが明也もそこまで気にしてはいない。むしろ、早い内にどんな反動が襲ってくるのか分かったのが喜ばしいとも思う。
「うーん……そんな状態でもお仕事しに来てくれたのは嬉しいんですけど、さすがに今の暁くんに働いてもらうのは、気が引けちゃいますねー」
「そんなに心配しないでくださいよ店長、ほら、俺はこんなにピンピンしてますよ」
「うつ伏せで床に倒れた姿勢になって言われても説得力ないですねー」
佐藤の言う通り、今の明也は荷物同然だ。雪の降る中ほとんど這って店まで来たせいで体力も体温も尽きかけた今の状態では店番1つろくにこなせはしないだろう。
「その身体で働いたらきっと死んじゃいますし、せめてあったかくした方がいいと思います。……この近くに温泉があるんですけど、ちょっと行ってきます?」
「え、温泉ですか」
「はい! 疲労によく効くって評判なんですよー! じっくり浸かったら少しは体調も良くなると思うんです! どうです? もちろんお金は私が出しますし、お店に戻ってくるまでの間もお仕事中の扱いにしてバイト代も出しちゃいますよ」
「めちゃめちゃ好条件ですね……じゃあ、お言葉に甘えて」
そこまでされると申し訳ない気持ちにならないでもないが、佐藤なりの厚意を無碍にするわけにもいかないし、明也は行く事にした。
それに、働かずにただ温泉に入ってお金が貰えるというのは正直に言って魅力的すぎる。
「ところで、明也1人で温泉まで行けるのか? その様子だと歩くのすら過酷に見えるが」
ふと京がそう言うと、佐藤も少し大変そうですねーと声を上げる。
「1人で行かせるのもかわいそうですし、誰かに一緒に行ってもらおうかなー。京ちゃんお願いできるかな?」
「ああ、異論は」
「あぁそれ私が連れて行きたいでぇす」
「ワタシも興味あるのな、おんせん行ってみたいんよ!」
会話に割り込むように戸ヶ崎とライミィが明也の付き添いに立候補する。ライミィの方はともかく、戸ヶ崎が名乗り出るのはかなり意外だ。
「そうか。じゃあ明也は2人に任せるとしようか。ついでに温泉を楽しんでくるといい」
「わかりましたぁ」
「楽しんでくるのな!」
京からの許可を受け、2人共嬉しそうにしている。加えて戸ヶ崎の方はいつも大事に抱いている人形へ話しかけた。
「楽しみだねぇ、温泉だって、ゆうくん」
「あー、目当てはそこなわけね」
明也の介護ではなく、単にゆうくんとの想い出作りが主目的なわけだ。どうりで、と明也は納得する。
佐藤から温泉の場所を聞いて入浴料を受け取った明也はライミィ戸ヶ崎の2人に連れられて温泉へと向かった。
ゆうくん優先であまり自分に構わず戸ヶ崎は先に行ってしまうかと思っていたが、むしろかいがいしく肩を貸してくれたのを明也は驚いていた。
平日昼前の温泉は比較的空いており、心を落ち着かせるような静けさが満ちていた。
「じゃあ、また後でね」
受付で料金を支払った明也たちは男湯と女湯を分ける暖簾の前まで来て、明也が2人と別れようとしたところで戸ヶ崎に止められる。
「待ってくださいよぉ」
「え、なに戸ヶ崎さん、もしかして一緒に来ようとか言ったりしないよね?」
「でも今の先輩1人で服、脱げますかぁ?」
「で、できるってそれくらい! 心配しすぎだってば!」
いきなりの言葉に、明也の心拍数が急に上がる。それはつまり明也が自分だけでは服も脱げないと言えば脱衣を手伝ってくれたりする、という意味だろうか。
その光景をちょっと想像した明也は顔が熱くなり、すぐ横に戸ヶ崎の顔があるのを思い出して更に顔の赤みが増していく。
ここまで来るのに手伝って貰いはしたが、手足がまるで動かせない状態でもないしそこまでさせるわけにもいかない。ここまでで大丈夫だと示すつもりで戸ヶ崎に預けていた体を解き、彼女から離れる。
が、戸ヶ崎という支えを失った明也の体は力が入らず、沈み込むように床に膝を突いてしまう。
「ホントに平気なのメイヤ? 無理しない方がいいと思うのな」
「へ、平気だって、へっちゃらだよ」
それを見ていた戸ヶ崎はため息を吐いた。
「あのぉ、私はゆうくんと一緒に温泉を楽しみたくて来ましたし、とうぜん1番はそれなんですけどぉ。……それとは別に京さんに先輩の事を任されてるのであまり見栄を張られても困るんです、できない事があるなら恥ずかしがらずにそう言ってください」
明也の顔をしっかりと見ながら言う戸ヶ崎の言葉には相手を想う気持ちと、強い責任感のようなものが感じられた。
京の言葉を受けて、別の目的があるとはいえ戸ヶ崎は満足に体を動かせない状態の明也の手足の代わりになってくれるつもりだったのかもしれない。
真剣な彼女の目を見て、自分より年下の女の子に裸を見られるのが恥ずかしい、だとかしょうもない事を考えていた明也はますます自分が恥ずかしくなってきた。
「っ、ごめん、戸ヶ崎さん。でももう大丈夫、本当にここまでで大丈夫だから」
「……ほんとうにですかぁ?」
「うん、ありがとうね。また帰りもお願いすると思うから、その時まではゆうくんと楽しんでくれていいよ」
「……そっかぁ。先輩がそう言うなら、お言葉に甘えちゃいましょうかねぇ」
だが結局明也は1人で問題ないとして断った。
さっきは勢い任せにして倒れてしまったが、ゆっくり力を込めればなんとか自立はできる。手も足も小刻みに震えてはいるが、かろうじて倒れはしない。
戸ヶ崎の方もそこまで言うのであれば、と折れてくれた。若干呆れたような物言いだったが、それよりゆうくんと一緒にお風呂に入る方が楽しみなのかすぐ女湯の方へ入っていった。うきうきした様子を隠さず話しかけている。
「えー? 大丈夫だよゆうくぅん、そんなに恥ずかしがらなくってもいいんだよぉ?」
「楽しそうだなぁ、戸ヶ崎さん」
「まったくなのな、ワタシも早くおんせんを楽しみたいんよ」
明也も男湯の暖簾をくぐって脱衣所に向かう。
「あの、ライミィ? なんでこっちについて来てるの?」
脱衣所に入る直前、平然と明也の後を追うライミィに振り返って聞いた。
「は? なんかダメなのな?」
「ダメっていうか……どうなんだろう、いいのかな……? あっ! もしかしてライミィって男の子だったりした?」
「怒るよ?」
「……うん、そうだよね、違ったよね、ごめん」
引き返して、明也はライミィを戸ヶ崎の入った女湯側へ押し込む。
「説明とかしてなかったもんね、女の子はこっちなんだよ」
「うん、わかったのな。……でもメイヤ、ひとりでだいじょぶ? 死なない?」
「そこまでじゃないから平気だよ、心配してくれてありがとね」
ライミィを行かせて今度こそ明也は男湯に入る。服を脱ぐのに多少苦戦はしたが、普通に浴場へと足を踏み入れられた。
温泉特有の天井から床までを覆う石っぽいタイルと洞窟のような反響する音に出迎えられる。
まだ湯に爪先もつけていないが、1歩入り込んだだけでもう疲れが少し抜けたような気がしていた。
「いやいや、流石に大袈裟かな」
自嘲気味に小さく笑い、軽く体を洗ってから明也は早速湯船へと沈み込んでいく。
一般家庭の風呂では中々再現できないサイズの浴槽は解放感があり、すこし熱めの湯がまるで全身に染み込んでいくかのようで、痛みと疲労が溶かされていくような気分になる。
「んんっ……~~」
その快感に自然と声が漏れてしまう。明也の場合極限まで疲れが溜まった状態なので、我慢できるはずもなかった。
明也自身でもかなり間抜けな声が出ちゃったな、と思ってしまうような声にちょっと恥ずかしくなる。幸いな事に聞かれるような相手が浴場に見当たらないので明也はホッとする。
そう思っていたら予想外の方向から声が飛んできた。
「くすくす、やだぁせんぱぁい、こっちまで声が聞こえてますよぉ~?」
戸ヶ崎の嘲るような笑い声が響く。
どうやら壁の上の方が開いていて、そこが女湯と繋がっているようだ。聞かれなくてよかったと思っていた間抜け声はばっちりと彼女達に聞かれてしまったらしい。
「メイヤー、お風呂でなにしてるんよー」
「なっ何もしてないよ!! お湯に浸かっただけだから!!」
「それだけでほんとにそんなヘンな声が出ちゃうものなんですかねぇ」
「ほ、本当に違うからね!?」
からかうような戸ヶ崎の声に、これ以上相手にしていては疲れを取るどころか余計に披露するだけだと明也は判断してできるだけ反応しない事にした。
「ほんとかなぁ。実は私達の声を聞いてハダカを想像してたりしませんかぁ?」
「……」
「んー? 先輩ぃー? ……まぁ私はどっちでもいいんですけどぉ。それよりゆうくぅん、そろそろ恥ずかしがらないでこっち向いてもいいんだよぉ?」
戸ヶ崎も一通り弄って飽きたのか、興味を失ったようにゆうくんに話しかけ始めた。
……シュガーフェストではもういつもの事なので流しつつあったが、温泉にまで人形を持ち込むのはどうなのだろう。マナーにうるさい人が入ってきて怒られそうで明也はそっちの方が気がかりになる。
「おんせんってでっかいお風呂なのな。泳げるんよ!」
ライミィのその言葉と共に、バシャバシャと勢いの良い水飛沫の上がる音が女湯から聞こえてくる。
戸ヶ崎が止めに入るかと思っていたが、ゆうくんに夢中なのかまったくストップはかからない。
「ほらほら、体洗ってあげるから私の方見てねぇゆうくぅん。えへへ、嫌って言ってもむりやりやっちゃうぞぉ」
「うおおおおおお!! あと50往復はいけるのなあああああ!!」
何かのスイッチが入ってかライミィのハイな叫びが轟き、モーターボートでも走るかのような爆音が響き始める。戸ヶ崎はそれをまるで気にも止めず深く自分の世界に入り込んでいく。
そんな混沌とした音に続き、バン! と勢いよく女湯の入り口を開く音がした。
「お客様、少しよろしいでしょうか」
「追い出されたのな……」
「出入り禁止って言われちゃいましたねぇ」
「うん……だろうなとは思ってたよ」
温泉を堪能し、施設から出た明也の前には意気消沈したライミィと戸ヶ崎が立っていた。
従業員らしき人に連れ出されたようなのでまあ何かしらのお説教は喰らっていたのだと思っていたが、まさか即出禁とは。
「それで、先輩はちゃぁんと体、良くなりましたかぁ?」
「うん。店長も言ってたけど、本当にすごい効くんだね、びっくりしたよ」
戸ヶ崎に聞かれ、明也は自立できている自分を改めて見かえしてみる。
温泉の効能によるものなのか痛みも疲労もごっそりと抜き取られたような気分だった。完全に消えたわけではないのだが、1人で歩くのには苦労しない。
それを見た戸ヶ崎もうんうんと頷いて明也の回復を喜んでくれているようだ。
「良かったですねぇ。それなら目的は達成できたわけですしぃ」
「メイヤが元気になったなら嬉しいのな。でもワタシはもっと泳ぎたかったんよ」
「付き合ってくれてありがとうね2人とも。……あとライミィ、温泉は泳ぐ場所じゃないからね?」
一緒に来てくれた戸ヶ崎とライミィは二度と温泉に入れなくなってしまったが、明也は復活した。
しかしナインカウントを使う度に誰かに付き添ってもらってここまで来るのも申し訳ないし、よほどの強敵以外にはもう使わないと明也は強く誓うのだった。




