混ざり合う、愛と力
11月に入り、茅原町にはちらちらと雪が降り始めた。
積もるほどの降雪ではないが、シュガーフェストへ向かおうと自宅のドアを開けた明也にはそのわずかな雪を見てもう冬なんだな、と実感する。
家を出て刺すような冷たい空気を顔に受けながら店へと歩いている途中、明也は気になるものを見た。
「うわ、火事かな」
遠くの方で黒い煙が上がっているのが見えたのだ。多分、商店街の近くである。
シュガーフェストからは離れた位置なので店は無事だが、寒くなってきた時期という事でああいった火災が茅原町では増えつつある。明也も気をつけなくては、と思いながら店に着いた。
「おはようございま……」
そこまで言って、店に客がいるのに明也は気付いた。珍しさのあまり、一瞬言葉に詰まる。
「あっ、あの子も店員さん?」
「うん、そうだよー。暁明也くんって言うの」
レジに立つ佐藤と会話している女性はかなり若く見えた。指輪をしているのでおそらく既婚者なのだろうが、何歳だろう。
明也が入ってきたのに気付いた彼女は明也をじっくりと見て、佐藤の方へ振り返った。
「ふむふむ、うちの子ほどではないけど、まあまあ可愛いわねー。……もしかして、付き合ってたりとかする?」
「ッ!?」
佐藤に向けた言葉だったが、それを聞いた明也はドキッとする。なんと答えるのか気になってしょうがない。
とは言っても別に佐藤と明也は恋人同士でもなんでもないので否定しかないのだが。それでも、どんな否定の仕方をするかで佐藤が明也をどう意識しているかはわかるかもしれない。なので、注意深くその挙動を確認する。
「もー、そういうのじゃないってばー」
特に動揺も見せず、軽く笑いながらの返答だった。つまり、本当に何とも思っていないという事だ。明也は悲しい。
まあ、思い返してみればこの半年ほどの間に明也は何のアピールも佐藤にしていなかったので、仕方ないといえば仕方ないだろう。
「あらそうなの? でも恋はすっごく素敵だから、咲も早くしてみた方がいいと思うな。きっと燃え上がるような体験ができるもの」
「あはは、考えとくねー」
そう言い残して、女性は明也と入れ違いに店を後にした。
窓からも彼女の姿が見えなくなった頃、佐藤は糸の切れた人形のようにレジカウンターの上に突っ伏した。
「き、緊張したぁ……」
「……今の、店長の知り合いですか?」
「うーーんまあ因縁の深い人、ですねー……」
楽しく話していたように見えたのだが、それは虚勢だったのか、佐藤は今顔を真っ青に染め上げている。
「前に私が高校生だった頃の話をしたのって、覚えてます?」
「覚えてますよ。確かそこで店長が思いっきり変わったんですよね」
明也がシュガーフェストで働き始めてからさほど日の経っていない頃、佐藤の昔の話を聞かされた覚えがある。
元々はそこまで変わった子でもなかった佐藤が高校の頃に出会ったある人物の言葉で、今のような状態になってしまったという話だ。
「じゃあ、さっきの人って」
「はい……。私が変わるきっかけになった人、加藤さんです」
さっきまで店にいたのがその張本人であったわけだ。佐藤が店の前に来た所を偶然加藤が見つけ、しばらく店内で話し込んでいたらしい。
「まさか結婚してるとは驚きでしたねー。いえ、元々人気のある子だったので不思議ではないんですけど、いつ結婚したんだろ……むむ? というか結婚したならもう加藤さんと呼ぶのは違う? ……いえいえ、その話はまあ置いておきましょう」
独り言のように呟き、話が脱線したのを感じたのか佐藤はそこで区切って、再度口を開いた。
「暁くんが来るまでずっとお話ししてたんですけど、不思議と『よくも変なアドバイスをしたなー』みたいな、怒りの感情とかって湧いてこなかったんですよね。久しぶりだったからすっごく緊張はしましたけど。どっちかっていうとまた会えて嬉しいなーって気持ちの方が強かったんです」
「それは、まあ……よかった、んですかね」
会ってみて、それほど恨みは無かったと言われて明也はなんともいえない返事をした。
実際佐藤が未だに加藤の事を恨んでいて、怒りをそのままぶつけたところで今更消えるようなクセでもないし、そういう結論が出たのは良かったのかもしれない。
「良いってことにしちゃいましょう! 加藤さんも良い人のままみたいですし、また友達になれそうな気がするんですよねー。……それにしても、恋かー。あんなに猛プッシュしてくるって事はそんなにいいものなんでしょうかねー」
話題は切り替わり、明也は思わず心臓が飛び上がるような感覚に襲われる。
以前は加藤の言葉をそのまま受け入れて行動したようだが、今回もそうするつもりだったりするのだろうか。だとしたら、玉砕覚悟でアピールすべきなのではないかと明也は思う。
「暁くんはどう思います?」
「!!」
まさに覚悟を決めたタイミングで話を振られた。ここしかないとばかりに、明也は果敢に口を開く。
「おっ、俺とかどうでしょうか!?」
「え、なんでです?」
「あっい、今の忘れて下さい! き、着替えてきますね!!」
意を決して言葉にしてみたが、一瞬困惑したような顔を見せた佐藤に続きを聞くのが急に恐ろしくなり、取り消して更衣室へと逃げ込んだ。
明也はそのまましばらく更衣室に閉じこもった。ちらっと調理場の方を見たが誰もおらず、今店に戻れば佐藤と2人っきりの空間になってしまうからだ。
怖くてそんな所へ行けない。なんであんな大それたことを言ってしまったのかと後悔する。
他の誰かが来るのを待ちながら、明也は身体が熱いのか寒いのかわからない状態になりながら更衣室で深呼吸を繰り返していた。
「これは間違いなくマリスドベルの仕業だ」
「そうかなぁ」
誰かが店に入ってくる音を聞いた明也が更衣室から出ると、京が佐藤に向けて熱弁している所だった。
佐藤は困惑気味にそれを聞いているようだが、何かマリスドベルの痕跡でも見かけたのだろうか。
「先輩、何か見たんですか?」
「む、明也か。見たも何も、これほど火災が頻発するなど不自然だろう。これはマリスドベルが起こしているに違いないだろう」
「そうかなぁ……」
明也も佐藤と同じようなリアクションが出た。
それもそのはずだ。なにせ季節はもう冬。ストーブなどの管理を誤って火事を起こしてしまうのも珍しくない時期であるからだ。
明也が今朝シュガーフェストに来る時も煙を見たが、そういう季節であるだけに京ほどの不信感を抱きはしなかった。
「というか、先輩って確かマリスドベルの発生を確認できるアプリ持ってましたよね。それでマリスドベルかどうかは分かるんじゃないですか?」
「うん、それは私も当然試したのだが」
スマホの画面を向けられ、以前も見たことのある茅原町の地図を明也は確認する。
朝に明也が見た煙の位置の付近を見てみるが、特に何も反応はない。
「見ての通り、何も反応が無いんだ」
「それはつまり普通に火事だからなのでは……?」
「……しかしこの頻度となるとなあ……」
マリスドベルは関係ないと思うのだが、それでもまだ京は納得いかなさそうに呟いていた。
確かにこの間のハロウィンの時も火事が原因で警察に捕まりそうになってしまったし、人為的なものだと思っても仕方がないかもしれない。
不審火であるからこそあの警官も見るからに怪しい明也達を犯人だと思ってしまったのだろうし、マリスドベルかどうかは別としても誰かが放火を行っている可能性は高い。
そして放火魔からマリスドベルが生まれる可能性は十分にあるし、やっぱりこれは放っておけないのでは、と明也は思い直す。
「じゃあ、ライミィと戸ヶ崎さんが来たらマリスドベル探しに行きます?」
「おお、いいじゃないか。なら私はそれまでに次現れる場所の予測でも立てておくとしよう」
「むー、店長の私に断りもなくそんなこと決めちゃってー。いえマリスドベルの話なら私も放ってはおけないんですけどー」
それからしばらくして、ライミィと戸ヶ崎が店に来た。いきさつを説明し、町へ出る準備をしてもらう。
マリスドベル出現の可能性に備えて全員が魔装を着て、京の案内で住宅街へとやって来た。
「どうやらこの近辺での火災発生件数が最も多いようなんだ」
「うーん……やっぱり単なる不始末感が拭えないような」
民家が多いという事はそれだけ暖房の使用も多くなるわけなので、自然と出火も増えてしまうだろうし、今の所明也には不自然さを感じる事ができない。
「でも、少なくとも火をつけた人はいるみたいですよ」
「なんでそう思うんです、店長?」
「ほら、見てください」
佐藤が指さした方を見ると、そこにはブロック塀がある。何の変哲もないように思えたが、よく見ると塀の所々が黒くなっているのに気付く。
「これって……」
「焦げてるのな」
「そうです! これはきっと火で焼け焦げた跡のはずです! 結構新しい跡みたいですし、誰かが火遊びをしてるのは疑いようもありませんね」
ライミィが触っている塀の焦げた個所を明也も触ってみると、まるで炭のようになっているのがわかる。
自然にこんな状態になるわけがないし、誰かが故意に火を放っているのは疑いようもないだろう。
「誰がやったにしても、許せないですねぇ。私は火に嫌な思い出が多いので特に許せませんよぉ」
「あーうん、そうだったね……」
本当かどうかは明也の知ったことではないが、以前戸ヶ崎がそんな話をしていたのを思い出す。
いずれにせよ許せる行いでないのも事実であるし、マリスドベルの犯行でなくとも犯人を見つけ出したいものだ。
「あら、賑やかね~。何をしてるのかしら?」
放火の痕跡を調べる明也達の背後からのんびりとした声がする。その声に、明也は聞き覚えがあった。それと、佐藤も。
「か、加藤さん?」
「あっ、また会ったわね咲。ずいぶん珍しい格好して、何してたの? 撮影?」
「こんなカッコで俺らは何の撮影してるってんですか……」
「何のって、もう。男の子だったら分かるでしょ? 人妻に言わせないでよ~。……それはもちろん、」
「言わなくていいんで! 黙ってください!!」
先刻シュガーフェストを訪れていた加藤だった。口を開くなりからかわれ、明也は顔を赤くする。
「あらあら、可愛い反応。それで、違うんなら何をしてるの?」
「そんなに気になるものか……?」
「まあ、そりゃ目立ちますからね」
ピッチピチのラバースーツを着た男女5人が集まっていれば、それはどんな目的なのか気になって当然だ。
それに加藤の家もこの近くかもしれない。家の付近でそんな怪しさの塊みたいな集団を見かけたら何をする気なのか問い質しておきたい所だろう。
隠すような事もないし、むしろ隠せば完全に不審者集団でしかないので明也が加藤へ簡潔に説明する。
「えっと、最近火事が多いじゃないですか。もしかしたら故意のものかもしれないって話になって、お店のみんなで犯人を探してるんです」
「へえ、そうなの。確かに誰がやったのかもわからないと怖いものね。……ところで、その恰好の意味は?」
「……その、制服、みたいなものです」
「お店の? さっき見た時とは違う気がするけど」
「そこはあんまり気にしないでください」
流石にマリスドベルとか魔装少女の話をしても理解はしてもらえないと思って明也は説明をぼかした。
少し首を傾げてはいたものの概ねは理解したようで、加藤は納得して頷いた。
「……うん、じゃあ風邪ひかないように気を付けてね。捕まえられるといいわね、犯人」
「まあ、まずは犯人の手がかりを探すところからなんです、けど……ッ!?」
ふと、明也が加藤の後方に視線を向けると、そこに黒い霧を纏った怪人がいた。マリスドベルだ。
2メートルを超える身長の怪人は全身に内側から突き破られたかのような亀裂がいくつもあり、そこから不規則に黒色の炎が吹き出ている。特に、バルーンのように膨張する両腕は特徴的だ。その巨腕にも走る亀裂の奥からはマグマのような煌めきが覗いている。
一目見て、明也はこいつが茅原町の火事を起こしているのだと理解した。
誰もいつの間に現れたのか察知できず、加藤とそう距離の離れていない所に立っている怪人は静かに明也達を見ていた。
「噂をすれば、という奴か! 丁度良いじゃないか、ここで倒すぞ! ……加藤、で良かったか! 貴方はこちらへ下がっていてくれ!」
「……? どうしてかしら?」
「うしろ! 後ろを見てください加藤さん!! たった今話してた放火魔が居るんですよ!! 危ないから早く!!」
「……あらー、この人の事ね」
のんきに振り向いてマリスドベルの顔を見た加藤は、特に慌てた様子も見せずに怪人を指さして確認を取ってきた。
「そう!! そいつが犯人なんです!! だから逃げて!」
「明也くん、だったっけ。ちょっと大げさすぎない? 私はそんなに怖くないんだけど」
「肝が据わってい過ぎる……! どうして危機感がまるでないんですか!?」
「どうしてって、仲良しだからだけど?」
「……え?」
当然のようにそう返され、明也は思考が止まった。多分、他の4人もそうだろう。
自らの言葉を証明するように、加藤は怪人の元へ歩み寄り、闇を纏うその体を優しく撫でた。
「とってもいい人なのよ、この人。私の息子をいじめた子に仕返しをしてくれるし、すっごく強いの」
「ま、マリスドベルと友好的に……!? こんなことってありえるんですか、先輩、店長!?」
「いや、私は初めて見た……!」
「私もです。それに息子さんがいじめられていたなんて……何があったの、加藤さん!?」
「別にそんな変わったことは何も無いわよ。ただ私のやりたかった事に協力してくれる人が現れたっていうだけの話だもの。それに、あんまり他人に話すような内容でもないもの」
話す加藤の声はトーンが低い。明也はもちろん佐藤も与り知らぬ場所で色々な事があったのだろう。マリスドベルを生み出すような何かが。
「復讐ってわけですねぇ。気持ちはわかりますけどぉ、焼くのは私的に許せないんですよねぇ」
だがそんな事はお構いなしとばかりに戸ヶ崎は前に出た。Dブレードを構えているが、以前のような狂乱は今の所姿を見せずにいる。
しかしいつもと変わらぬ口調ではあるが、その声にはどこか怒りのようなものが乗っているのを明也は感じた。今、戸ヶ崎の中は強い怒りだけで満たされているのかもしれない。……それはそれで狂気で支配されている状態と同じくらい危険な気がするが。
「明也先輩、みんなであいつを殺しましょう」
「……確認しておくけど、それはマリスドベルに対しての言葉だよね?」
その質問には答えず、戸ヶ崎は加藤に向けて突進する。Dブレードで人は斬れないのは知っているが、彼女が何をする気かわからないので明也もすぐに後を追う。
他の3人も戸ヶ崎をカバーするようにしてマリスドベルの方へと向かっていった。
「隙だらけですねぇ!」
戸ヶ崎が迫ろうとなお直立不動のマリスドベルへ容赦なくDブレードが突き込まれる。
直撃するかと思われたが、マリスドベルへ当たる事はなかった。黒い霧の残滓だけをその場に残して、文字通り煙のように消えてしまったのだ。
「あれぇ……?」
「ッ!? 消えただと!? マリスドベルはどこにッ!」
「こっちよこっち、よく見てくださいな」
その言葉に、マリスドベルのそばに立っていた加藤へと視線が集まった。そして、彼女の姿を見た一同は驚愕する。
そこには確かに加藤がいたが、巨大化した両腕と顔の右半分を覆うように黒い外殻が張り付き、黒い霧を放つ姿はまるで体中にマリスドベルを纏っているかのようだ。
マリスドベルの時にはあまり熾っていなかった炎だが、今加藤の体を覆う怪人部分の亀裂からは絶える事無く炎が吹き出ている。
熱さを微塵も感じていないのか、加藤は涼しげな顔で自身の姿を見せつけてくる。
「マリスドベルと1つに……!?」
「すごいでしょ、咲。私とこの人の心が通じ合った証拠ってことかしら、最近は自由にこの人の力を使えるようになったのよ」
加藤がマリスドベルと融合し肥大化した黒腕を軽く振ると、明也達の目の前で巨大な火柱が地面のコンクリートを突き破って吹き上がる。
もう一度腕を払い、それに合わせて天に届くかの勢いで上がっていた火柱はフッと消え去った。言葉通り、自在に力を制御できると示してみせたのだ。
「ね。それに私もこの力を悪い事に使うつもりはないし、見逃してくださらない? 邪魔しないでくれるなら、私もあなた達を傷つけたりしないから」
「聞けない話ですねぇ」
加藤の言葉に聞く耳も持たない戸ヶ崎がDブレードを突き出し胴体への直撃を狙う。
しかし刀身に触れる事無く加藤は攻撃をかわしていく。
「えー、でも私は咲たちと戦うつもりなんてないんだけど」
「……いえ、加藤さんは悪い事に使わないと言いましたけど、放火は完全な犯罪です。少なくとも、そのマリスドベルだけは見逃すわけにはいきません」
「……そう。なら仕方がないかしら。残念だなあ、咲とはまた仲良くなれるかもって思ってたのに」
「奇遇ですね、私もそう思っていました」
佐藤の彼女に対する言葉がそれまでの砕けたものから変わり、Dブレードを構える。それは今眼前にいるのが自身の友人とは別の存在であるとして思おうとしているようにも見える。
それを見て、加藤も諦めたように首を振った。
人間と融合したマリスドベルと戦うなど明也も初めての経験だが、こうなってしまってはやるしかない。斬ればどうなるのかは不明だが、放ってだけはおけない。
「じゃあ、私の愛の炎で全部溶かしてあげましょう!」
嬉々とした声で加藤が言うと、彼女から上がる炎の勢いが一気に増す。
黒腕が地面のコンクリートを抉るように勢いよく振り抜かれ、それに続いて道全体を埋め尽くす量の業火が突如巻き起こり明也達に迫る。
魔装を纏う明也達は防御力が大きく上昇しているが、これは直撃すればひとたまりもないだろう。頭部はほとんどガードできないし、宣言通りに溶かされる事だろう。
一斉に飛び、5人は近くの家の屋根に着地した。地上では寸前まで明也達の立っていた場所を炎が通り抜け、赤熱したコンクリートが溶岩の如く溶解していた。。
「皆、気を付けろ! 魔装は炎に弱い、アレに当たれば一瞬で溶けてなくなるぞッ!」
「その情報初耳なんですけど先輩!? いえ当たったらヤバいのは見たらわかりますが!!」
なぜこんなタイミングでそれを告げるのかはともかく、これほどの火力を持つ相手に距離を取っていては圧倒的に不利である。まずはDブレードの当てられる間合いまで接近しなくてはならない。
先程の戸ヶ崎の攻撃が難なくかわされていたのを見るに近付けても有利になるかは不明だが、何にしてもそうしなくては手も足も出せないだろう。
「俺が突っ込みます、みんなも続いてください!」
そう宣言して明也は屋根から加藤めがけて跳躍し、空中でDブレードを構える。加藤はそれを迎撃すらせずに眺め、明也の接近を容易に許してみせた。軽く手を伸ばせば触れられる距離だ。
油断していたのだとしても隙だらけすぎる。罠だとしか思えないが、明也に空中で方向転換する技術などないし、もうやるしかない。構えていたDブレードを振り抜く。
「これに当たると、危ないんだったのよね」
「ッ、やっぱりか……!!」
容赦ない一閃のつもりだったが、加藤にとってはそうではなかったらしく、Dブレードを握る明也の腕は彼女の黒腕に掴まれ、その刃は届かなかった。
やはり力を手にして油断していたわけでなく、確実に止められる自信があったからこそ待ち受けていたのだろう。
しかしその自信も明也にとっては好都合である。
「これでッ!!」
「あら」
明也はあえてDブレードから手を放し、掴まれている腕で逆に黒腕を掴み返す。もう片方の腕にも手を伸ばし、そのまま握り潰すつもりの力を込めてしっかりと拘束する。
攻撃を回避できる自信があったとしても、自由に動けないのであれば話は別だろう。
「悪いけど、逃がすつもりはありませんよ……!!」
「まあ情熱的。でもごめんなさい、私にはもう夫がいるから」
冗談か本気で言っているのかわからないが、加藤の背後から佐藤達4人が迫る。
明也が捨て身で動きを封じ、その間に死角からの攻撃。4つの内1つでも当たればマリスドベルを必ず殺すDブレードで勝負がつく。
だが、そんな明也の目論見は失敗に終わる事になる。
「よっと」
「そ、そんなッ!?」
相手が微動だにできないほどの力を込めていたはずの明也だが、加藤は何てことないように自身の両手を押さえつける明也ごと跳び、見てすらいないのに迫る4つの刃を全て回避した。
信じられない出来事に、一瞬明也の力が緩む。……多分、緩んでいなかったとしても変わらなかったのだろうが、加藤が両腕を振り上げると明也はその勢いで佐藤たちの元へと思い切り投げ飛ばされる。
誰も避けられず、高速で飛んできた明也が彼女らに直撃し、下敷きにしてしまう。それから、「はい、落とし物ですよ~」と明也が取り落としたDブレードも投げ返された。
「くッ、届かないとは……」
「あの反応速度と超パワー、発生からかなり時間の経ったマリスドベルみたいですね」
「まぁ何だろうと絶対に殺すつもりですけどぉ……それより早くどいてくれませんかぁ、先輩」
「顔に硬い所が当たってて痛いのな……」
「魔装の装甲だよね! それはごめんだけど紛らわしい言い方やめようかライミィ!」
立ち上がり、明也達は加藤と改めて対峙する。明也には、彼女が今まで倒してきたどのマリスドベルよりも強大に見えていた。
「今ので少しは力の差をご理解いただけたと思うんだけど……まだやります?」
「当たり前です! 私達は魔装少女として、マリスドベルを見逃すわけにはいかないんです! 力の差なんて関係ありません!」
「頑固ねー。……ううん、筋が一本通ってるって言うべきかしら。昔とは大違いねえ」
「……ええ、そうですとも。私はもうあの時の私とは違うんですよ!」
佐藤の言葉を聞いて、加藤は嬉しそうな顔をして頷いた。それから、残念そうに息を吐く。
「でも、そんな咲とも今日でお別れかしら」
「勝ち誇らないで頂きたいですね、まだ私達は負けていないんですから!」
Dブレードを構えた佐藤が疾走し、加藤へと迫る。明也達も一瞬遅れてそれに続いていく。
「はぁ、そう。それじゃあ、さよなら」
単調な突撃に呆れたように加藤は小さくため息を吐いた。そして、黒腕を振り下ろす動作をすると、空に太陽の如き炎の球体が出現した。
佐藤らの頭上に現れた極大の火球は高速で落下し、あと数秒もかからずに5人を襲うだろう。
逃げ場のないその一撃より先に、刃を届かせるべく佐藤は駆ける。
だが、ほんの数メートルの距離だというのに、遠い。佐藤がDブレードを振るうより、火球が彼女達を焼く方がわずかに先だ。
それを理解した明也は、佐藤を、そして京たちを守るためになら、と自然に体が動いていた。
「っ、グ、ああああああああああああああッッ!!!」
当たれば魔装ごと焼け溶けると言われたが、その一瞬だけそれを忘れる。
前後左右、どこに回避しても意味がないと悟り、明也は跳躍し、火球を押しとどめるべく突っ込んだ。
Dブレードを盾代わりに顔の前へ押し出し防御を試みるが、それもあまり意味はない。刀身のくり抜かれた形状のDブレードに盾としての機能はほぼないからだ。痛みを感じるよりも先に皮膚が焦げていくのを感じる。
「暁くん!?」
「俺はいいから、店長、今です……!!!!」
それでも気休め程度には明也が灰に変わっていくのを遅らせてくれる。2秒か、3秒は稼げただろう。腕が、顔が、炭化していくのを感じながら明也がわずかな時間を作りだした。
明也の体がコンクリートの上に叩きつけられるのと、佐藤の握るDブレードが一閃したのはほとんど同時だった。
加藤の体、その中のマリスドベルの部位に付いたひとすじの切れ目から、光の粒子が広がっていた。
「……やっちゃった。私としたことが、まさか見とれちゃっただなんて」
反省の言葉を口にする加藤は、あーあとため息を吐いて佐藤を見る。
「あ、当たった……?」
「ええ、愛の勝利って所かしら。とっても愛されてるのね、咲」
「なッ、なぜそこで愛が?」
「もお、そんなの言わなくてもわかるでしょ」
光へと変わっていくのはマリスドベルの部分のみで、加藤は無事なようだ。困惑する佐藤を尻目に後方へと大きく飛び、佐藤たちから逃げるように遠ざかった。
「今回は私の負けということで退きましょう。……その子、大切にしてあげてね」
「あっ、待って!」
「追うな咲、もうマリスドベルは倒したも同然だ! それより明也だ!」
マリスドベルという力を失いつつあるというのに態度を崩さない彼女を見て佐藤は追おうとしたが、京に止められる。
振り向いた先には明也が倒れていた。Dブレードは跡形もなく融解し、魔装も上半身を覆う個所は焼失していた。
「暁くん!!」
「て、てんちょ……?」
それを見て佐藤は息を飲んで駆け寄り、明也を抱き起す。幸いな事に、魔装が焼けただけで体そのものは無事だったようだ。
佐藤の声を聞いて、一時的に気を失っていたらしい明也はゆっくりと目を開ける。自分の手をじっと見て、不思議そうに体を何度も触っている。
「あれ、俺は確かあの火球に突っ込んで」
「ああ、おかげで咲が一撃を叩き込むだけの時間を稼げたんだ、お前の勝利と言ってもいいだろう」
「勇気あるのなメイヤ、ワタシなら多分死んでたんよ」
「まぁ、殺し損ねちゃいましたけどねぇ」
「倒せなかったんだ、マリスドベル」
「いえいえぇ、そっちは大丈夫ですよぉ。でも殺せなかったのでぇ」
「おっこれは今この場で1番危険な状態なのは俺じゃなくて戸ヶ崎さんって事かな?」
状況を理解し、マリスドベルと融合した加藤を撃退するのに成功したのを明也は悟った。自身の捨て身の行動が無駄ではなかったと知り、安心する。
そうして、自分の手を握り非常に近い場所に佐藤の顔があることにもようやく気付く。
「あ、店長……!?」
「暁くん、怪我はありませんか!」
「は、はい。魔装もDブレードもボロボロですけど、怪我は……っていうか、なんで本当に無傷なんだろ、さっきは確実にどこか焼けてたような」
「無事なら、良かったですっ!!」
「……!? ……!!」
感極まった様子の佐藤に強く抱き締められ、明也は佐藤の胸が顔に押し付けられる。とてもやわらかい。
だが、鼻と口がラバー系の質感を持つ魔装にしっかりと押し付けられてまったく呼吸ができない状態の明也には、それどころでななかった。
佐藤の腕ががっちりと頭を拘束し、明也の力では脱出できそうにない。
「私のために暁くんが命を落とすようなことがあったら、どうしようかと……!」
今まさに佐藤の手により命を落とそうとしている明也は必死にもがくが、びくともしない。
「自分を犠牲にするだなんて無茶な事、もうしちゃダメですからね!!」
無駄な犠牲が自分の胸の中で生まれようとしているのだが、佐藤はそれに気付く気配もない。
奇跡的に助かったと思われていた明也だが、今また意識が遠くなり始めていたのだった。




